第17話 南方任務(2)

ランニング。と称して、ヤンが一人訪れたのは一軒の「家」だった。家の外壁が直接道に面する他の家とは異なり、塀の中に「家」がある。二重構造になっていた。


ここがおそらく目的地だった。あらかじめ帝国軍の能力開発チームの情報をクラッキングし、その場所は割り出していたから。

目的のあるクラッキングを始めたのは三年前からだ。はじめはコード99の施設長の横暴に対する腹いせに、施設長が関与した施設の二重帳簿を明らかにし、匿名で管轄機関に送りつけて処分させたのが発端。その情報収集の最中にたまたま触れた自分たちの出自に関するデータ、そしてそれに紐づく種々の情報をたぐるうちに、中位程度の帝国中枢の機密情報にまでたびたび触れるようになっていた。




高い塀に囲まれた構造、家が四五軒は入りそうな大きさからすると、普通の民家には見えない。中からは人の起きだしたばかりの、早朝のざわめきが聞こえる。甲高い声。明らかに子どものものだと分かった。それもかなりの数。


ヤンは塀の間に据え付けられた鉄製の門から、中をうかがう。


「!!」


急に予期せぬ視線に会い、思わず声を出しそうになった。

そこに、一人の少年が立っていた。

大きく前方に張り出した頭。額にはあからさまな手術痕が大きく縦一筋に入っていた。目ばかりがぎょろりと大きく、小さな鼻と口が辛うじて呼吸のためについているといった態。


「誰?」


目をグリっと向けて、少年は訊いた。帝国語だ。

ヤンは答えられない。ある程度予想はしていたものの、現実に姿を見せた少年の容貌にショックを受けていることもある、しかし、それ以上に、自分の存在を感づかれたことに対する動揺が大きい。ここに来ていることは誰にも知られてはいけなかった。

立ち去ろうか。一瞬そう考えたが、ヤンはどうしてもこの少年の存在を探らずにはいられなかった。その好奇心に負けて。


「……お前は?」


と、少年に向き直る。


「さあ。知らない」

「名前は?」

「ないよ」


少年は受け答えの様子と外見からして7〜8歳に見えた。それだけの年月を、名前もなしに生かされているというのだろうか。

ヤンはまじまじと少年を見つめた。何かを秘めてしらばっくれられる年齢では、まだない。


「どこで生まれた?」


ヤンは、“自分の為にも”踏み込んではいけないと分かりつつ、問うことをやめられなかった。


「たぶんここだよ。ここと、“きょうれんじょ”しか知らないから」

「お父さんやお母さんは?」

「僕たちの世話をする人? 何人かいるよ。すぐに交代しちゃうけど。ごはんをくれて、僕たちが次に何をするかを教えてくれるの。その通りに動けば、別にぶたれることもないよ」


何でもないことのように、淡々と話す少年に、ヤンの顔が歪んだ。


「寂しく、ないのか?」

「さみしいって何?」

「だれかに甘えたいとか、ないのか?」

「なみだを流す子はいっぱいいるよ。さけぶ子もいる。だけど、そういう子は、どこかに連れて行かれるんだ。僕はあんまりそういうふうにしないから、ここにいるの」


少年は大きな、大きすぎる目を細めて笑顔を見せた。


「あの人たちの言うこときけば、お腹も空かないし、痛い思いをすることもないのにね。どうして言うことをきかないのかなぁ?」


心底不思議そうに、首を傾げる。

どういう“教育”を受けているか、察しがついた。生まれはヤンと同じようでいて、明らかに異なるタイプの育てられ方をしている。それを試す為に一つ、訊いた。


「……もし、その人たちが、お前に“行け(GO)”と言ったら、どうする?」


年端のいかない少年に、そう問うたヤンの目は、暗かった。


「その言葉、なんで知っているの? それが僕のいる“りゆう”なんだって。だから、それをしないとここにいてはいけないの。それをするために、ここにいるの」


何の躊躇もなく、少年は語った。


ヤンは目を伏せた。どうしようもない空虚さと、どうしようもない憤り。相反する二つの感情がぶつかり合い、身体中が粟立った。全身を毟り、叫びだしたい衝動に駆られる。

ヤンは、ようやく次の言葉を絞り出した。


「……“行け”という言葉は聞いちゃだめだ」

「なんで? それが僕のいる“りゆう”なのに? りゆうって一番大事なことなんでしょ? 一番大事なことは聞かなくちゃいけないんだよ」

「絶対、だめだ。それを聞かなかったら、僕がご褒美をあげるから」

「ご褒美ってなに?」

「おいしいものをたくさん食べさせてあげる。クリームを知ってるか? 甘くて、すうっと口の中で溶けて、その上食べた後もふんわりといい香りがのこるんだ。それをお腹いっぱいに食べさせてあげるから」

「おいしいの、かぁ。ここのごはんはいっつも同じ。おまけにとっても固くて冷たいの」

「ごはんだってたくさん食べさせてやる。僕は食べ物には人一倍うるさいんだ。おいしいものばかり知ってる。……だから、“行け”という言葉を聞いちゃいけない。約束できるか?」

「うん、いいよ。その代わり、ちゃんとくりーむをちょうだいね」

「わかったよ……また会った時にちゃんと覚えてろよ、」


呼びかけようとして、その為の呼称がないことに気付く。


「お前の呼び名、必要だな」


ヤンはしばし、俯いて考えた。


「“イ・アン”だ」

「イアン?」

「ei-um。カレイマラの言葉だ。唯一の、って意味だよ」

「唯一の?」


問い返しの多さに、ヤンは苦笑する。


「大事なものって意味」

「えー。大事なもの? 僕が、そうなの?」


少年は照れたように破顔した。


「ねえ、お兄ちゃんは誰なの?」


ヤンの瞳が、微かに揺れた。


「……言えない」


ヤンの表情が、暗く陰った。


「ごめん。言えない」


ヤンはもの言いた気な少年を残し、その場を去った。




***




カレイマラに駐在する精鋭兵と選抜兵、五人が囲む食卓は毎日殊の外にぎやかだった。


「ヤン、バカやろう取り過ぎダ!」


メインディッシュを取り損ねたタリムが悲鳴を上げた。


「タリムうるさい。ちょっと、スリディビ。量が少ないんだけど? メンバーにこの僕がいること分かってる?!」


ヤンがタリムの伸ばした手を即座に払って、真顔で声を上げる。


「食事量までは私の管轄下じゃない、文句なら兵長に直電しろ」


即座に携帯用の通信機を手にするヤンを、ものすごい形相でスリディビが止める。


「お前、冗談が通じないらしいな」

「冗談は食事以外の時にしてよね!」


ヤンも負けじと怒鳴り返す。

オリバーはちゃっかり自分の分け前を確保した皿を、無言で防御した。


「ヤン。口論はいいけど、その皿の鳥のソテーとりあえず一個タリムにあげて! タリムが消えそうだもん。ディビ、ラージサイズのグラスに水! ヤンを落ち着かせて」


レジの発言する間に、ソテーはヤンの口への消えた。オリバーが完全に消沈するタリムを必至で慰める横で、スリディビが憤る。


「なんで私がウエイター役をしなければならないんだ?!」

「いいから! 水!」


レジの形相に、憤懣やるかたない様子ながらもスリディビが席を立つ。




副兵長が直々に運んだ〆のドリンク、でヤンが多少の落ち着きを取り戻したため、テーブルには平穏が戻った。


「で、こんな戦場をあと何日繰り返せばいいわけ?」


結局メインにありつけなかったタリムが半泣きでテーブルに突っ伏す。


「任務って……いつあるの?」


肝心の本部からの指令が出ず、カレイマラ滞在一週間目にしていまだ任務は行われていない。


「暇があるならその時間で食料調達してこい」

「お金ちょうだい」

「予算は決まってる。追加分は自分で稼げ」


タリムはキッとヤンを睨み、その首に手をかける。


「一番食ってるダロ、お前ガ稼げ〜」


スリディビは我関せず、と遠巻きにその様子を眺めながら、言った。


「明日本部に呼び出されてる。そう急がずとも、日取りはすぐに決まるさ」


その声に、食卓がシンと静まる。場が緊張感に満ちた。


「ああ、そうですか。さよならバカンス」


オリバーは場違いに浅薄な声を出して、手を振りながら机に突っ伏した。タリムはそれを笑って見ながら。否応なしに迫り来る瞬間に密かに身体を震わせた。




***




翌日。スリディビは平服姿の男に面会していた。


現在地はカレイマラの中心街。その建物は、細い道が縦横無尽に走るカレイマラでは珍しい、道幅がきちんと確保されたメインストリートに面している。三十年前まで、政府中枢機関が置かれていた場所である。現在は建物が一新され、カレイマラにおける帝国軍の拠点として使用されていた。


「待たせたな。ようやく方針が整った」


ラフな格好でタバコをくわえながら、男はスリディビに暢気に笑いかけた。年は三十四。細面ながらエラの張った頬に無精髭。おそらく惰性で伸ばした濃茶の髪を後ろで無造作に結わえていた。目鼻立ちは不必要なものを削ぎ取ったようなシャープさがあったが、おそらく後天的に備えたのであろうその“隙”が、彼の印象をマイルドにしていた。


名はエドー。軍での階級は精鋭兵長と同格の中尉だ。最高学府で政治学・工学を平行して修めて卒業後、エリア10を経て二十代半ばで軍人となった特異な存在である。技師として一流、その上機化種の能力を持ち、政治にも通じる。“使いやすさ”は本人も自覚する所で、そのオールマイティーさを生かして足掛け十年。軍部内で順調にのし上がった。


三十代半ばにして軍の中枢に近い所にいる希少な存在だったが、特定の組織に属さず、自ら特殊部隊と称して帝都と他地域を結ぶ連絡役として未だに好んで現場を飛び回っている。その立場を気にしないフランクさで若手の心を掴み、適当だが要所は逃さない明敏さで上層部からの信は厚い。重要機密を運ぶ者として重宝がられていた。


「ったく、いつもながらカレイマラに長く居る連中はうるせぇよ。同じこと何回言わせりゃ気が済むってんだ。それで一週間だぜ? マジ勘弁」


そう愚痴を吐く。

南国の暑さに一切の抵抗を見せず、シャツの前をダラリと開け放った姿がいかにも形式にこだわらない、彼の性格を表していた。放埒というか、適当というか。

そういう開けっぴろげさが、スリディビは気に食わないのだが。


「で、今回の件は選抜兵には何て言ってんの?」


いつもながら、口調も相当くだけている。


「先日の言の通りだ。検証の立ち会い、と」


スリディビとエドーとは様々な場面で顔を合わせることが多い旧知の仲。年齢も階級もエドーが上だが、彼の性格がスリディビにタメ語を使わせることを許していた。


「二人ともいずれ精鋭になる者なんだろ? 真実を伝えてもいいんじゃねえの?」

「大事の前だ。少しでも慎重になった方がいい。オリバーは行動に目立った問題はないが、言動は処分寸前のレベル。タリムは性格的に。おそらく……一度矯正しないことには使い物にならないからな」

「その辺りは俺はなんとも言えねぇな。そもそもそいつらを知らねぇし。ヤンの様子はどうだ?」

「自分の出自に気付いていることは確実」

「どうすんの?」

「強化試合の際にロビンに追いつめられた時に感情が発露しただけで、今の所目立つ行動の変化はない。正直、諦めているのか反意があるのかも分からない。だからカレイマラに連れてきたんだ。ここでは“否応無しに”それが顕在化して見えるだろうから」


スリディビの容赦ない発言に、はは、とエドーは乾いた笑いをもらした。


「それであえて被験体に接触させたのか? 徹底的。すげぇな」


唖然、といった感でさすがのエドーも一瞬言葉を失った。


「……ヤンは不幸なことに頭もそれなりにいい。できれば“トータルで”活かしたいんだろ? ほんと厄介だな」


スリディビの執拗さにか、ヤンの存在の厄介さにか、それとも他の理由か。げんなりしたように紫煙とともに息を吐いた。


「タカシはこのこと、知ってんのか?」

「カレイマラへの派遣?」

「馬鹿、副兵長が就いてる任務を知らない兵長がいたらとんだ間抜けだろうが。ヤンと被験者との接触。その他諸々の派遣メンバーへの“試し”のことだよ」


エドーの指摘は悪気が一切ないからこそ、露骨で直接的に刺さる。スリディビは憮然とした。


「言う訳ないだろう。人選も私が指名した」

「ふーん」

「帝国兵にとって思想詮索は当然だが、そういう役目はあいつには無理だ。情が強く、部下に甘いからな。……ヤンやレジを面白がり、可愛がっている時点で、真っ当じゃない」


後半は、苦々しさがにじみ出ていた。


「だからこそくせ者ぞろいの精鋭兵をまとめられているんだろうけどな、皮肉にも」


エドーは一見冷徹にみえるタカシへの“情が強い”というスリディビの評価を、肯定した。


「カレイマラの成功例、もう一人生きてただろ? あっちは?」


スリディビはしばらく記憶を辿るように押し黙った。しばらく経って思い出したのか、「ああ」と声を上げる。


「あれはただ生きながらえただけの個体だ。能力値も結局のところ一般レベルだった。もはや気にかけること自体がナンセンスなほどに」

「あっそ。一個体あたりに相当注ぎ込んでんのにあっさりしたもんだね」

「初期の検体は、ヤンとレジとはレベルが違うんだ。生きながらえたのがそれしかなかったからサンプルとして生かし続けたが、結局あの0番台からは二十年ほぼ何の示唆も得られなかった。

……そろそろ本題に入らないか?」


スリディビは落ちてきた前髪を鬱陶しそうにかき上げた。抜けるように白い頬が露になる。濡れるように黒い瞳を真っすぐに、挑むようにエドーに向けた。

見惚れるような仕草とその完璧な容貌に、エドーは片方だけ口角を持ち上げた。それは“本心”を押し隠すときの彼の癖だった。


「ova実用化の際の最大の難点は“敵か、味方かを判別できないこと”だった。しかし、そのコントロール法を先月ようやく実験段階にまでこぎ着けたことはすでに伝えたな」

「聞いている」

「で、今回の実験の主題だ。暴走化させた際に“攻撃対象”のみ限定的に指示を入れるコントロール法を検証する。現状の成功率は、およそ9割だ」

「成功した場合、コントロールがどの程度の効き目があるのかの検証に移る。支持から効き目が出るまでの時間、継続時間、対象の切り替えの可否。切り替え可能な回数に制限があるか。あまり欲張りたくはないが、項目は十ある。すべてを一サンプルで終わらそうとしなくていい。要旨はまとめてある、これを参照してくれ」


紙を手渡した。実験に関する要旨がまとまったレジュメだ。


「成功しなかった場合は?」


資料に目を落としながら、スリディビが問う。


「“完全暴走”の場合の対処はその下段参照のこと」


スリディビは改めて先ほどのレジュメに目を通す。


「処分方法はこの通りでなくてはダメということか?」

「順序は最悪どうでもいい。ただ、項目はコンプリートしてほしい。実戦では相手に情報が渡ることを一番に回避したい」


ふん、とスリディビは皮肉げに鼻で笑う。


「ちなみに。実験では、終了の合図が出たら成功例であっても同じ手順を踏んで制止させてくれ。コントロールの検証と併せて、暴走時の有効な制止方法も模索したい、とのことだ」


常のことではあるが、あまりにも人を人と思っていない、無慈悲な命令だった。


「欲張りなことだな」


スリディビは感情を見出すことなく一笑にふした。


「俺もそう思う。返答は?」

「言うまでもない。すべて承知した」


スリディビはためらいなど微塵も見せずに即座に回答した。その胆力。エドーはその強さへの感嘆と、ほんの僅かな哀れみを含んだ表情で彼女を見つめた。

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