第22話 あの日
「おい、ロブ!」
目を開けると、目前に人影があった。
明朗で柔らかい声音。額に置かれる冷やりとした大きな手。
そして、覚めるような赤い色。
夢の続きを見ているのか?
それが例え夢だとしても。声を掛けずにはいられない。
「アレク?」
すぐに、返事が返った。
「は? ずいぶんうなされていたな?」
――ああ。
一気に現実に引き戻された。
同じく無機質な部屋でも。ここは、貧民街の工房の片隅ではない。養成所の自室だ。
明るい茶の瞳が覗き込んでいる。一番に視界を捉える、鮮やかな赤い髪が揺れていた。
「サーニン」
「夜分に悪いな、ちょっと報告があって来たら、すっげーうなり声が聞こえてきたから。勝手に邪魔しちゃった」
昼間、ケンのことを話題にしたせいなのか。悪い夢見だった。
「……ロブ、大丈夫か?」
サーニンの声を遠くに聞きながら、目眩を覚えて再び膝に額を当て、唇を噛む。
* * *
その日は、“暴走事故”以来の久しぶりの闘技場の試合だった。
試合となれば、必ずついてくるはずのケンは、その日に限って来なかった。『大事な依頼が入った』という理由で。
「重要なメンテは昨晩のうちに終えてるから、心配すんな。いつも通り乗ればいい。
台下場なんて、お前なら半スクラップに乗っても勝てるだろ」
ケンらしく、すべてをなめてかかった口をきいた。
「弁当持ったか? タオルは?」
いつもながら、アレクがキイロのザックの中を検分した。
それは物心ついたときから変わらない対応だったが、もうすぐ十四歳だから、と拒否することも今となってはなかなかできない。しいていえば、「そんなことをするアレクは嫌い」と一言言えば止めるのだろうが、その代償として意気消沈すると味のわからなくなるアレクの“まずい飯”を三日間は我慢しなければいけなくなる。
そんなことをすれば工房の仲間に白い目で見られることは必至だったから、過保護へのむず痒さは多少我慢し、「大丈夫」と無難な一言で済ませた。
「アレクー。俺たちのが、今日は遠出するんだけど。弁当は?」
工房の若手、ヨハンが口を挟む。若手の三人は、今日は出張修理を請けて外出予定だった。
「自分で作れ」
「なんだよその態度の違い」
邪見にされながらもどこか期待していたお約束の回答に思わず、住み込みの若い技師ヨハンはにやける。
「無理無理、アレクは私たちなんかぜーんぜん眼中にないって」
まだ十代の女性技師マナの言葉に、場が湧いた。
「いってらっしゃい!」
陽気で大げさないつも通りのお見送り。ぶわっと巻き付いてくる、細長い腕の感覚。その時は、その束縛からどう早く抜け出そうとそればかり、思っていた。
「お、キーロじゃん」
闘技場の控え室に通じる、薄暗い廊下。後ろから声を掛けられる。Jだ。
「なんで復帰戦にオレを指名してくれない訳?」
「一期ふいにしたから、台下場からやり直し(リベンジ)なんだよ。残念ながら!」
「あ、そうだっけ」
わざとらしくすっとぼけた。キーロはその挑発に真っ向から乗る。
「今日から連日で三試合入れた。今期で勝利数稼いで上がるから待ってろよ」
威勢良く、Jの顔に指差した。
「お〜やる気だね。今度は闘技場壊すなよ」
キーロは暴走により闘技場の観覧席を一部破壊したため、それまでに蓄積された賞金はペナルティですべて没収。台上場は少なくとも一期は出入り禁止とされた。
それを揶揄しながらも、ライバル健在を実感してJはうれしそうに笑った。
「……で、台下場の戦士の分際に、何か用?」
スタンバイ準備を始めてからもオリバーが立ち去る気配がないので、キイロは不審感を露にしながら、問う。
「おー立派な自虐キャラ確立だな! オレの専属のメンテナンサーが他所でポカやって消されちゃってさ。今期からオレの機のメンテナンスをお前のとこに頼みたいんだけど」
「やめておいたほうがいいよ」
「は? 上客になる自身はあるんだけど」
「金の問題じゃない。俺が台上場にいってあんたとライバルになったら、あんたの機になにが起こるか保証できない」
大真面目に言うキーロに、Jは表情でその故を問う。
「特にアレク。過保護の域を超えて過庇護の病だから」
得心がいったようで、弾けるようにJは笑った。
「お前、それが事実だからって工房の名を貶めるようなこと言っちゃいけねえよ」
「いや、マジだから。俺への偏愛やばいから」
「はいはい、忠告ありがと」
ポン、とまだまだ成長途上で建端のない少年の頭に手を置く。
「とりあえず紹介してよ。試合終わったらここで待ってるからさ」
Jはキイロの返事を待たず、片目をつぶった。
試合が終わると、半ば強引にJが同行する形で二人は工房へと向かった。
工房への角を曲がった所で、一台の車とすれ違う。貧民街で目にかかることのない帝国の、軍用ジープ。しかも、払い下げでない“現役品”。
「珍しいな……」
Jの言葉につられて目を向けた、その後部座席の車窓に見知った顔を見た気がして、キイロは通り過ぎた車を今一度振り返って目で追った。ジープはキーロなど気に留める様子もなく、舗装もろくにされていないストリートを土煙をたてて走り去る。
「……ケン?」
きっと、見間違いだろう。と思いたかった。
だが、見慣れた切れ長の目と確かに目が合い、そして、むこうから逸らされた。それが今しがた起こった事実だった。
「キーロ? どうした?」
Jの呼びかけに応えられないほど、虫の知らせのような嫌な予感に捕われていた。
少し、動悸がする。工房へ、向かう足が心なしか速くなる。
ひやぁあああああああああああああ。
工房から転がり出てきたのは、隣家に住む酒乱のオヤジ、ペトたった。
「キーロ!!……中っ!!」
珍しく酔いのさめたような表情で、引き連れたように口元を痙攣させながらようやくそれだけ、言う。
キーロは工房の扉を蹴るように開け、駆け入った。
目に飛び込んできたのは、照明の下、固まって倒れる人型と、赤。生臭い臭気が鼻を突く。
壁にもたれかかるように並んだ、人の影。その周囲の床を染める血液の沼。その流出元は完全に動作を停止し、一目見ただけで生存の希望をかけらも抱くことができなかった。
一瞬後に足を踏み入れたJも、凄惨なその光景に息を呑む。
キイロは今、目の前で起こっていること、すべてを振り切るようにペトに向く。
「誰がやった?!」
その声には狂乱に近い精神状態を表す響きが、多分に含まれていた。
幼い少年ではあるが、キイロの自我を忘れたような狂気の形相に、この光景にすでに半ば腰を抜かしていたペトは、さらにたじろぐ。
「何も聞こえなかったのか?!」
「争う音はなにも聞こえなかった、銃声だけだよ! 立て続けに4発だ。来てみたらもうこんな状態だ」
「こんなに薄っぺらな壁だ! 何かあれば聞こえるだろ?」
「始終至る所でガチャガチャ音が響いてる貧民街(ここ)で、音のあるなしなんて気にも留めねえよ。今思えば、今日は工房がやけに静かだったけどよ」
キイロは死体に近づいた。時間の経過とともに床に吸われ、半乾きになりつつある血のりにヌルっと足を取られ、その場に崩れ落ちる。
死体と向き合う形で膝をついた。八対の虚ろな目が、虚空を睨む。はじめて、まじまじと各々の塊が誰であるかを確認した。
ダン、アレク。そしてチャドと年配の工房員。四人はいずれも後ろ手に縛られた状態で事切れていた。正確に、正面から頭を一発ずつ打ち抜かれている。背後の壁には血液と脳漿がまじったものが吹き出すように撒かれていた。即死だったに違いない。
「じいちゃん? アレク?!」
争う音がしなかったという言葉が頷けるほどに、皆の顔は穏やかだった。血液にまみれ、元の顔色が分からないほどに変色しているが、苦悶の表情がない。
「オレが見たのは、ケンだよ」
ペトが震える声で言った。
「車に乗り込む、ケンの後ろ姿だけだ」
「嘘だ!」
暴漢が入った、と言われた方がまだマシだった。なぜ、よりによってケンなのか?
今朝までこの工房は笑いに満ちていた。その日常を瓦解させた犯人が、ケンに疑いないというのだろうか?
誰よりも、その日常が、大切だと言っていた、ケンだと。
事実はそう示しているのだろうか。
ううああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
その場で頭を抱え、キイロは絶叫した。
すべてを絞り出す叫びは、主の抱えるものの大きさに比例して、凄烈な響きをもって果てしなく続いた。
* * *
工房から帝都の北門に向かう途中の花街に、Jの拠点の一つがあった。
落書きだらけで元の色を忘れたコンクリート造の建物が立ち並ぶ。どれも統一前に建てられた、いつ崩落してもおかしくないような為体。そこに凝縮された密度で老若男女あらゆる人間が住まう。
目の据わった男。あからさまに胸を強調した衣服を身にまとい、浮き出るような白粉と真っ赤なルージュで化粧した商売女。路上に放心した様子で手足を投げ出すすえた臭いを放つ人間。それらを全く意に介せず元が何か分からないほどに黒く汚れた球体で遊ぶ子ども。
空気口として設けられた極々小さな窓から、視点定まらず路上を惚けて見ている少年にJが声をかける。
「キーロ」
Jが、少年の細い腕をとった。
「……」
キイロはすっ、と逃げるように手をほどき、何者も寄せ付けないように身体の前で腕を組んだ。その目は、焦点をどこにもあてず、果てしなく暗い。
そこに昨日までの爛漫さは欠片も見えなかった。
死体を片付ける間もなく、工房を後にせざるを得なかった。背後に帝国がからんでいるということは、何時何時再び工房の残党であるキイロに手が回らないとも限らない。立て続けに工房から上がった銃声、絶叫に、近所の注目も集まりつつあった。
半ば強引に引きずるようにキイロをここへ連れて来たJは、その判断は間違ってないと考えていたが、この少年の心中を察して口をつぐむ。
しばしの間を置いて、少し躊躇しながら再び声をかけた。
「……見ろ。これをやる」
目を伏せるキイロの前に、一枚のカードを差し出した。
ランクC 所属:ジェダス ロビン・ラスキン
「一番足のつきにくい、周辺都市のCランクの身分証だ。とっておきだぞ」
一向に反応を示さないキーロに、Jは含めるように言う。
「お前は、貧民街から出ろ」
「……なんで」
掠れる声で、キーロは無表情に問う。
「天才パイロットの市場価値をなめるなよ。庇護者がいなくなったお前を、いろんな奴が狙ってる。あのゲイツもだ」
キーロが逃げるべきは、帝国だけではなかった。この貧民街で台上場で実績を残した者は、金のなる木として闘技場賭博を収入源とする者たちに目をつけられる。実際に、一日もしないうちにすでに工房には手がまわり、ゲイツの暴徒集団をはじめいくつもの組織がキイロの足跡を追い始めていた。
「残りの一生を犯罪組織の傀儡として過ごしたくなかったら、いますぐにこの身分証を使ってここを出ろ。IDが有効なのは環五都市の一、ジェダスだ。帝都内まで交通手段は手配してやる。帝都の中央駅から直通列車が出てる。行けるな?」
キーロはその問いに反応せず、ぼんやりと虚ろな表情で虚空に目を泳がせた。
「行くんだ! お前が死んだら、誰がダンの、アレクの敵を討つんだ?」
今、キーロに生きる意思を取り戻させる為に。Jはあえて説得手段として“敵”という言葉を選んだ。
それが誰も想像をしなかった方向に、少年を向かわせることになるとは露とも思わずに。
キーロはその言葉を聞くと、少しだけ光を取り戻した目をJに向けた。
そして、ゆっくり。一つだけ頷いた。
* * *
「ロブ?」
再び、サーニンに肩を叩かれる。目眩はおさまったが、鈍く頭痛がした。
「……なんだよ?」
八つ当たりだとわかっていても、対応はぶっきらぼうになる。こんなときに、アレクを思わせる赤い髪など目にしたくなかった。
「おい、その態度はなんだよ。お前の依頼の結果を持ってきたんだけど? 設計図との突き合わせが済んだ」
サーニンはロビンのすげない対応にむっとしながら、訪問の目的を告げた。
「!! ほんとか?!」
ロビンは顔を起こす。
サーニンは冴えない表情で頷いた。
「結論から言う。お前の言う通りだった。俺たちに配布されている機構図にない機能が存在した」
技師のサーニンは、自分が見つけてしまった機能の用途に薄々気付いているようだった。報告するその表情は固く強ばっている。
サーニンは頭を抱えた。
「なあ、ロビン。俺たちは一体なんなんだ? 俺は帝国民として、このことを是とするべきなのか? それが正しいのか?」
ロビンはその問いには答えず、様子を伺うようにサーニンを見つめた。
普段は明るく生き生きとした彼(サーニン)の、光を湛える目が、今は果てしなく暗い。
「俺は……」
「見つけた事実を、もしお前が否とするなら」
サーニンの言葉に被せるように、ロビンは言う。
「カルディア行きに志願してくれ」
今度はサーニンが、その真意を問うような視線をロビンに向けた。
「そこで、すべてを明かす」
ロビンが口を閉ざすと、静寂が戻った。隣室の生活音が聞こえてくるほどに、部屋の中は物音一つしない。
サーニンは顔を上げると、絞り出すように言った。
「お前のことを信頼しない訳じゃない。けど、あまりにも大きい問題だ。少し考えさせてくれ」
サーニンはそれ以上口を開くことなく、ロビンの部屋を後にした。
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