第14話 お股をなでなで

 訓練場に入るとマクシミリアンは既に中央で待ち構えていた。


「遅いじゃないか。早くしろ!」


 ミッチェルとロイドの姿を捉えると、マクシミリアンが剣を抜いて、切っ先をロイドに向けた。


「殿下。まだ開始の合図の前ですよ」

「ふっ。すまん。気が早ってしまった」


 ロイドがマクシミリアンの前に立つと、マルクが軽く頷いた。

 それを見たミッチェルが二人の間に立ち、軽く肘を曲げて両手を広げた。

 二人は剣を抜き斜め上にかかげる。


「おいおい。なんだその剣は。ミッチェル。こいつは本当に俺とやりあえるのか?」

「殿下。ロイドはあの剣を持った時が一番力を発揮できるのです」

「ふーん。じゃ、手加減なしでいかせてもらうぞ」


 マクシミリアンとロイドが互いに剣を向ける。

 ミッチェルはそれぞれの剣の切っ先を指で軽くつまむと、開始を宣言した。


「それでは練習試合を始めます。正々堂々、剣を交えよ!」


 ミッチェルが手を離し下がると、すかさずマクシミリアンが右横からロイドの脇腹を狙ってきた。


(0.七秒。はい)


 ロイドは対応がやや遅れたように見せかけて、両手で握り直した剣で受け止める。そして、ついでによろけたフリをする。


「おっと。お前には衝撃が強すぎたかな」


 マクシミリアンが嬉々として連続で剣を打ち込む。


 ガン! ガガン! ガガン!


 重たいマクシミリアンの剣がロイドの剣を泣かせる。

 その刹那、城内に放っているドローンからアラートが発出された。


(おや? 不審人物ですね。未詳Xとして登録)



 ロイドは剣を振りながら未詳Xが城に侵入する様子を見た。

 城壁の側に、さも落としたかのように木材を山積みにし、その上に頑丈なしょいこを乗せている。


(へえ。それは私がピックアップした三十八通りの中の一つですよ)


 ロイドの予想通り、未詳Xはしょいこの上を勢いよく駆け上がり、そのまま城壁を超えて侵入した。




 マクシミリアンは思うように決定打を与えられず焦れた。


「ふん。護衛っていうだけのことはあるんだな。じゃ、これはどうだっ!」


 マクシミリアンも両手で剣を持つと、いったん頭上高く振り上げてから、思いっきりロイドめがけて振り下ろした。

 ロイドは未詳Xがあと十六秒で訓練場に入ってくると分かり、マクシミリアンの剣をうっかり反射で受けてしまった。


 片手で軽く持った剣を、目にも止まらぬ速さで頭の上に持ってきてしまったのだ。

 誰の目にもロイドが構えたところにマクシミリアンが当てにいったように見えた。



「あれ? 今のって――」


 イースは隣で見守っているマルクに、ロイドが構える方が早くなかったか聞きたかったが、マルクは二人から視線を逸らさない。


「うう。何をやっているのです。ロイド……。まさか打ち負かす気じゃないですよね」


 ミッチェルもロイドの失態に気付き慌てたが、試合を中断する訳にはいかない。

 試合の中断は双方にとって不名誉なことなのだ。



 ロイドはいち早く挽回すべく、剣を受け止めた状態で片膝をつき、練習通りの悔しそうな表情を浮かべた。


 マクシミリアンは一瞬だけ、「あれ? なんで先に頭の上で剣を構えているんだ?」と疑問がよぎったが、目の前のロイドの苦悶に満ちた表情を見た途端、愉悦が全身を駆け巡った。


「あっはっはっ! 受けてばかりでどうする! かかってこいよ! ほら!」


 そう言うとマクシミリアンは剣を下ろして胸を突き出した。


(ええと。相手の剣を苦しそうに何度か受けて、最後に「参りました」のはずですが)


 ロイドは聞いていた話と違うと、ミッチェルを見た。ミッチェルも呆気に取られている。


(もうちょっと念入りに打ち合わせをしておくのでしたね。声に出さずとも、唇だけ動かしてくれれば指示を読み取れるのですが)


 マクシミリアンは戸惑うロイドのすぐ目の前まで迫ってきた。呼気が顔にかかるほどの近さだ。



(兵士の皆さんも訓練場が気になるのですね。近くに来てくれたお陰で、未詳Xは方向転換してくれました)



「試合中にどこ見てんだ? 助けでも呼びたいのか?」


 マクシミリアンは剣を鞘に収め、右手を大きく開くと、ロイドの股間の下から手を入れた。


「そんなに縮こまってちゃあ、かかってこれないよな。ここもぎゅーっと縮こまって――」


 マクシミリアンは、握るつもりのモノがなくて焦った。


「ぎゅーっと――」


 どんなに探っても、何もない。

 あるはずのモノが、目の前の男にはないのだ。

 マクシミリアンの右手は、何もないロイドの股間を右へ左へとなで回しただけだった。



 マクシミリアンはロイドから離れると、よろよろと後ずさった。

 しばらく顔を真っ赤に染めた後、今度は血の気が引いたように青ざめて、ブルブルと震えだした。

 その場にいた誰もが何事かと心配している中、マクシミリアンが絶叫して膝から崩れ落ちた。


「ひ、ひいーーっ!」


 そのまま両手で頭を掻きむしり天を仰ぐと、鼻血を噴いてばったり前のめりに倒れてしまった。

 辺りが騒然とする中、マクシミリアンに駆け寄る従者たちの顔面も蒼白だ。

 ミッチェルはいち早くマクシミリアンを抱き起した。


「なぜだ。どうして。あいつ……。ミッチェル。どうなってんだ? お、俺は――。なんてことを――。あいつのまたぐらを、いや、あの方――の、おま、お股をなで――、なで――、なで――」


 マクシミリアンは言いながら白目をむいた。泡を吹いて失神しかけている。

 ブーロン訪問中に王子が失神するなど、断じてあってはならない。

 ミッチェルはマクシミリアンの体を揺らした。正気を保ってもらわなければ困る。


「落ち着いてください。私を見て!」


 ミッチェルがマクシミリアンの頬をパンパンと強く叩いた。


「殿下! お気を確かに!」

「あ、ああ――」

「いいですか。このことは誰にも言わないでください。お互いのためですよ。いいですね。あなたの従者たちにも、きちんと口止めしておいてください」


 マクシミリアンは黙ったままブンブンと首を縦に振った。

 ミッチェルは従者たちにマクシミリアンの介抱を譲ったが、彼らはマクシミリアンにすがりついて泣かんばかりだ。


「長旅でお疲れのご様子。取り急ぎお休みいただきましょう」


 従者たちがマクシミリアンの両肩を支えて連れていく。

 マクシミリアンの薄れゆく意識の中では、ドレスを着たロイドが微笑みかけていた。

 ダークブロンドのサラサラの髪が風にそよいでいる。


(か、可愛い! 可愛いではないかっ! なんだあの可愛さはっ! ぐふっ)


 マクシミリアンはそのまま幸せいっぱいの夢の中に落ちていった。

 その場にいた者たちは大騒ぎだった。

 何しろ王子殿下がぶっ倒れるところを目撃したのだ。さすがのマルクも慌ててミッチェルに駆け寄った。


「ミッチェル。どうなっておる? 何が起こったのかの」

「さ、さあ。何かうわごとを口走っておられたようですが。朝、何か悪いものでも食べられたのかもしれません。とりあえず部屋で休んでいただきますので。後は私が」

「うーむ。まあ、お前に任せるとするかの」


 その場はミッチェルがなんとか収め、王子の従者たちには、「旅先での王子の失態が知れたなら責任を負わされることになるぞ」と脅しておいた。



 ブーロン城では、王子殿下との試合そのものがなかったこととされた。

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