第19話 剛鬼

 新宿に向かう道中では、鬼は不気味なほどにパタリと姿を消していた。どれほどの量が発生していたのか俺には数える手段は無かったが、あまりに異常であることは間違いなく、これが東京全域に広がっていると仮定すると、これは計画的なのは間違いないだろう。ならばデーツェからすれば白導院に対する対策を考えていないはずがない。その対策として最も有力だと考えられるのはやはり鬼王権現であり、デーツェ自身が彼女とまともに戦えるようになっている可能性は低いと俺とリアンは考えていた。無論、白導院が弱体化している鬼王権現に敗れる可能性は低いだろうというのも俺たちの共通認識であり、今日まで取り組んできたリアンとの新しい戦闘スタイルの出番が来る可能性も決して高くはなかった。だが俺の直感はその場面は来ると告げている、デーツェと対峙する機会は必ずやってくると。

 新宿に近づくにつれ、禍々しい気配が感じとれた。それは渋谷で遭遇した群体型の鬼を彷彿とさせるようなものであるが、別物だった。俺はそれがデーツェの生み出した新たな鬼なのだと察する。一気に加速し、俺は新宿へと急いだ。

「なんだ、あれ……。」

(鬼……だよね?)

 俺たちがそれを最初に見た時の率直な感想だった。それは新宿駅周辺をゆっくりと、だが大きな一歩を踏み出している巨大な人型の鬼だった。普通の鬼なら骸骨が動いていると言い表せるが、あれは明らかに鬼ではない部分がある。それは明確な肉体があったことだ。その肉体は筋肉が盛り上がり、その剛腕は一本の鈍く光る金属質らしき棍棒を持ち、肩にかけている。そして特筆すべきは頭から生えている二本の角だった。光還者にとって鬼とは魄の成れの果てとしての言葉なのだが、眼下に佇んでいる鬼は紛れもなく昔話に登場するような鬼であり、背は約五メートル、そのオーラは近づくことさえ恐れ多く、俺を上空からそれを見下ろすことしか出来なくさせた。

「……。」

 禍々しさに拍車をかけていたのは、あの鬼が一切言葉を発していない点だった。鬼とは生前の未練を抱えた魄が自然消滅せずに発生する、いわば自然現象とも言える存在だ。そしてその未練を言葉として吐き出しながら周囲に危害を加えたり、災いをもたらしたりするわけだが、この鬼からはそのような未練や意志が一切感じられなかった。ただそこにあるだけなのか、何かを待っているのかは俺には分からず、最早本当に鬼なのかすら分からなかった。

「丹羽っち!」

 ふと遠くから俺のあだ名を叫ぶ声が聞こえてきた。その声は俺の真横から聞こえてきたことや、そのあだ名で呼ぶ人間が一人しかいなかったために、すぐに誰なのか分かった。

「白影か。」

「丹羽っちがいるなんてビックリだよ。高校はいいの?」

「今はこっち優先だ。デーツェをなんとかしないと、安心できそうにないからな。」

「そっか。で、真下にいるあいつが厄介なわけね。」

 白影は合流して早々に目下の標的である、あの鬼に視線を移していた。

「白影はあの鬼のこと、どう思う?」

 俺は自分よりも経験のある白影の意見を求める。以前に見たことや戦ったことがあるというのであれば対策を立てることも可能だろう。

「あれは剛鬼って言うの。白導院さん曰く鬼王権現直属の鬼らしいわ。あれが東京全域にいるらしいの。」

「そうか、剛鬼は強いのか?」

「えぇ、めちゃくちゃ強らしいわ。」

 想像通りの戦闘に頭を抱えたくなる。何せ俺は光還者としての素の実力は決して高くない、それにこの場には白影しかいないことから、俺たち二人で剛鬼との戦闘を始めるべきでないことは簡単に理解できた。しかし、俺には、正確に言えば俺たちには普通の光還者とは違う点が一つあった。それが密かに訓練していたリアンと俺の一体化だ、これならば剛鬼を単独で清めることも可能かもしれない。だが、それは白影にその姿を晒すことになり、余計ないざこざを起こしかねないため、決して安易にやっていいことではないということも同時に俺の脳内では浮かんでいた。

「ここは素直に応援を待った方がいいよ。堅兄に連絡しておくね。」

「あぁ、そうだな。」

 俺はそもそもリアンとの一体化をせずにデーツェが白導院によって倒されれば、それが最善であり、無闇に使う必要は無い。それゆえに応援を待つのは自然であり、無理をしたくない俺にとって理にかなった判断だ。白影は白峰に交天を試みており、その間も俺はじっと剛鬼を見つめていた。

「堅兄? こっちにも剛鬼がいるんだけどどうすれば……!?」

「ッ!?」

 白影が交天を始めた直後、剛鬼が動いたのだ。それは言葉で表すならば斬撃を放ってきたというのが最適だろう。俺たちは咄嗟に回避し、剛鬼を警戒するように観察する。一発だけしか斬撃が放たれなかったことを奇妙に思いながらも俺は、両手を白影の肩から離し、再度剛鬼を見る。剛鬼は先ほどまでの様子とは異なり、こちらをじっと見つめている。言葉を発しないはずだが、まるで獲物を見つけたハンターかのように、俺たちに対して狙いを定めているような気がしてならなかっ。だが、奴に対して不気味さをこれでもかと感じさせられ、俺はもう剛鬼と目を合わせたくないというのが本音だった。

「なんで急に攻撃してきたんだ……?」

「分かんない。でもここは一旦引いたほうが良いよ。今のアタシたちじゃ手に余るし。」

 明らかな強敵、本来なら撤退するのが最適であり、そうすべきだと俺は直感する。そのために俺たちはこの場を離れようとした瞬間、また新しい衝撃が俺たちを襲った。

「――――!」

 突然の叫び声は一瞬誰が発したのか分からなかった。だが、それがあの鬼の出した声だと瞬時に理解できるほどに形容しがたい叫び声だった。俺はすぐさま戦闘体勢に入ると同時に全身に鳥肌が立つほどに震えた。逃げられないのではないか、という不安が翼という飛行手段を持っているにもかかわらず浮かんでくるのはそれだけあの鬼を本能的に恐れているからだろう。そして剛鬼は何か動きを見せた次の瞬間、何かをこちらへと投げてきた。それが何であるかを理解する前にそれは俺の翼を貫いた。

「は!?」

 俺は自分の翼が貫かれた時、それは銛とアンカーを掛け合わせたような役割がある物体なのだと理解する。痛みなどは無かったが、急激にグワンと身体を引っ張られ、俺は地面目掛けて落下させられた。

「丹羽っち!」

 白影がすかさず俺の元へと飛翔してくる。そして俺を引っ張る銛の先端部分と剛鬼が掴んでいる持ち手の間を結ぶ黒い鎖をハルバートで断ち切った。それにより俺は翼による上昇を試みるが、どういうわけか翼は自由を失っており、かろうじて落下速度を下げることしか出来なかった。

「丹羽っち、掴んで!」

 真上から白影が手を伸ばしていた。俺はその手を掴み、再度剛鬼の方へと視線を移す。剛鬼は先ほど繰り出した斬撃を今度はいくつも繰り出していた。それは白影が俺の身体を支えながら避けられるような量ではなく、このままでは二人ともまともにあの斬撃を受けてしまうのは明らかだった。

「白影、離せ! このままじゃ二人ともやられる!」

「で、でも……!」

(玲司、瞬翼!)

 リアンの指示が俺の頭の中に響く。

「下までは瞬翼でなんとか降りる! 早くしろ!」

 俺は半ば強引に彼女の手を振り払い、地面への自由落下を再開させた。俺と彼女の間をいくつもの斬撃が通り過ぎていくのを感じながら、すぐに瞬翼を発現させ、落下スピードを徐々に下げてなんとか着地する。俺の着地を見計らって剛鬼は棍棒を俺へと振り下ろしてきた。すかさず瞬翼でそれをすんでのところで躱す。地面との衝撃を肌でヒリヒリと感じながらも動きは止めずに距離を取る。剛鬼との距離は約数メートル、対面して分かったが、やはり鬼王権現と似た気配を感じる。俺は背中の鞘から剣を引き抜いて構える。もはや逃げるという選択肢を取らせてくれそうには見えず、俺は覚悟を決める。剛鬼は一直線に俺へとむかっける。地面を一度蹴っただけで俺と剛鬼の距離はゼロになり、気づいた時には横からあの棍棒が俺に直撃するところだった。直前で、なんとか剣で受けることが出来たが、俺はバットに打たれた野球ボールのように吹き飛び、近くのビルの壁に全身を強く打ちつけていた。脳が頭蓋骨に何度もピンボールのように弾かれているような感覚に目眩、全身の痛みに悶えながらも何とか立ち上がる。光還者としての身体強化のおかげであくまで打撲だけで済んでいたのは不幸中の幸いだった。

(大丈夫!?)

 リアンが心配そうに声をかけてくるが、それに答える余裕は消え去っていた。剛鬼はこちらを見据えると、また一直線に俺への距離を詰めてくる。先ほどよりも距離的にも時間的にも余裕があった俺は瞬翼を発動させ、俺目掛けて振り下ろされた棍棒を間一髪で躱し、ガラ空きになったボディに対し、水平に剣を振るった。戦い慣れしているであろう剛鬼は回避行動を取る。しかしそれは巨大な身体である剛鬼が完全に避けきれず、浅い傷を与えることに成功した。そこで欲張らずにまた距離を取る。

「――――――!」

 剛鬼は雄叫びを上げ、今度は跳躍し、俺の頭上から俺を踏み潰そうと落下してきた。俺はそれをタイミングを見計らって躱す。ドゴーン、という激しい衝撃音が響き渡り、俺は着地時の一瞬の隙を狙い、剛鬼の足目掛けて剣を振るう。着地時に硬直があることは自然のことであり、鬼にもそれは当てはまると無意識にそう思い込んでいた。

「は……?」

 俺は目の前で起きたことに一瞬頭が真っ白になった。剛鬼は着地した直後に再度跳躍したのだ。俺の剣は空を切り、頭上には棍棒を振り下ろさんと構えている剛鬼が視界一杯に映った。次の行動を考えていなかったことや、剛鬼の予測不可能な行動による衝撃から俺は一瞬動けなかった。圧倒的な実力差、鬼王権現直属の鬼であるという事実を知った時点で俺はリアンとの一体化をすべきだったと後悔が脳裏をよぎるほどに負けを確信しかけていた。

「アタシを忘れるんじゃないわよ!」

 そんな俺を我に返らせたのは白影の介入だった。翼によって猛スピードで接近してきた彼女は、振り下ろされる棍棒の真横からハルバートの突きを与えて、軌道をずらしたことで棍棒は俺の真横の地面へと激突した。俺は瞬翼で咄嗟に距離を取り、その隣に白影が着地する。

「ありがとう、白影。助かった。」

「気にしないで。とりあえず堅兄には連絡しておいたけど、他の剛鬼の相手をしてるらしいから応援は来るか怪しいわ。それに、鬼王権現が現れて白導院さんと一騎打ちしてるらしいわ。」

「そうか。なら、二人でやるしかないか。」

 俺はこの状況について悲観的になることはなかった。それは俺がリアンとの一体化という手段があるからであり、それをしなければ白影諸共殺されるという結末は必至だろうという予測を冷静に行えたからだ。そして、鬼王権現と白導院が戦闘を始めた以上、現時点でデーツェにまともに対抗できるのは俺だけなのかもしれない。無論、白導院の戦闘が早々に決着のつくものであれば、そこまで心配する必要も無いのだが。

「正気!? どう考えても無理でしょ!」

 白影はこの状況が危機的であると理解していた。だが俺はそれを意に介さず剛鬼との対峙を止めない。彼女に俺の左肩をハルバートを持っていない左手で掴まれる。俺は少しだけ振り返り、彼女の目を真っ直ぐと見つめる。

「ならここで死ぬのか? 俺はごめんだね。」

 そう、俺は今ここで剛鬼と相手をしなければならない。逃げるという選択をしたとしても現時点でまだ俺の翼がまともに使えない以上、それまで時間を稼がなければならないのだ。俺は視線を剛鬼に移し、出来れば一人になれないかと思案する。

「俺は今逃げられない。時間稼ぎならできるからその間に応援を連れてこられそうだったら頼む。」

 俺は背後にいる彼女にそう告げた。

「ふざけんないで、アタシだって光還者なんだ。逃げるわけないでしょ。」

 俺はしくじった、と心の内で舌打ちする。彼女のプライドに傷をつけてしまったらしく、彼女は一歩前へ出てハルバートを構えた。俺は彼女の方をチラリと見ると、そこには鋭い視線を前に向ける彼女の横顔があった。

「ここで逃げたら、アタシは一生後悔する。」

 白影の決意は固いらしく、仕方ないと割り切るしかなかった。そして俺は内に秘めた天使に声をかける。

「リアン、行くぞ。」

 (あぁ、やるぞ。玲司!)

「リアン?……て誰のこと言ってるの?」

 俺は白影の言葉を無視し、仁王立ちしてから剣先を地面に向けるように両腕で持ち手を握り、そのまま勢いよく突き刺す。

 

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