第17話 懸想

「そんな方が何故、私の魔術の先生になってくれたんですか?」


 永久の時を生きる魔女ならば、気まぐれに誰かを指南することもあるだろう。けれど、当時の私はマニフィカ公爵家に在住していた。

 いくら魔女であるサビーナ先生でも、そんな気安く出入りできる場所ではない場所だった。


「私もあの竜たちには困っていたのよ。魔女だと知られないように、居住地を転々としていたけれど、仲良くしてくれる人たちはいたから。その人たちを守るには、竜たちが邪魔だったの。だから、リゼットの噂を聞いて、貴女ならと期待してしまってね」

「すみません。私はその期待に応えることが――……」

「ストップストップ! リゼットを責めているわけじゃないんだから、謝らないで。それに私もまた、一方的に押し付けていた人間たちと同じ。勝手に期待して勝手に――……」

「落胆しましたよね、サビーナ先生も」


 少し寂しかったけれど、目を逸らすサビーナ先生を見て、確信した。ううん。あえて分かり易いように返事をしてくれたのだ。


「だから、マニフィカ公爵様の申し出を断れなかったの。私もまた、リゼットに重圧をかけた一人として、責任を果たしたかった。いいえ、死んでほしくなかったのよ。可愛がっていた小さな命が消えるのを止めたかった」

「それが何で、人形という答えになったのでしょうか」

「貴女を責務から外すには、姿をくらませる必要があったの。リゼットの魔力量が多いことは国中に知られているから、マニフィカ公爵家から出たと分かれば、どうなると思う?」


 思わずあっ、となった。当時は自分の感情のことで手一杯だったから、分からなかったが……。


「犯罪組織か、反逆を企てる者たちに攫われていた可能性もある、というわけですね」

「っ!」


 頭上から、ユベールが息を呑む声が聞こえた。もしそうなっていたら……。

 ユベールと出会うことすらなく、私はあの時代に命を落としていたことだろう。多分、ヴィクトル様を恨みながら。


「正解よ、リゼット。だから始めは、私が貴女をかくまおうとした。けれど貴女はマニフィカ公爵様の手紙を読んでも、考えを改めなかったから、人形にしたの。私が目を離した隙に命を絶たないようにするために」

「だからあの時……」


『あぁリゼット。貴女が改心してくれたのなら良かったのに』

『そうすれば、私は貴女にこんなことをしないで済んだのに』

『やはり貴女のことを理解していたのは、マニフィカ公爵様なのね』


「あぁ、言っていたんですね」

「えぇ。でもその後、何度も悔んだわ。人形となった貴女を、マニフィカ公爵様に預けた後はもっとね」

「えっ? サビーナ先生のところにいたのではないのですか? ヴィクトル様のところにってどうして……」

「人形になったからこそ、なのかもしれないわ。誰にも気兼ねせずに、貴女を傍に置けるから。引き渡してほしいと頼まれたのよ。多分、私のように後悔していたのでしょうね。風の噂で、マニフィカ公爵様が片時も人形を離さない、風変わりな人間になり変わったと聞いたわ」


 今度は私が息を呑んだ。


「私のせいでヴィクトル様に悪評が……!」

「相変わらずね、リゼットは。そもそもマニフィカ公爵様のせいでこうなったというのに」

「でも、没落というのは、それが原因なのではありませんか?」

「キッカケはね。ここからはリゼットだけでなく、ユベールにも辛い話になるけれど、大丈夫かしら」


 そうだ。ユベールはヴィクトル様の孫なのだから、当然、聞くのも辛いだろう。

 私は頭上を見上げた。


「僕が生まれた時にはもう没落していたから、気にしていないよ。ただ、父さんたちは違っていたけど」

「でしょうね。ユベールくんの父親は末っ子でも、まだマニフィカ公爵家が力を持っていた時を知っているから」

「お祖父様が英雄になった影響もまた、凄かったと聞いています」

「英雄……」


 確か、私がマニフィカ公爵家に引き取られる原因となった、竜の大移動を止めた、とさっきユベールが言っていた。

 ヴィクトル様は無事に役目を果たされたのだ。私が人形になってしまった後でも。


「そう、マニフィカ公爵様は新たに迎い入れた魔術師と結婚して、竜の大移動をと止めたの」

「っ! そう、ですよね。ユベールがいるのだから、考えればすぐに分かることでした。ヴィクトル様が別の方と結婚していたことなど」

「リゼット……」

「大丈夫です。だって今はヴィクトル様がいないんですから、嘆いていても仕方のないことではありませんか」


 そうユベールに笑ってみせたが、やっぱり上手く笑えていなかったらしい。困った表情を返された。


 ヴィクトル様は謂わば、初恋の相手。ずっと、幼き頃から慕って、憧れていた方だったのだから。そうやすやすと割り切れるものではなかった。

 けれど、私がその場にいたとしても、ヴィクトル様の役には立てないのだから、どの道、結末は変わらないだろう。

 他に優秀な魔術師と協力するのが、マニフィカ公爵家のためであり、国のためになるのだから。


 私ではダメ。ダメなのだ。


「でもね、リゼット。マニフィカ公爵様の気持ちはずっと貴女にあったのよ。だから貴女を片時も離さなかった。故に、奥方様の怒りに触れてしまったの」

「僕も聞いたことがあります。お祖父様がお祖母様に求めたのは、力と子を成すことだけだったと。それが済んだから、見向きもされなかった、と言っていました。父さんたち子どもも、例外ではなかったらしくて」

「っ! つまり、私のせいでユベールのお父様もお祖母様も、不幸になってしまった……ということですよね、サビーナ先生!」

「……否定しないわ。けれど私は同情もしない」

「え?」


 どうしてですか? と尋ねる前に、私を掴むユベールの手が強くなったのを感じた。


「マニフィカ公爵様は英雄になった後も、度重なる遠征に向かっていたの。始めはリゼットも連れて行っていたのだけれど、部下の一人が不快に感じたのね。リゼットを粗雑に扱ったらしいのよ。それに激怒したマニフィカ公爵様は、それ以後、リゼットを遠征に連れて行くことはなくなったと聞いているわ」

「そしてお祖母様が、遠征でお祖父様が家を留守にしている間にリゼットを捨てたんだ」

「そうすれば、マニフィカ公爵様が自分を見てくれると信じたのでしょうね。自分だけでなく、子どもたちも含めて」

「だけど、お祖母様の望みは叶えられなかった。お祖父様はその日を堺に、リゼットを探し始めて、英雄の努めさえも放棄。勿論、仕事さえも」

「ヴィクトル様が?」


 サビーナ先生とユベールが交互に語っていく中、私は胸が締めつけられるほど、悲しくて、切なくて、どうしようもない気持ちになった。

 その片隅に嬉しさを置いてはいけないのに、無情にも喜んでしまう自分もまた存在する。


 ヴィクトル様に、それほどまでに大事にされていたことを知ってしまったから。

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