第36話 再び強く抱いた想い

「おはよう」


 いつものように隣から聞こえてくる声に、私は顔を上げた。「おはよう」とユベールに言うために。

 けれど私は、その途中で固まった。


「!!」


 驚きのあまり、起き上がったまま後退りしたのだ。が、それも途中で腕を掴まれてしまい、ベッドから出ることはできなかった。


「放して、ユベール」

「何で? いつも一緒に寝ているのに、どうして出て行こうとするの?」


 さも当然のことのように言うユベールに、私は赤面した。


「い、いつもって、あれは人形の姿だったからで……今は……」

「人間の姿に戻っても、同じじゃダメなの?」

「えっと……」

「最初の時、一緒にいたいって言っていたのに、姿が変わったら、もうダメなの?」

「それは……」


 ダメなんて言えないよ。そんなことを言われたら……。


「ごめん。困らせるようなことを言って。本当は、怖かったんだ」

「何が? あっ、まだシビルさんみたいな人がいるの?」

「いないよ! 僕、そこまでモテないし。シビルのは……たまたまで……リゼットに会うまでは、誰かを好きになったことだってなかったんだから」

「ユベール……それって……」


 心臓が物凄い勢いで、煩く鳴った。この先を聞きたいようで、聞きたくない。


 ユベールが手に力を入れるのを感じる。けれど何故だか、腕が痛いとは思わなかった。


「リゼットが好きなんだ。だから、怖かったんだ。急にいなくなったら、と思うと余計に」

「そんなことしないわ、絶対に。何も言わずに、ユベールから離れるなんて……ううん。そもそも離れようだなんて思っていないよ。だって、私もユベールのことが……好き、だから」


 い、言っちゃったーーー! ヴィクトル様にも言えなかった言葉を……!


 だから、ユベールの反応を見るのが怖くて、恥ずかしくて、私は目を瞑り、ほんの少しだけ頭を下げた。けれどやっぱり見てみたくて、目線だけを動かした。


 すると、私の視線に気づいたユベールは、呆然とした表情を崩し、嬉しそうに微笑む。それを見た瞬間、私は自然と体が動き、気がつくとユベールを抱き締めていた。


 受け入れてくれたのが、嬉しくて、堪らなくて。その想いが溢れるほど、胸が苦しくなった。


 それを鎮めるのも、苦しくさせるのも、ユベールだけ。

 いくら顔が似ていても、ヴィクトル様ではもう、こんな想いを抱くことはない。

 それくらい、ユベールのことが好きになっていた。


「ありがとう、リゼット」

「こっちこそ、ユベールが言ってくれなかったら、多分、言えなかったと思うから、ありがとう」

「……実は、打算があったって言ったら、失望する?」

「う~ん。内容によるかな」


 人形だった頃から私の世話を焼きたがっていたユベールのことだ。私にとって不利益なことだとは思えない。想いが通じた今なら、尚更だ。


 私は体を離し、ユベールと向き合った。紫色の瞳が、寂しげに私を見つめる。その下にある口は、一度グッとつぐんだ後、ゆっくりと静かに開いた。


「僕の家、焼けちゃっただろう。リゼットもサビーナさんの養女になったし。今後のことを思ったらね。ちょっと心配になったんだ」

「何を?」

「今のリゼットは、人間だ。もう、人形じゃない。自分の意思で、どこにも行けるじゃないか。一つの街に留まる必要だってない。行きたい場所に行ったって、誰も何も言わないよ。リゼットにあれしろこれしろって強制する人間は、誰もいないんだから」

「でも、私はこの時代を知らないし、昔だって……」


 サビーナ先生が言ったように、私は元々、世間を知らずに生きてきてしまった。だから、どこにでも行けるとユベールは言うけれど、そんなことはできない。怖くて……。


「うん。だから、サビーナさんのところに行っちゃうんじゃないかと思ったんだ。もう、僕の世話になることはないからね。ここに居るより、いい生活ができるのは間違いないんだから」

「っ! そんなことないわ! ユベールがいたから私は人間に戻れたのよ。そんなすぐにお別れだなんて……考えられない」


 考えたくもない。


「それに約束だってしたじゃない。どうしてそんな考えになるの?」

「リゼットが好きだからだよ。過去に、お祖父様に縛られてほしくない」

「だから、ユベールの傍にいない方がいい、というの?」


 確かにユベールはヴィクトル様に似ている。でも今は、ユベールだから傍にいたい。

 居心地のいい場所に。私を必要だと言ってくれる場所に、私はいたい。


「違うよ。矛盾しているのは分かっているんだ。それでもリゼットと一緒にいたい。だから引き留めたくて……想いを告げた。僕を置いていってほしくなくて」

「それは私のセリフよ。過去に縛られてほしくないのなら、ヴィクトル様みたいに私を捨てないで。私を好きだと思うのなら、ヴィクトル様と同じことをしないで」


 私の意思を無視して、私の為だと言って、意に沿わないことを、ユベールもするの?


「しないよ、したくないよ! 僕はお祖父様じゃないんだから。たとえリゼットがサビーナさんのところに行っても、ついて行くから」

「……そうしてくれると嬉しいな」

「いいの?」

「うん。人間に戻れたから、私もユベールみたいに働きたい。でも、この街だと難しいって思ったの。ユベールみたいに、何かできるわけじゃないから」


 お裁縫も苦手だったし。唯一、熱心にやっていた魔法だって、得意とは言い難い。でも、私に出来ることと言ったら、魔法しかないから。

 それを実現させるには、サビーナ先生に助力を仰ぐ必要がある。


「確かに、この街では難しいかもね。シビルがあんなことになっても、ラシンナ商会の力は強い。僕も続けられるか難しいと思っていたんだ」

「サビーナ先生にお願いして、別の居住場所を探す?」

「……うん。残念なことに、僕たちは未成年だから、家を借りられるわけじゃない。旅は可能だけど、大人よりも危険を伴う」


 そうだった。ユベールのご両親は事故で亡くなったんだった。仕事で隣町へ行く道中に。


「私が転移魔法陣を使えるようになればいいんだけど……」

「あら、リゼットなら簡単に使えるわよ」

「え?」


 振り向くと、扉の前にサビーナ先生が立っていた。こんな光景が、前にもあったような気がするのは、気のせいだろうか。


 いやいや、それよりも未だに私たちはベッドにいる。寝間着姿のままで。この羞恥を、どう表現していいものだろうか。

 とりあえず、ベッドから降りることしかできなかった。

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