第37話 舞踏会①(イース)
舞踏会が開催される宮殿の大広間は、ロイドにとっては既に見慣れたものだったが、初めて目にする者にとっては憧れの豪華絢爛な世界だ。
ガラス職人たちが一年を費やしたという豪勢なシャンデリアが、天井のあちらこちらにぶら下がっている。
上座の壁には歴代の王たちの肖像画のタペストリーが並んでいる。
三メートルはあろうかというアーチ型の窓には、三色のカーテンが美しいドレープの層を作っている。
使用人が大きなドアを開き、マルクを先頭にイース、ミッチェル、ロイドと続いて大広間に入った。
闘技大会同様に大使二人も招待されており、既に着席していた。
妃候補の同伴者らの他にも、スペンサーにあやかって良縁のおこぼれに預かりたい貴族たちが所狭しとひしめきあっている。
ロイドは広間の空気を吸ってすぐに、鼻をつまみたい衝動に駆られた。
(なるほど。映像だけではわかりませんでした。人間たちは不快に感じないのでしょうか。この空間に充満している化粧や香水の匂いに)
イースは緊張のせいで鼻が効かないのかもしれないが、マルクやミッチェルは平気な顔をしている。
マルクとイースの顔を見て妃候補とわかると、皆、もったいぶった身振りで挨拶をしてきた。
ロイドは会場内に不審な動きをする人物がいないことを確認した上で、王都でしか会えない貴族たちの情報収集をすることにした。
女性たちの膨らんだドレスでほとんど床が見えないのは偵察には好都合だ。
だがしばらく観察して無駄だと気がついた。
ドローン経由で聞こえてくる会話は、根も葉もない噂話や妬みによる誹謗中傷ばかりだった。
(なんなのですか。高貴な人間たちの会話とは、こうも下世話なものなのですか)
ロイドは一人ずつつかまえて話の矛盾点を指摘し、これまでの録画データから客観的な事実を突きつけてやりたいと思ったほどだ。
(でもそんなことをすれば、イースに敵対する人間を増やすだけですね)
大きな身振り手振りでしゃべって笑う女性たちは、どれもこれも似たような顔と髪型だった。
ドレスの色で区別する方が簡単だ。
会話の邪魔にならない程度に流れていた音楽が、一際大きなものに変わった。
王族たちの登場だ。会場内の会話がピタリと止まった。
開かれた扉から、煌びやかな一行が静々と入ってくる。
ニクラウスが玉座に鎮座すると、その左右にアリシアとサーシャ、マクシミリアンが座った。
正装したスペンサーは広間の中央に進み出ると、妃候補たちの席の方へ向いて一礼した。
進行役が候補者の名前を大きな声で告げる。
最初に名前を呼ばれた妃候補は、顔だけでなく、耳から首までも真っ赤に染めて立ち尽くしていた。
母親に背中を押されておずおずと進み出ると、スペンサーの前でドレスの裾をつまみ、左足を後ろ斜めに引き右足を曲げて挨拶をした。
その様子を見た妃候補の家族たちは大興奮だ。
「私と一曲踊っていただけませんか」
スペンサーが手を差し伸べてそう言うと、妃候補は魔法にかけられたように、うっとりとした表情で手を重ねた。
広間にいる全員が見守る中、ダンスが始まった。
二人だけのために空けられた広間の中央で、スペンサーは優雅な舞いを見せ、観客となった貴族たちを魅了した。
曲が終わり二人が互いに礼をすると、たちまち大きな拍手が起こる。
歓声に包まれながらスペンサーが妃候補を王の前までエスコートする。
妃候補は、王に対してまさに一世一代の挨拶を行うのだ。
そんなやりとりが五回行われた。
スペンサーは六人目のイースの手をとって目があった時、頭の中を何かがよぎるのを感じた。
――なんだ?
見つめあって踊り始めると、その正体がわかった。
イースに、今は亡き王妃の面影を感じ取ったのだ。美しい叔母の面影を――。
――あり得ない。馬鹿馬鹿しい。
先王に王女はいなかった。目の前の娘はブーロン領の跡取りの公女なのだ。忠臣マルクの孫娘。
――忠臣マルクの?
自分を見上げる青い瞳に気を取られていたスペンサーは、曲の終わりに気が付かず、最後のステップでイースを引っ張ってよろけさせてしまった。
「申し訳ない」
「い、いえ。大丈夫です」
イースはウエストから下のドレスの膨らみを目立たせるために、高いヒールのパンプスを履いていた。
ほとんど爪先立ちの状態で、スペンサーのリードに遅れまいと必死にステップを踏んでいたのだ。
二人ともぎこちなさの取れないまま、イースは王の前まで連れていかれた。
サーシャは挨拶をするイースの既視感のある顔立ちが気になった。
いったいどこで彼女を見たのだろうと、必死に記憶をたぐり寄せたが答えは出なかった。
もやもやした状態が嫌いなサーシャは、異例なことだがはっきりと言葉に出した。
「あ、あの。イース様。私たち、どこかでお会いしませんでしたっけ?」
「いいえ。サーシャ様にお目にかかるのは今日が初めてです」
「そ、そう……」
ロイドは部屋の隅の方に避難していたが、ドローンを通さなくてもイースがビクッっと反応したのが見えた。
(「やっべ」って顔に出ていますよ。そういえば、お互いに知らなかったのですね)
アリシアが、「あら、あなたもなの?」と驚いていた。
「確かに、私もどこかでお会いしたような気がしたのよ」
アリシアの言葉にサーシャが動揺した。
宮殿にいない人間と、いったいどこで会ったというつもりだったのか。
すかさず否定した。
「滅多に外出されないお母様が? 私もそうですけど絶対に気のせいですわ」
「そ、そうよね」
イースは無表情を決め込むのが精一杯で、気の利いたことはしゃべれなかった。
なんと言って下がろうかと思案していると、アリシアがイースに、「ごめんなさいね」と声をかけてきた。
イースは無言で深く一礼して無事に放免された。
スペンサーは妃候補たちとのダンスが終わると、椅子に座ったまま最後まで立ち上がることはなかった。
通例だと、意中の候補に再びダンスを申し込むことになっているが、スペンサーにその気はないようだった。
その分、気を吐いた貴族の子息たちが、予定時間いっぱいダンスを楽しんでいた。
早々に脈がないと諦めた田舎貴族の娘たちは、壁際のテーブルでケーキを頬張る集団と化している。
終了時間の十五時まであと少しと迫った時。
それまで大人しく座っていたマクシミリアンが、すくっと立ち上がった。
異変を察知したミッチェルがギョッと驚いている。
皆、ひそひそと声をひそめながらも、何事かと色めきたっていた。
もしや気になる令嬢がいたのではないか。
第一王子でなくとも、第二王子ならば結婚相手として申し分ない。
娘を伴っている親たちは、どの顔にも同じようなことが書いてあった。
マクシミリアンは人目を臆することなく、ロイド目掛けて一直線に歩み寄っていく。
ロイドは危険を察知して人混みに紛れようと逃げた。
ミッチェルも、マクシミリアンに挨拶をするふりで、その前に立ちはだかった。
「マクシミリアン第二王子。ご挨拶が遅れました」
「ああ、ミッチェル。ロイド嬢にダンスを申し込みたいんだ。いいだろ?」
「え? はあ?」
「お前が許可すれば、俺と一曲踊ってくれるよな?」
ミッチェルは、まさか開口一番に申し込まれるとは思ってもいなかったため、返す言葉に窮した。
周りの者は、マクシミリアン第二王子がダンスに誘う娘が誰なのか、目を血走らせて探している。
「え? ええと。え?」
すっかり面食らったミッチェルは、周到に用意していた断るセリフが出てこない。
「なんだよ。俺じゃダメなのか?」
「だ、だめなどと。そんな……」
「じゃ、いいんだな。ロイド嬢! どこだ! ロイド嬢!」
広間にいた全員が、キョロキョロと「ロイド」という娘を探し始めた。
「どちらの令嬢ですの?」
「あなたご存知?」
「既に顔見知りのようですけど、いったい、いつの間に?」
ロイドはドローンと連携して、いったん壁際まで下がった。
(これはミッチェルの失態ですよね。私は逃げ続けるべきですか?)
どうやって見つけたのか、イースがロイドの隣に来ていた。
「お前、どうするんだ? 結局、ダンスをする流れじゃないか」
「私は申し込まれていません。今、ボールはミッチェルにあるはずです。ミッチェルが断ればおしまいです」
ロイドとイースがこそこそと話していると、すうっと人垣が割れた。
(ああ、もう! どうしてこうなるのです)
ロイドの真正面に、にこやかに笑うマクシミリアンが立っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます