第2話 魔王の女たち

 “異常”。

 高宮杏奈が彼に抱いた最初の印象はそれに尽きる。


 北海道の学生寮の自室で寛いでいた杏奈だったが、気がついたらこんな場所に連れて来られて唐突に“あと一年で人間社会が崩壊する”と告げられた。しかも質問して一切の返事もなく、一方的に説明してそれで終わり。

 混乱するし、不安だし、どうしていいのか分からずに途方暮れてしまうのも当然だ。周りの人間を見ても冷静な人間なんて誰もいない。


(一体なんなの……ダンジョン? モンスター? 意味が分からないわ……どうしたらいいの?)


 杏奈は自分が優秀な人間だと自負していた。見た目が目立っているが、それを抜きにしても周囲からの一目置かれていたし、学校の勉強だけでなく頭の回転も速い、賢い人間だと思っていた。

 だが、いざこんなわけのわからない状況に放り込まれてしまうと、自分では何一つ動けず、決められない人間だったと感じてしまった。


 そんな状況で、怒って帰ろうとした中年の男性を一人の少年が呼び止めた。


「――ガチャを回さないなら、俺にポイントを譲ってくれないか?」


 出口の青いサークルの前で、倍以上も年上の男性を相手にポイントを譲るように交渉している少年――御神達哉。


(ポイントを譲ってくれって、そんなことができるの?)


 杏奈が驚いている間にも交渉が進めていく。といっても交渉というほどのやりとりもなく達哉の独壇場だったが。


「ダンジョンは俺に任せてくれ。だから安心して日常に戻るといい」


 あっさりと男性からポイントとダンジョンの使用権を手に入れた達哉は、周りで様子を見ていた人たちにも声をかけて次々にポイントを手に入れていた。


(凄い……あっという間にまとめてしまった……)


 どうしてあんなに自信に満ちた振る舞いができるのか。達哉だって何も知らずにこの事態に巻き込まれた、事情を知らばいただの一般人のはず。

 それなのに周りの人をまとめ上げて、指示を出して、初めて会ったばかりの人たちを従えていく。その様子に杏奈は強く惹かれていった。


「なんなんだあいつ……」

「ポイントを貰うって、そんなのアリかよ……?」


 杏奈と同じように彼を遠巻きに見ている人たちはいるけど、誰も達哉の行動に割って入れない。

 負け惜しみともつかない言葉を吐いている人間もいたが、達哉の真似をしてポイントを集めようとする人もいなかった。


(そうよね。こんな状況ですぐに行動に移せる方がおかしいわ。驚き戸惑って何もできないか、何の行動も移せずに黙って状況の推移を観察するだけ。それが普通よ)


 ガチャポイントの重要性を認識し、即座にポイントを集めようとする思考。そして周囲から注目を浴びることを恐れずに真っ先に行動に移る行動力。

 ガチャポイントを大量に集めた達哉の行動を羨ましそうに眺める人間はいるが、だからと言って自分が同じように行動して目立つのは嫌だと口を噤んでしまうのが普通の人間だろう。


(このままだと、彼はどんどん先に進んでしまう……)


 達哉の行動を見て、杏奈の胸に渦巻いていたのは焦燥感だった。

 三十人のポイント集めた彼はガチャを回しまくってあっという間に強くなってしまうだろう。

 あの行動力の持ち主だ、杏奈を置き去りにして達哉は進んでいくに違いない。そもそも達哉の視界に杏奈は入ってすらいない。


(それはイヤ!)


 このまま、顔も名前も覚えられないまま、何の接点も得られないまま別れるのは嫌だ。


「あ、あの……」

「――なんですか?」


 自分の胸の中に渦巻く感情に気を取られていた杏奈は、声をかけられてからようやく、目の前に同じ年くらいの少年が立っていることに気がついた。


(時間がないのに……!)


 急がないと達哉に置いて行かれると焦っている杏奈の態度は冷たく、少年も常ならばすごすごと逃げ去っていただろう。

 だが、超常現象に遭遇し、ガチャという力を持った彼は調子に乗っていた。先ほど引いた10連ガチャでも大爆死してしまったが、彼の大好きなネット小説でもこういう展開は山ほどある。全部Nカードしか引けなくてもSSRにだって勝てるのがネット小説なのだ。


「ぼ、僕とパーティを組みませんか! いっしょにダンジョンに潜りましょう!」


 パーティ。ダンジョンの同行者は一度に5人まで認められている。一人では心細いけど人数が増えれば安心。

 そして何より、銀髪と青い瞳の美しい少女と仲良くなりたいという下心から、少年は杏奈に声をかけた。


(パーティ! そうよ、その手があったわ!)


 少年の誘いはまさに天啓だった。どうやって声をかけようか悩んでいた杏奈に“パーティに誘えばいいんだ”と気がつかせてしまった。

 素晴らしい考えに杏奈が顔をほころばせる。間近で彼女の笑顔を見た少年のハートが大きく高鳴った。


「お誘いありがとう、でもごめんなさい。あなたとパーティを組むつもりはないの」


 杏奈は少年の誘いをすげなく断ると、まんまと意中の彼――達哉と一緒のパーティを組むことに成功したのだった。


(な、なんだか手慣れているわね……もしかして経験豊富なのかしら?)


 達哉との距離が近くてドキドキしている胸の内を隠しながら、必死に平静を装う。全寮制の女子校育ちのお嬢様は男子に免疫がなかった。


 ◇


「杏奈はまだガチャを引いていなかったのか」

「ええ。た……達哉と一緒に引こうかと思って」


 てっきり十連でハズレばかり出たから俺に声をかけたのかと思ったけど、まだ杏奈は自分の分の十連ガチャを引いていなかった。

 あ、高宮じゃなくて杏奈呼びにしたのは杏奈からの提案だ。俺も達哉と呼んでくれと言ってある。一緒のパーティを組む仲間だしな。


「それじゃ、まずは俺の方から引くな」

「え、ええ。いいカードが出るといいわね」


 コンソールパネルの設定で杏奈にも画面を見れるように変更して、まずは十連ガチャを回す。


「最初の十連ガチャはSSRが一枚、SRが四枚、Rが一枚、Nが四枚だった。だから多分SRが一枚か二枚くらいは出るんじゃないか?」

「そんなに当たるものなのね。SRってすごい珍しいのかと思ったけど……」


 まず最初に出てきたのは白いカード。N《ノーマル》なのでハズレ。

 次が銅色。R《レア》。SRよりは格落ちのカードだろうから微妙。

 次が白、ハズレ。白、ハズレ。白、ハズレ――。白が五枚続いた後にようやく銅のRカード。そして最後の二枚がまたNとN。


 十連ガチャ結果

・R 2枚

・N 8枚


「……い、意外と当たらないのね。SRって」

「お、思ったよりも確率が渋いのかもしれないな……」


 ま、まあ、まだガチャは始まったばかりだ。SSRも当てているしSRも四枚もある。多少悪くても問題はない。


「次の二十連、いくぞ」

「が、がんばって!」


 メニュー画面でぽちり。

 出て来るのは白、白、銅、銅、銅……。


「なんだこれ?」

「黒? 黒いカードが出てきたわ」


 六枚目に黒いカードが一枚出て、その後は白白銅銅と続いた。

 NとRのカードは横に退けて、さっそく黒いカードを手に取ってみる。


CRカースドレアアイテム【守りの指輪】

・防御力が上昇する

・全身に軽度の【麻痺】が降りかかる(呪)


「呪われてんじゃん!」

「カースドって……こんなカードもあるのね……」


 『防御力が上がる』という効果は有用かもしれないが、軽度の麻痺の度合いもわからないし、そもそも呪われた装備を装備するのが怖い。


「このカードはしまっておこう」

「そうね……」


 メニュー画面のカード管理ページで呪いのカードは別に避けておくことにした。間違って使わないようにロックをかけておく。


「ふー……」


 二十連してSSRはおろかSRすら0。おまけの呪いのカードのおまけ付き。

 俺の運は最初の十連で尽きてしまったのだろうだろうか?


 ちょっと引きずりそうだ。一度切り替えよう。気分をリセット。


「よし、それじゃあ続きを引こう」

「今なにか……? わかったわ」


 三十連目。N五枚。R五枚。


「やっぱりSRは出ないな」

「確率ってどのくらいなのかしら……」

「乱数の偏りがひどいな。あと最低保証もないしな」

「最低保証ってなに?」

「十連引いたらSRを一枚保証とか、100連したらSSRを一枚保証とか。そういうのが最低保障。三十枚引いてSRが0だから多分ないんだろう」

「ふうん。そうなのね」


 あまりガチャとかやったことがないようで杏奈は今一つ理解していないようだ。あるとないとでは大分違うんだけどな。


「次は四十連――来た!」


 白、銅と続いてようやく金色のカードが出た!


SSRアイテム【悪鬼羅刹の魔剣】

・攻撃力と耐久性に優れる魔剣

・剣の力を解放し、一定時間限界を超えた力を発揮することができる


「これがSSR……。見ているだけで吸い込まれそう……」


 メニューから取り出してみた【魔剣】はまるで闇を凝縮して刀身を作ったかのような妖しいオーラを携えていた。

 SRカードには感じない圧倒的な存在感。これはSSRカードの特徴なのかもしれないな。


「剣か。使ったことはないけど、まあ鉄パイプよりはマシか」

「え、鉄パイプ?」

「ああ。こっちの話。気にしないでいいぞ」


 ふむ。SSRが出たからNやRの武器は予備くらいにしかならないが……カードから出したりカードに戻したりが自由にできるから、よく考えると使い道が多いな。

 このカードが使徒以外の人間にも使えるか後で検証しておこう。


「それじゃ、とりあえず100連分まで回すから残り50連を一気にいくぞ」

「わかったわ」


 残りの50連。SR六枚。CR一枚。その他は全てNとR。

 これで最初に俺が引いた分と合わせて100連でSSR2枚、SR10枚が出たが、これは確率的にどうなんだろう。SSR1%、SR10%、RとNが半々くらいだと思うが。


「そうすると普通の使徒はSR一枚、R四枚、N五枚が平均になるのか?」


 もちろん運の良し悪しでブレるとは思うが、そこから大きく外れることはないと思う。


「達哉。私のガチャを引くわ。み、見ててね!」

「ああ。外れても俺のSRを貸すから安心して引いていいぞ」

「お願いね。じゃあ……えい!」


 ドキドキしながらガチャ画面を見守る。戦力的には杏奈がSSRを引いた方が助かるのだが、同時に爆死しないかなと期待している自分もいる。結局は他人事なのだ。


「白、白、銅、銅……あ、最後に銀が出たわ! 達哉、SRよ!」

「おめでとう。どんなカードなんだ?」


 結果はSR一枚、R四枚、N五枚。まさにさっきの予想通りの結果に終わった。

 たぶん当たりでも爆死でもないラインだが、SRが当たったことを喜んでいるのでお祝いの言葉を投げかける。


「このカードは……SRユニット【氷の精】?」


 杏奈がカードを使うと暖かそうな厚手のコートを着た手のひらサイズのちびっこが現れた。


「これが氷の精? 小さいな」

「モコモコで可愛いじゃない。こっちにおいで」

「……」

「きゃっ!」


 ぴょーんと物凄いジャンプ力で飛んだ氷の精が杏奈の頭の上に着地した。


「ビックリしたわ……もう、驚かせないでよね」

「重くないのか?」

「ううん、軽いわよ。それにモコモコしていて暖かいわね」


 杏奈が氷の精を抱きしめて可愛がっている。


「名前は何にしようかな……そうだ、チカにしましょう。今日からあなたはチカちゃんよ」

「……」

「ふふ、そうよ。あなたの名前。よろしくね、チカ」

「杏奈。チカの言葉がわかるのか?」

「え? そうね……言葉というより、感情? ぼんやりとした意思が伝わってくるわね」

「ふむ。それはユニットカードだからなのか? それとチカの能力か? 興味があるな。他のユニットカードを探してみよう」


 今まで出てきたカードの山を探してみる……が、ユニットカードが見当たらない。


「……ユニットカードもレアカードなのか?」

「そうなの? 私はRのユニットカードも二枚出たわよ」


 杏奈の手に普通の中年男性――さっき居た加茂野のおじさんに似ている気がする――とメカメカしいデザインのロボのカードが握られていた。

 ……SSRは引けなかったみたいだけど、実はいい引きしているんじゃないか?


 ◇


 その後、200連を回してポイントを全部ガチャに変えた。

 成果はSSR一枚。SR十五枚。……辛い。SRが期待値以下なのも痛いが、SSRが一枚しか出てこなかったのも悲しい。CRは二枚出たのに。


 だが、唯一引き当てたSSRは大当たりだったと言えるだろう。


「初めましてマスター。わたしは【黄金の魔女】。今からわたしの力も知恵も貴方のもの……どうか上手く使いこなしてちょうだい」


 金の髪と金の瞳の魔女が優雅に腰を折る。長い金髪を背後に流し、スラリとした肢体のモデル体型の美女。服装は漫画に出てきそうな魔女ルックで黒いとんがり帽子とローブを着ているが、金色の文字のような刺繍がセンス良く散りばめられている。

 非常に見目麗しい若い女性で、見た目だけなら俺たちと大して違いもないように見える。だが、泰然自若とした態度には若さが伺えず、その眼の奥に老練さが垣間見える。まさに年齢不詳の魔女だろう。


SSRユニット【黄金の魔女】

・多くの魔術に精通し神秘に通ずる魔女

・真実を見抜く【黄金の魔眼】を持つ


「黄金の魔女。早速質問がある。あんたはこの状況をどのくらい知っているんだ? 主催者は? このゲームのルールは知っているか?」

「せっかちなマスターね。お茶の一杯くらい用意していただけないの?」

「欲しいなら用意しよう。さっきカードで引いたからな」


 基本的に武器やスキルなどのカード出て来るガチャだが、たまにNカードに混ざって食料や家具、生活雑貨などが出て来る。はっきり言ってハズレだが、黄金の魔女が欲しがっているので用意した。


(……この空間に来てから三十分か)


 スマホの時間を確認するとすでに三十分が経過していた。これでも大分急いだが、思ったより時間がかかってしまったようだ。


「改めて自己紹介をするか。御神達哉。東京出身の十七歳。フリーターだ」

「え。学生じゃなかったの? 私は高宮杏奈、北海道の女子校に通う十六歳よ」

「タツヤにアンナね。わたしは黄金の魔女と呼ばれているわ」

「名前はないのか?」

「ええ。わたしたちユニットカードは名前を持たない。そして歴史もない。つい先ほど“造られた”ばかりなの」

「……誰に?」

ゲームマスターに」


 ◇


 黄金の魔女の説明は簡潔だった。

 このダンジョンやガチャを含むすべてものは神が造りだしたものだという。


「世界のルールが変わった。それ以上でもそれ以下でもないわ」


 神がどうしてこんなことを行ったのかは不明。ただ、現実に目の前で起きている以上、腹をくくって対処するしかない。


「ゲームのルールは簡単ね。ダンジョンに潜ってモンスターを倒してガチャを回す。ただそれだけ。貴方たち、もうダンジョンには行ったの? まだ? それなら少し観光に行きましょう。わたしがいればただの散歩よ」


 そう気楽に誘う黄金の魔女に導かれるままに俺たちはダンジョンに向かうことにした。


「名前がないと不便だが……黄金の魔女、ベアトリーチェか」

「あら? わたしの名前? いいセンスじゃない」


 俺が思わず口にしたのは同名の別の魔女なのだが、どうやら黄金の魔女はベアトリーチェが気に入ってしまったらしい。


「神曲も知っているのか?」

「ええ。わたしがベアトリーチェならマスターはダンテね。そうでしょう、愛しい人マスター?」


 神曲。詩人ダンテが書いた叙事詩。地獄・煉獄・天国まで巡ったダンテを案内した永遠の淑女であり、ダンテの愛する女性の名前がベアトリーチェだ。

 先ほど造られたばかりと言っていたのに、そういう知識も持っているらしい。


「神の御許まで案内してくれると?」

「あなたが望むのなら」


 妖艶な美女のように、無垢な少女のように微笑む姿は恐ろしくも美しい。


「貴女にベアトリーチェなんてもったいないわ。ウェルギリウスで充分よ」

「あら。それならこれからは“ベアトリーチェ・ウェルギリウス”と名乗ろうかしら」

「ベアトリーチェが余計だと言っているの!」


 杏奈がウェルギリウスを名を出したが、そちらも神曲に登場する案内人だな。ちなみに男。

 どうやらさきほどの微笑みは杏奈には通じなかったらしい。俺だけに向けられていたのだろうか。


「二人ともダンジョンに入るぞ。一階とはいえ気を引き締めろ」


 無人のホールを横断して赤いサークルに入った。

 すでに装備は整えていて、SSRの魔剣をはじめ全身をSRとRで固めている。


 同行者は【高宮杏奈】【ベアトリーチェ・ウェルギリウス】の二名。どうやら本当にあの名前になったらしい。


「行くぞ。準備はいいな?」

「ええ。覚悟は決めたわ」

「わたしがいるんだから大丈夫。まずはさっさと一階を攻略しちゃいましょう」


 緊張した杏奈とリラックスした表情を崩さないベアトリーチェ。

 二人に頷き返し、俺はメニュー画面を操作する。


【御神達哉のダンジョン:1階】


 味もそっけもない名前のダンジョンの一階に俺たちは転移した。

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