第4話 邂逅

 白峰は人通りの多い駅前から離れ、住宅街を駆け抜けている。俺はそれを全速力で追いかけるが、さすが光還者と言うべきか全く追いつけず、みるみる彼の背中は離れていった。俺は自力で彼に追いつくことを諦め、住宅街の中で誰も見ていないことを確認する。

(今なら大丈夫だよ、玲司!)

 リアンによる二重チェックもとれたところで、俺は彼女の力を借りて姿を、そして俺の存在する世界を変えた。変身してすぐに翼による飛翔を行う。

「リアン、場所を教え……いや、いらないな。」

 俺はいつもの調子でリアンに鬼の場所を聞こうとしたが、最早その必要は無いほどに鬼の気配は強かったため、俺はその方向へ一直線に翔んでいった。

(玲司、この相手はヤバい!)

 いつになくリアンが焦っているように思えた。それを俺はひとまず気にすることなく鬼の方へと翼をはためかせる。そして程なくして気配の正体である鬼が俺の視界の下に見えた。その鬼は俺が今まで出会ったどの鬼よりも大きく、体長は五メートルあるかという犬型の骨格をした鬼だった。口の部分からは蒼い焔を吹き出しながら一歩ずつ住宅街の道路を練り歩いている。

「コロ、ス……コロス、コロスコロスコロス……。」

 強烈な殺意に俺は圧倒されそうになる。全身に鳥肌が立ち、冷や汗が噴き出してきていた。今まであれだけの鬼に遭遇しなかったのは幸運の一言に尽きるのではと疑念が浮かんだ。あれだけ巨大な鬼ならば白峰が来てから対処したほうがいいだろうと死地にいるような状況で俺は冷静に思考できていたのは制空権がこちら側にあったからだろう。だがその鬼は歩みを止め、クンクンと匂いを嗅ぐような仕草をする。

(まずい! 祟られるぞ!)

 リアンの悲鳴にも似た声色から、恐らく祟る対象となる人物が現実世界にいるのだと理解する。その気配を感じ取った鬼はその人物がいるであろう場所めがけて口から蒼い息を噴き出し始めた。俺は舌打ちをしてからその鬼の頭部へと急降下していく。あの鬼を俺一人で倒すのは厳しいが、白峰が来るまでの時間稼ぎと思えば不可能だとは思わずに済んだ。俺は背中に携えた剣を引き抜き、まだ俺に気付いていない鬼の頭部へと斬りかかった。ガキン、という不快な音が鳴り響き、俺は鬼の反撃を警戒してすぐに上空へと飛翔する。鬼はついに俺のことを認識したらしく、自分を見下ろす人間の姿をはっきりと捉えているかのようにじっとこちらへと視線を向けているような気がする。俺は久しぶりに鬼との戦闘に緊張感を抱いていた。それを自覚すると剣を握る手が震えていることに気づく。俺はもう一度舌打ちをして鬼と睨み合うように見下ろす、この位置ならば鬼の攻撃も届かないだろう、仮にまた通行人を祟るような素振りを見せたら俺がまた斬りかかって注意を引きつければいい。それなら白峰が来るまでの時間稼ぎは出来るだろう。たが俺の考えは甘かった。鬼は口から蒼い焔を溜め込み始めたのだ。

(玲司、あいつ狙ってくるぞ!)

 リアンの警告が聞こえた時には俺もそれを分かっており、同時に鬼からは蒼い焔の弾を数発口から発射されていた。どうやら俺を始末してからゆっくり人間を祟るつもりらしい。俺は右へ左へとそれらの攻撃を避けた。俺が全てを避けたことで苛立ったのか、今度は弾幕のようにまきちらしはじめた。俺は三度目の舌打ちをすると今度は全力で右方向へと飛翔して弾幕を早々に回避する。尚更鬼は苛立ちを爆発させ、俺へと注目する。

「よし。」

 俺は自分を労うように、言葉で自身を励ました。だがこの後のことを考えると悠長に喜んでいられないのは確かだった。見知らぬ一般人を助けたせいで今の俺はあの鬼から相当の敵意を超えた殺意を向けられているように感じた。その証拠にあの鬼は今も前世での未練を言葉にして呪っているようだった。

「コロス……コロス、コロス、コロスコロスコロスゥゥゥ!」

 その雄叫びにも似た呪いの言葉を前にして俺は息を詰まらせた。これほどまでの未練を残すことがあるのだろうか、尋常ではないその怒り、それを残したままこの世を去るのはとても悲しいことだというのは想像に難くない。俺は剣を構える、前世が犬だったが故にこの姿となっているのかは定かではないが、今はその呪いを鎮めなければならない、鬼のせいで何も悪くない人間が死ぬことを俺は許容できないからだ。なぜ?という疑問が脳裏をよぎる。どうして俺がそんなことをしなければならないのだろう、俺はただ平穏に暮らしたいだけだというのに。そんな一瞬の思考の間にあの鬼は俺に攻撃を仕掛けてきた。先ほどと同じ量の弾幕を再度放ってきた。俺は反応に遅れ、咄嗟に両腕を胸の前でクロスさせ防御体勢をとる。これまでも鬼からの攻撃を受けたことはあったが、それは体を多少吹っ飛ばされる程度で、一撃で大怪我を負わされるようなことはなかった。だが今回はどうだろう、どれほどのダメージを受けるのか想像できない俺は炎弾が炸裂するまでの間にそんなことを考えていた。せいぜい軽い傷で済むことを願っていた俺は目をつむり、衝撃に備えていた。

ドガァァン!という火球との炸裂音が鳴り響く。しかしそれは俺に当たったからではない。俺は恐る恐る目を開けると、そこには俺と同じく天使の翼を背中から生やし、白く輝く鎧に身を包んだ誰かの後ろ姿があった。

「礼を言うぞ、玲司。」

 声と口調から、目の前で攻撃を受け止めてくれたのが白峰だと分かった。礼というのは一般人を助けたことに対してだと解釈した俺は礼を返す。

「こっちこそだ、白峰。助かったよ。」

「二人で鎮めるぞ、俺が囮になって引きつけるから、玲司は自分のタイミングで攻撃を仕掛けてくれ。」

 慣れた口調で俺に指示を出してきた白峰はなんだか頼もしく見えてきた。白峰はあの鬼に対峙するように地上へと降りていった。俺は上空で鬼と白峰を見つめる。

「なぁリアン、白峰は鎧をまとって戦うのか?」

(あぁ、あれはきっとザキアノの力だよ。)

 初めて聞いた単語に俺は反射的に聞き返した。

「ザキアノ?」

(あぁ、天界から来る天使っていうのは基本的に神によって決められるんだ。ザキアノもその一体だったはずだよ。)

 初めて聞く情報が次々に現れている気もするが、彼女はそのザキアナという天使について詳しいような気がする。天界で天使同士の友好関係でもあったのだろうか、今までそのような話は聞いたことがなかったためか、疑問を持った。

「知り合いなのか?」

(まぁ、そんなとこ。)

 リアンは俺の質問をはぐらかすように返した。そこにさらに探りを入れたいところだが、白峰と共に大型の鬼を鎮めなくてはならない手前、追求するのは控えることにする。

「鬼の関節部分、斬らなきゃいけない面積が大きいから面倒だな。」

 俺は冷静にあの鬼について分析していた。あれほどの大きさの鬼と遭遇したことは無かったため、一度に切断しきれるかが俺には分からない。それに白峰は俺のタイミングで攻撃しろと言ったが、他人との連携を俺は取ったことが無い、つまりぶっつけ本番だ。俺は緊張で心臓の鼓動が早くなっていくのを実感しながら、あまりにも体格差のある鬼と白峰を静観することしか出来ないでいた。

「リアン、初めてあんな大きな鬼、それも犬型を見るが以前にも現れることはあるのか?」

(うーん……珍しいね。)

 リアンは少し悩んだかのように見えたが、はっきりと答えた。俺はあの鬼と対峙した時、恐怖から足が震えたことを思い出していた。だというのに白峰の顔は鎧の仮面に隠されているため分からないが、堂々としているように見える。鬼は口を大きく開いて鋭い牙を剥き出しにし、白峰を噛み殺すかのような勢いで食らいつこうと突進した。

「フンッ!」

 白峰は眼前の迫り来る恐怖に臆することなく、全身に力を込めるように姿勢を低くしてその牙を手で掴んだ。それだけでは鬼の勢いを完全に止めることは出来ず、地面が割れ、足が地面に食い込み、そのまま後方へと押されていた。しかし白峰は体勢を変えることなく鬼の突進の衝撃に対して体勢を変えることなく受け止め続け、彼の後方へと押される速度は減速していき、ついに鬼の猛進を完全に静止させた。

(今じゃないかな、玲司!)

「あ、あぁ!」

 彼の怪力と肝の据わり方に唖然としていた俺はリアンの言葉で我に帰った。素早く剣を構え、動きの止まった鬼の元へ急降下していく。

「スゥッ……!」

 風が俺の顔にぶつかるのを感じながら息を吸って全身に力を込め、鬼の右後ろ足の関節に斬撃を与える。斬らなければならない面積が大きい分いつもより難しいはずだが、相手はほとんど動くことのないただの的だった。俺は何も迷うことなく、考えることなく、ただの振るうのみ、とても簡単だった。

「コロスゥゥッ!」

 鬼のその叫びは悲痛さと共に俺への怒りが含まれているようだった。しかし突然足が一本失われれば、体勢を保つことは不可能であり、鬼は地面に倒れた。もう攻撃の手段は口から吐く火球くらいだろう。だが足で踏ん張りがきかない分、精度が落ちるのは容易に想像できた。俺は翼を使って白峰の所へと飛んでいき、彼の隣に着地した。

「まだ鎮めてないけどいいのか?」

「あぁ、後は俺がやる。少し離れていろ。」

 普段から仮面をつけているかのように表情を変えない白峰の声色は鎧に身を包んでいる分さらに持ち前のロボットのような声に拍車がかかったかのように感じられた。俺は白峰の後ろへと下がり、鬼が鎮められるのを眺めることにした。鬼は最後の抵抗と言わんばかりに火球を彼に吐き続けるが、鎧に護られている白峰には一切通じず、彼は歩みを止めることなく鬼の前に立った。

「辛かっただろう、やり場のない未練を、怒りを抱えたままたこうして生き永らえるのは。俺が今、終わらせてやる。」

 彼はじっくりと噛み締めるように鬼に語りかけた。もう諦めたかのように攻撃を仕掛ける気配の無い鬼だが、白峰を睨みつける眼光の鋭さだけは衰えることはなかった。その憎しみに溢れた眼差しを向けられてなお、白峰は動じることなくトドメの一撃を鬼へとくらわせようと腰をひねり、右手を後ろへと引いたと思った次の瞬間、瞬きしていたら見逃していたであろう速度で拳は鬼へと繰り出されていた。その拳を顔面に受けた鬼の身体は段々と原型を無くし、霧散した。

「協力してくれたことに感謝する、玲司。」

「別に俺は大したことなんてしてない。」

 俺は皮肉を言うつもりも、謙遜するつもりもなく、ただ事実を述べた。白峰が鬼の動きを止めなければ俺が関節部分を切断することなど出来なかっただろう。

「もう鬼の気配は感じない、USBも渡したし、今日はもう帰るぞ。」

 白峰の提案に対して反論するような箇所は無く、シンプルで、すぐにでも帰宅したい俺には願ったりな提案だった。

「あぁ、分かった。それじゃあな。」

 俺は軽く挨拶を済ませ、自分が変身した場所へ戻ろうと背中から生えている翼をまた広げた。そして飛びたとうとした瞬間、俺でも白峰でもリアンのものでもない、つまり、聴こえるはずのない音が耳に入り込んできた。

「おやおや、もう帰ってしまうのですか?」

 それは俺だけに聴こえたわけではなく、相変わらずの真面目さで俺が飛び立って行くのを律儀にも、ちゃんと確認しておこうと考えていたのか、俺のことをじっと見ていた白峰にもはっきりと聴こえたようで、全身に力が入っているように見えた。それは先ほどの鬼を感知した時に似ている。しかし今回は明らかに違うのだ、感知したのは気配ではなく、声なのだ。短い言葉ではあったが、この場に俺と白峰以外誰もいないと思っていたであろう俺たちにとってその声の主がこの空間にいることは信じられないことだった。遅れてやってきた光還者なのでは、という考えも浮かんだが、白峰がすぐに周りを見渡し、戦闘に入れるように体勢を整えているのを見るとそうではないのは一目瞭然だった。俺は途端に緊張が走るのを実感し、白峰とは少し高い位置で静止し、声のした方を見る。だが声のした方には誰もいない。

「貴方がた、特に鎧の方は強いですね、良い拳でした。」

 その知性と共に不快感を感じさせる声を聞いて俺は相手が敵であると直感した。ただの闘うことが好きな奴なら問題は小さい、しかしこれは違う、と本能で分かっていた。突然、何も無かった空間から黒い靄が現れたかと思うと、それは人型を形成し始め、ついには一度その黒い輝きが増した。まるで俺が変身する時にリアンが姿を一時的に現れるかのようだった。それの容姿は人間でいうところの男性で、髪は長く伸びており、左右で黒髪と白髪に分かれていた。そして瞳は髪の色とは逆に白目と黒目が入れ替わったような色合いをしていて不気味に見える。服装はギリシャ神話を思わせるような白い布を纏い、両腕と両足には黒いリングを幾つもはめ、一番目を見張ったのは背中から広げられた俺たちとは対照的な漆黒の翼であり、それはまさに堕天使という名に相応しかった。

「貴様がデーツェだな。」

 白峰はその男を前にして思考を止めることはなかった。恐らくこれは想定外だっただろう、それだというのに彼はまるでロボットのように冷静だ。そしてデーツェは余裕を見せる表情で言い放った。

「ご名答。私こそが堕天使デーツェ、天界との敵対者です。」

 


 

 

 

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