第30話 闇夜の使い

 梟は昨夜からの出来事に思いを巡らせていた。

 この店でアルバイトを務めていた御神達哉から受けた連絡、別人のように豹変した雰囲気、そして持ち込んだ【ポーション】のカード。

 昨夜仕入れた分はすでに手元にはない。各方面へと話を通すための布石としてあちこちにばら撒いていた。

 追加分は今日受け取る予定で代金も準備していたのだが、突然達哉から連絡があって予定を変更して欲しいと言ってきた。


 達哉の言う“使徒”について梟には知ることはできない。急用ができたというのならそれを鵜呑みにするしかない。

 これが他の若造相手なら梟も即座に関係を切り、二度と会うこともないだろうが、今の時点では達哉の代わりになる人材がいない。


(このまま彼に主導権を握られ続けるのもな……)


 販売者と購入者という関係だが、モノを用意できるのが達哉しかいない状態では梟が不利だ。達哉がその気になれば新しい販売ルートを探すことも難しくないだろう。手間と時間がかかるから知り合いである梟に真っ先に声をかけたに過ぎないと梟自身が感じている。


 達哉が持ち込んだポーション、これを試しに使用してみた医療関係の組織から梟へ報告が上がっていた。

 魔法の薬という謳い文句に偽りなく、本当に使用直後に傷が癒える。手の平大の切り傷・打撲ならばこのポーション一本で完治し、切開した臓器に直接振りかければ縫合も必要ない。更に骨折には効果がないと言っていたが小さなヒビならこのポーションでも完治した。

 さらに体力回復効果もあるらしく、加齢・病気・負傷を原因とする衰弱などの症状にも効果が期待できると報告があった。

 ここまで有用な品なのに副作用が一切ないということも常軌を逸している。


(あのポーションは最下級と言っていたが、あのポーションだけでも需要はとんでもないものがある。さらに上位のポーションがあれば金に糸目をつけない者もいるだろう)


 健康を得る為ならばいくらでも札束を積み上げるであろう人間たち。あるいは直接的な金銭ではなく他のモノで対価を要求することも可能だろう。

 金と権力を得た人間が最後に求めるのは健康と決まっている。女ならば美も含むか。それもポーションがあれば、ダンジョンから得るカードがあれば叶うのだ。


(できれば他の使徒との繋がりを得たいが……難しいな)


 日本国内にわずか五十人。世界中でも一万人しかいない。相手から使徒だと名乗り出てくれない限り、接触するのは不可能だ。


 梟が唯一接触可能で、カードの取引をすることができる使徒。

 今後カードの存在が広がるにつれて達哉の価値は相対的に跳ね上がっていく。

 その時に梟と達哉の関係がどうなるか……。


 ――コンコン


 物思いに沈んでいた梟をノックの音が引き戻す。

 今日は臨時休業としたので客は来ない。来るのは特別なだけだ。

 店の入り口を開ける。ドアの外には誰もいない。東京の夜を明るいネオンライトが照らしていた。


「……誰かいるのかい?」


 店の前の通りに人の姿はない。先ほどのノックの音は梟の空耳か、あるいは誰かのイタズラと考えるのは自然だろう。

 だが、そんなわけがないと梟の直感が囁いていた。


「あんた梟であってるのか? 【闇夜の使い】だと言えばわかるか?」


 梟の背後、店内から声がした。はやる気持ちを押さえ、扉を閉めてゆっくりと後ろを振り向くが、店内にも人影はなかった。


「確かに私は梟だよ。達哉君の使いの方だね。ちゃんと代金は用意してあるが、どこにいるのかな?」

「どこにだって? にいるじゃないか」

「――ッ?!」


 梟の目の前、手を伸ばせば触れられそうな距離にソレはいた。

 羽と尻尾を生やした全身真っ黒な小さな悪魔。絵本の中から飛び出してきたかのような不思議な存在が梟の前に浮かんでいた。


「マスターから預かったカードを持ってきた。さっそく確認してくれよ」

「……あ、ああ……それではそこの席にどうぞ。君は何か飲むかね? 希望があれば用意させてもらうが」

「お、いいねえ。なかなか気が利く人間じゃねえか。それじゃあミルクを頼むぜ」

「うむ、すぐに用意しよう」


 いたずらを成功させて気分のいい子悪魔がバーカウンターに座り込む。

 まさか達哉の使いが人間でないと思わなかった梟だったが、動揺を隠していつものようにドリンクを用意しようとして……グラスを手に持った時点で固まった。

 小悪魔の大きさは十五センチ程度だろうか。普通のグラスではどう考えても大きすぎる。

 だが、飲み物を用意すると言ったのは梟だ。ここでグラスがないから飲み物を出せないなど恥以外の何物でもない。

 しばし固まった梟は、ようやく解決策を思いついて動き出した。この店で一番小さなグラス――テキーラやウイスキーを注ぐのに使うショットグラスを取り出し、それにミルクを注いだ。


「へえ、いいミルクだな。ありがとうよ、爺さん。なかなかやるじゃねえか」

「……どういたしまして」


 小悪魔にはまだ少し大きかったが、梟があたふたする姿を眺めて楽しんでいた小悪魔は素直に受け取りミルクに口をつけた。口煩い小悪魔も納得の逸品である。

 生意気な口を利く小悪魔相手に梟もペースをつかめず、内心では困惑しきりである。


「さて、それじゃあ商談を始めようぜ。こっちがポーションの束。そしてこれが新しい商品だ」

「……服のカードか。これはどういう効果があるのか教えてもらえるかな」

「簡単さ。これを着ていれば服の上から切られようが撃たれようが、通常の攻撃なら一切ダメージを受けない。ただそれだけのカードだぜ? 呆れるほど単純だろう?」

「……なるほど。それは……凄いね」


  カード状態を解除して服を取り出した。手に持って見てもどこからどう見てもただの服。防弾防刃加工されているような様子もない。

 それどころか、小悪魔の説明が本当ならば、爆弾の爆発に巻き込まれてもは無傷で済みそうだ。


「マスターから伝言だ。この服はまだ数が揃っていないから提供できる数に限りがある。だから幾ら出すのか、何着欲しいのか爺さんに決めて欲しいってさ。希望数を必ず揃えられるとは限らないけど、あとでメールを送ってくれってよ」


 楽しそうに小悪魔が嗤う。この服にお前はいくらまでなら出せるかと尋ねている。

 【ランク3】の素材を使って作った装備カードであり、ダンジョンの最前線でも通用する現在の最高峰の防具だ。

 もし梟が端金しかつけないならば達哉が売る数は少なくなるだろう。だが高額で大量に注文すれば梟の負担が大きくなる。難しい判断を投げられた。


「それじゃ、ポーション代だけ貰っていくぜ。またな爺さん。ミルクごちそうさん」


 苦悩する梟を残し、大量に売り払ったポーションの代金を回収して小悪魔が空を滑るように飛んでいく。手も触れずに扉を開けるとそのまま店の外に出て、東京の夜空に溶けるように姿を消したのだった。

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