虚国の戦士

三川由

第1話 養成所(エリア10)の日常

見渡す限り黒の平面だった。滑らかで平らな床が、どこまでも続く。


仰げば、均一に薄くグレーがかった天井の半球。それが彼方地平線のラインで床面と交わる。黒と白の階調で構成された無機質な空間。


180度に切りとられた視界は、コックピットからの眺めである証。その角形のフロントウインドウ越しに、数機の機体が見える。濃グレー色に塗られたその機体の外観は、車輛……というよりは人型を模したロボットに近い。


体高約6m。その全面が金属製の装甲で覆われている。脚部は人間を模したような一対の脚。胴部にはメインエンジンとコンピューターシステムを搭載し、その左右から二本のアームが伸びる。そして、胴部の最上部に操縦者の乗り込むコックピットがある。


ヒュージファイターと呼ばれる、接近戦用の機動兵器だ。


そのヒュージファイターのコックピットから見える灰色の世界は、演習用に用意された3D映像。そして〝ロビン〟は今、そのコックピットを模した空間に座っている。




「ロビン? 用意はいい?」


ざざっ。少々のノイズを交えて、回線越しに問いかけがあった。演習を仕切るオペレーターの声だ。


「いつでもどうぞ」


ロビンはいつも通りに簡潔に返答する。


「了解」


オペレーターの返事の後に回線の途切れる音がした。




「Ready」


演習の開始を告げる電子音声。間は正確に1秒。


「GO」




〝行け〟の指令と同時に、手足が反応する。


操作に頭脳は介さない。すべて身体が覚えている。そして、機体は滑らかに、前に歩を進める。


何一つオブジェクトのない仮想空間で、唯一の障害となる空気抵抗を受けないように体勢の微調整を繰り返し、ヒュージファイターの二脚を動かす。




500m地点の赤外線ラインを越えると、ブザーが鳴った。


「new record」


無機質な電子音声が、白々しくコックピット内に流れる。




「だああああああああっ!!!!」


突如コックピット内に、回線の音量を最大にしたかのような大音量がとどろいた。


「ったくなんでそんなに早いんだよ。明らかにディーエースリーの限界値越えてるだろ…」


舌打ちとぼやき――というにはあきらかにボリュームが大きい――がスピーカーから響く。




ロビンは、孤立した空間で独り眉間にしわを寄せ、不快感を露わにした。


クールダウンのために慣性で動かしていた機体をもと来た方向に旋回させながら、スピードを徐々に落として停止させる。


その視線の先に。


スタート地点と同様に、武骨なグレー塗装の兵器が数機佇んでいた。〝帝国〟の標準型ヒュージファイターだ。


現在市場に最も多く出回る量産型の機体、DA-03型。体高6.1メートル、重量は機体のみで10.8t。動作は鈍いともっぱらの評だが、操作が非常にシンプルで、初心者にも扱いやすい。


今の〝舌打ち〟の主は、視界に入っているいずれかのDA-03に機乗しているはずだった。


回線、to all。


「――アンだよな? あんたのやり方、起動時のロスが大きすぎる。レバーを前進に切り替えてから発進してるようじゃ遅いんだ。同時にやれ」


取り付く島もない態で言い放つ。


「……マシンが落ちたら、元も子もないだろぅが」


アンと呼ばれた人物の特徴的な掠れ声が、苛立ちを隠さずに返した。


DA-03のシフトレバーはマシン起動時、ニュートラルにデフォルト設定される。マシンを前方に進める際には、それを前進に切り替えてから発進する必要があるのだが、その構造上、レバーよりも発進を先に操作してしまうと、エンジンがフリーズしてしまう可能性が非常に高いのだった。


したがってレバーを前進に切り替える操作を終えてから発進するのがごく一般的な操縦方法なのだが、ロビンはそのリスクをふまえてなおレバー操作と発進を「同時にやれ」と言っているのだ。


「……速さを求めるなら。少なくとも俺はそうする」

「そんな操作したら、フリーズするだろ」


アンの発言をロビンは鼻で笑った。


「あ、そう。フリーズしたことがないから知らなかった」


自分の実力を揶揄される発言に、アンはいきり立った。


「は  ら  た  つ~」

「才能がないから諦めろと言わずにアドバイスしただけ、優しいと思うけど?」

「今はっきりと〝才能がねぇ〟って言ってるじゃねぇかよ」

「それが理解できるんなら、まだ見込みはあるな。辛うじて」


――……ブハッ。


回線越しに、何人かが噴き出す音が聞こえた。この演習の参加者は、二人だけではない。


「お前ら、それ回線allにして喋ることか?」


どこからともなく突っ込みが入る。


――●●●●●●!!


お世辞にも行儀が良いとは言いかねる捨て台詞を吐きながら(そしておそらく中指を立てて)、アンは音を立てて回線を切った。




***




ここは帝国の軍事施設の一。通称をエリア10という。


時を遡ること五十余年。大陸全土統一の機会を窺い軍備増強を計る帝国は、帝国暦三五〇年、〝ニューウェポン〟――その後にヒュージファイターの名で浸透する兵器の実用化に成功した。


三六六年、予てから大陸統一をその軍事力を以て推し進めていた帝国は、最後まで抵抗を続けた南方の六国連合軍の本丸であった都市、カレイマラの陥落によってその野望、大陸全土統一を成し遂げた。


時は流れ、帝国歴三九六年。全土統一より三十年、表面化する大きな騒乱もなく、大陸はかつてないほど平穏であった。大陸各地での戦火はなりをひそめ、人々が日々の暮らしを取り戻し、争乱の日々を忘れるほどの年月が経過した。


しかし、その平和の中に在ってなお帝国は〝軍備増強〟に抜かりなかった。争いの火種になりうる要所の管理、兵器の開発、兵士の育成。多額の費用が軍事の名目に今なお注がれていた。


帝都エリアに十数を数える軍事施設。帝都内に存在するここエリア10は、他の基地とは毛色が異なる。

優秀な〝兵士〟を育成し、有事に備う。

しかも、ただの兵士ではない。帝国唯一のヒュージファイターパイロット専門養成所であった。




***




1コマ3時間強の濃度の濃い演習を終えた訓練生たちの大半は、しびれるほどに疲労した心身を少しでも休めようとカフェテリアに流れる。


入り口付近に溜まった人垣を押し分けるようにして、一人の女が姿を見せた。

見るからに鼻息が荒い。


「アン、今日も荒れてるな~」


興味本位で声をかけるギャラリーを無視して、アンは目的の場所にツカツカと向かった。

白色にも見える淡い金髪を極々短く切った、少年のような外見。内面の勝ち気さを現すように尖った鼻がやや上を向いている。演習中に装着していたヘッドギアを脱いだままなのか、髪の毛は見事に逆立っている。


「聞いてよ! エルザ」


窓際の席で教本に目を落としていた女が顔を上げた。

その拍子に長く垂らした艶やかな黒髪が揺れる。繊細な柳眉。切れ長の黒目が印象的な正統派の美女である。


「また、ロビンにやられた?」


エルザが、面倒くさそうに問う。図星――のアンは沈黙するしかない。

エルザは一つ溜息をつくと、宥めるような声音で続けた。


「殊に演習ではロビンにからまない。そういつもアドバイスしているはずだけど? 誰も太刀打ちできないよ、あれには」

「実力は……認める。けど、ものには言い方ってもんがあるってこと!」

「そんなこと言ったって、それがロビンの性格なんだから。本人が直す気がさらさらないんだから、矯正は難しいでしょうよ……」


アンの直情的すぎる性格を直すのが難しいように。という言葉は内心に留めておく。少し間を置いて、エルザは続ける。


「ロビンとさえ比較しなければ、演習の成績だって、アンのオールBなら余裕で及第点でしょう?」


アンは納得がいかない。


「どっかで突出して才能見せるか、オールAとらなきゃ、選抜者に選ばれる可能性は限りなく薄い。選抜されなきゃ、ここに来た意味がない。それは自明のことだろ?」




「でも、残念ながら実力がないんでしょ?」


その言葉はふいに背後からかかった。声音は柔らか、内容は辛辣な男性の声。その声を聞いた途端、エルザはあからさまに渋面を作り、アンはにわかに殺気立つ。


「オ リ バー。てめぇ何しにきた?」

「傷心らしいかわいいお嬢さんをなぐさめに」


しゃあしゃあさらりと言ってのけたオリバー。年齢は二十代半ば。金髪碧眼、文句のつけようがないほど整った顔。長身の均整の取れた体つき。黙っていれば作り物めいた美貌の持ち主である。


が。いったん口を開けば口説き文句しか出てこないただの阿呆……とはエリア10内のもっぱらの評である。明らかに悪い意味で、養成所では名が通っている男だ。


「だまれ、バカ」


アンは、〝無視しとけ〟というエルザの無言の視線を素直に受け入れて大人しくしていられる性質では到底ない。


「ちなみにオレの〝操作〟の成績はAだよ。うらやましい?」

「聞いてねえよ、バーーーーーカ」


怒りの矛先をどこに向ければよいのかわからなくなったアンは、オリバーの横にいた男に声をかけた。


「……お前はどうなんだよ、ノベ」


不意をつかれて、横に佇んでいたノベは無言で肩をすくめる。


鍛え上げられた長身、刈り上げられた黒髪に頬骨の張った精悍な顔。無駄なことは一切口にしないので、周囲には寡黙な印象を与える青年である。十九歳という実年齢からするとはなはだ重厚すぎる雰囲気の持ち主である彼が、性格の180度違うオリバーと行動を共にすることが多いのは養成所の七不思議に数えられる。


少し沈黙して。


「……D、だ」


周囲はフォローのしようのない事態に、重い沈黙に包まれた。期末の総合評価で1つでも取ると即落第の最低評価を聞かされて、アンの怒りゲージが減っていくのが衆目にも明らかだった。


「……お前来年ここにいられんの?」


ノベは黙って俯いた。表情は平静だが、自身が一番危惧し、恥じ入っている事実をつかれたのが相当応えているらしい。


「口答えくらいしろよ!! 暗すぎる!」


アンは顔を覆って天を仰いだ。




***




帝国には〝ランク〟という明確な身分制度が存在する。エリートはエリートの家系からしか生まれないという封建的なシステムが根底に存在するのだ。


唯一の例外。それが、帝国軍属の兵士になることだった。兵士の徴兵試験は身分は一切関係ない。そして昇進の指標は個人の実力とされていた。下層民の最たる成功。それが帝国兵士最高の栄誉〝英雄〟の称号を授与されることだった。この位に上り詰められれば、その暮らし向きは帝国の政府要人と肩を並べるほど。受ける賞賛はその比ではない。


そういう事情を背景として、帝国兵士養成所には常に訓練生が溢れるほどいた。


中でも、花型と目されるヒュージファイターのパイロットの養成所、エリア10には才の際立ったものが多く在籍していた。

年齢はもちろん、出自も皆様々である。帝都近辺では身分によって居住区までもが分かたれる確固とした身分制度を敷く帝国において、普通に生活していれば一生相見えることがないであろう人間たちがここに集う。


エリア10ではヒュージファイターを扱う能力、それだけがその人間の価値を決めた。

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