第25話 死者と堕天使
「消える、とはどういうことですか?」
「そんな、それってどういう……!」
白影が一番先に悲痛な声を上げ、他の皆も何かを言おうとしていたところを制するように白導院は背後にいる彼女たちに対して左手を水平に上げた。場の空気が一気に冷めていく。俺はリアンがいなくなることなど考えてこなかった、だからこそ彼女との別れを自分の中で処理できていない。
「僕は幼い頃の玲司を救う代わりに魄として彼の身体に宿った。でもこれは天界のルールに反する、いずれ天界から罰が下ってもおかしくないんだ。」
「だから彼から離れることにした、ということですか?」
この場でリアンと同じく冷静だったのは白導院のみだったかもしれない。
「それは前から考えてたんだ、でも魄と僕自身を完全に切り離すことが難しくてね……時間かかっちゃった。」
リアンは苦笑いしながらそう告白したが、明らかにそれだけが理由でないことは分かった。
「それで、私に頼みというのは?」
「僕がいなくなれば玲司は光還者としての力を失う。これ以上彼に光還者の役目を背負わせないでほしい。」
「そのくらいであれば問題ありません。そもそも彼が戦いに参加したのは私の無能が原因です。」
白導院は拳を強く握り、彼女の言葉からは悔しさが滲んでいた。
「なら一つ、僕のお願いを聞いて欲しいな……玲司を白峰君たちの友達でいさせてあげて。」
「どういうことですか?」
恐らく白導院にこの願いの意味がよく分からなかったのか、聞き返した。しかし俺にはリアンの意図が分かった。いつか聞いた新しい平穏について聞いた意味を、俺は愚かにも今理解したのだ。
「玲司は鬼のせいで、ほとんど一人ぼっちで生きてきた。それなのにこの短い期間で友達ができたんだ、それを無駄にしたくないのさ。」
(お前がいなきゃ駄目なんだよ! そう言っただろ!)
俺は現実を受け入れられず、聞こえているか分からないにも関わらず、必死にリアンに向かって叫んだ。しかし、彼女からの返答は無く、どうしようもない虚しさが押し寄せてくる。
「分かりました。リアン様の願いは私が責任をもって叶えましょう。」
白導院は二つ返事でリアンの願いを快諾した。
「うん、ありがとう。玲司のことを頼んだよ。」
リアンは白導院に向かって微笑んだ。
「礼を言うのは私の方です。貴方がいなければデーツェは倒せず、ここにいる彼らも死んでいたかもしれない。感謝してもしきれません。」
白導院は右手を胸に当て、俯いた。彼女なりの感謝の伝え方なのだろうか。リアンは慌ててそれを否定した。
「止めてよー、僕は堕天使だよ? それにお礼なら玲司に言って。僕は力を貸しただけだから。」
「えぇ、リアン様のお望み通り、丹羽玲司への処遇はそのようにします。」
「ありがとう、白導院真理。これで安心して消えることができるよ。」
リアンは一人で安心したように息を吐いた。ふざけるな、と俺は叫ぶが彼女には届かない、いやあえて無視しているように感じる。
「一つ聞いてもよろしいですか?」
「何?」
「貴方が丹羽玲司を救ったのは、助けたいという純粋な想いからの行動だったのですか?」
白導院の金色の瞳は真っ直ぐにリアンを見つめていた。リアンは少しの沈黙の後にキッパリと答えた。
「……うん、そうだよ。その決断に後悔は無い。」
「……嘘はついていないですね。」
リアンの返答を聞いて白導院は微笑み穏やかな声でそう言った。
「その目には嘘をつけないからね。」
リアンは苦笑した。何やら彼女は嘘を見抜く力を持っているらしい。なら彼女は俺が隠し事をしていると分かっていながら今まで何も聞かないでいてくれたということだ。
「私は他の光還者たちのもとへ向かう。皆は家に帰りゆっくり休むといい……それと、リアン様にはちゃんとお礼を伝えなさい。」
そう言い残して白導院は飛び去っていき、一瞬で姿は見えなくなった。二人の会話を黙って聞いていた白峰たちはゆっくりとリアンへと歩み寄っていく。
「リアン様はもう消えてしまうのですか?」
白峰は震えを抑えた声で聞いてくる。
「うん、そうだよ。次に玲司が天身を解いた時、僕は天界に帰るだろうね。」
「そう、ですか……。」
リアンは笑いながらそう答えた。表情は笑っていたが、それが作り物であると俺には分かった。
「そんな……。」
白影は目に涙を浮かべている。
「丹羽っちは分かってたんですか? リアン様と別れることを。」
「いや、今知ったばかりじゃないかな。」
「それじゃ丹羽っちが可哀想です!」
「え?」
白影は叫んだ。天使という光還者からすれば敬愛すべき存在であるにも関わらず彼女は声を荒げた。
「丹羽っちは平穏を取り戻すために戦ってきました。その平穏にリアン様は入っていなかったんですか!?」
白影は鋭くリアンを問い詰める。彼女の言う通りだ、俺はリアンにそれを伝えたことがある。
「参ったな、白影ちゃんは玲司のことよく理解しているんだね。」
リアンは観念したように笑った。
「確かにそうだよ、それだけが僕の心残りだ。だからさ、皆が玲司と仲良くしてあげてくれる?」
「当たり前です!」
「言われなくても、玲司は友達です。」
「それに、丹羽君からは色んなことを聞けて楽しいですし。」
「友達が増えるのは良いことですからね。」
四人は俺と友達でいることを快く受け入れてくれた。
「ありがとう、これで心残りはなくなったよ。」
リアンは清々しいまでの笑顔を浮かべているが、俺にはそんな顔など到底できるはずがなかった。
「で、でも! 最後くらい、玲司とちゃんと話してください。きっと玲司は話したがっていると思いますから……。」
白影は恐れ多いことをようやく自覚しながらも勇気を出してリアンに伝えたようだった。それに対し、リアンは微笑んだ。
「君は本当によく玲司のこと分かってるね、彼を頼んだよ。」
白影は何かを察したのか、急激に顔を赤らめた。なぜ赤らめたのかは分からないが、彼女の言う通り、俺はリアンに言いたいことが山ほどある。
「じゃあ、僕とはここでお別れだ。皆、玲司のことをよろしく!」
「はい、任せてください。」
「友達辞めろって言われても友達でいますよ。」
「せっかく新しい仲間が増えたんですもの、仲良くしなきゃ勿体ないですもんね。」
白影、白城、白百合はそれぞれリアンのお願いを聞き入れた。ただ一人、白影だけは三人の後に叫んだ。
「リアン様! 丹羽っちを救ってくれて、ありがとうございます!」
リアンは一瞬きょとんとした表情を浮かべるが、すぐに今日一番の笑顔を浮かべ、空へと飛び立った。その目的地が俺の天身した場所であることは言うまでもない。
(良い友達を持ったね、玲司。)
俺の意識体はリアンと一定の距離を保ち、彼女についていくように浮遊している。リアンはようやく俺に話しかけてきた。
(リアン、勝手に行かないでくれよ……。)
俺はどうにか彼女がこの世界に留まる方法は無いか思案を重ねるが、何も思い浮かばない。それもそうだ、見たこともない世界である天界の規則など俺に分かる訳もない。それにリアンがこの世界に存在し続ければ俺にも危険があると踏んで今回の決断を下したのだ、俺のためと言われれば、無理矢理止めることもできない。
(なんだよ、泣いてるのか……?)
リアンが煽ってくる。俺としてはこの上なく恥ずかしいはずなのだが、そんな考えはすぐに消え去った。
(確かに、白峰たちは良い友達だ。でも、お前もそこにいなきゃ嫌なんだよ……!)
(その気持ちは白峰君たちに向けてあげて。僕は本来、君を助けたらすぐに天界に戻るべきだったんだ、でも魄との切り離し方が分からないまま何年も経っちゃって、そしたら君は鬼に怯え始めちゃった……ほんとにごめん。)
(謝るな! お前のおかげで俺は今生きてるんだぞ、お前に非は無いだろ……!)
やるせない悔しさや虚しさが言葉となって吐き出されていく。もう俺には助けてもらった恩人に対して何も出来ないという現実を突きつけられ、涙が溢れる。
(玲司は僕に何も出来ないって思うかもしれないけど、そんなことはないんだよ。)
(え……?)
俺が彼女に何か返したことなどあっただろうか、先日まで俺が一度死に、彼女の手で蘇ったという事実を知ったばかりだというのに。
(君に宿っていたおかげで色んなものが見られたんだ。それは天使である僕には掛け替えのない経験だし、宝物だよ。ありがとね、玲司。)
リアンは優しく俺に語りかける。
(お前、満足してるのか?)
(あぁ、大満足さ。君を助けて本当に良かったよ。)
刻一刻とリアンとの別れの時が迫ってくる。彼女に対してしてあげられることはただ言葉を述べることだけだと、俺は思考を整理する。
(リアン、俺を……俺を……。)
言葉を紡ぎたくても感情が邪魔してくる。言葉にしようとすればするほど想いが溢れて、涙となって現れる。
(なんだよ、何言ってるか分からないだろ。)
リアンの声が震えていることに俺は気づいた。
(お前だって泣いてるじゃないか。)
(玲司につられたの!)
(ははっ……なんだそれ。)
俺は力なく笑った。リアンとの最後の会話だというのにこの締まらなさはなんだか俺たちらしいと感じる。
そして俺たちは天身した場所へと降りた。別れが目前まで迫ってきて、俺はどう声をかけるのがベストなのか決めあぐねていた。
(お別れだね、玲司。)
最初に口を開いたのはリアンだった。
(あぁ……。)
俺はまた涙が溢れそうになるのを堪えながら応えた。
(まずは身体を返さなきゃね。)
リアンの言葉を合図に、俺の意識は遠くなり、目が覚めると意識は俺の身体に戻っていた。リアンも泣いていたせいか目頭が熱く、頬を涙のつたったであろう熱が残っている。するとリアンの声が脳内に響いてくる。
(さぁ、新しい平穏を君は手に入れたんだ。天身を解除して、新しい一歩を踏み出してよ。)
(なぁ、リアン。最後に俺のわがままを聞いてくれないか?)
(何?)
俺はふと思いついた願いを彼女に頼んでみることにした。このまま彼女と別れることを、やはり俺は受け入れたくなかった。
(最後に、リアンの姿を見ることは出来ないか?)
今まで見ることのできなかった恩人に直接お礼を伝えることが俺の最後の願いだからだ。
(分かったよ、玲司の願いを叶えてあげる。)
リアンがそう言ってから俺の視界は一変した。一瞬周り全てが暗闇になったかと思うと、眩い光が遠くから近づいてきて、眩い光のせいで何も見えなくなった。次に視界がクリアになると、俺は辺り一面真っ白な空間に立っていた。
「玲司。」
俺は背後の声を聞いてゆっくりと振り向いた。そこに立っていたのは、まさに天使と言うに相応しいリアンの姿だった。
「ここは玲司の意識の中。ここなら実体が無い僕のことを見られるからね。」
そう話す彼女の声は間違いなくリアンであり、背は一六○センチほどで、全身はクリーム色の肌にギリシャ神話を思わせる白い布を纏い、白いショートの髪をしている。背中からは彼女の身体よりも大きいのではと思わせるほど真っ白な翼が生えており、童顔でかつ小顔に赤い瞳が輝いて見えた。リアンはそわそわしたように視線を動かし、一向に目が合わない。
「リアンを見るのは初めてだな。お前、可愛いな。」
「れ、玲司の頭の中で僕はどんな顔してたんだよ!」
リアンは恥ずかしそうに叫んだ。その瞬間、はっきりと目が合う。次の瞬間には俺たちは今更恥ずかしがって視線をお互いに逸らしてしまう。
「締まらないなぁ、ほんとに。」
もうすぐリアンに会えなくなるということを束の間だけ忘れられた俺は一気に現実に引き戻される。覚悟を決め、深呼吸をする。
「やっぱり直接言うべきだよな。」
俺は真っ直ぐとリアンを見る。リアンは俺の視線に気づくと、もじもじしながらも目を合わせてくれた。何か言葉を伝えようとした時、ふいに感情が目から溢れ、遮ってくる。それでも俺は何とか言葉にするしかなかった。
「リアン……友達になってくれてありがとう、幸せを教えてくれてありがとう、力を貸してくれてありがとう……!」
俺はこれでもかとありがとうを連呼する。どう伝えれば良いか悩んだ挙句の果てに自分の感情をストレートに吐き出すことしか思いつかなかった。だが感情は言葉だけでなく、とっくに目からも溢れていた。
「俺に……人生を与えてくれて……ありがとう!」
顔がくしゃくしゃになりながらも全力で俺はリアンに感謝を伝えた。涙が溢れ、視界が歪む。
「僕も最後にわがままを言うよ。」
「わがまま……?」
リアンのわがままが何なのか聞く前に俺はそれを理解した。リアンは俺の元へ駆け寄り抱きついてきた。
「君とこうして触れ合いたかったな。玲司、僕の方こそありがとう。君を助けたことを、僕は一生誇りに思うよ。」
「あぁ、お前が誇れるような人間になるよ……相棒。」
「はは……やっと相棒って呼んでくれた。」
俺は彼女の背中に手を回して抱きしめた。もう感情の防波堤は崩壊し、俺は声を精一杯殺して、ひと時の幸福を噛み締める。相棒の温もりを忘れぬように、この身にリアンの存在を焼き付けるように。どれだけ続いたか分からないハグを終えると、リアンの目元には涙が残っているように見えた。
「この意識の繋がりを断ち切ると僕は君の身体から離れる。それが本当の最後だ。」
リアンはあっさりと、未練が無いかのように言った。俺もいつまでも引きずるつもりはない。リアンが誇れるような人間になると決めたのだから、ここでくよくよしていれば彼女が安心して俺の元から離れられないだろう。だから俺は必死に笑顔を浮かべた。
「じゃあね、相棒。」
リアンも笑顔を浮かべており、それだけが彼女の顔に張り付いているようには見えなかったが、指摘はしない。もし言葉にしてしまったら、また感情が溢れてしまうかもしれないからだ。するとリアンの足元から身体が薄くなり、つま先からゆっくりと消え始め、身体は光の粒になっていく。恐らく彼女の意識が俺から離れているのだろう。
「玲司。」
リアンが俺の名を呼ぶ。何か未練でもあったのかと一瞬心配になったが、そうでないことは彼女の顔を見れば一目瞭然だった。
「僕は君のことが大好きだよ!」
今にも消えそうな時の彼女の言葉に対し、俺は人生で一番大きく叫んだ。
「俺も好きだ!」
それが届いたのかは分からない。だが、リアンのとびきりの笑顔を見られたような気がした記憶を最後に、俺の意識はまたも深い闇へと堕ちていく。好きだ、と伝えたことに後悔などなく、意識が途切れるまでの瞬間はまるでスローモーションかのように、緩やかに時が流れこれまでの思い出がフラッシュバックする。当たり前だが、どの思い出にもリアンはいる。これからの人生に彼女はいないのだと思うと、やはり寂しかった。
意識が戻ると、俺は高校の近くにある住宅街のど真ん中に立ち尽くしていた。何度か瞬きし、現実世界に戻ってきたことを認識する。脳内にいたリアンの気配は完全に消え去っていた。ふと、自分の目から一筋の熱い液体が流れていたことに気づくが、いつから泣いていたのか俺には分からなかった。だが、それは些末なことだと考えながら、俺は一歩、また一歩と歩き出す。ここで立ち止まって泣いてしまえば、リアンに顔向けできないと分かっていた。彼女のことをどうしても思い出す、それは仕方のないことだ。今すべきなのは前を向いて自分の人生を歩むことであり、後悔することではない。俺は歩く、手に入れた平穏を、新たな友人たちとの思い出を、恩人であり友人であり相棒であった彼女との約束を噛み締めながら。
死者と堕天使 須藤凌迦 @Sudou-Ryouka
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