第5話 師は敵か味方か

 次に目が覚めた時、目の前には信じられない光景が広がっていた。

 足を組んで椅子に座っている人物。その人は――……。


「サビーナ……先生……?」


 流れる金髪は、暗くても分かるほどに美しく。向けられた青い瞳はキツくとも、優しい眼差しを私に向けてくれる。

 そう、私の魔術の先生。サビーナ・エルランジュ先生だ。


 どうして、私の目の前に? いや、それよりもここはどこ?


 辺りを見渡して、状況を確認する。

 灯りの点いていない室内。木の匂い。顔を動かさなくても、目の見える範囲内にある、左右の壁。

 そこから導き出せるのは、小屋だった。


 マニフィカ公爵邸にも、こんな小屋はあったと思うけれど、残念ながら私は中に入ったことがない。だから、ここが邸宅の敷地内であるかどうかまでは判断できなかった。


 分かるのはせいぜい、夜だということくらい。


「あら、起きたのね」


 目の前の椅子から立ち上がり、地べたに座っている私に近づくサビーナ先生。


「どうして……」


 前後の記憶を思い出すと、それしか言葉が出てこなかった。


「手荒なことをして、ごめんなさい。自殺しようとしているリゼットを見たら、つい……」

「すみません」


 私は顔を背けた。


「いいのよ。リゼットが、マニフィカ公爵邸で辛い想いをしていることを知っていたから。それに、貴女を連れ出して欲しいと頼まれていたしね」

「え? 連れ出す? 誰にですか?」

「勿論、マニフィカ公爵様よ」

「っ!」


 驚きのあまり、声が出なかった。


 どうして。いや、それよりも何故、ヴィクトル様に頼まれたの?

 もしかしてサビーナ先生は、私が婚約破棄されたことを知っているのだろうか。その後に交わされた話も含めて。


「大丈夫。落ち着いて、リゼット」

「そんなことはできません! ヴィクトル様に頼まれた、ということは――……」

「勿論、婚約を破棄したことは聞いたわ。さらにその先の話まで。だから私は貴女を連れ出したのよ」

「……先生のお気持ちは有り難いのですが、私はもう終わりにしたいんです。自分の人生を。ヴィクトル様だって承諾してくださいました」


 それなのに今さら……!


 いきどおる私の肩を、サビーナ先生はなだめるように優しく叩いた。


「忘れて? 私はそのマニフィカ公爵様に言われて、貴女を連れ出したのよ」

「そう、でした……」


 だけどあの時、『一週間後に執り行おう』と言ったじゃない。あれは、その場しのぎだったというの?


「サビーナ先生、教えてください。ヴィクトル様は私を邸宅から出して、どうするおつもりなんですか? 私の望みを叶えるつもりなど、なかったということでしょうか」

「『叶えてあげたかった。どんな内容でも、リゼットの願いなら』そう仰っていたわ、マニフィカ公爵様は」

「でしたら!」

「リゼット。今、貴女に必要なのは頭を冷やすこと。だからこれを読んで、いつもの冷静な貴女に戻って」


 手紙を目の前に出された瞬間、腕が自由に動けるようになった。

 さすがは稀代の魔女と呼ばれているサビーナ先生。拘束も魔術が使われていたようだった。


 それに気づかないほど、私は頭に血が上っていたらしい。大きく深呼吸をしてから、手紙を受け取った。



 ◆◇◆


 親愛なるリゼットへ


 まずは謝らせてほしい。すまなかった。

 婚約破棄を言い渡したのは、リゼットを責務から解放したかっただけなんだ。

 私がリゼットの立場を追い詰めた。その自覚があったから。と今さら言い訳しても許されるものではない。

 しかし、これだけは分かってほしい。いや、知っていてほしい。

 私がリゼットを愛していることを。


 だから、エルランジュ女史に頼んだことは、エゴでしかない。リゼットには生きていてほしい。どんな形でも……。


 こんな情けない私を、嫌っても構わないから。


 ヴィクトル・マニフィカ


 ◆◇◆



「愛……して、る?」


 目を疑う文面に、驚いて声が出た。


 そんな……ヴィクトル様が私を? いやいや、あり得ない。恐らく私が『殺して下さい』と言ったから、心にもないことを書いて、取りつくろったのだろう。

 婚約を破棄したからといっても、幼なじみのような者の死は、気分のいいものではないから。


「そうよ。マニフィカ公爵様は――……」

「先生、冗談はやめてください。なら何故、婚約破棄を? 他に好きになった令嬢がいるからでしょう?」


 使用人たちが言っていた。頻繁ひんぱんに出かけるのは、他に好きな相手ができたからだと。

 あんな人たちの言葉を鵜呑うのみにしたくはなかったが、ヴィクトル様が帰ってくる度に渡されるプレゼントが、それを物語っているようにしか見えなかった。


 形ばかりの婚約者には、プレゼントさえ与えておけばいいだろう。そんな風に感じたのだ。

 それでも喜ぶ自分に呆れながら。


「やはり、そう思ってしまうのね。マニフィカ公爵様の本心を知っても」

「簡単にはくつがえせません。それに落胆を得るのなら、希望を抱きたくないんです。私はたくさんの人の期待を裏切り、裏切られて人としての価値を失いました。サビーナ先生だけです。未だに教えに来てくださるのは」


 それなのに先生はヴィクトル様の肩を持つ。結局、他の家庭教師と変わらなかった。

 ほら、また落胆をする。だから、希望なんて……!


「あぁリゼット。貴女が改心してくれたのなら良かったのに」

「サビーナ先生?」

「そうすれば、私は貴女にこんなことをしないで済んだのに」

「何を仰っているんですか?」

「やはり貴女のことを理解していたのは、マニフィカ公爵様なのね」


 ヴィクトル様?


 意味の分からないことばかり言うサビーナ先生に、もう一度尋ねようと口を開けた瞬間、床が赤く光った。正確には、私の真下。


「ま、魔法陣!?」


 知らない間に私は、文字や模様が何重にも書かれた魔法陣の中心に座らされていたらしい。

 そういえば、と目が覚めた時のことを思い出した。気が動転して、疑問に感じなかったが、今なら分かる。

 何故、サビーナ先生が椅子に座っていて、私が床に座らされていたのかを。


 それもご丁寧に私の体を柱に縛っている。その理由が、今ここで判明したのだ。

 体はロープで縛られていたが、さっき手は自由にしてもらった。

 何とかして、脱出しないと!


「リゼット」


 しかし、そんな私の考えなど、サビーナ先生にはお見通しだった。

 すぐに手を後ろで組まされる。


「大人しくして。これは貴女のためなの」

「それなら、すぐにやめてください。何をするのか分かりませんが、私は静かに死にたいのです。殺すつもりがないのなら、やめてください!」

「ダメ。私は貴女に生きていてほしいの。だから――……」


 その後の言葉はもう、聞こえなかった。

 赤い光が強くなり、サビーナ先生の姿が見えなくなる。

 それと同時にやってくる眠気。


『生きていてほしい』


 手紙に書かれたヴィクトル様の字。

 サビーナ先生の声。


 この魔法はきっと、その二人の願いなのだろう。どんな魔法なのか。

 それを私が知ったのは、百年後の未来だった。

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