第16話 正体

 サビーナ先生はほくそ笑むと、私をユベールに渡した。


「気味の悪い人物に抱かれて聞くよりはいいでしょう」


 ベッドの脇にある椅子に座りながら、サビーナ先生は自嘲気味に言った。


「そんなつもりで質問したわけではありません。先生を気味が悪いだなんて。私はただ……」

「分かっているわ。そうね。ユベールが貴女を私に取られたと思って、見つめる視線が怖かったのよ」

「さ、サビーナさん!」


 こちらはどうやら、図星だったらしい。同じくベッドの近くの椅子、といっても机に付随している椅子に座りながら、慌てていたから。


「あら、折角リゼットが目を覚ましたのに、全く気づいてもらえなくて拗ねていたのではなくて?」

「気づかない? 何のことですか?」

「あらあら。よく見て、リゼット。このベッドの様子を」


 サビーナ先生は私に見えるように、椅子と一緒に移動した。途端、目に飛び込んで来たのは、ベッドの上に散らばった花だった。


「これはポピーですか?」


 しかもオレンジや赤、白、ピンクといった色とりどりのポピーがベッドを飾っていた。


「うん。苦しそうに魘されていたから、ポピーを」

「花言葉はそれぞれ、オレンジは「思いやり」赤は「慰め」白は「眠り」ピンクは「いたわり」というのよ。貴方が眠っている間、街で探し回って、ようやく揃えたのに、全く気づいてもらえなかったら、誰だって拗ねると思わない?」

「私のためにここまで? ありがとうございます」


 けれどユベールは、まだ不満そうな顔だった。


「もう一つ」

「もう一つ?」

「うん。折角だから、パジャマもポピー柄にしてみたんだ」

「えっ!」


 ということは、また着替えさせられたの? ユベールに。


「大丈夫よ。私が着せたから」

「サビーナ先生、ありがとうございます。足も動かせるようになったので、これからは自分で着替えられるし……感謝し切れません!」

「あらあら、ユベールくんをフォローしたつもりが、私に返ってきてしまったわ。ごめんなさいね、ユベールくん」

「……いえ、大丈夫、です」


 どうしよう。思った以上に落ち込ませてしまったわ。

 私は咄嗟に、風魔法でポピーを浮かせた。くるくると舞いながら、私の手元にやってくるオレンジ色のポピー。


「ふふふっ。今の私には一輪でも大きいです。ありがとうございます、ユベール」


 そう言いながら、ユベールにも見せるように頭上に掲げた。すると、私の意図を汲み取り、オレンジ色のポピーを受け取ってくれた。


「「思いやり」か。いいよ、リゼットが気にしていたのは知っているから。でも、着替え辛いのもあるからね。その時は……」

「魔法で……」

「リゼット、さすがにそれは無理だと思うわよ」


 まるで諦めなさい、と言われてしまい、私はすがるような目線を向けた。本当は「サビーナ先生……」と言いたかったが、またユベールを落ち込ませたくはなかったのだ。


「さて、そろそろ本題に入りましょうか。まずは私が何者か、についてね」

「はい。私がヴィクトル様に婚約破棄をされてから、少なくとも五十年以上は経っているはずですから」

「さすがリゼットね。ユベールくんが孫だと聞いて、すぐに計算するなんて。でも残念。正確には九十六年よ。まぁ、おおよそ百年と思ってくれても構わないわ」

「そ、そんなにっ!?」


 せいぜい見積もっても六十年かと思っていただけに、驚いた。


「お祖父様は竜の大移動を止めた英雄だったから、マニフィカ公爵家が没落した後も、延命治療をされて長生きしていたんだ。僕が生まれたのは、その二十年後だけど」

「え? 没落? どういうことですか、サビーナ先生!」

「もう! 順序立てて説明したいのに、混乱する情報を教えないの!」


 サビーナ先生はそう言うと、立ち上がり私に手を伸ばす。


「そういう悪い子に、リゼットを預けておけません!」

「サビーナさんこそ、早く正体を明かしたらどうですか? 引き伸ばしにする方がよっぽど悪いです」


 私を取られまいと応戦するユベール。


「いえ、お二人共、悪いです。渋るサビーナ先生も、それを邪魔するユベールも。静かに話を聞きたいので無理でしたら、ユベール。貴方が出て行ってもらえますか?」

「リゼットっ!」


 本当はこんなことを言いたくはないのだけれど、ここは心を鬼にして言うしかなかった。


「ごめん。もう、余計なことを言わないから」

「あと、サビーナ先生もです。ユベールに構わず話を進めてください」

「分かったわ。まさかリゼットに怒られるなんてね。これはこれでいい傾向だわ。ちゃんとはっきり物が言えるようになったんだもの」


 それはユベールのお陰、と言いそうになり、口をつぐんだ。さっき言ったことを自ら破るわけにはいかないからだ。


 私は静かにサビーナ先生の言葉を待った。


「だから私も、覚悟を決めないとね。リゼットは魔女という存在を信じる?」

「魔術師とは違うんですよね」

「そうよ。魔術師は人だけど、魔女は……別の次元を生きている存在。これを人と言っていいのか分からないけれど」


 別次元だというのが、どのくらいの、いやどんなものなのか分からない以上、答えようもなく。魔女という存在もまた、まるで御伽噺おとぎばなしのような話だった。


 奇妙なことを言って人を惑わし、怪しい魔法と薬で世を混乱に陥れる魔女。竜と同じで、迷惑な存在として、恐れられている。


 先ほどのやり取りで、余計な話はしないと決めたばかりだ。つまり、サビーナ先生は……。


「魔女、なんですか?」

「えぇ。永い時を生き続ける魔女の一人。サミュエル・クラックというの」

「サミュエル……」


 まさか、名前まで偽名だったなんて。私は二重の意味で驚いた。

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