第6話 夜の帝王

(男子三日合わざれば刮目してみよか。まさかこの年になって、こんなことがあるとは……)


 バーの店主・梟は先ほど出て行った少年、御神達哉のことを思い浮かべていた。

 恵まれない家庭環境というのはこの業界ではよく聞く話だが、彼の場合は虐待と育児放棄。何度か死にかけて警察沙汰になったこともあるようだ。中学卒業と同時に親元を離れて自立を選んだが、両親も彼を疎ましく思っていたらしい。


 達哉を梟が雇うことになったのは知人の紹介だ。中学までは悪友たちとつるんでそれなりに悪さをしていたようだが、その時にできた縁でこの店に辿り着いた。

 実際に会ってみると年の割に利発なところもあるがまだまだ子供。梟からみればヒヨッコもいいところ。だが見所はありそうだというのが梟の見立てだった。


(そう思っていたのだが……)


 先ほど達哉が店に足を踏み入れた瞬間に全身が粟立った。若い頃にヤクザものの集団に襲われた時だってあんな思いはしなかった。

 まるで夜の闇が人の姿を取って現れたような。人ならざる存在が人間の皮を被ってそこに立っているかのようだった。


(話をしている間は確かに元の達哉君だったが……“使徒”に選ばれただけでああも変わるものなのか?)


 ダンジョンとやらに潜ってたった数時間でああも変貌するとは。

 恐ろしいと同時に興味が湧いてくる。


(私があと三十年若ければあるいは)


 梟が達哉と肩を並べるという選択もありえたかもしれない。

 だが、さすがにもう年だ。チャンバラごっこで喜んでいるような子供ではない。


 気持ちを入れ替えて達哉が置いていったポーションを手に取る。梟の知り合いには医療関係者も多く、彼らに声をかければ必ず興味を抱くだろう。

 画期的な新薬、魔法のように傷が治る薬だ。もしもこの薬の成分を解析して量産に成功できれば医療業界に激震が走る。


(まずは研究用のサンプルとして流し、効果の確認をしてもらうべきか。達哉君の説明をそのまま鵜呑みにするわけにもいかない)


 手元にある七本にどういう値を付けるか。梟の伝手を使えば億を超える値で売ることもできるだろう。

 だが、達哉が伝えたのはポーションだけではない。一年後に発生するダンジョンとモンスターの存在もしっかりと警告していた。


(本当に日本中にダンジョンができるなら今から対策を始めても遅いくらいだ。そちらにも急いで連絡を回さなくては)


 梟の抱える“常連客”、古馴染の先生方の顔を思い浮かべる。こんな荒唐無稽の話でも彼が伝えれば多少は信じてもらえるだろう。手元にある魔法の薬の存在があればさらに信憑性が増すだろう。


 もしも達哉が伝えたダンジョンが本当に現実のものになるなら世界が激動の時代を迎えるに違いない。だが、新時代が到来するからといって古い時代の人間が即座に死滅するわけではない。

 来るべき新時代に向けて梟もまた動き始めた。


 ◇


 犬走いぬばしり恭二きょうじは連絡がついた手下たち十三人を連れて、待ち合わせをしていたファミレスの駐車場に到着した。そして店内から出てきた男に困惑していた。


(誰だコイツ……?)


「悪いな恭二、急に呼び寄せて。こいつらはお前の部下か?」

「あ、ああ。急ぎだと言っていたからな。集まったのはこれだけだ」

「もう少し人数が欲しかったが……まあ今はいいか」


 恭二もよく知っている相手、中学の時によくツルんでいた御神達哉という男はかなり変わった奴だった。

 最初はそのすまし顔が気に入らないと恭二から絡んでいったのだが、いざ喧嘩になると急に“スイッチ”が入ったかのように冷徹に動く。まったく感情が動かず、蹴ろうが殴ろうが反応しないで淡々と反撃をする姿に恭二は異質なモノを感じた。


 当時、既に周囲から“狂犬”と呼ばれて恐れられていた恭二が喧嘩に負けた後、達哉に感情がないのか、痛みを感じないのか尋ねた時に、達哉が言ったのが『感情はあるし痛みもある。だけどそんなのもの“スイッチ”一つで消せるだろう?』という言葉だ。

 詳しく説明を聞いても恭二には理解できなかったが、そんな達哉に興味を持ち、いつの間にか一緒にツルむようになっていた。


 中学卒業後、達哉は高校に行かずにバイトで稼いで一人暮らしをはじめ、恭二は底辺校に進学したが二か月と経たずに退学となった。それからはたまに連絡を取り合ったり、こうしてバイトを紹介してもらう関係だ。


 そんなわけで数年来の付き合いがある恭二の目から見てもは別人だった。恭二の知っている達哉とは似ても似つかない。

 さきほど声をかけてきた態度や話をしている様子を見ても達哉そのものだが存在感が桁違いだ。


(元々独特の雰囲気があったが……ここまで化け物じゃなかったはずだ……)


 ただそこにいるだけで気圧される。圧倒される。達哉が上で、恭二たちが下なのだと本能が訴えかけてくる。


「どうした恭二。今日は随分と大人しいな」

「……な、なんでもない。それで? バイトの内容は?」


 自分の心と体の反応に戸惑いながら、なんとか平静を取り繕って会話をした。


「最初に面白いものを見せてやるよ。恭二、俺を刺せ」

「……は?」

「ナイフくらい持っているだろ。刺せ。遠慮なく思い切りな」


 達哉が右手を前に出す。この腕を刺せと示していた。


「どうした? 噛みつくことすらできなくなっちまったのか? すっかり牙が抜けちまったのか?」

「テメエ!!!」


(意味が分からない……だが、それで臆するような俺じゃないぞ、達哉!!)


 “狂犬”と恐れられていたのは伊達ではない。キレれば何をするかわかったものじゃない、狂った奴だからそう呼ばれていたのだ。

 恭二は懐からナイフを取り出すとそのまま逆手に持ち、思い切り勢いをつけて突き刺した。ナイフの刃渡りは十センチ以上。下手したらそのまま腕を貫通してもおかしくないほどの一撃だった。


「な……? さ、刺さらない……?」


 だが、ナイフの一撃は達哉の腕を傷つけることすらできなかった。刃先が皮膚をへこませたが、それだけ。まるで肌が防刃繊維でできているかのように、刃が通らない。


「バカな! バカな! なんだこれは! おい、達哉! 何をした!」


 恭二が狂ったようにナイフを振り回し、突き刺し、達哉の腕を切り刻もうとするが、何の痛痒も与えられない。

 そのナイフをあっさりと達哉が掴んで取り上げる。そして指先で軽くつまんでゆっくりと力を込めていった。


「面白いだろ? ほら、こんなこともできるぞ」


 バキンッ!!


 金属製の刀身が、恭二の目の前で真っ二つに折れた。


「ランク0の安物のナイフならこんなもんだ。と言っても伝わらないか」


 恭二のよく知る顔をした、恭二の全く知らない男がほほ笑む。


「お前たちに面白い仕事を紹介してやる。力も金も与えよう。だがその代わり俺の命令には絶対服従してもらう。どうだ、お前たち? 仕事をする気はあるか?」


 一切の先が見通せない漆黒の闇のような笑顔で達哉は恭二たちを誘う。

 こうして恭二とその手下たちは夜の闇に飲み込まれたのだった。

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