第25話 残されたもの
タカノリは、目を閉じていた。
集中治療室から出され、一般病棟の個室に寝かされている彼に、オリバーは語りかけた。
「なあ、お前の兄ちゃんは、お前のことが大好きだったぜ」
意識が回復しないまま、一ヶ月半が経っているが、人工的に栄養が注入されており、外傷自体は癒えてきているため、顔だけを見ればただ寝ているように見えた。
その、気苦労など一つも知らないかのような安穏とした寝顔に、思わず頬を叩いて起こしたくなる。
「だったら人に託さずに、自分で全うしろって、な」
奇襲隊の帰還と共に、精鋭兵長の訃報が選抜兵であるオリバーには耳に入っていた。
今になってみれば、タカシはこの任務達成が難しいことを察知して、あらかじめそう振る舞うことを決めていたのかもしれないなと感じる。
「お前もひねくれてないで、直接本人に『好きなの? 嫌いなの?』って問いつめればよかった話じゃねえか」
オリバーは手で顔を覆った。
「ほんと、バカな兄弟……」
***
「何か、用ですか?」
明らかに不敬な態度だったが、咎め立てはなかった。
精鋭兵長に与えられた政務室。そこに、オリバーは一人呼び出されていた。
理由はいくらでも思い浮かぶ、というか多すぎて思い返せない。
「ああ、悪いな。完全な私用だ」
警戒心を露にしているオリバーにタカシは手を軽く挙げて、まず謝った。“公”のときとは様子の違うフランクさに、オリバーはあっけにとられ、惚ける。
「私用って……何?」
つられて思わず敬語も忘れて問う。
「……」
タカシは言い辛そうに、しばらく沈黙した。口をやや開けて、どのように伝えるべきか逡巡している。その隙だらけの様子にオリバーは改めて絶句した。
「兵長、何か変なものでも食べました? それか……向心剤でもやってるんですか?」
何事も即断、切り捨て御免、一切の心情を表に出さない兵長の、平常とあまりにかけ離れた不気味な態度に、オリバーは顔を引きつらせながら問う。
そうまで言われて、タカシはややむっとしながら意を決したように口を開いた。
「頼みがあるんだ」
「?」
「弟のことだ」
「……弟って、タカノリですよね? で、何を?」
「あいつは、帝国では生きるに向かない。柔軟な思考・本質を見抜く力。それを空気を読まずにそのままアウトプットしてしまう愚直さ。あいつの性質すべてが帝国向きでない。が、適当さと世渡り上手さを兼ね備えたお前の側なら少なくとも居場所を失うことはないかと思ってる」
「見事に褒めてないですね。で、要はあなたの弟とお友達になってくれってことですか?」
「“お友達になってくれ”か。改めて言われると鳥肌が立ちそうな文句だな。……ってバカ、もうすぐ成人を迎える弟だぞ。そんなことわざわざ頼むか」
いや、兄馬鹿高じて頼みそうな流れだぞとオリバーは内心茶々をいれる。
「お前のことを見込んで、というのは間違いない。お前といる時、タカノリはおそらく一番自然体でいられるんだろうと思う。それに。弟をノベではなくタカノリと呼ぶのはお前だけだからな」
「兵長、お察しの通りオレはあいつに情をかけてるし、あいつが針のむしろに座ってるときに放っといたりはしませんけどね……」
本意を探るように言い淀むと、タカシは口角だけを上げて微笑んだ。
「そうだな。だからお前に頼む。あいつの目が覚めたら、帝国抜けしてほしい」
オリバーは目の前の白く秀麗な面差しの青年を穴のあくほど見つめ、
「……はあ?」
思いっきり無礼な、問い返しをした。
「帝国抜けって何ですか? 第一級犯罪の臭いがしますけど、やばくないですか? それ」
「やばいよ」
しれっと言う。
「うちのオヤジはな、自分が機化種であると同時に、機化種を見分けられる人間、らしい。それによれば、タカノリは非常に特殊な能力を持つ。しかもそれはあのレジと同等の能力だ。帝国はまだそれに気付いていないし、利用価値も見いだしていない。けど、機化種の研究は日々刻々進歩している。あいつをそのままにしておいたら、いずれその存在を帝国に利用される日が来る」
タカシは顔を顰めた。
「それが俺には耐えられない」
「兵長が、側置いて守ればいいじゃないですか」
その真っ当な指摘を受けて、タカシは見過ごすほどほんの僅かに侘しげな表情を作った。 一瞬後にはその表情はたち消え、真意の読み取り辛いポーカーフェイスに戻る。
「無理だって。精鋭兵長の立場ってものがある俺には、あいつより優先しなきゃいけないことが五万とあるんだ」
試すように、オリバーの目をしかと見据える。
「帝国抜け、あんたにならできるだろ?」
「なーにを根拠に」
オリバーは冗談めかしていいながら、相手の腹を探る。どこまで、何を知っているのか。
「勘だ」
「そうですか」
「馬鹿にできないぞ、勘は」
「理詰めすべてのあなたに一番似合わない言葉です。ファンが幻滅します。やめましょう」
「表向きは理詰めでいなければいけないからこそ、いけるところは本心でいきたいんだ」
本気とも、冗談ともつかない発言。
簡単に回答を出せる問題ではない。言葉を絶ったオリバーを見つめながら、タカシは少し話を逸らす。
「あいつが生まれたとき、俺は十歳で、七歳の時から入っていた養成所を三日だけ抜けることができた。母親には三年ぶりに会った。父親もいて、そして、生まれたばかりの赤ん坊が、俺の指を握った。あの時、あの瞬間だけ、あいつのお陰で俺たちは家族だったんだ。
俺に家族の時間をくれた弟は、それ以来ほとんど会ったことがない。だからこそ、俺にとってのタカノリはあの小さな手の赤ん坊のままなんだよ。いつまでたっても庇護しなきゃならない、可愛くて愛おしい存在だ」
タカシは、その存在を思い返すように、椅子の肘掛けを撫でる。
「タカノリがくれたものはそれだけじゃない。あいつは俺の矛盾を解決し、生き方を示してくれた。
『人は、一人で生を全うするもの』。そう養成所で言い含められていたけど。生身の人間とつき合えば、俺が人に頼ることも、他人が俺に甘えることも。貸し借りなくただ与えられ続けることも。与え続けることも、ある。一人じゃないだろ、全然。その差異が不思議でならなかった。俺が異端で、間違っているんじゃないかって思っていた。
けど、赤ん坊のあいつに指を掴まれた途端。やっぱり養成所のくそ爺婆どもが何を言おうが、俺が人である以上、人と深く関わって生きていくのがふつうだって、すっと腑に落ちたんだ」
過去を思い出すように、宙を見ていた視線が、オリバーに向けられる。平生、人のすべてを見通しえぐり出すような鋭い目は、今、人のすべてを受け入れるような包容力に満ちている。
「表面的には精鋭兵たちはそれを奪われた人間だが、そんなことしたって一声かければ、一緒に飯食って冗談の一つでも言い合えば、いくらでも心の繋がりはできるもんだ。俺は精鋭兵長になってからそこすごい大事にしてきた、わけ。
実際、俺が兵長になってから、精鋭兵の矯正施設行きがパタッとなくなった。なんだよ、やっぱり人間互いに関わってこそじゃねえかよ、と実感した俺は少なくとも目の前の人間には最大限のことをしてやろうって思って兵長を勤めてきた」
任務においては情け容赦ない精鋭兵が、なぜ日常においてあんなにも穏やかに和気相合いと過ごしていられるのか。オリバーは思い当たった気がした。彼らも人間であり、その精神を支える人間が存在したということだ。
「けど、俺自身の存在に苦しめられている小さな弟にはなにもしてやれなかった……」
そこで、タカシは目を伏せた。
オリバーは兄弟の噛み合わせの悪さに、ため息をついた。
一言。お互いに一言交わすだけで良かったのに。
兄は近くにいるものへの情を優先せざるを得ない状況下で、弟から距離を置くことになり、弟は自分の中だけでコンプレックスを練り上げ、その遠因となる兄を遠ざけた。
だが、それは今自分が指摘しても詮無きことだった。だから、内心と紡ぐ言葉は必ずしも一致しない。
「大丈夫ですよ。あいつはあなたの庇護なんて必要ないほどに聡明です……」
言いかけて、ふと彼を暴走の事実を思い出し、否定する。
「あーいや、バカかもしれませんね。確かに」
「ああ、バカだろ。バカなんだよ。自分の勝手な論に固執して、しかも頑。自覚なし。そこだけオヤジと一緒なんだよ。だからお兄ちゃん心配なんだよ」
タカシとオリバーは笑い合った。
「離脱の件は約束はしません。俺にはそれに見合った力も、才覚もない。けど、あいつが潰れそうな時、側にいてやることはできる」
それは、虚勢も偽りも一切絶った、相手の意思を最低限のみ汲んだ回答だった。しかしだからこそ真摯で信のおける真っすぐな言葉だった。
タカシは、薄い唇をすっと横に伸ばし、その鋭い目を和らげた。目元が緩むだけで、その表情は別人のように柔らかくなる。そして、すと立ち上がり、おもむろに腰を折った。
それは、オリバーが思わず背筋を伸ばすほど、美しい礼だった。
「本当に、申し訳ないな」
自然にその穏やかな人格が滲み出る、兵長の姿がそこにあった。
オリバーは顔を顰める。
この素直で和やかな心根を持つ人間が、冷徹非常な兵士にならねばならない理由はどこにあるのだろうか。
「やめてくださいよ、気持ち悪い」
軽口を吐きながら、オリバーはそのあまりの不条理に奥歯を噛み締めた。
***
『以上の状況から、奇襲は失敗と判断しました。投入された機には全機撤収の命を発します。今回の奇襲が失敗した以上、長期戦を強いられることは必須。その上で、ここに機の情報を残し、徒に貴重なパイロットの命を捨てるより、撤退が得策と判断いたしました。今回の判断は私の一存によるものであり、他の者への言及は一切無用』
長男の最後の声だった。録音はそこで途切れる。
「バカな……奴だ」
ノベ上将は、無表情にそれだけ呟いた。
ケプクの奇襲は、こうして帝国側の犠牲二名というまれに見る死者の少ない戦闘となり、帝国側の一方的な撤退・敗戦と相成った。
ケプク郊外の帝国軍キャンプに駐在していた帝国兵士・技師の二百名がカルディアの捕虜となり、
翌日未明、カルディアからの公式な宣戦布告が帝国へと電信で発せられた。
これより、帝国とカルディアは表立っての交戦状態に入る。
再び、大陸は戦争の時代を迎えた。
虚国の戦士 三川由 @mikawa-yu
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