第7話 精鋭兵共同特殊プログラム(3)

控え室は波を打ったように沈黙が支配していた。第一試合が開始して、五分と経っていない。


誰もが、モニター上で起こった出来事を理解するまでに時間がかかった。唾を飲み込む音が幾度となく聞こえる。


画面には粉砕されたヒュージファイターが煙を上げて横たわっていた。無惨、としかいいようのない態である。それは第一試合目に登場した、選抜兵のマシンだった。


対して、先刻の精鋭兵の動き。あの堅く重い機体が如何にして軽々と宙を舞い、打撃を繰り出すことが出来るのだろうか。ヒュージファイター機乗の経験値には天地の差があるといえ、同じ機体を扱っているとは到底思えない動きだった。

そこには先だっての模範戦闘の時に見せたお遊びじみた態度は一寸も見られない。選抜者たちは精鋭兵が精鋭たらしめる所以を唐突に突きつけられた形になった。


――降参。


無条件で諸手をあげてしまいたくなるほどの衝撃の事実を前に、選抜者たちは明らかに気勢を削がれていた。……誰も口に出さずとも、各々の表情が雄弁にそう語っていた。




『Robin Ruskin』


呼び出しは、そんな空気にお構いなしに続いた。三番手のロビンにスタンバイを呼びかける。ロビンは無表情に立ち上がった。




「楽しみか」


扉を出る直前。横合いからのノベの質問は、唐突だった。ロビンは驚いた。あまりに心の中が見透かされているようで。


そう、ロビンはこの状況を心待ちにしていた。精鋭兵との、その中でも最強と目されるヤンとの戦闘に気負っているわけではない。それによってもたらされる結果にプレッシャーを感じているわけでもない。ただ純粋に、ヒュージファイターに乗り、〝強い者と闘える〟ことが嬉しかった。




ノベの質問にロビンは口角を少し持ち上げただけだった。それで十分伝わったようだ。


「本当に……羨ましいな……」


ノベは眩しいものを見るようにロビンを見つめ、複雑そうに歪んだ笑顔を浮かべた。




***




選抜者たちに与えられたHFは最新型。名前はova。


HF開発は帝国政府の機関が一手に担っているため、従来品には一定の規格がある。跳躍型であれ、スタンダードであれ、操作盤の仕様は一律に定められていた。しかし、ovaはバージョン自体が以前のものと切り替わっている。


この機体の開発者の名を、ロビンは言い当てることができた。こんな従来の考え方を一掃できる発想ができる稀な才能を持つ技師は、そういない。


それでこそ、養成所にテスト合格し、エリア10で一年半を過ごすという回りくどい手段をとった甲斐があったというものだ。帝国に〝奴〟がいること。そして、マシンを介してその断片に触れられたことで、ほんの少し目的に近づけたような気がする。


――だから、もっと〝奴〟に近づくために。この試合に負けるわけにはいかない。


「ライド可能です」


整備士の声。簡易タラップを登り操縦席に着く。

胸の奥がきゅっと締まるような。この感覚は不安ではない。静かな興奮だ。


――来る。


この感覚。ヒュージファイターから逃れられない自分を見つける瞬間。


耳の奥で鼓動を感じた。心臓が規則正しく、大きく伸縮する。血液は速度を速めて血管をくまなく巡りそして、全身に行き渡る。身体がぼうっと熱くなる。それに反比例するように頭はすうっと恐ろしく冴えるのだ。

目は眼前のモニターに注がれるが、実際の視界は厚い装甲を通過して180度ひらけている。ありえないことだ。それが視覚なのかはわからない。しかし、ロビンには本当に〝見えて〟いた。

レバー、ハンドルを握る手は直接武器を握る金属手に、同じくレバーを踏む足は駆動式小タイヤの並ぶ足に感覚が切り替わる……




***




貧民街の闘技場で闘う戦士の中では、この精神状態〝同化〟を取得できることが上位ランキング者のステージに進出する条件と密かに囁かれていた。


大半の戦士は〝この状態〟が分からずに似たような作用を持つ向心薬を打ち試合に臨んだ。少数の〝同化〟感覚がつかめる戦士たちも、あまりに不安定なその状態を、試合毎時に発揮し常に保つことは難かった。

その状態を、ロビンは自身で自在にコントロールする天賦の才を持っていた。だから疑ったことなどなかったのだ。いずれ〝英雄〟になる夢を……。




***




戦闘へ身体が準備されていく。

冴え切った頭脳は指令の中枢となり、手足は瞬時に作動する道具になる。〝同化〟は終了した。


――ああ、やっぱり。これはあいつが作ったHFだ。


切り替え後の感覚が、他のものとは比にならないほど自然なのだ。

最悪の裏切り方をした決して許せない存在。なのに、自分が許せないほど悔しいが、心のどこかでまたこの機に乗れたことを喜ぶ自分がいる。




鉄の扉が開いた。


『Ready』


ロビンは闘場へ一歩、踏み出した。




***




控室は再び静まり返っていた。


しかし、先ほどとは異質の沈黙である。信じられない出来事に変わりはないが、今度のは歓迎されるべきものだった。


選抜者たちは明らかに興奮していた。


訓練中にその抜きんでた操作技術を目の当たりにし、ある程度ロビンをかっていた者ですらも、こんな結末は予想だにしていなかった。


――まさか……ヤンと引き分ける者がいるとは。


開始から三十分。途方もなく長い時間だった。二体の一挙手一投足を、一つ一つの攻防を食い入るように。選抜者たちは呆気にとられ見ていた。




二人の乗っていた機体が搬出される。双方とも、数分前まで正常に動作していたのが嘘のような状態だ。いたるところが打撃により変形し、装甲はめくれ上がり、一部基盤が見えている箇所まである。打撃系の装備のみが許可された今回の戦闘だったので、貫通痕や熱変形こそないものの、マシンとしては致命的な状態だった。お互いにあと一撃クリティカルな攻撃が決まっていれば勝敗は決していたかもしれない。しかし、引き分けの強制終了を告げるアナウンスが流れるまでのラスト十分、その一撃が一度も決まらなかったのが今回の勝負の実力伯仲さを物語っていた。




***




同時刻。遠隔モニターで〝試合〟の一部始終を監視していた本部でも、また動きがあった。




「確実に、真性の機化種だな」


十二分割された巨大なモニターには、闘技場のあらゆる箇所に設置されたカメラから映像が中継されている。そこには撤収にかかったロビンとヤンの機体が映っていた。


その画面を注視していた中央の人物が後ろを振り返った。薄暗い室内。人影が五人見える。


答えたのは張りのある女の声だった。


「ロビンの場合は、試合を行うまでもなかったと思いますが。ヤンの強い希望があったもので形式的に行ったまでです。まさか、ここまで拮抗するとは正直なところ予想しておりませんでしたが……」

「ヤンも最近増長している節があるから、良い薬だろう。それにしても開始十分過ぎのヤンのログ(会話)については心理的弱さが垣間見えるな。もう少し矯正すべきだ」

「はい。カレイマラで少し性根を叩き直してこようかと」


淡々と答える女に、中央の人物は失笑した。


「相当な荒療治だな」

「プラスに作用しても、マイナスに作用しても、結果は帝国への従順となるようにと抜かりなく」

「任せる」


中央の男はまた視線を画面に戻した。第四戦が画面越しに始まろうとしていた。




彼らは何を探していたか。

それは最強のHFパイロットである。


〝機化種〟とは、貧民街の戦士たちや選抜者たちが共有していた体験を得られる者――ヒュージファイター操縦時に自分の感覚を〝切り替え〟られる人間のことである。帝国がその因子を見出したのが三十年前の統一戦争時にノベ・タカユキが見せた卓越したHFの操縦から。際だって優れるノベの働きに着目した帝国は全土統一の翌年、帝国歴三六七に専門の調査研究チームを発足した。


その四年後には脳波測定と血液検査で行える〝機化種〟の選別法を発見。上位階級の住人から十歳までの子どもを対象に全人検査の制度が導入された。際立った数値をその検査で示した者は〝真性機化種〟として選別され、七歳になると〝精鋭兵〟として特殊養成施設へ。ある程度の兆候を示した者は高等教育が終了した時点でエリア10に徴集されるというHFパイロット独自の徴兵制度ができあがった。


幼少時の検査で兆候を示し、長じてからエリア10に召集された者。そして、検査の義務付けられていない下位階級の者で、自ら志願して選別の簡易検査をパスし、エリア10へ入所した者はいずれも機化種に該当するが、その中にも真性が埋まっている可能性があった。その率、百分の三、全機化種のほぼ三十人に一人の割合と、現状の統計には出ている。


「精鋭兵は、同じ〝真性機化種〟の能力を持つ者でないと倒せない」


低い、男の声が室内に響く。

同意するように、四つの首が頷いた。




日が傾く頃には、訓練生と精鋭兵の試合はすべて終了した。

訓練と銘打たれた宝探しは終わった。




その刻、再び本部。

各々が速報のファイルを繰る音が室内に響く。


「二十八分の五。いい数値だな」


中央の席から満足げな声音が上がった。若い男の声が応じた。


「例年の平均が二・三九、最大でも四の抽出だったのに対し、今年はやや多い。もしかすると、真性機化種の実際の出現確率はもう少し高いのかもしれません」

「かといって、その網に洩れた者は一生HFとは無縁の生活を送るものだろう。帝国で抱える機化種の脅威にはなりえないのだから、その点は気にする必要はあるまい」

「その通りです」

「やはりロビンは圧倒的だな。すぐにでも精鋭兵として訓練させるべきだ。そして……」


その場の誰もがそれに続く名前を想像できた。


「タカノリ・ノベ」


皆、一様に頷く。


「正直、簡易検査でも確定的な結果がでないほど兆候が薄いのですが……」


神経質そうな声の男が怪訝そうに発言する。


「ノベ上将の推薦がなければこの訓練にも名を連ねる予定はなかったんだが……しかし、〝切り替え〟の後のこの操作技能の向上は類を見ないほど著しいな」


中央の男も首をひねる。ロビンの試合の後、一度退出している中央の男のために、神経質そうな声の男が、試合の経緯をもう一度レビューした。


「初めの2分は一方的なレジの猛攻、ダウン寸前で〝切り替え〟が起こりました。その後、約二十分持っています。二十一分三十三秒。マシンが最初に受けたダメージが大きく、動作限界に達したため、試合は終了しました」

「つまり、その二十分の間、レジのクリティカルな攻撃は一度も入らなかったということだな」

「その通りです。ロビンのように最初から〝切り替え〟ていれば、あるいは同様に三十分までもったかもしれません」


予定調和とずれた結果の発生に、部屋は一瞬静まる。


「真性の定義は〝切り替え〟を自身のコントロール下に置けることが前提ですが、タカノリの場合はそれを達成していない。しかし、先ほどの戦闘を見る限り切り替え後の戦闘力の向上は真性をも凌ぐほどです。……精鋭の中でも今までに見たことのないタイプと言えます。野放しにしておくよりは精鋭の監視下においておくのが一番適当な方策かと」


初めて聞こえる、一際低い声が提言した。


「お前がそれをいうか」


中央の男は含みのある笑い方をした。


「まあ、悪くない提言だ。しかし、もし〝芽が出ない時〟。お前にタカノリが処分できるか?」

「言うまでもありません」


低い声は即座に断言した。帝国軍人の受け答えとしてはパーフェクト。中央の男は満足そうに頷いた。


「では入れておけ、今回の選抜兵への昇進はこの六名で決定だ」




***




医局に特設された個室。


オリバーが戸を開けるとベッドに横たわるノベは薄く目を開いた。レジとの戦闘からまだ半日と経っていない。外傷は軽症レベルだったが、精鋭兵と二十分以上渡り合った心身の疲労がノベをベッドに縛り付けていた。


「タカノリ……起きてるか?」

「……」


まだまどろみの中にいる気配のノベを覗き込む。


「結果、誰からか聞いたか?」


ノベは目を伏せた。結果をまだ聞いていないこと、そして、その報告に期待していないことがありありと見て取れた。その様子に、オリバーは思わず苦笑する。


「喜べ、本部の呼び出しに名前があったぞ。晴れて選抜兵だ」


ノベは心外そうに目を見開いた。オリバーの方へ、視線で問う。


「ここでウソつくかよ。本当だよ」

「お前は?」 

「オレ? 順当に勝った」


オリバーはしれっと言う。同化を試みたのは久しぶりだったが、衰えてはいなかった。才能のあるものにとって、切り替えは自転車にのるようなものだ。一度感覚をつかんでしまえば、いつ何時でもそれを再現することができるようになる。


「実戦経験にしたって精鋭には負けてないからな」


自分の過去をほのめかすように、嘯く。

ノベの口の堅さを信じているからこその、軽口だ。


「……」


ノベは無言で痛々しい裂傷の走った腕を額においた。先ほどの驚きは陰を潜め、今は沈痛といった面持ちだ。

オリバーは真顔になった。


「喜べよ。お前が心から望んでいた結末だろ?」

「……その通りだ。

だけど、この状況になって気づいたんだよ」


ノベの目が、感傷的に細められる。


「……何に?」

「俺はようやく〝彼ら〟に自分を認めされる術を見つけた。それがどんなに今の中途半端な俺にとって危険なことか、初めて気づいたんだ」


その言い出しで、オリバーはノベの言わんとすることを察した。言いたいことは山ほどあったが、ノベが心中を吐露するまで、沈黙を守ることにした。それは、純粋に。友人としての最大限の気遣いだった。


「お前にはナンセンスだと散々笑われたが…俺は父と兄に存在を認めてもらうために生きてきたといっても過言でない」


認められるために自分を偽って、最大限の努力をして、それでも決して認められることがなかった。この世で一番身近で、一番敬愛する者に否定され続けた過去。それが長年かけて岩をも穿つ水のように。ノベの心底にびっちりと深く根を張るトラウマとなっていた。


「頭で理解してはいるんだ。そんなの本当に馬鹿げていると。彼らの存在など無視すればいい、自分の生きたいように生きればいい。だが、これは半ば刷りこまれたような、条件反射に近い感覚みたいだ。どうしても払拭できない」


言葉は途切れることなく、流れる。


「父と兄への畏怖。そして、認めてほしいと願う抗い難い感情。これが無条件に俺の中にある限り、彼らの信を得るため、そのためだけに俺はあの感覚を必ず欲してしまうだろう。……それが怖い」


容量が目一杯になった水風船が一気に割れるように。ノベは自身の中にあるものを吐き出した。周囲に対する警戒がまるでない。子どもの様だった。


「俺はあの力をオリバーのように自分で操れない。けど、俺はすでにあの感覚を得た時の優越感を知ってしまった。これがどういうことかわかるか?」


オリバーが黙っていられるのは、ここまでだった。友人として、言わねばならない。


「お前は父と兄への畏怖に負けず、十分に自分を保ってきた。決して繰られていた訳じゃない。だからそろそろ忘れろ。お前は自身の力で選抜兵に上り詰めたんだ。どうして自分を信じられない?」

「無理だ」


ノベは吐き捨てるように言った。


「俺に何がある? 俺はロビンやお前のように自分で切り替えをコントロールできないのに。あるのはたまたま偶然に切り替えられた時に得られる絶対的な力だけ。それだけだ」


その頑さに、オリバーは説得の術を失う。


「今の俺は、あの感覚を得るためなら、何でも投げ打ってしまう。絶対だ」


言い捨てて、ノベは一つ大きく息をついた。


「アンが言った言葉を覚えているか? 帝国が必要としているのは〝狂戦士〟だと。言い得ていて妙なんだ」


徐々に、声のトーンは常のノベに戻っていた。心の内を吐き出させることには成功した。だが、確実に現段階での説得は失敗だった。


「俺はその撒き餌に飛びつき、狂戦士になる道を……自ら選んでしまうだろう」


ノベは決まりきったことのように述べた。

今のままではその日が遠からず必ず来るだろう。オリバーは友人の独白を直接耳にしたことで、暗澹とした気持ちでそう確信した。

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