第11話 貧民街の英雄(2)

台上場で、一分で相手を沈めるという鮮烈なデビューを飾ってから、負けなしの三戦三勝を上げたキーロは有頂天だった。


「ケン、俺、英雄になれるかも」


その声は明らかに調子に乗っていたが、


「ん〜かもな」


ケンもまた、キーロのもたらす連戦連勝という美酒にだいぶ酔っていたから、まんざらでもないように返した。




臆面なく整備ドッグで勝利に酔う二人に、背後から声がかかった。


「キーロ、次の勝負、俺とやらない?」

「J!」


少年二人の驚きを楽しむように、Jと呼ばれた金髪の青年は作り物めいた美貌をにやつかせる。

台上場では、二十人が総当たりで試合を行う。一人につき、一戦ずつ。戦士は一期につき十九戦を闘うが、試合日の設定は完全に個人の裁量。一応公式な対戦日は最初に告知されるが、闘う二人の同意を得て三日前までに本部へ申請すれば、日時変更は自由だった。


一年四期の間、英雄の座を他に譲らないJに試合の誘いを受ける。その事自体が貧民街育ちの少年の胸を焦がすような、出来事だった。


「もちろん、受けて立つよ」


一片の迷いもない威勢の良い返答に、Jは面白いものを見るように目を細め、きれいな歯をみせて笑った。




***




希代の新人と常勝の王者。その初対戦に無味乾燥で会場が異様な興奮に包まれていた。今日、無一文になるもの、巨万の富を得るもの。人生を掛けた大勝負をこの試合に掛けているものも相当数いると思われた。


西方、東方の鉄製の扉から、二機のヒュージファイターは中央に進み出る。




常とは違う緊張感があった。その緊張感を楽しみながら、キーロはマシンとの同化を終える。


「fight !」


主審のかけ声と共に、


先手必勝。とばかりに、キーロは速攻を掛けた。通常の操縦者であれば、待ち構えていても受け損ねるほどのスピートだ。が、王者の貫禄でJは物ともせずその一撃を受け流した。もう一撃。さらに左からも。間髪入れずに攻撃を繰り出す。が、思ったほどの結果を上げられなかった。


一旦間合いをつめていたものを退き、体勢を立て直す。悔しいほどに隙がなかった。じり……と相手の動向を伺いながらも、歯嚙みする。ヒュージファイターに乗って初めて経験する、焦燥感。


そこでJから回線が入った。


「すげえよ。その年で完全に同化をコントロールできるってのは」


手放しの賞賛。


「けどな」


しかし、直後に逆説の接続詞が出た。


「こっちは丸一年、命かけてしのぎ削ってんだ」


気合いを入れるように、Jは声を張り上げ、一喝した。




「まだまだ、甘い!」




空気が、変わった。強化ガラスと装甲に隔てられた操縦室の中のはずなのに、キーロは顔面に熱風が吹き寄せたような間隔を覚えた。


目の前のヒュージファイターが、ゆらりと体制を直す。

正面から対峙した瞬間。どうにもならない圧倒的な力の差を感じた。


自分の同化を操れる能力と、操作の才能があれば、台上場で勝利を勝ち取ることは容易いと思っていた。けれど、それがいかに井の中の蛙的思考だったか。キーロは今思い知った。自分はいままで知らなかっただけだったのだ。真の同化を得た者のことを。

レバーハンドルを握る手が、重かった。心はヒュージファイターと離れた所にあった。


その時点で、この勝負はキーロの負けだった。




HFは無惨に打ち砕かれていた。


「……悔しい」


ギリ、と音を立てて奥歯を噛み締めた。涙など一滴もでない。喉が焼け付くように痛み、目が血走っていた。声を忘れたようにキーロは唸った。それほど、悔しい。


「あいつを倒さない限り、俺は英雄になれないんだ」

「キーロ」


ケンの声も、また怒りに震えていた。自分の子どものような、大切な機体をめちゃくちゃに壊された、やるかたのない憤懣がこもっていた。


「あいつを倒す術を絶対に見つける。来期まで時間をくれるか?」


あの時、チンピラに。容赦のない攻撃をしかけたときの、薄ら寒くなるような冷酷な表情が、一瞬ケンの顔に浮かんだ。




***




闘技場の一期が終了すると、即座に次の期(クール)が訪れる。

今度は、キーロが初戦の相手としてJを指名した。


先期は結局四戦目にしてスクラップと化した愛機に替えて代替機を使用し、勝率6割5分で6位という初出場にして相当な成績をおさめたが、キーロとケンの頭の中は圧倒的な力の差を前に屈辱をなめたJへのリベンジマッチしかなかった。


「別にいいけど?」


Jは気負いなく応じた。




***




正面には閉め切られた巨大な鉄扉。その向こうには無味乾燥な闘技場が広がっている。


数分後には戦闘が始まる。

スタンバイを急かされ、キーロは一段、また一段とコックピットへの足がかりになるタラップを踏みしめた。

コックピットに乗り込む。いままでのHFとまったく異なる操作盤が目の前にあった。操作の一通りは口頭で説明されているだけ。


鉄扉が、ギイと音を立ててあがり始める。

闘技場を挟んで正面に、Jの乗るヒュージファイターが見えた。


『同化すれば、感覚でわかる』


とケンはいった。


――勝てるなら、どんなことでもする。


幼いながら、戦士としての誇りを傷つけられた者の、執念がここにあった。

先刻、ドックで会話したケンの声が聞こえる。


『今までのものとは全く違う。新しいヒュージファイターだ。

普通の戦士には同化と同等の能力を与えられ、同化ができる戦士には……能力を最大値まであげられる。後者の発動契機は同化の瞬間だ』


ギリギリまで睡眠を削って整備していた、その落ちくぼんだ目がギラギラと光を湛える。


『同化した瞬間、通常よりも大きな力を得ることができる。ただし……』


溢れていた自信が少しなりを潜め、一瞬、言葉をつまらせる。


『……コントロール不能になる可能性が高い』


ケンの目には迷いがあった。おそらく、貧民街最強のHFを生み出したという自負と、それが欠陥を抱えている可能性があるという負い目。成果物を試してみたい技師としての好奇心と、操縦者にそのリスクを負わせることを否とする技師のプライド。


その狭間で、揺れていた。


『乗るに決まってるだろ』


キーロは、ケンの逡巡を一蹴した。


――オレは、Jに、勝つんだ。


その気持ちがすべてだった。

ギッと、強い意志を込めてコックッピット越しに対戦相手(J)を睨みつける。




一つ静かに息をついた。前頭部に意識を集中する。すう、と体中の脈博が、一瞬にして一箇所に集う。それが、同化の開始の合図だった。




ケンの迷いを感じ取りながらも、この機に迷いなく乗ろうと思ったのは、自信があったからだ。どんなHFであろうと、自分の手足のように動かしてきた。自身の操作技能に対する絶対的な信頼。自分のコントロール下におけないHFなど、ない。という自信。


しかし。それは、幼すぎる過信だった。


次の瞬間に襲ってきたのは、いつもの同化とは明らかに異なる感覚。ドクン……と大きく心臓が波打つ。頭を横殴りにされたような衝撃。

そこで、キーロの意識は途絶えた。






Jの目には、目の前の機体が、膨らんだように見えた。


疑問を持つ間もなかった。キーロの機体は、あり得ない速度で右腕を繰り出した。Jの左腕を掴んで動作を封じると、容易に動けなくなったJに向かって左のメイスを繰り出した。Jは直感で危険を察知し、左腕を切り捨てて後退した。寸での所でメイスが胴体基部をかする。主要な武器を失ったが、左腕を捨てる決断をしなければ、跡形もなくコックピットが粉砕されていた。


「……どういうこった」


明らかに通常のキーロとは異質のものが眼前に存在する。得体の知れないそれに脅威を感じながら、Jはゆらりと左右に揺れながら近づくマシンを正面から見つめた。






「……っ、まずいな」


駆け込んだアレクが見たのは、片手を失ったJの機体と、会場内にもうもうと立ちこめる硝煙。飛び交う観客の罵声と人の波。混乱。そして、あからさまに過剰な動きを見せるキーロの機体。その光景にすべてを察し、即座に手のうちにある装置を起動させた。


アレクが手に持っていたのは、小箱のような装置だった。起動音とともに、何か、が周囲を劈いた。会場にいる人間皆が、思わず耳を押さえる。音ではない……何か鼓膜を直接ふるわすような衝撃が襲ったからだ。

途端、キーロの機体は動作を停止させた。が、一瞬の後、もがくように体を波打たせ、再びJの機体へ襲いかかる。


「くそ、止まりきらない!」


アレクが叫んだ。

それと同時に、キーロの機体がまた動作を止める。何度か身を震わせると、内側からの衝動と、外からの抑制の狭間で耐えきれなくなったかのように……

自らを炎上させた。


「キーロ!」


Jは自機をキーロの機体に身をそわせると、自機用の消火装置を発動させた。

激しく煙を吹き上げながらも、火の勢いは急激に弱まり、表面を黒く焦がした機体があらわになる。


「早く! キーロを引きずり出せ!」


Jは外に向けて、叫んだ。

すぐ側まで駆けつけていたケンが即座に動いた。煙を噴いて傾ぐヒュージファイターに飛びつく。ハッチに手をかけた。熱せられた金属が、素手を焼いたが、そんなことはまったく意識の外にあるように怯むことなく扉を開ける。顔を背けたくなるほど、熱気のこもったコックピットから、意識のないキーロを引きずり出した。




***




全身に大小無数の裂傷が走り、右足の下部は包帯の隙間から衣服と熱で癒着し、めくれ上がった皮膚が覗く。清潔とは言いがたい診療所で、辛うじて応急処置が施された状態で、顔も清められておらず、汗と粉塵にまみれた顔面が痛々しかった。


目をかたく閉じて横たわるキーロの姿に、ケンは思わず目を背けた。

アレクが有無を言わさず弾劾するような視線を向ける。ケンに詰め寄った。


「このマシンを生み出せるお前が、元をただせば何者だろうと俺は関知しないつもりだった。〝すべての者を受容する〟それが貧民街のルールだから」


ケンは無言を通していた。


「だがな。近しいものをこうも傷つけられて黙ってられるほど俺は寛容じゃないんだよ」


低く、限りなく低く。アレクの声音が怒りに震えていた。


「お前、帝国の者だろう?」

「……」


ケンは表情を変えなかった。ほんのわずかに、目の端を動かしただけ。


「お前が応というまでもない。キーロを救った時にお前がみせた動き。帝国で幼少期から特殊な教育を受けてきたものだけが知るはずの体術だよな。

何故知っているかって?――それを俺も会得しているからさ」


与えられたヒント。今度は、ケンの表情が明らかに変わった。


「アレク……あんた、あのアレクセイなのか?!」

「そうだ。二十三年前、このマシンに搭載された技術を生み出した史上最悪の技師。それが俺だ。……お前は何の知識もなしに送り込まれたのか? 帝国らしいやり口だな」


アレクはつまらなそうに言った。

ケンはなお、驚愕した表情を崩さない。


アレクセイ・オルノワ。従来のHFの発想を一新した新型HFの原型を構築し、帝国の技師の最高位、特許技師の称号を若干十八歳で得た天才。しかし彼は、新型を世に発表して二年後、忽然と姿を消した。


「正直驚いたよ。闘技場でのキーロの敗戦以降、お前の様子の変化にただ事ではないことをしでかしてくれるなと思って注意を向けていたが。まさかそれが新型の生産だとは間際まで気付かなかった。あの複雑なヒュージファイターの機構を、よもやここまで簡易化し、同様の効果を生むマシンを設計できる奴がいるとは毛頭思わなかったからな。すげぇ才能だ。


……だがお前は未完成を承知でキーロを乗せた。それが俺は許せない」


怒りはケンに向いているはずだった。が、アレクの視線はケンをはるかに越えた遠くを見ている。


「技師には、新しい技術を生み出す力がある。が、同時に、それをコントロールする術を用意してから世に出す義務があるんだよ。お前はカレイマラに行ったことがあるか?」


アレクは唐突に統一戦争の最後の併合地の名を出した。


「あそこには俺の罪がことごとく埋まっている。あれを教訓にできない奴は、人間止めた方がいい」


吐き捨てるように言って、ケンに焦点を戻す。


「お前はカレイマラのことも、ターゲットである俺のことも、何も知らずにここに送られた。帝国の言うことを一つとして疑わずに。

帰ってここで開発した新型の簡易製造法を伝えるか? 俺の使った制御装置を伝えるか? それが何に使われるかもしらないままに?」

「そうだ。それが、俺の使命だから」


開き直るように、ケンは言った。

アレクは鼻で笑った。


「未来予想図を教えよう。お前が簡易製造法を持ち帰る。それに乗るのは年端もいかない子どもだ。貧民街で開発された量産型HFとカレイマラで量産されたパイロット。お似合いだろ? その後の展開がどうなるか……みなまで言わずとも、お前ならわかるはずだ」


ケンは、その言に応とも否とも答えない。だが、ほんの僅かにその瞳が揺れたのをアレクは見逃さなかった。畳み掛けるように、続ける。


「ケン、お前はスパイとしては失敗した。出自はとうにバレてるし、その上俺を怒らせた。一方で俺はお前の能力を評価している。技師の具現化みたいなバカ正直な性格もな。そして、偽りだったはずの貧民街(ここ)での生活にお前が心から幸せを感じていることも手に取るようにわかる。

――なぜなら、お前は。自分を過信して、自分の技師としての好奇心を抑えきれずに大きな過ちを犯した二十三年前の俺自身だからだ」


後悔すら許されない、自分が生んだ凄惨な事実。今、アレクはその過去と正面から対峙していた。


「その結果、俺は無数の人間を犠牲にした。もう何をしても取り返しがつかない。だが、お前は、まだ人を殺めてはいない。道を誤ってはいない」


だからこそ、この少年に同じ轍は踏ませたくないのだ。


「今から二択を用意する。お前自身が、どちらか選べ」


普段のおちゃらけたオヤジの様子は微塵もない。数々の修羅場をくぐり抜けてきたことをまざまざと感じさせる、喉元に切っ先を当てられるような鋭い視線が、ケンをまんじりともさせない。


「覚悟はいいか?」


そして、アレクは究極の二択を繰り出した。




***




「目を覚ましたってな?」


キーロの暴走から丸二日、Jが工房を訪れた。

ベッドからはまだ離れられないが意識は回復しているキーロと、その傍らにたたずむケンが迎えた。


「本当に。ふざけたことしてくれたな」


部屋に入るなり怒りを露にして、射るような視線を二人に送った。

ケンはその視線を正面から受け止めきれず、下を向く。


「オレは、お前たちをかっていたんだ。実力だけで抜きん出られる貴重な存在、裏操作がはびこるきたねえ闘技場で、まっとうな勝ち方のできる奴らだと思ってたからな」


上半身だけ起こしたキーロも、手痛いところを真っ向から突かれて恥じ入るように俯いた。


「だけど、こんなん、全然まっとうじゃねえよな。キーロ、お前チンピラ相手に小指折られたのは、それが許せなかったからじゃねえのか」


Jの弾劾は容赦ない。二の句が告げない二人の少年を順に見つめて。


「オレたちは戦士として圧倒的なアドバンテージがあるんだよ。お前はダンやチャド、アレク。それにケン。超がつく優秀な技師がついてる。そして、俺にはそれを買える金と有り余るほどの暇がある」


Jには闘う理由があった。〝ナンセンス〟そんな言葉が似つかわしいほど強大な相手に誓った復讐。その重荷を背負う覚悟を、改めて自分自身に言い聞かせるように。目の前の少年にぶつける。


「だが、ここで闘う大半の奴は、そのすべてを持っていない。闘うためには金を得なければ勝てない奴らだ。搾取されても、それに応としか応えられない奴らだ。

だからこそ、そういう奴らのために、俺やお前が実力で這い上がるんだよ。この貧民街に夢を与えるんだ。何もなくても虐げられるだけじゃねえ、状況は自分の力できっと変えられるってな」


揺るぎない決意、それを暗喩する強い気持ちが込められた言葉。


「俺は、俺の力ですべてを変える。――英雄になるんだ」


――英雄が、英雄を目指す?


その妙な言い回しに、キーロは怪訝そうな顔をしたが。……ケンはJの言葉の真の意図を感じ取った。

そして先日、アレクから突きつけられた二択に出した自分の答えを、もう一度心の中で噛み締める。


「今度は、実力で来い。約束だぞ、ヒーロー」


Jはキーロに向かって、言った。


「返事は?」


握った拳を、少年に向ける。


「わかったよ」


キーロは差し出された拳に、わずかに自分の拳を当てた。それは、貧民街の子どもたちの、誓いの合図だ。






――だが、結果として。その約束は果たされることはなかった。


キーロは怪我が治癒した後も、貧民街の闘技場に姿を現すことはなかった。

そればかりか、最強の戦士とうたわれた二人は、数月も経たないうちに貧民街から姿を消すことになる。


そのことを今この場で知っているのは、ケンだけだった。






Jが部屋を去ると、ケンはキーロの方に向き直った。火傷で赤黒く変色した、細い指先を眺める。


「ただ真新しさや最上を求めるのが罪か。オレたち技師が新しい技術を生むとき。そこに他意はない。……謝った使い方をする方が悪いんだ」


ようやく聞こえるような調子で、ケンは呟いた。


「……ごめん」


素直に、キーロは謝った。本当に、その通りだと思ったからだ。

しかし、ケンは否定するように激しく首を振った。


「違う! 謝るな! そう思って疑わなかったこと、それが、俺の一番の悔いだ」


絞り出すように、言う。


「人間がこんなに簡単に傷つくなんて、思いもしなかった。自分がこんなにも恐ろしい存在だと、気付きもしなかった」


心から、頭を下げる。


「すまない」


ケンの中に、アレクからの二択が重くのしかかった。近い未来、自分がこの少年を不幸にする元凶になるのだ。


「キーロ。本当に、すまない」

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