第16話 南方任務(1)

「めっっちゃ身体、痛イ」


タリムが呻いた。

カレイマラに向かうカッカラ山脈の隘路は、車両が辛うじてすれ違えるほどの道幅。道として最低限の慣らしがされているだけで、コンクリート舗装もされていない。


同じ車輛に乗り合わせたオリバー、ヤン、レジは無言だが、一昼夜、山中の荒道をジープに揺られ、どの面々からも辟易といった感が伝わってきた。




「う、わ」


誰からともなく声があがった。突如、眼前に景色が開けた。


「東海だ」


オリバーが珍しく、すべてを忘れあっけにとられたように見惚れる。


日照と程よい雨量に恵まれたヤズラ半島の豊かな緑。その木々越しに、果てしなく続く大海原が広がる。濃い緑と茶色の岩肌が延々と続く閉ざされた山道の行程の後には、それは夢のように開放的な景色だった。

海沿いの崖に面して整備された道をさらに小一時間走ると、眼下に海に向かって広がる都市が見えた。


統一戦争の終結の地、カレイマラだ。


整然と並ぶ民家の白壁が太陽の光をあびてまばゆく光る。南国を思わせる特徴的な形の葉をのびのびと茂らせる街路樹の緑と、どこまでも透明な海の青。その美しいコントラストに、初めてヤズラ半島を訪れる四人は心を揺さぶられた。


「意外だね」


ヤンが心中をぽろっと出すように呟く。


「もっと、暗澹として、朽ちてるとこかと思ってた」


最後まで徹底抗戦、の姿勢を崩さなかった南方六国の連合軍、そして力づくで押し通した帝国。この地で、最終的に万を超える人間が命を落としたといわれている。

ヤンの感想はそのイメージを大きく引きずっていた。




オンラインネットワークを通じて多くの情報が取得できる今日だが、ヤズラ半島の情報には中央の統制がかけられており一切手に入れることができない。その意味を大半の帝国民は察しつつ、あえて口に出して指摘する者はいない。

強い光に目を細めたヤンの表情は、多少なりとも感傷的に見えた。




***




一足先にカレイマラに到着していたスリディビが四人を出迎えた。


特別派遣隊と名付けられた一行の、任務中の宿はカレイマラ風の白壁の民家だった。強い太陽の光を遮るための珪藻土の厚い壁。気温が高いまま長雨の続く雨期への対策で、家の基礎は湿気を逃がすために高めに作られ、開口部が大きく取られている。

その広い窓から、心地よい風が室内を通り抜ける。雨期が終わった今、しっとりと濡れた養土に太陽の光を浴びて、カレイマラは最も緑豊かで美しい季節に入ろうとしていた。


「今回の任務について説明する」


民家の中央に位置する広い居室。ヤズラ半島特産の籐で編まれた椅子に腰掛け、スリディビが四人を前に口を開いた。


「うわ、遠くから見ても美人だったけど、近くで見るともっとビジーン」


オリバーが心底ほれぼれするように、スリディビ本人を前に抜け抜けと発言した。


「それは今、ここで、本人の眼前で言うことか?」

「言っとかないと、歯牙にもかけられなそうだから」


オリバーは笑った。


「南国の風に少し頭のネジが緩んでいるようだが、私はお前のこといつでも首切れるぞ」


立場じゃなくて、身体の方を、ね。オリバーは降参の手振りを示した。


「黙ります」


スリディビは鼻で笑って、本題に戻した。


「カレイマラでやることは一つ。新型の検証実験の補助だ」


上官である自分への遠慮のかけらもなしに籐の椅子で寛ぐ部下四人の様子に眉をひそめながら、スリディビは面々に告げる。


「カルディアへの説明責任を果たすため、ova検証を行う。その際に。ノベのような行動をとる機体がないとは限らない。その際の、制止役。それが我々の今回の役割だ」

「はい、質問」


オリバーがすかさず手を挙げた。


「なんだ?」

「ノベの式典での挙動は通常のことではないと、認めるということですかー?」

「オリバー。お前は、今、どういう立場にいる?」


スリディビの表情は平静だったが、口調には凄みが感じられた。


「選ばれし選抜兵でございます」


オリバーは全く怯まず、正面から受ける。


「これ以降は立場をわきまえた発言をしろ」


オリバーは横を向いて、唾を吐いた。


「検証ニ使われるパイロットって、危険ヲ孕むよネ。誰乗るの?」


タリムが問う。


「その問いは任務遂行には関係ない。従って答える義務はない」

「ねぇ、ディビ」


常のこととして慣れきっているのか、ばっさりと質問を切り捨てるスリディビの様子に怖じることなく、レジも問う。


「なんだ?」

「制止しなければならない場合、優先はマシンの動作停止? パイロットの殺害?」

「優先順位は動作停止。最終目的は両方。さらに、当該のHFの破壊も今回は任務の基本項目だ。その手法に着いては後ほど解説する」


スリディビは即答した。


「検証実験なのに人死に前提じゃないですかー」


オリバーの発言に、スリディビが若干の殺意を含んだ、射るような視線を向ける。オリバーは物ともせず、テーブルに頬杖をついた。いかにも皮肉げに斜めに顔を上げ、視線を向ける。


「なんせいわくつきの“カレイマラ”だ。ハズレくじだって知ってたもん。どーせ」

「任務に当たりもはずれもない」

「打ち返しがつまらない。美人なのにユーモアのかけらもないのは、ほんっとうにもったいない!」


その発言を無視し、


「ヤン? 仔細分かったのか?」


スリディビは反応を示さないヤンに確認を促した。


「聞いてるよ」


ヤンは一言のみ、返事した。






低い位置にある太陽は本来遮蔽となるはずの厚い壁を超えて、容赦なく光を室内へと運ぶ。タリムはその朝日と、帝都にはない清廉な空気で目が覚めた。

引き寄せられるように、朝焼けに染まる外へと自然と足が向かう。


高台の途中にある民家の露台は海側に面していて、町を経て海までが一望できた。迷路のように幾重にも交わるレンガ敷きの細い坂道。太陽の光を浴びて陰影を濃くする緑の庭木。白壁の美しさは昨日はじめて見た時と何ら変わることなく、一幅の絵のような趣だった。

しかし、一夜明けて起床の刻になっても人気なく静まり返っている町の様に、その景観の美しさがかえって作り物めいた薄ら寒さを醸し出していた。


終戦後30年来、中央より苛烈な帝国の支配下にあると言われているヤズラ半島。どのような支配がこの地で行われているのか、何となく、想像はついていた。




ふと気配を感じて隣の露台に目を向けると、そこにオリバーの姿があった。二人は思わず苦笑い、を交わす。


「静かな町だネ」


眼前に広がるカレイマラの町並みを眺めて、タリムが呟いた。


「せっかくだし、海、出テみる?」

「女の子がいないと、やだ」


オリバーらしい発言に、タリムは笑って。


「じゃ、レジ誘お」

「もれなくヤンがついてきそうなのが気になるが、悪くない提案だ」




ヤンが不在だったことにオリバーは手を叩いて喜んだ。


「タリム、たまには二度寝なんてどうだ?」


そういって部屋を指すと、


「抜け駆けダメよ。先に誘ったの、俺だからネ」


提言はタリムに即座に拒まれ、あわよくばデートの野望はにべもなく打ち砕かれた。




三人は部屋着のままで町に出た。朝焼けの町は、奇妙な静けさが支配していた。

音が何もない“静寂”ではなく、元ある音を極限まで押さえた、人の意思が垣間見える静けさだった。


「人の気配ハあるんだけどネ……」


そこかしこで、生活音がした。しかし、扉を硬く閉じられた門扉からは中の様子は一切わからない。窓という窓も、籐でできたつい立てでぴったりと覆われていた。

その様子には、早朝だからというだけでは説明がつきかねる不自然さがあった。


「人ノ蠢く町。って感じ? 不気味だネ」

「その理由、なんか知ってる? 精鋭兵さん」


オリバーが自分たちより、より中枢に近い存在のレジに問う。


「カレイマラははじめてだから何も知らないし、知ってたとして言うと思う?」

「だよね〜」


オリバーは適当に微笑んで。本来の目的だった個人情報の聞き込みを開始する。


「レジ、年いくつ?」

「十七」

「ヤンとは、長い付き合いな訳?」

「うん、赤ん坊の頃から一緒」

「兄弟じゃ……ないよね。ってことは、施設育ち?」

「うん、施設コード99」


その返答にオリバーはごく僅かに眉を上げた。


「99。それはまあ精鋭だし当然として……そこに赤ん坊の頃からいたわけ?」

「そ、特殊、でしょ」


施設コード99。そこは、機化種選別検査でA判定をつけられた子どもが集められ、教育を受ける施設だ。そこで長じた者が、精鋭兵となる。しかし、徴集は七歳を迎えたその日という取り決めになっており、ヤンとレジのように乳児の頃からそこで過ごすというのは明らかに特殊な例だった。


「親は?」

「知るわけない」

「知りたいとは、思わないわけ?」

「知ってもいいけど、何も役にたたないでしょ」

「じゃ、一緒に育った精鋭が家族ってわけ?」

「うーんちょっと違うかな〜。明日、精鋭兵の誰かを殺せって命令されたら、私はそうするし」


その発言には、悪びれ・躊躇・後ろめたさや自身の思考に対する疑問など、一切の感情が含まれていなかった。


「あ、あくまで任務なら、だからね。精鋭のみんなは好きだよ。ヤンは唯一の同い年でずーっと一緒にいたから特別だし、ハーケンは端から見てて面白いし」


レジは少し頭を傾げて、考える素振りを見せた。


「あと、兵長は優しい」

「あ?……」


二人は異口同音に絶句した。あの、冷徹無私な、ノベ兵長が。

優しい……だと?


「それは、レジだからジャない? 絶対下心……」


タリムの滑った口を押さえて、オリバーが問う。


「兵長のこと、好きなの?」

「……え……」


レジは突然の切り込みに微妙な間をおいて。

唇を尖らせて黙って俯いた。

その照れを内心ちょっとかわいいと思いつつ、男二人はそれぞれ複雑そうな表情をうかべた。




「海だね、海っ!」


レジがはしゃいだ声を上げた。

帝都は内陸に位置し、一番近い大陸南の海岸線までも優に100キロはある。任務で地方に行く以外に、海を目にする機会はなく、ましてや触れられる機会等はめったになかった。

躊躇せず、ソックスを脱ぎ、色気のないスラックスをたくし上げる。極々短くなったスラックスから、すんなりと細い小麦色の脚が露になった。


「あんまり深いとこ行くなよ〜(脚が見えなくなるから)」

「上着ノ袖口濡れそうダカラ脱いだら?(どうせならもうちょっと露出増やして)」


勝手気ままに声をかけ、


「いや〜いわゆる一つのバカンスだな〜」


男二人は波打ち際に腰を下ろし、にやけ顔で視線だけレジを追った。


「水着だと、なおうれしい。露骨なのは好みじゃないけど、この際いっそ下着でも可」

「そこは妥協。ブーツ脱いでくれたダケで、もうけモン」

「養成所って、そっちの娯楽に乏しいんだよな」

「養成所の女(ヒト)、みんな怖いからネ」


いやに実感のこもったタリムの発言に、オリバーは声を立てて笑った。

レジが怪訝そうに振り向く。

気にすんな、と手を振ってから。


「お前の故郷は? ターヤムの呪い師でもしてんの?」

「ひどい偏見だネ。一応都市部ノ出身だし。だから、帝国語ニ不自由ないンでしょ」

「不自由ないか? めっちゃ聞き取りにくいけど」

「うるさいナ」

「いや、バイリンガル、超尊敬」


本当で気分を害したようなので、オリバーはひとまず持ち上げる。


「真っ当な教育受けてんだろ? なんで帝国兵になんてなりたがっちゃったんだよ」

「真っ当な帝国式の教育ヲ受けたからこそだヨ。英雄に憧れてたんダ。実際、家族ニ大口たたいて家出同然デ出てきちゃったし。意地はらないで訓練生でドロップアウトしてサ、帰っておけばよかったナ。選抜兵になっちゃった今となってハ帰らせてくれないデショ」


口調は軽かったが、深い後悔がその表情に浮かんでいた。


「あーでもキツい。正直キツい。ねえ、オリバー。本当に、人ヲ殺せと命令されタラ、殺せるもの?」


タリムは若い純粋な瞳をオリバーに向ける。


「なんか、俺無理ダ」


目を伏せて、立てて座った膝の間に頭を埋める。


「よく考えてみれバ、こうなること、分かりきってたのにネ。兵士ハ人を殺す為にいるんだモン」


砂浜に向けて発される言葉は、くぐもって、適度にタリムの本心を隠していた。


「バカだよナ〜俺。自分に合わないコト、はじめニ気付いておけばよかったのにサ」


タリムはより深く、膝に頭を埋める。




「ねぇ、めっっちゃ寒い」


日中は30度を優に超えるカレイマラだが、雨期が空けたこの時期の湿気のすくない早朝は殊の外冷える。見るとレジが唇を真っ青にしてガタガタ震えていた。

オリバーは何も言わず上着を放った。

上着を受け取ると、レジはじっとオリバーを見つめた。


「何?」

「そういう、何気ない仕草は文句なくかっこいいのに」


その何気ないレジの言葉に、オリバーは思わず薄く息を漏らした。表情に出ないようにだけは、気をつけながらも、まだ昔の傷を拭いきれない自分に少し驚く。

過去に、同じことを自分に言った少女がいた。戻ってこない遠い日の彼女との時間を思い返すことがないように。上っ面を塗り固めてガードしているというのに。


「……ありがと。レジ、兵長がいいなら年上ありだろ? オレじゃだめ?」

「兵長は兵長。オリバーはおっちゃん」

「おっちゃん……て。オレまだ二十六よ? 兵長もうすぐ三十よ?」


傍らで、二十歳前のタリムが爆笑していた。

自分がちょうどタリムの年齢だった頃。―—あの日から、もう七年経っている。

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