第9話 瞬翼
頬を切る風を感じながら、俺は剣を前へと突き出す。いつもなら躊躇いなく行う動作だが、相手が人間ということもあって俺の手は震えていた。対して、白城は俺とは対照的に腰を据え、襲い掛かる剣ではなく俺の目を真っすぐに凝視していた。俺が剣を振り下ろすと同時にそれをくないで受け止めるのかと思えば俺の斬撃をいなし、俺の身体の右側へと動いたことで、視界から一瞬消えた。俺は焦って地面と剣を反発させることで素早く斬り返しながら腰を回すことで、白城が存在していた空間へと斬りかかる。しかし、既にその場には彼の姿はなく、俺の剣は空を切った。この刃と刃のやり取りを一回交わしただけで彼との実力差を思い知らされる。
「その剣筋、丹羽君の我流ということもあってか型にはまってなくて面白いね。」
(すごい......。)
気づけば白城は俺が剣を最後に斬り上げた位置から俺を通り越して反対側に二メートル程離れて立っていた。リアンが俺の脳内で呟く、いつもならうるさいなどと思うのだが今回は彼女と全くの同意見だった。一体どんな動きをすればそれが出来るのか、俺には皆目見当もつかないほどの動きの速さに思わず苦笑いを浮かべる。これほどの実力差があるのは教わる身としては有り難いことなのだろうが、少しばかりショックも受ける。よく今まで俺は鬼との戦いを生き残ってきたものだ、彼らでさえ苦戦するような鬼と遭遇すれば間違いなく俺は死んでいただろう。俺は死ぬ、という単語を今までの人生で最も強くイメージしてしまったせいか、呼吸が浅くなる。死ぬ時の痛みとはどれほどのものなのか、死んだらどうなってしまうのかなどという考えてもどうしようもないことばかりが脳裏をよぎっていく。俺はそんな邪念を振り払うように大きく息をしてから再度剣を構える。俺は強くなるために今訓練を受けているんだと自らを鼓舞し、眼前に立ちはだかる白城めがけて地面を蹴った。今度は振り下ろすのではなく左から右へと水平方向に剣を振る、先程の左右の動きを警戒しての攻撃だが、そんな小手先のことで彼の動きを制限出来るとは全く思えなかった。予想通り彼は俺の斬撃をいなし、今度は俺の身体の左側へとスムーズに移動した。今度はその動きをはっきりと目に焼き付ける。やはりその動きの速度は人間離れしており、天身しているとはいえ何故このような動きが出来るのか分からなかった。俺は彼の動きの後に左足で地面を蹴り彼と距離を取る。白城は真剣な表情一つ変えずに短刀を構えて俺に向き合っているが、明らかに余裕があった。俺は彼が反撃してこないのだと考え、人に剣を振るうことへの恐怖心はかなり和らいでいる。呼吸を整え、剣を構える。そして息を吸うと同時に地面を蹴り、彼へと向かっていった。今度も斬撃による攻撃を選択するが、当たらない前提で手数を多くすることを考えて一回の攻撃をコンパクトにすることを心がける。一回、二回、三回と斬撃を繰り出していくが白城はいとも簡単にそれをいなしたり、躱したりすることで服にすらかすらせてくれなかった。しかも、彼は謎の移動速度の速さによって俺が剣を振った方向とは真逆に身体を動かしていくものだから、それを繰り返していた俺は目が回ってしまい、足がおぼつかなくなりつつあった。幸いにも一度俺が体勢を立て直そうとする間、白城は俺に一切手を出さなかったお陰で、息を整える時間は十分にあった。
俺はまた剣を構えて次の攻撃を考えようとするが、白城が構えを解いてしまった。俺は戦闘体勢を解いたのだと解釈し、剣を構えるのをやめた。そして白城はこれまでの真剣な表情のまま言葉を発した。
「丹羽君が覚えなきゃいけないことが分かったよ、翼の扱い方だ。」
「翼……?」
翼とはあの背中から生えているあれのことだろうか。俺の場合、戦闘中は邪魔なので発現はさせておらず、飛翔する時だけに限定していた。白城の言葉から察するに彼は俺との戦闘中に翼を使っていたことになるが、そんな様子は見受けられなかった。
「さっき僕がやった体勢移動、あれは翼の能力で『瞬翼』って言うんだ。」
俺はまだ納得出来ていなかったが理解は出来た。白城は何らかの方法でその瞬翼とやらを使い、俺の攻撃をいなした後に人間離れした速度の体勢移動を行っていたということだろう。だが俺には彼が翼を使ったようには全く見えなかった。
「それにしても本当によく我流で鬼と戦えてたね。この『瞬翼』は鬼との戦闘において基本なんだよ。」
「何故か弱い鬼としか戦わなかったからなぁ。」
白城は俺に疑問を投げかけてくるが、それはこっちのセリフでもあった。俺が遭遇した鬼がたまたま弱かっただけなのだ。それに戦い方を教えてくれる人もいない、リアンはただ俺に武器を与えてくれるだけで剣術指南なんてものは一切無かった。だから独学で、というより実践で身につけていったもので、玄人からすれば俺は素人に毛が生えたレベルだろう。だからこうして他人からの指導を受けるというのは白導院の手のひらの上で転がされているような気がして癪だが、鬼やデーツェと戦うためには必要不可欠なことだと言える。
「その瞬翼ってのはどうやるんだ?」
俺は仕方なく白城に聞いた。
「感覚的な話だからね、習うより慣れろではあるんだけど、言葉にするなら小さい翼を背中から生やすイメージかな。」
俺は白城に言われた通り、普段のような大きい翼ではなく、小さい翼を発現させようと試みる。背中に意識を集中させ、いつも現れるような大きな翼を押さえ込むイメージをする。すると確かに彼の言った通り翼の影響なのか、身体が少しだけ軽くなったような気がした。だが、それに集中するあまり剣を構えるような他のことに意識を回す余裕は無かった。
「これ、瞬翼の状態で戦うのって滅茶苦茶キツくないか?」
俺は翼の形を維持することに必死になりながらもなんとか白城に話しかける。初めてだから慣れていないだけなのかもしれないが、これを白城や他の光還者たちが当たり前のようにやっていることが驚きだった。背中に意識を集中し続けている俺を見て白城は
「大丈夫、さっき言ったでしょ? 慣れだよ。」
白城は軽く笑いながら俺を励ます。その言葉だけなら良かったのだが、あろうことか彼は俺から距離を取り、くないを構えた。まさか、と嫌な想像が俺の脳内を駆け巡る。この状態でさっきみたいな戦闘をするということではないだろうな、という俺の悪い直感は彼の一言で現実になる。
「それじゃ、そのまま僕に攻撃してきて。大丈夫、最初は反撃しないから。」
俺に聞こえるような声で白城は軽く叫ぶ。最初、ということはいずれ反撃してくるのか、と聞きたいところだったが、俺は鞘から引き抜いた剣を構えるのに精一杯だった。ある程度意識を背中に集中させたまま見えない翼をはためかせる。いつもよりは程遠いが身体が軽くなったかと思うと前方へと吹っ飛んだ。
「のわっ!!」
身構えてはいたものの、突然の加速に俺は派手に転んでしまった。天身していたお陰で身体が丈夫になっているが、痛みまでは消えない。頭の中ではリアンが痛そう、など俺を心配するような声をかけてきた。白城が目の前にいる手前、あからさまに反応することは出来ないので無言を貫いたが、恥ずかしさに顔が熱くなっているのを感じる。俺は悶えながらも立ち上がり、出血箇所が無いかを確認した。
「最初はそんなもんだよ。ほら、翼が消えてるんじゃない?」
白城に言われ、背中への意識が既に消えていることに気づいた俺は項垂れた。打倒デーツェまでの道のりはやはり遠いということを再認識した俺はもう一度意識を背中へと向ける。俺の視界からは見えないが、確かに何かエネルギー状で不安定で輪郭もあやふやな小さな翼が形成されているような感覚がした。大きく呼吸をし、剣を身体の前で構える。俺の構えを合図に白城も白城との圧倒的実力差を見せつけられたお陰で俺が彼を傷つけるかもしれないという恐怖心はだいぶ取り除かれていた。ならば、と俺は覚悟を決めてもう一度彼に向かって駆け出した。今やっている訓練は白城を負かせるだけの剣の腕前を身につけるためではなく、背中に発現させた翼を使いこなすことだ。俺は剣を振ることよりも翼を維持し続けることに意識を集中させる。地面を蹴った直後に翼によって加速、途端に身体が軽くなり、ぐわんと身体が前に押される。それに今度は対応し、足で地面をタイミングよく蹴ることで転倒を防ぎ、さらに翼によって発生する推進力を前方へと向かわせる。白城との距離は瞬く間に縮まり俺は背中への意識を完全には切らさずに剣を振るおうとする。完全には真っ直ぐには進めず身体が少しだけ空中へと浮いた。そこから自由落下する過程で俺は剣を振り上げてから、白城目掛けて振り下ろす。奇跡的にタイミングと剣の振り下ろす位置は合っていた。だが、所詮素人に毛が生えたような攻撃だったのかもしれない、白城はやはり今回もくないで簡単にいなし、俺の視界の右側へと体勢を動かした。想像していた通りの展開だったため、俺は着地する時に転倒しないように注意を払いつつ、地面に足が着くのと同時に今度は左の翼だけに意識を集中させて身体を軸にして素早く回転する。するとそれまでは視界にすら映らなかった白城の姿が一瞬だけ映る。少しではあるが、彼の動きに追いついているような気がして俺は内心興奮する。俺はさらに息をする暇も惜しんで追撃する。それだけ白城に迫れているという実感による高揚感を俺は間違いなく感じていた。内から湧き上がるこの感情を俺は抑えることなく剣を振る。だが相手は俺との経験の差で圧倒的アドバンテージがある。これまでの一連の動きから俺の太刀筋を正確に予想していたようで、俺が剣を真後ろに旋回しながら振り終えた時には彼の姿は無く、気づけばまた俺の真後ろに立ち爽やかな笑顔を浮かべながら拍手をしているではないか。俺は彼への称賛と諦めを込めてフーッと大きく息を吐いた。初めに比べればこの瞬翼の使い方は大きく進歩しただろうという自負が俺の中にはあったが、白城という壁の高さまでは測りきれなかった。
「結構慣れてきたね。目標はこれを自分の手足のように使えることだよ。今度は俺のことは気にしないで自由に使ってみて。」
手足のように、という言葉の意味することを俺は今なら感覚的に理解できた。それはつまり好きな時に自由な速度で飛び、加速できるということだ。今の俺には剣を振ることだけに集中して瞬翼を使いこなすことはできない。俺は確かな手ごたえを感じながら再度瞬翼を発現させ、今度は自由に周囲を駆け回った。
俺が一人で瞬翼の練習を始めてから二十分以上が経過しただろうか、最初は少しの加速で走るのを瞬間的に早くしたり、走る途中に発動させて急な方向転換をしたりと白城の見様見真似で段々と使いこなしていった。慣れてくるとこの瞬翼というのはなんとも面白いもので、アニメや漫画でしか見たことがないような壁走りや前宙などが完璧にと言えるほどではないが、できるようになった。俺の練習を家の屋根からただ眺めていた白城が俺の元へ降りてきた。
「だいぶ使えるようになってきたね。これなら実戦を何回かやればかなり戦えるようになるよ。」
白城の言葉が俺には素直に嬉しいものだった。訓練初回にしてここまで強くなれると思っていなかった俺は心の内の興奮を抑えるのがやっとだった。
「それじゃ、悪いんだけど早速実戦に行くよ。」
「あぁ!……え?」
それまでの余裕を感じさせるような爽やかな声で言われたことと俺がさらなる訓練を望んでいたことから、反射的に勢いよく答えてしまったが、予想外の提案に俺は遅れて反応することになる。
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