第4話 彼と過ごした懐かしい思い出

「今日からここがお前の家になる」


 今はもう、顔すら憶えていない両親に連れられ、マニフィカ公爵家の門を潜った。

 五歳の私でも分かる、綺麗で豪華なマニフィカ公爵邸。大きさもバルテ伯爵邸とは比べ物にならないほど大きくて、圧倒されたのを憶えている。


 そのお屋敷から出迎えてくれた、当時のマニフィカ公爵夫妻とヴィクトル様。

 私がこの方たちの家族に、というよりも、雲の上の方とのご対面に、ただただ緊張し通しだった。


 それは両親も同じ思いだったらしく、応接室で軽く挨拶を交わすと、早々に帰って行ってしまう。


 取り残された私を温かく迎えてくれたのは……そうだ。ヴィクトル様だけだったような気がする。

 いきなり現れた私をどう扱って良いのか。公爵夫妻は優しく接してくれたけれど、どこか戸惑っているのが、ありありと見えたのだ。


 恐らく、ヴィクトル様の婚約者にしたい、と望まれていた方が、すでにいたのかもしれない。

 マニフィカ公爵家の一人息子だ。もっと有益な家門から、または仲の良い方の娘などもいらっしゃったのだろう。


 当時、十歳だったヴィクトル様なら、そのようなお話があってもおかしくはなかった。

 貴族の婚姻は、家同士の繋がりを強くするためのもの。それと同時に家門も強化する行いだった。

 ヴィクトル様を愛されていた公爵夫妻なら、何の得にもならないバルテ伯爵家など、今回のようなことがない限り、到底選ばないだろう。


 魔術師としての勉強の他に、マニフィカ公爵夫人になるための教養を学んだ今なら、それがよく分かる。

 もしも順調にヴィクトル様と結婚して、子を成していたら、私もきっと同じように思うからだ。


「屋敷の中を案内するよ」


 部屋に通されても、鞄を開けずに立っていた私に、優しく手を差し伸べてくれたヴィクトル様。

 私はただ、こんなに広くて素敵な部屋を! と驚いていただけだったのだが、急に両親と離れ離れになり、心細いのだろう、と思ったらしい。あとで聞いた話だと。


 けれど、その気遣いがどれだけ嬉しかったか。

 だって、いずれはこの方と、というのに、最初からヴィクトル様に嫌がらせを受けていたら……もっと早くこの決断をしていたと思うから。



 ***



「リゼットは可愛いな」


 ある日、ヴィクトル様と遊んでいた時、唐突に言われた言葉だった。

 確かその時は、口うるさいメイド長に、細やかな嫌がらせをしようと、ヴィクトル様は罠を仕掛けている最中のことだった。


「えー、そんなことをしたらダメですよ。怒られてしまいます」

「そういうリゼットだって、顔が笑っているぞ。本当はもっとやれ、と思っているんじゃないか」

「っ! そ、そこまでは……」


 思っていない、とはさすがに言えなかった。メイド長は怖い人だったから。


 モジモジと下を向くと、突然ヴィクトル様が慌て出した。どうやら私が気落ちしたと思っているらしい。


 それがさらにおかしくて、私は笑った。


「良かった。笑ってくれて。リゼットは笑顔が一番いいよ。可愛いから」

「っ! あ、ありがとうございます」

「ふふふっ。赤くなって、益々リゼットが可愛く見えるよ」


 すでに婚約を済ませていたからか、これを機にヴィクトル様はよく、私にそう言ってくれた。それが嬉しくて、たくさん言われたくて。この時が一番、笑っていたような気がする。

 また、どこか兄のように思っていたヴィクトル様を意識し始めたのも、この時期からだった。


 ずっと兄のように思っていたら、ヴィクトル様に好きな人ができたと聞いた時は、傷つかなかったのかな。贈り物も、素直に受け取れていたのかな。


 そう思うと、この気持ちさえ後悔に変わっていくように感じた。

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