第19話 南方任務(4)
実験は道半ばだったが、中断せざるを得ない状況だった。
選抜兵の一人は上官へ歯向かった咎で矯正施設送りを告げられ、精鋭兵の二名も精神的ダメージが大きく使い物にならない。
一旦引き上げたリビングルームで、腕を組んだまま壁際に立ったエドーは、深く椅子にもたれかかるスリディビに視線を向けた。
「“試し”の方は成功したわけだな。弱者のピックアップはできた、と」
エドーの声に多分な皮肉を感じて、スリディビは相手を睨んだ。美しい容貌も相まって、ぞっとするような凄みがある。
「個人的な意見を言わせてもらうと、これほど惨憺たる結果がでるのであれば、任務と選別は別にして欲しかったところだ。三人つぶしてどうする? 端から任務に適合する精鋭兵を送れって話だ。この態の実験を淡々とこなせる精鋭兵はたくさんいるだろ」
「選別の方にも時間がないんだ。大局を前に、膿みは出しておかなきゃいけない。ブレる奴はいらないからな」
真っ向からの避難にも、スリディビは表情を崩さない。
「それに、各々をむざむざつぶした訳じゃない。タリムの矯正は想定内だし、ヤンについても目的は達した」
タバコの先を見つめていたエドーは、その言葉を受けて怪訝そうにスリディビに視線を送る。
「“奇襲”の人員としてヤンを確保しておきたい。だが、現状のままでは不安だった。カレイマラで揺さぶりをかけても揺るがないほどにコード99の教育の効果があればそのまま連れて行くことができる。
そして、もしそうでなかった場合はレジを“人質”にする。その大義名分が必要だった。それが、今回のカレイマラでの選別の本質だ」
エドーはお手上げ、の身振りを見せた。
「で、ここから今の事態に混乱を見せるレジは矯正施設送りにして人質作戦が完成、か? 改めて、お前はすげぇよ。……だがな、スリディビ」
エドーはテーブルを隔ててスリディビの向かいの椅子に腰を下ろした。
「帝国兵であるお前に相手を思いやれとは言わない。が、そいつの人格を一旦受け入れてなおかつ巧く使う。その程度の度量がないと、いつか限界が来るぞ。相手は、死人でも化けもんでもない。――人間なんだ」
しかと、スリディビの方を見据える。
「怒られりゃふて腐れ褒められりゃ増長する。とネガティブばかりは考えるな。怒られりゃ学び褒められりゃ伸びる、そう考えることも必要だ。他人は、お前が思っている以上に物事を感じ、考ることができる」
「エドー」
スリディビは伏せていた目を上げた。
「他人を思いやる。それができる人間ならば、私はこうはならなかった。そう思わないか?」
エドーは、その問いには答えず、片方だけ口角を持ち上げた。
***
ヤンとレジは、一つのベッドに身を寄せ合っていた。
幼い頃はそれが日常の習慣だったものを、十歳で周囲から異性の同衾は体面が悪いと引き離された。それでも二人は“何か”あるとどちらかの部屋を訪れ、一緒に一晩を過ごした。
“何か”は大抵、訪れた方ではなく、訪問を受けた方に起こっていた。
不思議なことだが、二人は元々一つのものが分化したかのように精神を共鳴させることが多かった。周囲の誰にも理解されないが、性別をも超えた分身のような存在。それが二人の関係値だった。
「ねえ、ヤン」
沈黙の音が耳をつくほどの静寂の中、レジはヤンの胸に片頬を当てて心音を聞きながら、不意に言葉を発した。
ヤンの部屋。レジの訪問の意図は明確だった。その理由となる出来事を、二人は共有していたから。
「私、わかっちゃった」
ヤンはやや首を起こして、レジの頭頂部へ目を落とした。頭を起こして上向けたレジの、つややかな瞳と、目が合う。
「私たちも、あの子と同じだったんだね」
「何が?」
「しらばっくれないで。私は、ヤンほど頭はよくないけど。この状況下であの時、オンラインネットワークの画面で見てしまった情報が、何を指すかくらいわかる」
ヤンは沈黙した。
どんなに巧妙に隠そうと、いずれレジに指摘される日が来ると思っていた。
施設長をおとしめようと画策したのは、レジとの悪ノリからで、初期のクラッキングは常にレジと二人で行っていた。
『出生地――カレイマラ』
二人の欄に一言だけ記されたその言葉を、ヤンがすべてを知るきっかけとなった初期情報を、レジは目にしているのだから。
レジは、任務遂行に対しては、一切の感情を排除することができた。その点では養成所の教育は行き届いていたということだろう。しかしその反動なのか、殊に自分に紐づくものに関しての感受性が行き過ぎるきらいがあった。
その場では、お互いに表立って“それが何を意味するのか”について触れなかった。本心を秘める術を取得している二人だから、表立って聞かなければ、レジがその情報に対してどういう感情を抱いたのか、ヤンに知る術はない。
だが、聞けなかった。触れられなかった。
カレイマラ――その言葉(ワード)をみた瞬間に、その背景を瞬時に仮説として組み立てていたヤンには、その事実がレジに与える影響が怖かった。レジの様子を探ることで、下手に寝る子を起こしたくなかったのだ。
しかし、今。
レジを慮って黙っていたことが裏目に出て、その事実を一番ダメージを与える形でレジに直面させることになってしまった。
イアンに情を移してしまった代償は大きく、よりにもよってすべてをレジに負わせてしまった。
傍らのレジからは、精神の揺れがダイレクトに伝わってくる。
「私たちはカレイマラで作られた機化種サンプルなんでしょ」
知られてしまった。この最悪の状態で。
「……」
深い後悔。何も、何も言えない。
「自分が作られた存在っていうことが、悲しい訳じゃない。人を屠ることに自分が何の感情もわかないことも、もう知ってる。一つだけ、悲しいと感じたことがあるとすれば」
レジの頭が、力を失ったように再びヤンの胸にもたれかかった。
「なんであの子はあんなに簡単に死ななければならなかったのかな? 私たちと何が違うっていうんだろう? 私たちもけっして、人として扱われてきた訳じゃない。たぶん、何か大切なものが欠けているんだろうとは思う。でも少なくても」
レジは、心に溜め込みすぎたものを少しでも吐き出そうと、大きく息をついた。
「死ぬ為に生かされている訳じゃなかった、よね?」
「……」
「ねえ、こういう時。どうすればいいのかな?
タリムはね、祈っていたの。起きた時、寝る時、食事をする時。自分が何かを抱えた時。祈りで問うんだって。祈りって、端からみてても静かで、純粋で、すごい力を感じたよ。でも、私たちには祈るものがない。泣くこともできない。どちらも取り上げられちゃったから」
ヤンは無言でレジの髪を撫でる。
「ヤン、あの子のことなんでイアン(大切な)って呼んでたの?」
ヤンの手が止まった。耳を押し当てる鼓動が高鳴ったのに気付いて、レジは身を起こしてヤンの両頬を手で挟み込んだ。
「ごめん、ヤン。嫌なこと、思い出させたね」
レジは真摯に謝る。
ヤンは首を振った。それは、レジに対して平常をアピールする意図と、自分の過去の行動に対する否定。どちらの意味も含んだいた。
「……珍しく、感傷的だったんだ。“作られた者”に似合わないことをするんじゃなかった。知ろうとなんて思わなければよかった。」
「ヤン」
ヤンの心情の吐露に、レジは顔を歪ませる。
「救えるなんて嘘だし、救おうと思うこと自体ナンセンスだったのに。そう分かっているのに、何かしてやりたかった。何かできるんじゃないかと、思ってしまった。……でも、やっぱりすべて間違いだった」
「ねえ、ヤン。違うよ。それで正しいんだよ。ヤンはイアンのことを好きで、好きな人のために何かをしてあげようと思うのは当たり前なんだよ」
レジは一つ一つを確かめるように、話した。
「私たちは、用途のために生きてるんじゃない。自分の為に生きるの。おいしいもの食べて、好きな人の顔見て喜んで。くだらない話をして面白がって。泣き方は覚えられなかったけど、自分で、自分の好きなものは見つけられる。その気持ちは誰にも奪えない」
自分たちは、人生において自分自身の生きる意味を考えたことなど一度もなかった。
だから、はじめて紡ぐその一言一言を、レジは自身にも言い聞かせているのだと、ヤンは感じる。
「ふつうの人間と、いっしょだよ」
「……うん」
「だから、こんなに苦しむし、悩むんだよ」
「……うん」
「そうだよね?」
レジは念を押すように、もう一度確認した。
「ヤン。もう少し先になると思うけど。私たちの役目が終わったら、自分のために生きよう」
自分たちの未来。それに対する期待。
そんなことがあることすら考えたこともなかったが、それは確かに存在すると、二人は今、気付いていた。
***
「ねえ、ディビ」
柔らかい声音が、後ろからかかった。
その存在が、自分の肩に手をかけようとする気配を感じる。
スリディビは振り向き様に。その手を薙いだ。
レジは瞬時にその防衛行動を把握し、腕をほんの少し後退させてその衝撃を相殺する。手に持ったナイフは、握られたままだ。
「ほんと、何考えてるかわかんない子だね」
「何でわからないのか、わからない」
スリディビは隙なくレジに相対すると、袖から仕込みナイフを滑らせ、手にとる。
じり、と間合いを計った。
左にナイフを渡す。素振りをほんの一瞬見せて、スリディビはそのまま右手を伸ばし、最短距離でレジの喉元を狙った。リーチはスリディビの方が優位だった。が、最初のフェイントをものともせず、それを上回る速度でレジも相手に迫っていた。はらり、とお互いの髪の毛が一筋床に落ちる。
スリディビはレジの喉にナイフを突きつける。レジのナイフの切っ先もまた、同じ距離でスリディビの頸動脈に押し当てられていた。
「お前は一番見込みがあると思っていた。実力もある。精神も安定している。矯正も必要のないほどにね」
淡々と言葉を紡ぐが、極限まで緊張の糸は張りつめていた。
「残念だよ。いい子でいればお前のままでいられたのに」
「いい子はやめたの。面白くないんだもの」
レジはこの切羽詰まる状況下で、微笑みを見せた。その様子に、スリディビは失笑する。
「自我を捨てさせられる前の手土産として、一つだけ教えてあげようか。実験の子。お前の力は帝国軍で一番価値がある。だから何をしようと殺されない」
その言葉に、レジは目の前が暗転するのを感じた。
一人で衝動的に帝国への離反を決めた彼女(レジ)が予期していたのは二つの未来だった。大事を前に、帝国の手駒を一人でも減らしておくことが一つ。それが失敗した場合には、意に従い処分され、ヤンを自由の身にすることがもう一つ。
しかし、スリディビの言葉は、“生かしながら拘束される”というレジにとっては最悪の、予想もしなかった第三のパターンだった。
スリディビは相手の動揺を見逃さなかった。自分の脚でレジの脚を瞬時に払う。レジが精神を揺さぶられまいと意識をそらし油断していたとはいえ、行動を全く予期させない、動きの前兆を相手に間際まで感づかせない、見事な蹴りだった。
レジは床に崩れ落ちる。
スリディビは即座にその上に乗りかかり、少女の動きすべてを封じた。
「けれど、お前の力は必要されていても、そこに意思は必要ない。だから、私はこの命令を下す」
続くのは、
「お前は上官に逆らった。タリムと一緒に矯正施設行きだ」
ひたすらに無情な宣告。
「さよなら、レジ。“お前”と会うのはこれが最後かもね」
首へ、一打。レジの意識は、その意思とは真逆に、遠のく。
「最後まで、せいぜい帝国の道具であってくれ」
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