第18話 友達のために

 白峰たちとのパーティをした日から数日が経ち、俺は普段と変わらず高校に通っていた。俺の日常として重要な一部を担っている高校というのは面倒と思うこともあれど、そこまで嫌ではなかった。俺はいつものように電子音が鳴り続ける目覚まし時計のスイッチを押して止める。だが、絶えず何か聞こえてくる。白峰たちとの親睦会の次の日からはリアンとの一体化を試していたために疲労が完全には抜けきっていないせいか、いつもよりも寝ぼけていた俺はそれが一体何の音なのか分からない状態からだったが、視界が明瞭になるにつれ思考はクリアになっていき、その正体が何なのかを理解できるようになる。それは夥しい数の鬼の声だったのだ。

「嘘だろ……!」

 俺は今の状況を理解せんと急激に覚めていく思考をフル回転させる。それがデーツェの仕業だと即座に推測ができた。奴は魄を集めたり、自由に操ったりすることができるのだから一斉に鬼を発生させることだって可能だろう。そして鬼の声に慣れたとは言え、ここまで数が多いとさすがの俺も気分が悪かった。

(リアン、これはどうなってる?)

 俺は彼女から少しでも情報を得られないかと必死だった。

(分からない、僕が起きたらこんな感じだったんだ! きっとデーツェが……。)

(それは分かってる。でもこれはマズイんじゃないか?)

 俺は焦りを露わにするほど、聞こえてくる鬼の声の数は多かった。一つ一つは大したものではないが、十以上の声が聞こえてくることは明らかに異常であり、しかもそれらはコロコロと種類を変えている。つまり鬼は移動しており、今俺が聞いている声の数以上に鬼が存在することを意味しており、俺は軽いパニック状態だったのか、息は浅く、冷や汗が全身から溢れていた。そんな俺に追い打ちをかけるかのように机の上に置かれたスマートフォンが鳴った。画面には白峰暁堅という見慣れた名前が表示されており、彼から電話がかかってきたことが分かる。俺は慌てた手つきで画面をスライドし、電話に出た。

「俺だ、白峰。この鬼の数はどうなってる!」

『あぁ、今は俺たちが総出で対応してるところだ。他県の光還者にも応援を要請している。』

「俺も行く。」

 俺は戦う気が内から湧き上がってくるのを感じていた。これだけの鬼が現れれば多くの人間に災いが訪れるだろう。そうなれば俺の平穏は完全に壊れてしまう、それを防ぐために光還者になったのだから今が戦う時であり、ここで戦わなければ意味が無いとすら思い込んでいた。

『いや、お前は来なくていい。鬼は多いが数だけだ、時間はかかるだろうが俺たちだけで十分だ。』

 白峰は俺の協力はいらないと告げた。それは俺にとって

受け入れられるものではなかったが、俺は食い下がるようにデーツェの動向について聞くことにした。

「デーツェはいないのか?」

『まだ確認は出来ていない。だがそれは白導院さんが即座に対処することになっているから何も心配するな。第一、お前は特例の光還者だ、普段通り学校に行け。それがお前の日常だろ。』

 こんな状況だというのに電話越しに聞こえる白峰の声は穏やかだった。

「けど、ヤバい状況なんじゃないのか? 俺も行った方が……。」

『丹羽はいつも通り高校に行っていればいいんだ。もし戦いたいなら放課後からでもいい。その前に終わってるかもしれんがな。』

 白峰はどうやら俺を戦わせたくないらしい。今更仲間外れにされたような気がした俺はその白峰の態度が不思議でしょうがなかった。だが、彼の口調からは決して俺に嫌がらせをしたいとか、そんな下心ではなく、俺に平穏を享受して欲しいという優しさが感じられ、無下にしたくなかった。

「……分かった。でも放課後からは俺も参加するからな。」

『あぁ、それでいい。』

 そこで彼との電話は途絶えた。

(どうするの?)

 彼との電話の終了直後、リアンがすかさず聞いてきたが、俺は即答出来なかった。俺の守りたい日常の代表とも言える高校生活と光還者としての日常は俺にとって切り離して考えられていたものだった。だが、その境界は段々と曖昧なものになっていき、彼らとの時間はかけがえのないものになっていった。まさに今学校をサボり、光還者として戦いに行くか悩んでいるのがその証拠だ。俺は歯を食いしばって考えたが、今は高校へ行くという結論から変わることはなかった。

 支度を済ませ、家を出る。周りから絶え間なく聞こえてくる鬼の声はかなり慣れてきたが、それでも怨嗟の声を聞くことは神経が少しずつ擦り減るような気がした。こんな状態でも正気を保っていられるのは幼い頃の経験があったからだろう。俺はそれらの声をただ聞き流しながら最寄駅へと歩みを進めた。

 高校の教室についてからスマホを見ると、鬼の仕業と思われる事故に関するニュースがまず目に付いた。体調不良者対応や人身事故による電車の遅れ、交通事故の数は明らかに異常であり、鬼の脅威を物語っていた。

「クソッ……。」

 俺は小声で悪態をつき、朝にも脳内で繰り広げられた議題である自分の立場について椅子に座ったまま手を組み、視線を机に落として考える。一般高校生としての自分と光還者としての自分、異なる立場に身を置く俺ははたしてどちらを優先すべきかを再考する。光還者としての活動はあくまで最低限という白導院に認めさせた条件は、高校生活を謳歌するためのものだった。俺にとってこの生活は平凡であるという自覚はあれど決して不幸なものではなく、友達がほとんどいないのは一人の時間を有意義に過ごしたいという意思があってのことだ。それに光還者はあくまでデーツェを倒すまでの仮の肩書きであり、ずっと続く訳ではない。

(玲司、もう一度聞くけどこのままでいいの?)

 リアンが朝にしてきた問いかけをしてくる。一応高校で声を掛けてくることはしないという約束だったが、今はそれを言葉にして反論することはしない。言葉にすれば独り言を呟く変な奴とクラスメイトに思われることが恥ずかしいというのがいつもの理由だが、今回はそれだけではなく、彼女の問いへの答えがまとまらないというのが本音だった。

(玲司はさ、白峰や白城、白影に白百合との関係を楽しんでたじゃん。白峰はデーツェはいないって言ってたけど絶対現れるよ。奴を倒すんだろ?)

 リアンの言うことは最もだ。だが、それが俺の生活に支障をきたすようなものになってしまったら本末転倒だ。デーツェを倒せる可能性が白導院以外には今のところ俺しかいないかもしれないという現実が俺にのしかかってくる。俺はどうすべきか未だ答えを出せなかった。

「どうしたんだ? 玲司、怖い顔して。」

 考え事に耽っていたためか、話しかけられる直前まで人が近づいていてくることに気づかなかった。俺に声を掛けてくる人間といったらこの場では一人しかいない、朽木だ。

「あ、あぁ……少し考え事があってな。出来れば今すぐにでも答えを出したいんだ。」

「へぇ、玲司でもそんなに悩むことってあるんだな。」

 俺は咄嗟に紛らわしたが、朽木は俺の前の椅子に座った。

「どんな悩みなの?」

 朽木は俺の悩み事というのに興味を持った。俺はここで邪険にしたり、はぐらかしたりするのは彼に申し訳ないと思い、光還者のことを上手く隠しながら伝えることにした。

「詳しくは言わないが、友達が困ってる、いや、これから困るかもしれないんだ。その友達には電話で大丈夫とは言われたが、心配なんだよ。友達の元へ今すぐ行くべきか悩んでるんだ。」

 俺の話を朽木は黙って聞いてくれた。その間俺は彼への後ろめたさや真実を知られたくないという気持ちから、彼の目を見ることはできなかった。そして俺の言葉が終わると数秒の間を置いて彼が話し始めた。

「玲司、変わったな。」

 彼の声は喜びに満ちており、俺はその反応の意外さにえ、と声を出して顔を上げると、朽木と目があった。

「だって玲司にはそんな心配するような友達が出来てるってことだろ?」

 彼は若干興奮気味だった。俺は彼がこんなに意気揚々になるとは思っておらず、また何か自分には見えていなかったものを見ているのだと分かると、少し考えがまとまりつつあるような気がした。

「まぁ、そうなのかもな……。」

「そうだよ。ま、学校をサボれなんて大きな声では言えないけどね。少なくとも、玲司には良い変化なんじゃない?」

 意外にも学校で唯一の友達と言えるような彼は俺の変化をそのように評価しているらしい。

「そうなのかもな。」

 破顔した俺を見て朽木はさらに言葉を連ねる。

「うん、きっとそうだよ。今まで玲司は心を閉ざしてる感じがしてたけど、なんか変わったよね。」

 そして彼は穏やかな笑みを浮かべていた。今まで変化を拒んだ俺に、光還者としての新たな日常は、心が暖かくなるような、まるで自分を縛り付けていた鎖をドロドロに溶かしていくような気がした。次に俺の脳内に浮かんだのはある一つの、今までの人生で初めてと言えるような考えだった。

「悪い、朽木。俺今日は学校休む。」

 俺は椅子から立ち上がり、机の横に掛けられた鞄を手に持った。

「うん。僕には何か分からないけど、玲司がそうしたいならいいんじゃない?」

 最後まで彼は俺を詮索するような事はなかった。これが彼の良いところであり、学校で人気があるのもこのコミュニケーション能力の高さゆえだろう。俺はそんな彼に心の中で感謝しながら駆け出した。行く先は外であればどこでもよかった。最早慣れているとはいえ、やはりこの鬼の量を放っておくことは難しかった。そして何より、友達が心配だった。

(行くんだね、玲司。)

 リアンが俺に確認してくる。答えるまでもない事だが、俺はあえて言葉にして吐き出した。それは俺にとって新しい平穏を受け入れ、守るための決意表明として。

「あぁ、自分の平穏は自分で守らなきゃな!」

 駆け出した俺の足は止まることを知らず、校舎の階段を駆け下り、下駄箱で靴を履き替えてからも走り続け、校門を抜け、住宅街へと入り込んでいく。

 適当な場所で俺は天身を済ませ、上空へと飛翔する。地上を見下ろすと、鬼があちこちに点在していた。俺はざっとそれらを把握し、近場の鬼に向けて降下していった。住宅街をゆっくりと獲物を探すように歩いていた一体の真っ黒な骸骨に全身から漏れ出ている蒼い炎、見慣れた外見をした鬼の関節めがけて背中の鞘から引き抜いた剣で正確に、素早く斬撃を与える。それを連続で行うことで数秒で今日初めての鬼を清めることに成功した俺は翼を広げ、さらなる鬼のもとへ急いだ。

 それから約一時間、俺は鬼を清め続けた。最も多かったのはスタンダードな人型の骸骨の姿をした鬼だったが、白峰と共に倒した巨大な犬型の鬼、それに初めて見る種類もちらほらと見た。例えば、骨で形成された棒状の物を振り回す人型骸骨の鬼や、馬型の鬼がいたのを覚えている。これだけ鬼の種類があることが俺には驚きだが一向にデーツェが出てくる気配は無いのも俺には意外だった。

「リアン、どうしてデーツェは現れないと思う?」

(いや、現れていても僕が感知できていないだけかもしれないよ。地上全体が感知の範囲って訳じゃないから地道に探すしかないよ。)

 リアンは焦りながら事実を述べており、常にデーツェの気配を見逃さまいと集中している様子が伺えた。なら俺がやるべきはひたすら飛び回り、デーツェを捕捉できる確率を少しでも上げることだった。俺は無心でひたすらに、淡々と鬼を清め続けた。鬼たちはそれぞれ生前の未練を言葉にして吐き出していたが、それにいちいち感傷に浸っている暇はなく、そのつもりもなかった。今の俺には鬼たちがデーツェによって弄ばれた被害者であり、清めることが救いになると割り切っていたからだ。

 天身してから一時間を過ぎた頃、脳内に聞き慣れた声が響く。

(玲司か!? お前どうして……。)

 相手は、今朝俺に戦うことを止めた白峰だった。案の定、俺の気配を感じたことに驚いているらしい。本来学校にいるはずの俺が光還者として戦っているのだから驚くのは無理もない。俺は手短に状況を知りたかった。

「一時間くらい鬼を清めてるけどデーツェは出てきてない。そっちはどうだ?」

(こっちも把握はできていない。だが、一部の他県から派遣された光還者たちと連絡が取れていない。恐らく奴は光還者をターゲットにしているだろう。)

 刺激を求める奴にとって光還者との戦いほどの刺激の代わりになるものはあまり無いだろう。ならば光還者を誘き寄せるための策が必要であり、この大量の鬼はまさにそれだった。

「てことは、この鬼の量はあくまで餌ってことか。」

(あぁ、もう白導院さんもデーツェ討伐に動いてる。俺たちは鬼の対処に専念するぞ。玲司は新宿に向かってくれ。後、万が一に備えて白影をそっちに向かわせる。)

「分かった。デーツェの居場所が分かったら教えてくれ。」

 白峰との交天が途切れると、俺はまた翼を広げ、新宿にいるであろう次の鬼の元へと向かった。デーツェ討伐に白導院が動いた以上、俺に出来ることはほとんどない。だが、その可能性を覆すことができるのは鬼王権現の存在であり、鬼王権現と白導院が互角の戦いをすれば、デーツェは暴れ回ってしまうだろう。それに対応するためにも俺は、というよりリアンが早くデーツェを感知しなければならなかった。

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