第24話 思考のスイッチ
「感情の切り替え? 感情の排除? そんなこともできるんだ。すごいね」
クトネが不思議そうに俺の顔を覗き込んでくる。そんな仕草も可愛らしい――
パチリ。
「でもね、女神である私を愛しちゃうのは人間なら当然のことなんだよ?」
女神だから俺がクトネを愛しても仕方な――
パチリ。
「うーん。達也くんには私の“加護”も与えたし、悪いようにはしないから素直に愛してほしいんだけど……」
“加護”とはなんだろう。先ほどの行為だろうか。クトネの唇も胸も全身が――
パチリ。
「私を愛するのが怖いのかな? 愛情が怖いの? 達哉くんは愛していたのに愛されなかったんだね?」
クトネが心配そうに俺を見つめてくる。その眼は俺の胸の中の深いところを見つめているかのようだった。
だが、愛していた? 愛されなかった? 俺は――
パチリ。パチリ。パチリ。
「だから愛を捨てちゃったんだ――でもね、達哉くん」
パチリ。パチリ。パチリ。パチリ。パチリ。パチリ。パチリ。パチリ。パチリ。
「それを使いすぎると達哉くんの心が壊れちゃうから、そのスイッチ壊しちゃうね」
クトネの手が俺の胸に触れ、
俺の中で何かが壊れ、
――“ぼく”が、溢れ出した。
◇
「達哉はもう寝なさい」
パチリ。
おかあさんがぼくを部屋に押しこんで、明かりを消す。
でもすぐに眠れない。
「俺がどれだけ苦労していると思っているんだ! ――!!」
「あなたはいつもそうじゃない! ――!!」
おとうさんとおかあさんは今日も喧嘩をしている。聞きたくないのに聞こえちゃう。
布団に丸くなって少しでも二人の声が聞こえないようにする。
部屋の明かりみたいに、一瞬で眠れたらいいのに。
いやなことぜんぶ、消えてしまえばいいのに。
パチリ。
◇
おとうさんになぐられた。
ぼくが悪い子だから。
あたまが痛い。おなかが痛い。こころが痛い。
こんないたみ、消えてしまえばいいのに。
パチリ。
◇
おかあさんがかえってこない。
いい子でまっているのに。
のどがかわいた。あつい。おみずのみたい。
くるしい、いつかえってくるの。
おかあさん……。
パチリ。
◇
パチリ。パチリ。パチリ。
ぜんぶ。ぜんぶ。ぜんぶ。
なくなってしまえばいいのに。
いやなことも、いたいことも、くるしいことも。
ぼくをなぐるおとうさんも。
ぼくをどなるおかあさんも。
パチリ。パチリ。パチリ。
◇
おなかすいた。
おとうさんもおかあさんもいない。
ぜんぶきえちゃった。
おなかすいた。
ずっとごはんをたべてない。
からだがうごかない。
おなかすいた。
おなかすいた。
パチリ。
おなかすいた。
パチリ。
おなかすいた。
パチリ。
おなか……すいていない?
パチリ。
くるしくない。
パチリ。
あれ、なんだっけ。
そうだ……。
このへやから出たらだめだって……。
パチリ。
なんでこの部屋から出たらダメなんだっけ。
外に出よう。
この部屋には、何もないんだから。
パチリ。
◇
「お前が救急車なんか呼ぶから恥をかいたんだ! 俺に恥をかかせるな!!」
おとうさんがぼくを殴る。
痛い。
だから消しちゃえばいい。
パチリ。
おとうさんがぼくを殴ったり、蹴ったりしてももう痛くない。何も感じない。
「なんだその顔は! 反省しているのか!!」
だけど、ぼくの胸が痛い。ぼくの心が悲鳴をあげている。
おとうさんに殴られるのが悲しい。おとうさんに嫌われているのが苦しい。
おとうさんに愛してもらえないことが、悲しくて、苦しくて、痛くて、痛くて、痛くて――。
そんな痛み、全部消えちゃえ。
パチリ。
「ふふ……」
「なんだ! 何がおかしい!! 俺を馬鹿にしているのか!!」
お父さんが顔を真っ赤にして僕を怒鳴るけど、もう苦しくない。
すごくスッキリした気分だ。胸の中が空っぽになったみたいに清々しい。
「このぉ!!!」
お父さんが右手を振り上げる。また僕を叩こうとする。
怖い。体が恐怖に震えそうになって。
パチリ。
その恐怖を消してしまう。
落ち着いてお父さんを見る。殴られるのは嫌だ。痛みは消せるけど、それでも殴られるのは嫌いだ。
だから僕はお父さんを殴った。僕でも手を伸ばせば届く――お父さんの股間を思い切り殴った。
「~~~~~~ッッ!?!?!?」
お父さんが股間を押さえてうずくまっている。痛そうだね。僕もぶつけたことあるけど、そこを殴られるとすごく痛いよね。
「た、達哉!? お父さんに何をしているの!?」
おかあさんがキンキン声で騒ぐ。僕がお父さんに殴られている間ずっと黙って見ていたのに、僕がお父さんを殴ったらすぐに怒りだす。
それがすごく悲しくて、苦しくて、胸が痛くて。
パチリ。
だから、全部消しちゃった。
「ふふふ……」
「あ、あなた、何を笑っているの! お父さんに謝りなさい、すぐに!!」
お母さんが僕を怒鳴って手を伸ばしてきた。
だからお母さんの足の小指を踵で踏んづけた。
「ギャアアアアア!!!!!」
悲鳴をあげて地面を転がるお母さん。小指ってタンスの角とかにぶつけるとすごく痛いよね。
「達哉! お前、親に手を挙げるなんて……何を考えている!!」
まだ股間を押さえているお父さんが僕を怒鳴りつける。
僕は殴ったりされるのが嫌だからこうしているだけなのに、お父さんは僕を怒っている。
きっとまた僕を殴ろうとするに違いない。そういう目をしている。
だからお父さんの目を叩いた。
「ぎゃああ! 目が、目がああああああ!!!」
「お父さん、僕に生意気な目をしているって言って叩いたよね」
あの時はどんな目なのかわからなかったけど、きっと今のお父さんみたいな目をしていたんだと思う。
「お父さん、騒がしくしたらダメだよ」
僕の悲鳴がうるさいって殴られたこともあった。
お父さんの足の脛を蹴り飛ばした。
「お父さん、悪いことしたらごめんなさいって言わないとダメなんだよ」
「あ、がっ! す、すまん、達哉、俺が悪かった、もうしないから許して――ぐべっ」
謝り方が悪いって殴られたこともあったね。お父さんは悪いところばっかりだからちゃんと殴って躾しないといけないね。
「は、離れなさい! この化け物!!」
「……刃物を持ったら危ないよ」
お父さんの悪いところを教えてあげていると、お母さんが包丁を持って近づいてきた。
「あ、あんたなんか産まなければ良かった! あんたのせい私の人生はめちゃくちゃよ!!」
震える手で包丁を構えながらお母さんが僕にゆっくりと近づいていた。
お母さんの言葉に悲しい気持ちになるけど、それもすぐに消してしまう。
「こ、このおおお――ッ?!」
お母さんが僕を刺そうとしたから椅子の影に隠れた。
ぶつかりそうになって足を止めたところで、椅子ごとお母さんを押し返す。
「あっ――」
「あーあ」
倒れたお母さんが床に転がるお父さんに覆いかぶさって、手に持っていた包丁がお父さんの足に刺さった。
「ぎゃああああああああ!!!」
太ももに包丁が刺さってお父さんが悲鳴をあげる。
「きゅ、救急車、救急車を呼ばないと……」
「ダメだよ」
お母さんが携帯電話をかけようとしたから叩き落す。
「お父さんが言ったでしょ。救急車を呼んだら恥をかくって。お父さんに恥をかかせたらダメだよ」
お母さんが床に落とした携帯電話を、僕は足で踏んで壊した。
僕の行動をお母さんはただ茫然と見ていた。
◇
あの後、お父さんが部屋の外に逃げ出して、結局警察と救急車が来てしまった。
僕もパトカーに乗ったけど、お父さんたちは別々の車に乗って、僕を振り向くことはなかった。
それが悲しくて、全部消した。
パチリ。
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