第11話 初めての場所?

 それからというものの、私の日課は主にユベールの作業を見守ることだった。

 今の私には自由に身動きができない。ユベールの手を借りなければ、何もできない人形そのものだ。


 人間だった頃は魔術の勉強が日課だったというのに、何という怠けっぷりだろうか。これでいいのか、と悩んでしまうほどに。


 けれど、そんな私にも目標ができた。


「リゼット。そろそろ退屈してきたでしょう。歩く練習をしようか」

「はい!」


 そう、自分の足で歩くことだ。私は慣れた調子でユベールに向かって両手をあげる。それが合図となり、作業台の脇にある棚から、ユベールは私を持ち挙げた。


 さすがに床に置くと、ユベールの腰の負担になるため、歩く練習は専らテーブルで行う。私のせいで姿勢を悪くしてほしくないからだ。


 さらに言うと、私の履いている靴は、床に触れていないため、テーブルの上を歩いていても、平気なのである。

 しかもこの靴は、ユベールの職人気質により、綺麗に磨かれたエナメルシューズ。

 テーブルに立つことを躊躇ためらうよりも、むしろその姿を見せてほしいという、ユベールの要望を叶えた形だった。


 けれど、私は優雅に歩くどころか、一歩踏み出すことさえ、困難な姿をユベールに見せていた。


「リゼット。無理しなくても大丈夫。ゆっくり、ゆっくり、と。長い間、使っていなかったんだから、動かせるだけでも凄いことなんだからね」

「は、はい!」


 ユベールが言うには、見世物小屋で見た私は座りながら、身振り手振りをしていたそうだ。

 だから、腕は自由に動かすことができる。けれど、ずっと座っていたために、足が固まってしまったのではないか、と言うのだ。


 半信半疑ではあったが、実際、手は動かせても足は動かない。認めるしかなかった。


「っ! 足が少し上がった! リゼット、体を前に傾けるんだ」


 ユベールはそう言いながら、両手を掴む手に力を入れて、軽く引っ張る。あくまで私の力で、という優しさだ。


「はぁ、はぁ」

「やったー! リゼット、一歩踏み出せたよ。ほら!」

「ほ、本当だ」


 けれど私は確認する前に倒れてしまう。咄嗟に支えられ、衝撃は無かったけれど、たった一歩でこれでは……いつになったら歩けるようになるんだろう。


「お疲れ様。リゼットも汗をかくのかな。一応、お風呂の準備でもしておこうか」

「えっ! だ、大丈夫です。汗なんてかいていませんから」

「でも……そうだ! 第一歩を踏み出せた記念に、この間作ったドレスを着てみない?」

「っ! 遠慮……ではなく、新しいドレスを製作してみるのはどうですか? 記念というのなら、そちらの方が相応しいと思うのですが」

「うん! それがいいね!」


 何がいいかな、とユベールは上機嫌で作業台へ向かっていった。私は、というと安堵して息を吐く。


 そう、これが最近の私の悩みであり、目標だった。自分の足で動けるようになること。そうすれば、お風呂も着替えも、ユベールに頼らなくて済む。


 最近では面倒になったのか、魔石を外されずにされるため、恥ずかしくて堪らなかった。ユベールは私を人形だと思っているから気にしていない様子だけど……。


 これじゃ、私の身が持たない……!



 ***



 そんな心情を知ってか知らずか。ある日ユベールから、外出の申し出があった。


「いいんですか?」

「うん。いきなりブディックに行くのはまだ危険だから、その辺を散歩しに行かない?」

「行きたいです!」


 目が覚めてからは勿論のこと、人間だった頃もあまり外出したことがなかったため、嬉しい申し出だった。いや、安易に外出できる立場じゃなかった、と言った方が正しい。


 そういえば、最後に外出したのはいつだっただろうか。

 思い出した。気晴らしにと、ヴィクトル様が誘ってくれたんだ。そう、今のユベールみたいに。


 あの時はまだ、他に好きな方がいる、という噂がなかったから、今みたいな返事をした。ヴィクトル様が心変わりをされてからは、いくら誘われても、気まずくて断っていたけれど。


「リゼット、どうしたの?」

「いえ、何でもありません。ちょっと昔のことを思い出してしまいまして」

「……そっか」


 ユベールは少しだけ寂しそうな返事をした後、私を手提げ鞄の中に入れた。



 ***



 それから鞄の中で揺られること、数十分。

 私と共に鞄の中に入れられた、サンドイッチの匂いに思わず手が伸びそうになっていると、頭上から声をかけられた。


「リゼット。鞄を開けるから、少しだけ顔を出せる?」


 返事をしていいのか分からず、私は鞄を内側から叩いた。


「周りに人はいないから、声を出しても大丈夫だよ」

「本当、ですか?」


 恐る恐る尋ねながらも、好奇心の方が勝り、私は鞄の端に手をかける。すると、目に飛び込んできたのは、華やかな街並みだった。まるで……。


「お祭りでもあるんですか?」


 ユベールの言う通り、人の姿が見えないことをいいことに、私は率直な感想を述べた。

 何せ、出店が並んでいるのが見えたからだ。けれど朝早かったのか、屋台があるだけで、品物や呼び込みの掛け声が聞こえてこない。


 さらに街路樹の方へ視線を向けると、たくさんの装飾がされていた。

 赤や黄色、ピンクなどのハートや星。白い丸はまるで雪のようにも見える。小箱やプレゼントのような物まであると、クリスマスツリーかと勘違いしそうになるほどだった。


「正確には昨日まであった、かな。だから出店が残っているんだ。あと、飾り付けの方も」

「あっ、それで人がいないんですね」

「うん。昨日の夜は打ち上げをしていたみたいだから、多分、あの飾りとかは明後日くらいまであるんじゃないかな。いつもそんな感じだから」


 あぁ、それで外出を……。


「ありがとうございます」

「ん? 何でお礼?」

「それは……街に誘っていただいたのもありますが、私も眺めることができるので」


 お祭りは終わってしまったけれど、その一端いったんでも味わえたのが嬉しかった。


「実はさ。外に連れ出すなら、リゼットを見つけた場所を見せてあげたかったんだ。その見世物小屋はもうないから、余計に」

「ないんですか?」

「あれ? もしかして見たかった?」

「違います。何故ないのか、疑問に思っただけです」

「それは簡単だよ。見世物小屋なのに、見せる物が無くなれば、店を畳むしかないだろう?」


 つまりユベールが私を買い取ったことで、廃業になった、というわけだ。それなのに、ユベールはケロッとしている。罪悪感など微塵も思っていないようだった。


 その証拠にユベールは私を鞄から取り出し、ある場所を指差した。


「ここでリゼットを見つけたんだ」


 暗い紫みの青いタイルが敷き詰められた場所。後ろにあるグレーの縁石と街路樹の緑が組み合わさると、まるでステージのように美しい。ゴミが点在していなければ。


 これが祭りの後なのか、普段の様子なのかは判断がつかないけれど。


「あまり実感が湧きません」

「リゼットにとっては、ね。意識のない状態だったし。でも、僕にとっては感慨深い場所かな」

「……ユベールにそう言われると、私も考えを改めたくなりました」


 私も同じ気持ちになりたい。共有したい、と思ったのだ。


 その時だった。カツ、カツ、とヒールの音が聞こえたのは。


 誰か来る? どうしよう。に、人形の振り!


 身を固くする私とは反して、その人は突然、目の前に現れた。


「久しぶりね、リゼット」

「サ、サビーナ、先生……?」


 流れる金髪に、優しく見つめるその青い瞳。私の魔術の先生だったサビーナ・エルランジュが、答えるように微笑み返した。

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