第10話 貧民街の英雄(1)

「ふざけんな、タコ!」


前を行く黒髪の少年の背に、甲高い声で精一杯の罵声をあびせるのは、頬のふっくらと赤い少年だった。アーモンド型の濃い緑の目を大きく見開き、肩までのびた癖のある栗色の髪を振り乱して、精一杯の語彙で抗議を試みている。


「今期こそ闘技場にエントリーしてくれるって、言ったじゃないか!」

「人間忘れることが仕事みたいなところがあるからな〜」


まっすぐな黒髪をかきあげながら、茶髪の少年より幾分年長の少年は、はぐらかすようにいった。


「ちゃんとじいちゃんとアレクに言っておいてくれたの?」

「さ、お手てつないで帰ろうぜ、坊ちゃん」


一年前から一つ屋根の下で暮らす、兄弟のような存在。


「ふざけんな!」


年下の少年はそういって、差し伸べられた手にそっぽを向いて地団駄を踏む。

年長の少年は必死で笑いをこらえた。相手は頭から煙がでそうなほど怒っているのに、その幼い抗議といったら。


前には悔しそうにダンダンと地面を強く踏みしめながら歩く、小さな背とその足音。その後ろを追って、ニヤニヤと笑いながら歩く年長の少年。二人は家路につく。




トタン製の錆の浮き出た平屋。隙間風には閉口するが、それでもこの貧民街では壁屋根がそろっているだけましな部類の建物である。


「お、帰ったな〜キーロ、今日はお前の好きな塩豚のスープだぞ♡」


二人が扉から家に入ると、中年男が厨房から顔を出した。ひょろり手足の伸びた長身に赤い髪、やや額が後退しているが、きらきらと好奇心にあふれた目、明るい笑みを浮かべる顔は少年のように見える。


「あまりキーロを甘やかすな、アレク」


ダイニングテーブルの奥に座っている人物が、苦々しく口を入れた。白髪が混じる頭髪と、顔に刻まれた皺をみれば、老年にさしかかろうとする年頃だろうか。雑作の大きな強面の目鼻立ち、引き結んだ口元がいかにも頑固といった感を与える。


「んな、おやっさんだってせっかく入った謝礼でキーロに最高の…」


アレクが自己弁護をしようとしたその言葉尻をとらえて、栗色の髪の少年、キーロは奥の人物に齧りつく。


「え、なに?! じいちゃん! なに?」


家に入るまでとらわれていた怒りもすっかり忘れた様子で、夢中で老爺の腕を揺すった。キーロに子犬のようにまとわりつかれて、老爺の眦がこれ以上ないほどに下がる。

さしもの、貧民街の五指に入る敏腕職人のダンも孫のキーロにかかれば容易く陥落するのだった。


「明日の楽しみにとっておけ」

「えー」


キーロ少年が口を尖らせて抗議をしかけたところで、小柄な中年男を筆頭に男女が5人、外に通じる扉とは別な扉から入ってきた。

十人がけのダイニングテーブルがほぼ埋まり、途端に場がにぎやかになる。


「お、アレク。今日の飯もうまそうだな〜」

「キーロのリクエストばっかり聞いてないで、たまにはうちらの意見もいれてくれないの?」


若者たちが軽口を言い合う脇で、ダンの隣に腰をかけた中年男が紙束をダンに手渡す。上背はないが、骨太の非常に頑健そうな体つき。灰色の髪をオールバックに撫で付け、タバコをくわえる様に、一筋縄ではいかない貧民街で培われた世慣れ感が漂っていた。


「おやっさん、今週の報告書だ。1枚目、現状の案件一覧と作業進捗。2枚目、新規依頼と返答の要旨」

「新規3件目を断った理由は?」

「1、要件に不明瞭な点が多すぎる。2、したがって採算の検討が難しい。3、どうも発注元がゲイツに関わりがあるっぽい」


中年男は要領よく要点のみ述べ、最後に貧民街で勢力を二分する凶徒集団の名を挙げた。


「変な恨みは買うなよ」

「こっちは手一杯なんだよつって、チョウのとこ紹介しといたから問題ない」

「わかった。お前の裁量に任せる」


信頼し合っているからこその、要点のみの簡潔な会話だった。

ダンの経営するこの工房では、ダン以下、この中年男チャドとおさんどんのアレクを実働の筆頭に、スクラップパーツの復元を主な生業としている。


“ダンの腕、チャドの裁量、アレクの飯”


この工房が貧民街で有名な所以だ。

三番目はオチ程度の冗談だが、他の工房で修復できないスクラップもダン手にかかれば一通りの回復を見せるという噂が半ば伝説的に語られていた。ほかの技師に匙を投げられたスクラップの救世主として、絶対的な信頼を置かれる貧民街指折りの工房であった。




「ケン。キーロの機体に拡張パーツつけといてくれ」


キーロが「最高の何か」を気にしつつ、寝息を立て始めた頃。アレクセイが黒髪の少年、ケンに指示した。


ケンが工房を訪れたのはちょうど一年前。貧民街屈指の工房として名高いダンの工房の門を叩く若者は数多くいたが、チャドの容赦ない門前払いによって工房付きの見習いとなれるものはそう多くなかった。ケンは、その狭隘な間口をくぐり抜け、工房での生活を許された数少ない人間だ。

その事実に証明されるように、十七という年齢からは桁外れな技師の才能を持っていた。


「納期は?」


切れ長の目を細めて、アレクに問う。


「明日だよ」


無茶な要求に、はあ? と、ケンは目を見開いた。


「これから? 無理だって」

「朝までやれば、十分できる」

「徹夜しろっての? キーロへの態度と俺への態度、だいぶ違うんだけど?」

「当たり前だ」


冗談とも本気ともつかぬ真顔で断言され、ケンはため息をついた。まったくこの工房のおやじどもときたら、めっぽう最年少のガキに甘いったら。


「そろそろ闘技場にデビューさせてやろうかと思ってな」


アレクの何気ない発言に、ケンは飛びついた。


「え、いいの? 登録させちゃって」


ケンが今一度確認するように、訊いた。


「てっきり反対するもんかと。あいつ、あっという間に台上場までいっちゃうと思うよ」

「♪幼き戦士の夢ならば、叶えてやるのが技師の宿命♪」


貧民街の流行歌だ。


ケンのテンションがあきらかに上がった。

キーロはまだ十三歳だが、スクラップ場でお遊びに何度もヒュージファイターを操縦している。その操縦を見る限り、ヒュージファイターのパイロットとして稀に見る天賦の才があった。

自身が開発し、メンテナンスを手がけた機体には、より強いパイロットに乗ってほしい。優秀なHF操縦者は技師の気持ちをかき立てる存在だ。


「今期の登録期限が明日、基盤パーツを手に入れられたのが今日。だから納期は明日までなんだ」


挑むようにアレクはケンに笑いかけた。


「いいだろう」


もちろん、詳細が分かったからには受けてたたない訳が無い。


「ただしアレク、あんたも手伝え。日付が変わるまでに終わらせる」


アレクは意を得たりと片手をあげた。その手にケンが平手を重ねる。

パン、と小気味よい音がなり、二人は技師としての高揚を共有した。


「あんた、一年前より禿げたな」

「心労が多いからだ。お前のせいだな」

「太ったし」

「食べるのがストレスのはけ口だ。お前のせいだな」

「口だけは減らねえおやじだな」


鼻で笑って。


「基盤は?」


ケンは核心に触れた。


「あれ」


アレクの指の先を目で追って。

ヒュー。ケンは思わず口笛をならした。


「最新式! どっから流れてきたんだ? それが〝最高の〟か!」

「しかも俺がバージョンに手を入れた。〝最〟最新式だ」


アレクのその発言に、技師としての誇りが感じられた。


「早く拝ませてくれ」


ケンは待ちきれないように、そのパーツへと近づいた。




貧民街の中央に廃材をかき集めて建てられた巨大な闘技場がある。

この街に住む者ならば知らないものはいない。ヒュージファイターの闘技場である。

ゴミ溜めに廃棄された旧式のヒュージファイターを〝技師〟が改造し、〝戦士〟が乗りこんで戦う。それはこの街に住む者の最大の娯楽であった。

闘技場で戦えば戦士という称号が得られ、闘技場でトップの成績を収めれば英雄という栄誉が得られる。


闘技場は台上場と台下場に分かれ、下場はヒュージファイター所持者なら誰でも出場資格を持つが、上場出場資格を持つものは二十人に限られ、最終日に出た結果の下位五名は下場上位者と入れ替わらなければならない。


一度ヒュージファイターに機乗し、闘技の場にでれば、性別・年齢・生まれや前科など一切関係ない。常に台上場に座す常勝の英雄はゴミ溜めの街の誇りであり、子供たちの憧れであった。




***




闘技場へ登録できる。その事実にキーロは狂喜した。さらに、スクラップ場で自分のHFの変貌ぶりを確かめて、興奮を隠しきれないようすだった。目はギラギラと輝き、頬が真っ赤にそまっている。


「ケン、すごい。これ、手足と同じ動きをする」

「……」


キーロの語彙の少なさに少し憮然としながらも、ケンが平易に解説する。


「動きを伝える構造を極力シンプルにしているから、操縦者との連動率が高いんだ。普通の設計技師が手がければ動作の幅に制限が生まれるところだが、そんなこともないだろう? アレクの設計能力が尋常じゃないってことだ」


ケンはストレートにアレクの技師としての技量を賞賛した。


「その構造を実体に落とし込める奴がいるとは思わなかったけどな」


その言葉が、アレクの本音であり、予想をはるかに超えるキャパシティを秘めるケンと出会えたことへの喜びに満ちていた。


「うん、アレクもケンも本当にすごい」


素直に感嘆の声をあげたキーロに、二人は思わず相好を崩す。


「お前は余す所なく、機能の最大値で活用してくれるからな。ほんとに技師の心をかき立てる戦士だよ」


共に暮らすものの情愛といった兄弟のような間柄だったケン・キーロの二人に、相手の才能を存分に認め、心の底から信じ合う新しい関係性。友情の〝絆〟が芽生えはじめた瞬間だった。




***




「先に帰れ」

「こんな時くらい早く一緒に帰って報告しようよ!」

「バカ。あんなオーバーヒート寸前の操作しておいて、このまま一晩寝かせてみろ。せっかくの台上場のデビュー戦をフイにしちまうぞ」


ケンの性格。飯を食べるのもいやがるほどめんどくさがりのくせに、機械まわりについては、超ストイック。しかも頑固。この一年半の付き合いでケンがマシンの状態が万全であることを確かめるまでは動かないのはわかっていた。




仕方なく、整備ドッグにケンを残してキーロは家路を急いだ。

一期三ヶ月で行われる闘技場の期最終日。

闘技場デビューの二期目にして、キーロは通算二十五勝二敗三分という圧倒的な勝率で台上場への出場権を勝ち取った。


今日一身に受けた大歓声。勝利の興奮は冷めやらない。


――じいちゃんに、アレクたちに、なんて報告しよう。


皆の反応を想像して、思わず頬が緩んだ。


――いや、ケンが来るまで話しちゃだめだ。


と、思い直すが。それでも、話さずにいるのはとても難しい気がした。




路地を一本曲がると、背後から足音がした。


「戦士・キーロ」


含みのある声で、呼びかけられる。

いかにも街のチンピラといった態の少年が、三人。鬱陶しいくらいに隙間なく身に付けたアクセサリーが互いをけん制しあい、安い金属音を立てる。


「だろ?」


その問いに、応と言ってやる義務はない。




常に危険と隣り合わせの街に住む者の勘で、このチンピラたちから好戦的な雰囲気を感じ取り、キーロは腰ベルトに手をやりながら一歩下がった。

いつもならそこには折り畳み式のナイフがおさまっているはずなのに。

キーロは密かに舌打ちする。よりによって台上場への昇格に酔って、手ぶらで帰ってきてしまった。


チンピラたちは、目ざとくキーロの様子を観察して、にやりと笑みを交わした。一人がキーロに仕掛ける間に、ほかの二人は退路を断つ。

少年たちは骨と皮ばかりの痩せて貧弱な見た目より、機敏で腕も確かだった。しかも、連携が取れている。ただのチンピラではなく、組織の末端にいて何らかの訓練を受けている。そんな動きだった。

正面からの拳に応戦するのが精いっぱいで、二つ三つよけた時には後ろから羽交い絞めにされていた。


「なんなんだよっ」


威勢で負けたら、そこで勝敗は決する。キーロは精一杯の大声を張った。


「台上場欠場を約束してくれたら、逃げてもいいよ」


リーダー格と思われる正面の少年が軽い口調でにやけながら話す。


「君が強いのは分かる。でもねぇ」


小馬鹿にしたようなジェスチャー。首を左右に小さく振り、肩をすくめる。


「オレらとしてはね~。こうも勝ち続けられちゃ儲けにならないんだよ、ね」

「てめぇらのために戦ってるんじゃねぇよ」

「馬鹿か」


息巻くキーロに、チンピラのにやけ顔が一瞬引いて、冷やかな目が見下した。


「戦士たちが、本当に実力だけで勝敗を決してると思うか?」


それは、純粋に戦士に恋焦がれ、英雄を目指す少年にとっては究極の侮辱だった。

キーロはチンピラに向かって唾を吐いた。


「絶対に。嫌だ、と言ったら?」


パキっ


間髪入れずに、静まり返った路地に音が鳴り響いた。


ごくごく軽い音だったが、生じた痛みは尋常じゃなかった。目がかすみ、舌の奥がしびれる。額に脂汗がにじんだ。小指の先から血が逆流するような感覚。時間を追うごとに熱く、強く響くような痛み。


「十本終わるまで、こうするよ」


表情を変えず、チンピラはキーロの薬指をつかんだ。その時、

背後の拘束が緩んだ。

同時に、キーロの左右にいた少年が背後に吹っ飛んだ。


「ケン!」


拘束を解かれたキーロがすばやく立ち上がる。ケンが機を見てナイフを放る。キーロは打ち合わせたように見事にそれを受け取り、起き上がりつつあるチンピラに向かって構え直した。

ケンは一歩進み出る。決して少年に隙があった訳ではない。が、瞬時に懐に入り込み、喉に手刀を容赦なく差し込んだ。攻撃の犠牲となった少年の喉元が変形し、口から鮮血が迸る。そのまま白目をむいて倒れ込んだ。命をも奪いかねない危険な攻撃だったが、ケンは一切の動揺を見せない。息も切らさずに残りの二名に相対した。


リーダー格の少年は、一度は正面からケンに向かい合ったが、やにわに臨戦の体勢を崩した。


「今日は無理だ……。引くぞ」

「意外に賢明じゃん」


ケンはごくいつもの様子で応じた。




言葉にならなかった。

ただ、あまりに冷酷に感じられる先ほどの様子に、キーロはケンに近付き難い距離を感じていた。


「……強いんだね」


キーロの絞り出した感想には直接答えず、


「Jが忠告してくれた。台上場に昇格した注目の戦士を一人で帰らせるバカがいるかってな」


闘技場の英雄の名を出した。

台上場に昇格して一年、引き分けこそあれど負けなし。台上場の主、といわれる人物だ。


「何事もなくてよかったな」


普段通りのケンの笑みに少しほっとして、キーロは左手を持ち上げた。明らかに腫れた小指が痛々しい。興奮で忘れかけていた鈍い痛みが、戻ってきた。


「何事もなくは、ない」

「指一本でよかったじゃねぇか。HFの操縦に小指はいらねぇし」

「痛い」

「我慢しろ。チャドが手当てしてくれるから」


頭一つ小さいキーロの茶色い髪をクシャっと撫でて、ケンはキーロを誘(いざな)うように工房への道を指差した。




「はあ? 暴漢に襲われた?」


万能のチャドに当て木をして指を固定してもらい、ダイニングでいざ事の始終を語ると、アレクが真っ青になって厨房から顔を出した。


「で、どどどどうしたんだ? ゆ、指〜!!」


動揺して、明らかに吃っている。

その様子に、ケンとキーロは吹き出した。アレクに肩を拘束されたキーロを残し、ケンは台所からくすねたリンゴを片手にダイニングテーブルに座る。


「ケンが、あっという間に撃退したんだ」


キーロはアレクの前のめりさに圧倒されながら、なんとか答える。


「こう、相手の喉に手刀を差し込んで……」


ジェスチャーでその時の様子を演じながら、あのケンの冷徹さを思い出して、キーロは少し身震いした。

アレクはキーロの報告と、最後に口ごもった様子をつぶさに観察して。


「そうか、ケンは腕が立つんだな……」


ぼそりとそれだけ言った。


ケンはリンゴをかじりながら窓の外を見ていた。その姿をじっと見つめるアレクは、常と異なり大げさに驚くでもなく、笑い飛ばすこともしなかった。ただひたすらに暗澹と。沈鬱な面持ちだった。

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