第15話 北方任務(2)

早朝の野外練兵場。50メートル先に、黒と白の同心円の的が据えられている。


有効射程角度にHFを進め、照準を合わせてグリップを握る。手にするのは EPSR-25。単発のライフルだ。

引き金を引くと、間をおかず的に弾が貫通した。的の中央にほど近い、中心の黒円内に命中している。中央の黒円には、すでに幾発かの銃弾が突き抜けた跡が残っていた。

今一度体制を立て直し、再度引き金を引き絞る。弾は強い磁力にでも引かれるかのように、円の中心に吸い込まれた。


ようやく、自分の手足になってきた。そう実感して、少しばかりの満足感と共にロブは1と横腹に記されたHFのタラップを降りた。




「HFの操作は一級品だな」


地面に降り立つと同時に、声がかかった。

珍しくロビンの表情に驚きの色が浮かんだのは、その声の主がデンガールだったからだ。カルディアの実質的リーダーにいきなり声をかけられ、さしものロブも少々の狼狽を見せた。

早朝。辺りには帝国兵はおろか、カルディアの人間の姿もない。


「ロビンといったな? お前の講義は酷すぎると方々から抗議がでてるぞ」


意表を突かれた形で言葉の出ないロビンに、皮肉交じりの冗談を投げかける。


「……それは単なる人選ミスだ」


およそ愛想のない対応だったが、デンガールは気にする素振りもなく笑った。


「その通りだな」


ロビンはデンガールのその言葉には答えずに、自らに与えられたヒュージファイターを振り仰いだ。

ロビンに釣られるように、デンガールも上に視線を向ける。ロビンよりも優に頭一つ抜きんでているため、整えられた口髭の生える形の良い顎が見えた。


「お前は、この機械で何を為す?」


不意に、デンガールがロビンに問う。


「?」

「HFに乗る理由はなんだ、と聞いている。上流階級の出身ではないのだろう? 自ら志願して、養成所に入ったはずだ」


帝国の一兵士の内情を、どこまで知ってるんだ。と背筋に薄ら寒さを感じながら。


「それを、あんたが知ってどうする?」


淡々とした口調で聞き返す。


「興味本位、さ。選択肢のある生き方が、うらやましいだけだ」


デンガールは一瞬、自嘲のような表情を浮かべて短く息を吐く。


「オレは生まれた時から、ブレスタンを背負うことが定められているからな。それに対して、オレがどう思おうと、そんなことは誰も興味を持たない。首長の息子であること。その一点がオレの存在価値だ」


そう語る表情は、動かない。


「守るべき者、敵対すべき者。すべて定めのままに」


なぜ、初対面の帝国兵である自分に、デンガールがこのような話をするのか。ロビンは慎重に、言葉を選ぶ。


「英雄に憧れている。それだけじゃ答えとして不足か?」


帝国兵の頂点を目指す帝国の少年。その型通りの答えを返した。


「では、実際に帝国軍に籍をおいて、その夢は夢のまま存在しているか?」


鋭い問いだった。帝国兵として実際に活動を始めると。その地位に憧れを抱いていた純粋な少年少女も兵士としての〝現実〟を突き付けられる。そこには大なり小なり、憧れと現実とのギャップが存在する。そこをぼやかしてあくまでとぼけるか否か。ロビンは一瞬言葉に詰まった。


「聞いている通りだ。バカ正直だな」


デンガールは声を立てて笑う。


「……それで、お前の〝道〟は決まったのか?」


謎掛けのような問いだった。


――こちらの状況は、すべて筒抜けか。


ロビンは、観念したかのように諸手を上げる。


「俺の〝憧れ〟は目的へのただの踏み台にしか過ぎないし、それが果たされた所で本当の目的が達成されるかも今となっては怪しい。現状は完全にどん詰まりだ。けどな、むざむざと目の前に垂らされたロープに飛びつくほど、簡単に過去の清算はできないんだよ」


自分の力で打破できない現状と苛立ちを、包み隠さずに伝えた。


「そうだな。俺にはお前を説得する打ち手は実際のところ、ない」


デンガールにも一切の虚勢はなかった。


「お前はいわば被害者だ」


デンガールの発言に、ロビンは怪訝そうに相手を見つめる。


「お前の意思とは全く無関係のところで、様々な人間が様々な思惑を持ち、自分の意思を全うしようとした結果を。お前はすべて引っ被っているんだから」


ロビンは警戒を解かず、注意深く様子を窺う。


「だが、被害者面してる奴ってのは得てしてどういう奴かわかるか?

――何も考えない。自分は何もしない。そのくせ、文句だけは人一倍だ。最低だろ?」

「最低だな」


感情を込めずに、同調だけした。自分の思惑が外れて、デンガールはほんの少し無念そうにする。


「……自分が一泡吹かせたい相手が誰なのか、見極めることだ」


そういうと、遠くへと目を遣った。


「一つ、聞いていいか?」


ロビンはデンガールの端正な横顔を見つめ、尋ねた。


「『生まれたときから自由がない』といったな? けれど、あんた程の人間なら、いくらでもその束縛から脱する術があるはずだ。己の意思をあえて封じ、カルディアの民の意思のままにに行動しているのはなぜだ?」


一瞬間をおいて。

デンガールは悪戯っぽい笑みを見せた。


「ブレスタンを愛しているからだ」


冗談めかしてはいるが、それが心の底からの言葉であることは手に取るように分かった。

ロビンは、一瞬。胸に刺さるものを感じた。

自分の行動は、一体誰が為なのか。『愛していた』者は、とうにない。失った大切な者たちは、いったい今、何を望んでいるというのか。


「俺は、どうすればいい……」


デンガールの前であることも忘れ、ロビンは素に戻って自問自答した。

デンガールは強い光を湛える瞳を、ロビンに向ける。


「俺の意思は決まっている。すべての行動の契機は、この地の安寧を崩す者――それに対して一切の容赦はしない。その一点だ」


その目がくらむほど強い意志から逃れるように。ロビンは地面を蹴ると、機体の凹凸をうまく伝って操縦席に乗り込んだ。

デンガールの声がその背を追った。


「オレの意思は決して変わらない。お前がそれを諾とする時。その時を待っている」




***




「明日、一対一の勝負ができないか?」


デンガールが再び声をかけてきたのは、HF整備用にスペースを設けられた格納庫の一角だった。

その日は翌日にロビンたち帝国兵のカルディア逗留最終日を控えていた。


カリキュラムは正午までにすべて終了し、任務を終えたロビン等三名、技師のサーニン等は明日丸一日カルディアで最初で最後の非番を与えられていた。




周囲では選抜兵の面々、帝国から派遣されている技師で唯一の若手のサーニン、キャンプ駐在の帝国兵やカルディア人の青年たちが入り混じって、基本は流暢だが時折不自由になる帝国語で他愛ないやり取りを交わしながらメンテナンスに精を出している。


「デンガール、本気か?」


デンガールの声は良く通る。すぐに聞きつけて、右隣の機をクリスといじり回していたカルディアの青年が声をかけてきた。


「本気じゃなきゃ口に出さないだろ、この男は」


クリスがなめらかなカルディア語で返した。

派遣された帝国兵たちとカルディアの青年たちは、生まれた地域が異なり、境遇もことなり、思想も相反するとはいえ、同年代の若者同士である。同じ時間を共有すれば打ち解けるのにそれほど時間はかからなかった。


「面白そうじゃないか。やれよ、ロビン」


クリスが煽った。同時に、いつの間にかできていた周囲の人垣もざわめく。


「見たいな」


興味本意に、一様に勝負を期待している。


デンガールが健闘する/油断させて本領を発揮し、勝利を奪う/ロビンが一蹴する/苦戦をしいられる/長時間戦闘し、勝負はつかない…


カルディア人はデンガールの実力を疑わない傾向にあったが、経験差も鑑みてベースはロビン七のデンガール三で一通り下馬評が出揃った。

そして、皆の視線が自然にロビンに集まる。

その場の誰もがロビンの一言を待っていた。


「やるよ」


その言葉は、躊躇なく飛び出した。


――デンガールと一騎打ちができる。


ロビンにとっても願ってもない事だった。


「断る理由はないからな」


ロビンのダメ押しの一声に、その場が一気に沸いた。

デンガールは腕組みして不敵に笑う。


「明朝0530に練兵場だ」

「OK」


ロブはそう応えてから、興奮で軽く身震いした。


「えー」


ふいに人垣の背後から、声が上がった。


「HF使って勝手に戦っていいわけ? 完全に私闘じゃない」


遅ればせながら顔を出したシルビアが、割り込む。


「ここにきて水差すなって、お姉ちゃん。やっちゃったもん勝ちだよ」


そう言って軽く睨みつけるキャンプ駐在の帝国兵士に対し、シルビアは負けじと食ってかかる。


「バレたらだーれが処分されると思ってんの。選抜兵の連帯責任とか言われちゃたまったもんじゃないわよ。こんだけ人数がいて本部に情報が抜けないなんて能天気な考えはできないわよ」

「いや、本部は認めるよ」


横合いからクリスが口をはさんだ。あまりの断言っぷりに、続けざまに帝国兵に何か言おうとしていたシルビアは口を開いたままクリスの方を向いた。


「公認するか。もしくは見て見ぬふりをするか。いずれにせよ咎めはないだろう」

「なんでよ」

「カルディア兵の実力を見る、絶好の機会だから」


カルディア兵の実情については、様々な憶測や噂が飛び交うものの、表立っての交戦というチャンスがない現在、実際の力を目の当たりにできる機会はなかった。


「じゃあ何で本部からの通達で測定しないのよ」

「設定したところでカルディア人が本気で戦うと思うか?」

「……戦わない」


シルビアが肩を竦めた。


「クリス。それ、目の前で言われて明日デンガールが本気で戦うか?」


周囲の帝国兵・カルディア人双方からブーイングが起こった。


「俺としてはデンガールが手を抜こうが本気でやろうがどちらでも構わないが……」


クリスはデンガールに向き直る。


「隠し立てする様なことがあったらまずロビンに戦闘の申し出てなどしないだろう、デンガール?」


デンガールはその問いには何も答えなかった。囲みのカルディア人たちも一向に動揺する気配を見せない。

その静けさに得体のしれないものを感じて、帝国兵たちは一抹の不気味さを覚えた。

瞬時に忘れるくらいの、ほんのわずかな恐怖感を。




「ま、ま。たとえ本部が認めなくてもさ」


やにわにキャンプ駐在の帝国技師の青年が手を挙げた。


「リフト使えば練兵場までのHFの移動はスムーズでそれほど時間がかからない。ここは幸い本部から距離があるから、準備時間を考慮に入れても30分は戦闘できるだろう」


その後もロビンとデンガールの対局がつつがなく行えるようにと、次々に無責任な後押しの申し出が続いた。




***




「ロビン」


自室へ向かう人気のない廊下で、呼び止められた。ハーケンだ。


「明日デンガールと戦闘を行うそうだな」


ロビンは舌打ちした。耳聡いにもほどがある。


「非公式に、だ」


弁解する様な口調になったのは、戦うことを止められたくなかったからだ。それほど、デンガールとの勝負を心待ちにしている。


「止めろとはいわない。個人的に挑戦を受けたことを責めている訳でもない。カルディア屈指の戦士デンガールの能力は見ておきたいところだ。……ただし一つ条件がある」


ハーケンの目は据わっている。


「〝切り替え〟はするな」


有無を言わさない口調だった。


「……」


無言のロビンに畳みかけるように


「お前が同化の素振りを見せたら。状況の如何にせよその時点で止めに入る」

「……」

「カルディア人が最新型HFを与えられてまだ一月だ。その程度の経験者ならば、切り替えせずとも簡単に倒せるだろう」

「……デンガールをなめていると痛い目をみるぞ」

「なめてなどいない。一月で最新型を繰り、お前を倒せる者などこの世に存在しない。ただ、その事実を言っているだけだ」


ハーケンは眉を顰め、ロビンに改めて問う。


「お前こそ、何を怖じている?」

「怖じているわけじゃない。ただ、デンガールにセオリーは通用しないんだ」

「根拠は?」

「勘だ」


ハーケンは心から可笑しそうに笑った。


「それは至極信頼できるな根拠だな。ともかく、HFは午後いっぱいで治せるような損害に留めておいてくれ。私闘で本部に修復の陳情はできないからな」

「迷惑をかけるつもりはない」

「接近戦のみだ。弾はつかうなよ。英雄にでもならない限り、返済できない額だぞ」

「承知してる。借りはつくらない」

「…帝国に、か?」


ハーケンの問いにロビンは首を傾げた。


「いや、なんでもない」


打ち消すように首を振って、ハーケンはその場を去った。




***




レンガ色のHF二機が練兵場中央に向って佇んでいた。


デンガールとロビンのさし勝負と聞きつけて、講習を受講していたカルディア人たちと帝国兵士、合わせて百人ほどが練兵場を囲むフェンスの脇をぐるりと固めた。


試合を前に、デンガールとロビンはフィールドに並んで立った。


「決着は?」

「どちらかが機動不可になるまで」

「あとの機体整備は考えない方が楽しくやれそうだが…」


試すようにデンガールが尋いた。


「そのつもりだ。ジャンクになった機体をそのままハーケンに引き渡してやる」


ロビンの冗談が珍しかったのだろう、一瞬間をおいてデンガールは爆笑した。


「あれは?」


ひとしきり笑ったデンガールが肩越しに親指でさしたのは、西口サイドに据えられたナンバー3。ハーケンの機体だった。


「監視役。そこは譲歩できないらしい」

「公認のもとでやらせてもらえるんだな」


デンガールは片頬をあげて笑った。




「なぜ、俺と戦う?」


機体を起動させながら、無線の回線越しにロビンが問う。


「より強いものと戦いたいと思うのは、お前も同じだろう?」

「それなら他の二人でもよかったはずだ」


一瞬の沈黙をおいて。


「お前をどの程度本気で口説くか、試そうと思ってな」


問い返す間もなく、デンガールから一方的に通信が入る。


「回線、切るぞ」


回線の開通を示すランプが音もなく消えた。同時に、正面に対峙するデンガールの機体が右手を上げる。


電光板が10カウントを開始した。機内にもカウントの声が響く。

デンガールとの距離、約20メートル。遮蔽物は一切ない。

今回の戦いは超近距離線になる。肩のミサイルに銃弾は装てんされていない。ハーケンの言っていたように、個人の持ちだしにするにはあまりにも高額だからだ。ロビンは左右の長棍。デンガールは右の合金製の棍棒が各々の武器だった。


初めは打ち合いだった。ごく一般的な接近戦の型をなぞるお手本のような試合運び。


二体の機体が滑らかに動き間断なく攻防を繰り返す様は、それはそれで見応えがあったが、ギャラリーは更なる緊迫感を求めて声をあげた。

戦闘の最中にある当人たちは、決して手を抜いている訳ではなかった。ただ、実力が拮抗しているだけ。互いに致命的なダメージを受けることなく、膠着状態のまま十分が過ぎようとしていた。




「いつまで本気をださないつもりだ?」


互いにけん制し合い、隙を見つつ見合ってしばし。デンガールからの通信回線がふいに開いた。


「十二分に本気だ」


事実、おざなりにやってここまで保てる相手でない事は試合開始早々に分かった。たった一月でovaをここまで自在に操るとは、驚嘆する他ない。


「本気を出せぬなら、それでもいい」


デンガールが構えを変える。


「こちらからいくぞ」


その瞬間、ロビンは思わず身構えてしまうほどの気合を感じた。


――早めに決着をつけないと、まずい……。


本能が警告する。過去に経験のない焦燥感を感じた。


――撃ちかかりをきつくするか。


ロビンは巧みに長棍を操り、一本で相手の右手を封じつつ、もう一本の棍で撃ちかかった。デンガールが当然のように左の盾でガードする。ロビンは即刻デンガールの右を封じていた左の棍を返し、そのまま左頸部を狙い撃ちした。あまりの反応の速さに、さすがについていけなかったかデンガールはその攻撃を直接的に受け、右に傾いだ。


しかし、そこから驚くべき事態が起こる。


デンガールは傾いだ機体を右に思い切り重心を乗せることで立て直し、浮いた左足をそのままに右足を軸に回転し、遠心力で勢いづいた左足をロビンの脇腹に打ち込んだ。


よもや、そう来るとは予想だにしない。その動きができることすら想定外だ。


跳躍型を除いて、両足を就いてこそ、機体の安定性を保てるというのがHF操作の原則であったからだ。ovaの特性をカルディア人に教授していたロビンですら、知識にないことだった。


完全に裏をかかれた形で、攻撃を予期していなかったためガードも甘かった分、ロビンの機体は大きく均衡を崩した。とっさに機体を後方に引き、ダメージを最小限にとどめて転倒を避けたのは、然しものロビンというべきか。

常人なら地に沈んでいただろう。


デンガールは、限られたovaの機乗時間での経験と、与えられたばかりの知識からこの操作が可能であることを予測として割り出していたのだ。


ロビンは操縦席で興奮に身震いしていた。強いものと対峙した時だけに感じる、得も言われぬ感覚にどっぷりと身を浸す。


『お前のHFを繰る技術は、ごくシンプルで迷いがない』


デンガールの声が聞こえてくる。


――良く言うよ…。


ロビンはこみ上げてくる笑いをこらえつつ、操縦桿を握りなおす。


――お前こそ、天才だ。


ぐっと、身体に負荷がかかる感じがした。


『切り替えはするな』


昨日のハーケンの声が聞こえる。それを思い起こせるほどには冷静だ。たが、反比例するように鼓動は大きく高鳴る。


――こんなおいしそうな餌を目の前にして、同化するなだと?


ロビンは鼻で笑った。


――それは、無理だ。


次の瞬間、ロビンの機体は信じられないほどの跳躍を見せてデンガールの機体に躍りかかった。




***




目覚めると、天井が見えた。

白い壁と、クリーム色の薄汚れたカーテン。ロビンはベッドに寝かされていた。


「起きたか?」


カーテンから顔を出して、クリスが問いかけてきた。


「ここはどこだ?」

「キャンプの医務室」

「どうなった?」


暴走の時を除いて、同化で記憶を失ったことはない。しかし、気づいたらここにいるということは……気を失ったのだろうか?


「デンガールとの勝負の途中で、ハーケンが仲裁に入った」

「仲裁?」

「ああ、違うか。一方的に引きずり倒してた、かな」


同化を留めることができなくて、跳躍したあの瞬間に、後方に引き倒されるような感覚を覚えた。バランスを完全に失って地面に倒れ込み、即座に視界が暗転したことを思い出した。


『いずれ敵となるものに手の内を見せて、どうする』


あの声は、幻聴ではなかった訳か。


「お前、切り替えしかけてただろう?」


クリスの口調は半ばあきれて。そして半ばは得体のしれないものに向かうような緊張を含んでいた。

ロビンが素直に頷くのを確認し、クリスは溜息を吐いた。


「……気持ちは分かる。あの瞬間デンガールが放ったのは殺気以外の何物でもなかったからな」

「俺は、デンガールを倒すしかないと思っていただけだ。あの殺気に対抗できる術が他に思いつかなかった」


手合わせできたことに喜びを感じつつも、手合わせしたからこそ、彼の恐ろしさが身にしみた。


「帝国はあれを本気で敵に回すつもりかな」

「俺に聞くなよ」


即座に答えて、クリスは失笑した。

沈黙を置いて。


「ついさっきまでデンガールがいたんだ。お前と最後に話がしたいと、そう言っていた」


ロビンはその言葉に答えずにベッドから身を起こすと、上着をはおった。


「明日は早朝に出立だろう。部屋に戻る」

「デンガールに会わなくていいのか?」

「合わせる顔がない」


それは、なんとなく分かる。とクリスは肩を竦めた。




***




夕刻。

ロビンは、一人でキャンプのゲートを出た。




小高い丘の上に据えられたキャンプから見渡す限りの草原に、乾いた風が頬を撫でる。


美しく弧を描く地平線に、黒から濃紫、藍から蒼への光影が織りなす階調。そして紅に染まる地との境界。草地の右手に見える大きな泉が、今日最後の光をその水面に一筋残す。水が揺らめくと、微かに綺羅と光をはねて辺りに撒いた。

いち早く空に存在を露わにした一番星の下、集落の松明がちらちらと揺れる。遠く、微かな弦楽の音が響く。


ゆるりとした音がそよ吹く風と共に草の先をかすめ彼方へと送られて、満天に融け込み、世界は何も欠けるものがないように円い。


悠久、という言葉は、こういう時に使えばいいのか。と思う。

このような地に生を受ければ、命を賭しても守りたいとそう思うのだろうか。

自身の小さな身を風に委ねると、我というものが大気に融けていくような感覚すら覚えた。




「帝国に帰るのか」


黒馬に跨って現れたデンガールは、ロブの横に並ぶと手綱を引いて馬の歩を止めた。馬上から見下ろす澄んだ瞳が、いつにも増して美しかった。四肢をしなやかに繰って、軽やかに地に降り立つ。


この地に名残を残す陽の光が、二人の影を長く長く後ろに伸ばす。


「はっきり言おう。俺はケンという人間を心底憎んでいる」


ロビンは先手を打つように言った。カルディア滞在の中で、ケンからの預かり物を託すべき人物はすでに分かっていた。


「だから、ケンとつながりがあるあんたに肩入れすることはできない」

「……まあ、その言い分は至極真っ当だ」


デンガールは穏やかだった。


「だが、本当の敵をお前は見定めているのか?

起こした事の程度でいえば、アレクセイの存在はケンの比にならないほどの災厄だった。だが、その償いを命を賭して行った。ブレスタンはその遺志を、最大限に尊重する。アレクセイもそれを信じていた」


デンガールはロビンの前に手を差し出した。


「これが、その証だ」


手のひらにおさまる小さな小箱。暴走化を制御する、唯一の術。

一陣の風が吹き抜け、デンガールの黒髪が艶やかに宙に舞う。


「帝国の手はそこまで迫っている。虐げられるか、犠牲を払って抵抗するか。俺たちにとっては選びとるのが容易い二択だ。お前はどうする?」


ロビンはデンガールと視線を合わせた。


「その目だ」


デンガールが確信に満ちたような声を出した。


「すでに答えはお前の中にあるはずだ」

「……」


ロビンは、意を決したように手のうちにあるカプセルをデンガールに手渡した。

たくさんのものを失った今、唯一自分に残されたもの。自分の過去の感情を信じてみるのも一手だと、そう感じ始めていた。


「最終回答は……次に会った時だ」


ロビンはそれだけ言うと、再び地平に目を向けた。

その境界は、すでに闇に覆われて曖昧だ。




ブレスタン。現地の言葉で悠久の大地を意味するとカルディアの青年が教えてくれた。

この地を再び踏むのは、そう遠くない未来のような気がした。

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