第22話 二人の堕天使
「はあぁぁっ!」
俺は嵐のように激しく荒れ狂う大鎌を必死に眼で捉え、それを止めようと剣を思いきりぶつける。金属音が激しく響いたかと思うと、その音は加速度的に頻度を増し、先ほどよりも早く俺は剣を振るわなければならなかった。それが当然長く続くはずもない、次第に俺は押され、距離を取らなければならなくなるはずだがそうはならなかった。右から白峰の拳が伸び、それをデーツェは大鎌でいなす。だがそこでは連携が終わらず、白城の投擲したくないと、彼自身が使う短刀による接近戦の時間差攻撃が立て続けにデーツェへと繰り出される。それは流れるような連携であり、これだけでは終わらなかった。デーツェは二人の連携をあの大鎌で正確に弾きながら後方へ移動する。だが、それを見越して既に背後から高速で近づく人影があった。
「あたしを、忘れんじゃないわよ!」
どこからか現れた白影はハルバートを構えながらデーツェの背後を取っていた。彼女による渋谷のお返しと言わんばかりの高速の突きはデーツェの背中目掛けて、奴のわずかな着地時間を狙ったものであり、致命傷とはいかなくとも、かすり傷程度なら間違いなく与えられるだろう。だが、その期待は即座に裏切られることとなった。信じられないことに奴は着地と同時に再度高く跳躍して白影の頭上を通り越し、彼女の後方へ着地した。
「いい連携です。もっともっともっと楽しくしましょう!」
奴は戦いを心から楽しんでいるようだった。俺たちは阿吽の呼吸の如く既に次の一手のために動き始める。先ほどよりも早く奴の反応速度を俺一人で越えられなくても五人ならと俺たちは眼前の敵を仕留めることだけを考えている。俺は剣による斬撃の次に白影のハルバートによる薙ぎ払い、白城が投擲したくないに合わせた白峰の肉弾戦、白城の素早さを活かして直前まで軌道を読ませない白百合の弾丸……一つ一つの攻撃はどれもデーツェに隙を与えまいと間髪入れずに繰り出されているものだ。しかしデーツェはこれを笑みを崩さずに全てを捌き続けるだけでなく、時には俺たちに向けてその大鎌を振るってくる。明確な死の恐怖に足がすくみそうになるりだが俺は歯を食いしばり、諦めずにデーツェへ仕掛け続ける。
「うぉぉおおぉぁあああ!」
今まで出したことがないような雄叫びを上げ、全身の力を振り絞って俺は奴の動きに喰らいつく。まさに自分の限界を越え続ける所業、呼吸すら忘れそうになりながらひたすら剣を振るい、それに白峰たちは着いてきてくれていた。
俺たちとデーツェの戦闘が始まって約十分、たった十分ではあれど、常に死の恐怖に晒されているという緊張感故にその時間が正確なのか俺には分からない。もしかすると本当はもっと短い時間なのかもしれなかった。だが、それでも奴には紙一重届かない、確実に迫ってきているという実感はあるが後もう一手届いていなかった。俺たちは疲労を感じながらもデーツェと対峙し続けている。周りを見ると、やはり皆は息が上がっている。それに対してデーツェは疲れるどころかまるで俺たちの攻撃を待っているかのように距離を詰めずにその場で大鎌を構えている。
「ヤバいな……。」
俺は現状をざっと確認すると焦りが湧いてきた。俺たちは人間であることに対し、デーツェが天使だという時点で俺たちに勝ち目は無かったのだろうか。俺たち人間からすれば奴はただの災害のようなものなのか、俺は地面に膝をつきそうになるのを、奴への反骨精神だけで堪えているような状態だった。
(玲司、一つアイデアがあるんだ。)
脳内にリアンの声が聞こえてくる。
(この状況がどうにかなるならなんでもいい。何をすればいいんだ?)
もうリアンに託すしかない。他力本願になってしまうのは心苦しいが、何も出来ずにここで死を待つよりはよっぽどマシだった。
(いや、玲司は何もしなくていいよ。でも時間が欲しい。)
(分かった、なんとか稼ぐから頼んだぞ。)
「もう無理でしょうか。楽しい時間というものは終わるのがあっという間ですねぇ。残念ですが、そろそろ……殺しますか。」
デーツェは平然と言ってのけた。すると奴は大鎌を振り回し、今にも襲いかかろうとしていた。俺は時間稼ぎのために、咄嗟に口を開いた。
「おいおい、殺していいのか?」
「……? どういう意味ですか?」
こちらへ距離を詰めようとしていたデーツェは動きを止め、俺へ問いかけてきた。俺の突然の問いに戸惑ったのはデーツェだけでなく、白峰たちも同じようだった。
「俺たちはまだ若い。この先もっと強くなるかもしれないだろ? それを今殺すのは勿体無いんじゃないのか?」
白峰たちには俺が命乞いをしているように映っているだろう。だが俺には別の意図がある。リアンの考えがどのようなものか俺には分からないが、時間が欲しいと言われた以上精一杯稼ぐことしか俺には出来ない。
「確かに、貴方の言うことは理解できます。ですが、情けは私のためになりません。」
「どうしてだ? 俺たちがもっと強くなれば、お前だって楽しめるんじゃないのか?」
「一度情けをかけたとしても、私に追いつくことは決してありませんよ。なぜなら私は天使、そもそもの次元が違うのです。それに舐められては困ります、本気の殺意があってこそ刺激は最高潮に達するのです。」
奴が納得してこの場を去ることは光還者としての俺ならまだ喜べるかもしれないが、一般人としての俺は困る。一日でも早く目の前の悪魔を倒さなければ俺の心に平穏が訪れることは無いと断言できるからだ。
(リアン、後どれくらいかかる?)
(後少し……。)
「戦意が欠け、命乞いをし始めている貴方がたに用はありません、死になさい。」
デーツェは冷たく、殺意を持った目で大地を蹴った。死という恐怖が俺の全身を支配し、息が止まる。数秒後には首が飛んでいるという具体的なビジョンまでもが脳裏をよぎった瞬間、頭上を眩い光が高速で通過した。その光が見えた直後、轟音が辺りに響き渡る。俺は以前に見たことがあった。
(皆さん、大丈夫ですか!?)
「白百合さん!」
渋谷で見た鬼を清めるために光還者が使う奥義、閃光であり、白百合さんが放ったものだった。その光の奔流はデーツェのいる地面に着弾すると俺たちの視界はその光で満たされ、思わず俺は目を逸らす。その光が消え、デーツェがいた方を見るとデーツェは間一髪でそれを避けたのか、珍しく顔が硬直していた。
「ふぅ、危なかったですねぇ。冷や汗かきましたよ。」
冷や汗、奴は今冷や汗と言ったのか。そんな言葉が奴の口から出てきたことが俺には信じられなかった。何故今まで完璧に俺たちの攻撃を躱し、捌き続けた奴が白百合さんの閃光を、しかもあれほど巨大な攻撃に気づかなかったのか。俺はそこに勝機を見出せるような気がした。
(やっぱりだ。玲司、準備が出来た。後は他の皆に頼みたい。)
(あぁ、何を頼めばいいんだ?)
(天導術で天界を擬似顕現させて欲しいんだ。それだと僕がやりやすくなる。)
(分かった。)
俺は彼女の意図が何か考える余裕もないほどに焦っていた。この選択がどういう意味なのかも全く知らない状態で急いで白峰たちに向けて口を開く。
「皆、お願いがある。」
一斉に白峰、白城、白影の視線が俺へと集まる。三人は疲労を感じさせるような表情で、俺にすがるかのような視線だった。俺にかかるプレッシャーは大きいものだろう。そんなことなどお構いなしに俺は矢継ぎ早にリアンの指示を伝える。
「全員、天導術でここらを一時的に天界にして欲しい!」
「何故だ? ここを天界にしたところで……。」
白峰が俺の提案に疑問を抱いているようだが、説明している暇は無い。
「細かいことは気にしなくていい、今は俺に賭けてくれ!」
俺に賭けろなんて自分でハードルを上げるようなことを叫ぶとは我ながら不思議だ。普段なら絶対に言わないようなことを言わせるほど状況は切迫しており、白百合さんのカバーでかろうじてデーツェを足止めできているが、それもいつまで保つか分からない。
「やろうよ、丹羽っちがここまで言うんだもん。」
一番最初に納得してくれたのは白影だった。俺と彼女の目が合い、お互いに頷く。
「分かった、白城もそれでいいか?」
「うん、丹羽君に託すよ。」
白城も白峰も納得したらしく、三人は翼を広げて飛翔し、それぞれの位置に辿り着くと片膝をつき、地面に手を当てる。
「天導術、天界擬似顕現!」
三人の声が重なり、いつか見た空間が広がる。戦場という殺伐とした空気であったはずなのだが、一瞬広大な花畑の真ん中にいるのかと錯覚するほど心地良い空気に染まる。
「ほう、これは懐かしい雰囲気です。ですが、それをしたところで私が楽しめるとお思いですか?」
「お前を楽しませるつもりなんてねぇよ。」
俺は精一杯強がって見せた。それは自分を奮い立たせるおまじないのようなものだ。
(リアン、これでいいんだな?)
(あぁ、バッチリだよ! それじゃあ……後は僕に任せてよ。)
「は? それはどういう……。」
俺が言葉を全て口にする前に意識は遠のき、リアンの言葉の意味が分からなかった。彼女の言葉はどこか儚げで、何故か切なかく、脳裏でそれだけが反復しながら俺の意識は途絶えた。
「玲司?」
「丹羽っち……?」
「丹羽君……なの?」
周りから何か声が聞こえる。それは目覚まし時計のように俺を眠りから覚まし、俺はゆっくりと瞼を開く。リアンの言葉を最後に、自分の意識がなくなってからどれだけの時間が経ったのか俺には分からない。だが、目に飛び込んできた光景を目の当たりにすると、それらはおおよそ解決した。
「これは……?」
俺の眼前に広がっているのは気を失う直前まで俺がいた場所そのままだった。一つ違う点があるとすれば、俺は幽体離脱したかのように俺の身体を俯瞰的に見ているという点だった。俺の姿は一体化した時と同じような姿へと変化している。
「俺とリアンが入れ替わったのか?」
寝起きとは思えないほど早く、俺は状況を理解した。
「リアン、そこにいるのか?」
「あぁ、玲司。これが僕の最後の仕事だよ。」
最後の、という言葉の意味がわからず聞き返そうとする前にデーツェが割り込んでくる。
「ハッハッハ! まさか、現世で天使と戦えるとは、やはり素晴らしい世界ですよ、ここは!」
奴は俺が見てきた中で一番興奮していた。
「そうだね、君には同感だよ。この世界は素晴らしい。」
リアンはそんな奴を見ても、それよりも大事なことがあるかのようだった。
「貴方は……天使様なのですか?」
白峰の問いに対し、俺の身体を使っているリアンは彼の目を見て答える。
「ちょっと違うね。僕は天使だっただけ。今は堕天使、奴と同じ存在だよ。」
白峰は何と答えればいいのか分からず黙っている。リアンは彼に微笑んだ後にデーツェを見た。
「貴方が堕天使……なるほど、そういうことですか。」
デーツェはニヤケ顔のまま何か推理をしていた。
「貴方は丹羽玲司という少年の命を救った。だが、それは厳密には違ったのですね。」
デーツェは答え合わせをする名探偵かのように自分の推理を披露しており、それをリアン含め全員が聞き入っている。
「丹羽玲司は一度死んでいる。貴方は彼を天使の力で蘇らせたのでしょう。その代償として天使の資格を失い堕天使になっのではないですか?」
「丹羽っちが……死んでる……?」
一番最初に口を開いたのは白影だった。彼女の表情はまだ整理が追いつかないのか、ただ目を見開き、信じられないという様子でリアンのことを見ている。
「そう、僕はそれを許容しなかった。」
「天界での暮らしを捨てたのはたった一人の人間を救うためだったのですか?」
「十分すぎる理由だよ。」
デーツェとリアンの問答を俺は固唾を呑んで見守っていた。リアンが俺の身体を借りた状態で話すことはこれまでの人生で初めてのことであり、それが何を意味するのか想像できない。今は天界と化したこの一帯で巻き起こる戦闘の行く末を見届けることしか俺には出来ないのかという悔しさが込み上げていた。
「光還者の皆、玲司と仲良くしてくれてありがとう。これからも彼のことを頼んだよ。」
リアンの言葉はまさに別れの言葉だった。俺は彼女の意図をようやく理解し、次の瞬間には言葉が口から飛び出していた。
「何言ってんだよ、お前……?」
彼女からの返事は無い。故意に無視しているのかは分からない。
「さぁ、デーツェ。僕は今ここで君を倒さなくちゃならない。そうしないと、玲司に平穏が訪れることはないからね!」
「面白い! いざ全力で、殺し合おうではありませんか!」
リアンは剣を振り、デーツェ目掛けて地面を蹴った。デーツェは大鎌でそれを迎え撃つ。リアンの剣とデーツェの大鎌による最初の衝突は周りにいる白峰たちでも十分感じられるほどの風を巻き起こした。それをお構いなしに二人は武器を振い続ける。やはり俺が武器を扱うのと、天使であるリアンが使うのではわけが違うらしく、デーツェと互角に渡り合っていた。白影たちが顕現させた天界は決して広いわけではない。その空間内で繰り広げられる戦闘は人間の範疇ではなく、間近でそれを見ている俺はその衝撃を感じることはなかったが、リアンが宿っている俺の身体を見るのは奇妙な感覚ではあり、俺の姿は最早俺ではなかった。リアンの振るう剣は確実にデーツェに迫り、常に奴との距離において有利を保っている。大鎌は剣よりもリーチが長い分、リアンからの攻撃に対して僅かだが反撃しきれていないように見えた。これは人間である俺たちでは決して見えなかったデーツェの変化であり、初めて倒せるかもしれないという希望が湧いてきた。
「くっ……天使と戦うのはこんなに楽しいことなのですね! 天界では味わえなかったこの体験、感謝しますよ、リアン!」
「君に感謝されるなんて、最悪の気分だよ!」
リアンの語気は初めてと言っていいほど荒くなっていた。それからも二人の一歩も譲らぬ攻防は続いており、かろうじて二人の姿を捉えきれるほどだった。
「「はぁぁぁあっ!!」」
二人から聞こえてくるのは互いを殺そうという殺意のこもった声だけであり、いつも余裕を振り撒いて戦うデーツェからですら、殺気が感じられた。彼女たちの振るう武器はどちらも小さいはずは無いのだが、最早目で追うのは人間には不可能な領域に達していた。
二つの武器の衝突音が一際甲高く鳴り響いたと思うと、二人は距離を取った。
「やるじゃないか……。」
「貴方こそ……やはり天使と戦うのは特別ですね……。」
二人とも肩で呼吸をしており、限界が近いのは見てとれた。
「でも残念です…‥貴方は天使ですが、所詮は人間の器。彼の身体が保たないのではないですか?」
「っ!?」
俺はリアンを、というよりは自身の身体を見る。見た目で分かるような負荷は分からないが、仮に肉体の性能差があるとすれば、やはり天使と人間の差は埋められないのだろうか。
「リアン……。」
俺は彼女にどう声をかければいいのか分からなかった。聞こえているのかさえ分からず、ただそれを見ていることしか出来ない俺は、余りに無力だった。
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