第4話 初任務(2)
五人は2400に夕刻からの監視役と任務を交代した。
詰め所に通信が入ったのは0343。灰皿が吸い殻で埋まり、徹夜の少し気だるい空気が漂う頃だった。同時に高らかに非常を知らせるサイレンの音が鳴り響く。
「第三号棟より脱走者在り。三号棟脇の第二格納庫に侵入後、跳躍型HFを奪取し所内を逃走中。現在格納庫よりビル壁面伝いに正門方向へ向かう」
監視所の無線機が無味乾燥に状況を知らせた。
「いくぞ」
テオは、突然の事態に呆然と佇む訓練生を促した。
監視室の前のルーフがついた格納庫に、八体のヒュージファイターが待機している。格納庫には壁面も扉もないので、操縦者が乗り込み起動すればすぐに出動できるよう万全の体制で整えられていた。
コックピットへのタラップを上がりながら、
――やはり、あり得ない。
ロビンは内心思った。
脱走? こんなに真正面からど派手にヒュージファイターで飛び出す馬鹿がどこにいる? 他の四人も一様に同じことを思っているはずだ。
が。
帝国兵士としてごく真っ当な考え方をするならば。そんな疑問は問題ではない。ロビンは首を振り、頭を切り替える。
――いま重要なのは、目の前の任務を遂行することだ。
ロビンはヒュージファイターに乗り込んだ。エンジンを起動し、メーターを確かめる。エネルギーも、弾丸もフルに充填済み。起動音も異常なし。オールグリーン。
無線のスイッチをオンにする。テオの言いつけを訓練生たちがきちんと果たしたことがわかる。無線開通を示すランプに8つ目の明かりが灯った。〝実戦〟は久しぶりだ。操縦桿を握ると、粟立つような高揚感が全身を巡った。
「テオ、指示を」
プログラム120の時の習慣からか、口火を切って班長のエルザから全員に回線が入る。
「跳躍型HFの行動スキルは頭に入っているな?」
「YES」
養成所で旧式から最新式まで、叩き込まれている。
「目標は現在も正門へ進路をとっている。広場で挟み撃ちにする。アンとロビンは三号棟方向に向かい、目標を補足して足止めしつつ追尾。エルザ他三名は正門前の広場を固めろ」
「イエス、サー」
「俺と、イとムルティは必要時に双方のバックアップに入る、展開」
テオの簡潔な指示を受けて、五人はそれぞれの向かうべき方向へ展開した。
***
アンとロビンは無線に入る逃亡者の位置を頼りに、三号棟方面に向かった。
本部ビルから四時方向に突き出す棟が、三号棟だ。正門の監視室周りにはいくつか倉庫群と兵士の居住区画が並ぶが、それを抜けると割合に広い練兵場があり、視界が開ける。
練兵場の対角線。三号棟に隣接する倉庫脇の外壁伝いに、金属音を発して蠢くものがあった。二機が機首についたライトを向けると、黒い、曲線の滑らかな装甲が鈍い光を放ちながら暗闇に浮かんだ。
見た目は跳躍型HF。だが、見たことのないバージョンだった。
跳躍型のヒュージファイターは二メートルほどの跳躍能力を持つ。軽量化を目指し、小回りの効きを最優先しているので攻守に重装備はできないが、腕部・脚部が長めに作られているため人間に一番近い動きが可能な機体といわれている。
脚部キャタピラ型などとは全く異なり、動作に幅があるので動きが読み辛く、応戦が難しい。しかし機体が軽く、動作もかなり無理が効くため、それが裏目に出て安定性には欠く。そのため横転などの事態が起こりやすい機種でもある。跳躍型のヒュージファイターを操縦するためには熟練した操作技術が必要だった。
「よりによって、跳躍型? 馬鹿?」
アンが辛辣に批判した。回線はロビンにだけ、通じている。
実戦経験があればあるほど、忌避される機体だ。市街戦や偵察ならばともかく、打撃に弱い機体は逃亡にはおよそそぐわない。
――選ぶ選択肢がなかったのか。全くの素人なのか。
だが、その疑問は思わぬ形ですぐに晴れた。
黒い光が、迷いなく二機に向かって突進する。地面を滑るような、恐ろしく滑らかな動きだ。たっぷり五十メートルはあろうかという距離を、あっという間に間合いを詰められた。
二機は左右に一旦退き、黒い機体を挟み撃ちにする。
「相当操作慣れしてる……。アン、焦っても機銃掃射はするなよ」
アンの機体にはデフォルトでマシンガンが装備されているが。原則使用は禁止だった。施設内での二次被害は起こしてはならない。
「わかってる」
ロビンの声に緊張したアンの声が返った。
その一瞬後、アンのモスグリーンの機体に黒い影が躍りかかった。右手には標準装備の打撃用ステッキ。超接近戦では銃よりも有効な武器だ。長さは三メートル弱。合金製で、急所を直撃すれば一度で相手を沈黙させるほどの威力を持つ。
アンはガードする間もなくその左腕部に一撃を受けた。瞬く間の出来事だ。
さらに三打、繰り出す。二打、三打目にはアンの機体が明らかに変形しているのが見て取れた。
アンのヒュージファイターは火花と黒煙を巻き上げ、その場に崩れ落ちた。
ロビンが駆け寄る隙さえなかった。
――先ほど退いた一歩。その一歩の操作でこいつは俺とアンの実力を判断した。
倒しやすいほうから懸かる。それは接近戦の定石だ。
だから、はっきりと分かる。
――こいつ、強い。
しかも訓練で培ったものでは到底ない動き。実戦で積んだ経験値で反射的に行動しているとしか思えないアクションだった。
アンの機体が横転するのを尻目に、黒い鉄が瞬時に態勢を立て直す。が、しかし。逃亡者はロビンには襲いかからなかった。そのまま右手を差し、足を進める。
舌打ち。
「ナンバー5より。三号棟前練兵場にて敵機発見。倉庫B―Gの通路から正門方向へ逃走中。4はすでに戦闘不能。応援を」
一気に言って、ロビンは逃亡者のヒュージファイターを追った。
「ラジャ、123向かえ」
ロビンからの通信を受けて、テオから返信が入る。指令を受けた三人から、『応』と短く答えが返る。
「ロビン。皆と合流するまでは追尾のみだ。戦闘は極力控えろ」
テオからロビンだけに通信が入る。
「イエス、サー」
応えると、意図を問う間もなく、回線はテオの側から切れた。
***
正門前広場から三号棟に向かう通路の口で逃亡者を初めに捕捉したのは、先頭を切って向かったオリバーだった。
「へぇ、全身黒とは死神みたいだな」
オリバーの声が入った。口調はいつも通りだが、その声は微かに揺れている。
後ろから追ってきたロビンに押し出される形で、逃亡者のヒュージファイターは通路から広場へ吐き出される。
「こちとら警備だもんで、ど派手な真っ赤っか……」
オリバーの声が途絶えた。黒い機体が突如として打ちかかったのだ。しかし真正面からの攻撃だったため、辛うじて厚い装甲が張られた左腕下部でガードする。
「へぇ、……挨拶もなし?」
安定した操縦技能には定評があるオリバーだ。ガードしつつ、しっかりと相手の次の手を塞ぐように右腕を掴み込んだ。
膠着は一瞬だった。
自由を失ったと思われた右手が肘関節の部分から落とされる。下腕部は装備のステッキごと音を立てて地に落ち、肘の付け根にはマキシムブローニングが顔を出した。
「そんなオプションありえねぇって…」
体重をかけていた支点を失って、バランスを崩すオリバーの機体と、とどめとばかりに右腕の銃口を向けて一歩踏み込む逃亡者。
ガキッ
衝撃音と共にその二者間にヒュージファイターを滑り込ませたのは、ノベだった。
ごくわずかな間隙。自らもバランスを崩しかねない危うい位置に、しかしかなり巧みに割り入った。左腕を突き出して銃口の位置を逸らし、自らの右手のステッキの先端を内股から相手の右足に掛ける。相手の左ひざを支点にして、梃子のようにステッキを前方へ押しやった。
逃亡者のヒュージファイターは、足元を掬われた形で後方に倒れた。
普段の演習では、皆より一つ操作技能が劣っているノベだ。この動きに、その場にいた同班の三人は目を剥いた。
ノベはステッキを素早く相手の足元から抜き、倒れ込んだヒュージファイターの脚部の付け根を固定した。明らかに相手の身動きが取れないことは、衆目に確かだった。
ノベは左手のHF用アサルトライフルを胴部の操縦席に容赦なく突きつけた。
「ノベ、ストップ」
エルザから回線が入った。
ノベは聞こえているのかいないのか、全く躊躇するそぶりも見せず、ライフルの引き金に手をかけた。普段の温厚な彼を知る者が見れば、背筋が寒くなるのを禁じえないような変貌ぶりだ。
「ノベ、聞こえているか?」
エルザが声を荒げる。
超至近距離から、銃口は確実に相手の操縦席に向いている。この距離でこの口径なら、確実に貫通し、操縦者の命を奪うだろう。
ノベはなお無言だった。
ガッ
エルザが前進し、自分のヒュージファイターをノベの機体に接触させた。ふと、今目覚めたとでもいうように突然ノベから回線が入る。
「命令は、射殺、だろう?」
口調は落ち着いていた。
「敵の自由を確実に奪っている。捕縛可能なら、そうしないか」
エルザの提言に、ノベは反論しない。
***
「どうした」
そこにテオの機体が近づいて来た。
「ノベ、撃て」
『飯を食え』とでも言うような、いとも軽い口調だった。
「捕縛、しましたが」
エルザが堅い口調で返す。
「逃亡者は、射殺だと言ったはずだ。エルザ・アルジャン。お前がやれ」
テオは、血の凍るような声音を発した。
「……」
目の前に横たわる黒い鋼を前に、エルザは明らかに躊躇していた。
ガシッと音がして、黒の機体が跳ねた。組み伏せられたあの体勢から、この動作ができるとは誰も予想だにしない。
機体を抑え込んでいたノベのヒュージファイターが反動で反り返る。次の瞬間には、逃亡者は立位を保ち、警備兵たちに正面から対峙した。
一瞬、その場にいる者は何が起きたのかわからなかった。ただ、空気が震え、目の前の黒い機体が大きく揺らいだような、そんな印象を受けた。
「……マジか」
オリバーが後ずさりするような素振りで絶句する。
「俺がやる」
ロビンが沈黙を破るように、一歩前へ出た。
「一人で、十分だ」
テオが物言いたげに回線をオンにしたが、結局何も言わずに切った。
ロビンの発言を是、としたということだろう。ロビンはヒュージファイターの厚い装甲を通して、黒い機体を正面から見据える。相手が、ゆっくりとロビンに向き直った。
ぐっと全身が震えた。
――久しぶりだ。この感覚。
だが、昔のような胸躍る感覚は欠片もない。ロビンは何かを堪えるように血の出るほど唇を噛み、口角を引き結んだ。目的を達成するために。乗り越えなければいけないものの大きさに目眩を覚えながら。
――犠牲者か。今、楽にしてやる。
***
「ロビン」
左に寝ているエルザから声がかかった。
白い壁面の医務室。簡易ベッドに五人は並んで寝ていた。
五人とも容体は軽傷。ヒュージファイターが大破したアンでさえ、最も重い負傷は左足首の関節骨折。他は擦り傷程度だった。僥倖という他ないが。
そのアンは鎮痛剤と鎮静剤を投与され、エルザの向こうで寝息を立てている。
「初めてじゃなかったのか?」
その問いに、ロビンは白い天井を見つめながら返した。
「ヒュージファイター同士の戦いは……初めてじゃない」
「どうりで」
エルザは得心がいったようだった。
ロビンにとっては操縦室もどきの演習より、ヒュージファイターに実際に機乗する方が百倍も楽だった。なんせ、生まれた土地では自分の手足を動かすよりも多くの時間をヒュージファイターに乗って過ごしてきたのだから。
「けど……ヒュージファイターで人を殺したのは初めてだ」
エルザは沈黙した。感情を押し殺したような声音からはロビンの真意が汲み取れなかったから、何と声をかけていいか分からなかった。
目をつむると、聞こえる。
『今、楽にしてやる』
確かにロビンの声音。エルザはほんのわずかに、眉をひそめた。
あの声を拾ったのは、私の無線だけなんだろうか……。
看護師が点滴の液を取り換えに訪れた。
ゆっくりと緩慢に。眠りが身体を支配する。
***
七日目の夕刻に、五人は養成所へ戻った。スケジュールでは後ろ三日の休暇が与えられることになっている。プログラム120は残すところ二戦。それを終えればと三カ月に渡ったプログラムが終了する。
目的も知らされず、ただ命令のままに動かされる。個人の意思などは存在しないかのような扱い。しかし一兵卒になるというのは、そういうことなのだ。ただ組織の駒として自分のやるべきことを果たすだけ。
――目的のために。今は、それを一番に意識しなければならない。
ロビンは自分に言い聞かせる。
あの夜、カレンツ刑務所の外壁の外に。
決して〝実験体〟を逃がさないよう一個小隊の包囲網が敷かれていたことは、訓練生には知らされていない。
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