第24話 不機嫌と不気味
それは錯覚ではなかった。
自宅に戻ったユベールは、ずっと不機嫌な顔をしていたからだ。
作業台に荷物を置く時も、食事を作っている時も。そう、食べている時でさえも。
そんな顔を私には見せたくないのか、一日の工程を済ませると、すぐに作業台の方へと姿を消していく。
一応、帰宅直後は鞄から私を出してくれたけど。何だか、避けられているようで辛かった。
「ユベール……」
そっと呼びかけても、答えは返って来ない。まるで、百年前に戻ったような気分だった。
あの時も、部屋でヴィクトル様の名前を何度、呼んだことだろう。けして答えてくれることのない場所で、呼び続けた日々。
けれど今は、広い屋敷の一室にいるわけではない。狭い家のリビングにいるのだ。作業台もリビングと繋がっていて、仕切りがない。
だからユベールの耳に、私の声は届いていても不思議ではなかった。それなのに、返事がない。
聞こえないと分かっていて呼ぶ時よりも、何倍も堪えた。たとえ私が原因ではないと分かっていても……。
「ん? 何かしら」
ふと、気配を感じたのだ。それも後ろから。私は何も考えずに振り向いてしまった。今の私は人形の姿をしているというのに。
人間だった頃の記憶を鮮明に思い出してしまったせいだろうか。
「っ!」
窓の外で何かが動いている。風の音がしないのに、背の高い草が揺れているのだ。
仮にあったとしても、その奥にある草木に変化がなければおかしい。何せその揺れは、強風でなければ揺れないほど、大きな動きをしていたからだ。
「誰か……いるの?」
咄嗟に、ユベールがいる作業台の方へと視線を向けた。伝えるべきだろうか。
ううん。私は首を横に振った。
「今のユベールに負担をかけたくない」
そう、私が下した決断は、一人で解決する方法だった。
***
意を決したものの、早速難題に行き当たる。そう、外に出る方法だ。
風魔法で体を浮かせて、ドアノブを掴むことは出来る。風魔法を解除した後、重力魔法で足りない重みをかけて、ドアノブを下げれば開くだろう。
しかしこれは玄関から出る方法。
いくら魔法を使っても、人形の私では行動にムラが出てしまう。音が鳴るのは必須。すると、家の中にいるユベールが気づくし、外にいる相手にも勘付かれてしまう。
よって、玄関は却下。
「……となると、別の窓からの方がいいかしら」
何も窓は一つだけじゃない。私は風魔法で少しだけ体を浮かせると、室内を移動した。
理由は簡単だ。エナメルシューズを履いているからだった。何せ足音がうるさい。さらに移動速度のことも考えると、これが適切だった。
とはいえ、人と同じ目線の高さだと、外にいる相手に見えてしまうかもしれない。
さっきは迂闊にも振り向いてしまったが、人形が動いている、なんて知られたらユベールの評判が下がってしまう。勿論、私の身も危ないけれど。
「私はこうして魔法が使えるから」
ユベールが私をブディックに連れて行ってくれたのも、まさにそれが理由だった。お陰で自信を持てたのだ。
「さっきとは正反対の位置にある窓だから、音が聞こえても、多分、大丈夫かな」
作業台からも、壁を隔てているから、防音になってくれるだろう。私はそこにたどり着くと、窓の鍵を開けて外に出た。
両開きの窓だったこともあって、人形の私でも簡単に開けることができるのだ。しかし、また問題に行き当たった。
まさか家の周りが、こんな酷い有り様だとは思わなかったのだ。
確かに窓からは、背の高い草木が見えた。が、私の背よりも高いなんて……いや、窓の高さを思えば、すぐに分かることだった。
それに今は、自分の身を隠してくれるのだから、感謝しなくては。けれど後で、ユベールに言うべきかな、とも同時に思った。が、今はそれどころじゃない。
私は急いで家から離れた。
何せ家の中にいても視線を感じるのだから、相手はすぐ近くにいたことになる。となれば、同じ距離から近づくよりも、遠くから相手の出方を見る方が得策だった。
どう考えても相手は人間だろう。すると瞬時に、接近戦が不利だと判断したのだ。
たとえ相手が子どもであっても、人形の私など、簡単に捕まえられてしまうのは、ユベールで経験済みだった。それならば取る手段は一つ。
そう、魔法による遠距離攻撃。背の高い草で姿も見えないから、相手を傷つけなくても、脅しくらいにはなる。
「……このくらい離れていれば大丈夫かな」
窓から直線距離で離れ、さらに右折をして、玄関の方へと回る。本来ならば、家の外観をゆっくり見ておきたかったんだけど、今はそんな余裕はない。
何故ならば、思った以上に草が成長し過ぎでいたからだ。
相手を確認したくても、よく見えない。仕方が無しに私は風魔法を使って体を浮かせた。するとほんの少しだけ、周りの草が私を避ける。
普段は見えないけれど、これも風魔法の影響なのだろう。不自然な音より、こちらの方がまだいいのかもしれなかった。
私はそんな草の下から少しだけ顔を出す。すると、長い赤毛を高く結った、水色のワンピースを着た人物が目に入った。背丈はユベールくらいだろうか。
しかもその人物は、中を窺っているわけではなかった。家の外壁に何かを塗っている。
あれは……何? というよりも、気味が悪い。
さらに木の棒のような物を取り出して……。
「まさか火を!」
驚きのあまり声を出すと、赤毛の少女がこちらを向いた。そう、松明を持って。
「誰!」
私は咄嗟に草の中に隠れる。けれど赤毛の少女は諦めてくれなかった。
「誰なの!」
すると突然、玄関の扉が勢いよく開いた。
「シビル! そこで何をやっているんだ!」
「ゆ、ユベール!」
さっきまでの勢いはどうしたのか、シビルと呼ばれた赤毛の少女はたじろいだ。その隙に私は再び、草から少しだけ顔を出す。
あの子がシビル……。ユベールに迷惑をかけていた……少女。
いや、ユベールのことが好きだから、気を引きたくて一生懸命なんだ。私もそうだったから分かる。
ヴィクトル様に見てほしくて、でも我が儘を言えば嫌われてしまいそうで怖くてできなかった。
けれどシビルは、自分の気持ちの
私もまた伯爵令嬢ではなく、侯爵令嬢だったらあれくらい積極的になれたのかな、と思いたくなるほど、羨ましく感じた。と同時に、危うさも……。
いや、すでに松明を持っている時点で危険だった。
恐らく「これで最後にしたいんだ」というユベールの言葉がトリガーになったのだろう。私にとって「婚約を破棄させてもらう」というヴィクトル様の言葉がそうなったように……。
私は『死』を選び、彼女は『殺意』を選んだのかもしれない。そんな姿を見ていると、あの時の私にも、もっとたくさんの選択肢があったように思えて、胸が痛んだ。
どうして私たちは、それを選んでしまったのだろう。そう思えば思うほど、切なく感じて仕方がなかった。
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