第16話 束の間の平穏

 衝撃の閃光を放った俺の次の訓練相手は白影だった。

「丹羽っち、もう閃光撃てるようになったの!? ヤバ……。」

 開口一番驚きすぎて目を丸くするするような彼女に俺はまた申し訳なくなり、つい謙遜した。

「いやまぁ、たまたまみたいなもんだし、疲れすぎてもう今日は撃てない。」

「リスクがアタシたちより大きいってことなのかしら。」

 彼女は勝手に納得してくれたが、ただリアンと直接会話し、息を合わせたことが、あの威力を引き出した最大の要因だろう。俺以外の光還者は自身に宿る天使と話すことなどできないだろう。白影はハルバートを目にも止まらぬ速さで回転させてから姿勢を低くし、先端をこちらへと向けてくる。

「まぁいいわ。今からビシバシしごいてやるんだから。」

「お手柔らかにな……って、もしかしてこのままやるのか!?」

 俺はお互いに武器を構えている状況がとてつもなく危険だということを危うく気づかないところだった。

「あ、そうだった。ちょっと待ってね。」

 何か思い出したかのように構えを解いた白影は左手を胸に当て、目を瞑った。

「天導術、天界擬似顕現。」

 そう呟いた彼女の足元を中心に円形状の眩い光が広がっていき、それは俺を通り越し、半径約二十メートルほどになったところで円周からその光が壁のように上昇し、ドーム状に収束した。

「これは?」

「天導術よ。白導院に所属する光還者は皆これを習うの。これはその内の一つ、空間の一部を天界に似せる術よ。」

「その天導術ってのは皆出来るものなのか? 戦闘で使ってるところ一回も見たことないんだけど。」

「これ、攻撃手段としては使えないのよ。初めて天導術を使った光還者は出来たらしいけど、アタシには難し過ぎるわ。」

「へぇ、それでこれは何の意味があるんだ?」

「この空間は一時的に天界とほぼ同じでね、怪我することは無いから全力で出来るってわけ。この空間から出たか、一本取られた方が負けよ。」

「なるほどな。」

 俺が感心しながら薄く輝いている空間の壁を見回し、白影へと視線を移すと、彼女は準備ができたというふうにハルバートを構えていた。白影に対し、俺は剣道のように剣を構え、呼吸に集中する。数秒の沈黙、何度目かの息を吸った瞬間に踏み込みを始めると、白影もほぼ同時に動き出した。お互いに振りかぶり、挨拶代わりに武器を衝突させた。カチン、という金属音が響き、膠着状態になるがそれも一瞬で、白影は素早く俺から距離を取る。そしてハルバートを振り回し、俺への攻撃を一方的に行ってくるため、まさに防戦一方の展開になるのはあっという間であり、俺は彼女のハルバートを剣で受け止めるので精一杯になる。

(玲司、これ彼女の間合いだ! 距離を詰めなきゃ!)

(出来たらやってる……!)

 俺は脳内で叫ぶリアンへ必死に言葉を返した。ハルバートと剣のリーチで考えれば剣の方が短い。だから彼女は最初に有利な間合いへ持ち込み、さらに俺が距離を詰められないようにするために、素早い攻撃をひたすら繰り返し、俺の隙を窺っているのだろう。いくら鬼との戦闘経験があるとはいえ彼女との経験値には差がある、俺が押されるのは仕方のないことだ。絶え間ない斬撃がジリジリと俺をドーム外へと押し込んでいき、このままでは勝ち目が無いのは明白だった。俺は一か八かで瞬翼を使い、一気に後方へと跳躍した。このわずかな時間で俺は次の行動の選択肢を決めなければならないが、恐らく白影はさらに距離を詰めてくると予測でき、その時は瞬翼で背後を取るチャンスだと俺は脳内で思考をまとめる。案の定、白影は俺へと真っ直ぐに距離を詰めてきた。俺は瞬翼で彼女へ向けて加速、そして再度斜め上方向へと加速し、上空へ浮いた。ここでさらに今度は地面目掛けて加速し、彼女の背後を取った。三回の細かい加速はまさに訓練の賜物だ。俺は着地と同時に腰を捻り、剣に勢いをつけて右足を白影のいる背後へと踏み込んだ。彼女はさすがと言うべきか、俺が背後をとったことに素早く反応して切り返してくるが、俺の方が先手を取っている。白影がハルバートを振り下ろすよりも速く動いて避け、剣を振り上げた。俺の中には取った、という確信が生まれた。それほど上手く訓練の成果が現れた動きをしているという自負があったし、ここから白影が俺の剣を躱すのは無理だろうと直感した。俺が振り上げた剣は

「なっ……!?」

 白影は宙を舞い、先程ハルバートを振り下ろした勢いそのままに跳躍した。俺は白影が瞬翼を使ったのだと理解する。白影は俺から距離を取り、ハルバートを肩で担ぎ、力を抜きながら俺の方を見る。

「結構やるじゃん。」

 彼女からはまだまだ余裕が見えるのが癪だったが、俺は不敵に笑って見せた。

「やっと瞬翼使ってくれたってとこか。」

「そういうこと。じゃあギア、上げてくよ。」

 ハルバートを再度構えた白影は瞬翼による加速で、一気に俺との距離を詰めてきた。それはとても目で追い切れるものではなく、断片的に見えた情報を一瞬で処理して対応するしかなかった。あれだけ巨大なハルバートを使っているというのに彼女のスピードは衰えることなく絶え間ない斬撃を繰り出してくるのを俺は受け止め切れず、瞬翼で躱すことに専念し始めた。俺は白影の攻撃を剣で受け流したり、瞬翼で避けたりを繰り返す。それはただの時間稼ぎにしかならず、やがて白影の攻撃が俺の身体に当たり始めた。

「よし、終わり!」

 白影からの攻撃が止み、彼女のハルバートが光になって消えた時には俺は先ほどまで存在したドームの外で大の字になって倒れ、息を切らしていた。

「いや、強すぎるだろ。」

「当たり前じゃない、アタシはもう何年も光還者やってるんだから。丹羽っちすごいよ、ここまで出来るなんて思ってなかった。」

 彼女から励まされるが、それを喜ぶ余裕が無いほど俺は息を切らし、立ち上がれずにいた。

「ほら、大丈夫? 立てる?」

 すると彼女は俺の元へ近づいてくると、手を伸ばしてきた。俺はその手を取り、彼女に引っ張られて何とか起き上がる。

「丹羽っちすごいね、自主練してたの?」

「まぁな、戦いをお前らに任せっきりにするの嫌だし。」

「でもアタシたちの方が強いのは明らかなんだから任せとけばよくない?」

 決して白影が嫌味で言っていないことは分かる。力の差があることは自覚しているし、デーツェとの戦いは白影たちに任せるのがベストなのは間違いない。だが俺には譲りたくない部分が心の中で生まれていた。

「出来るだけ自分でやりたいんだ。俺は日常を早く取り戻したいから光還者になったけど、だからって白影たちに任せっきりは嫌なんだよ。」

「そうかなぁ、普通ならアタシたちに任せようって考えると思うけど……。」

 彼女の指摘は最もで、俺だって好きで戦いに参加したわけじゃない。でもデーツェという邪悪を前にして、奴に白峰や白城が傷つけられるのを目の当たりにして、じゃあ後は任せるなどと言って光還者を辞めたとして、それを忘れられる訳ではない。彼らの身を心配し、デーツェにビクビクしながら過ごす生活は俺の求める平穏から程遠いものだろう、だから俺は逃げないでデーツェを倒す手伝いをすると決めたのだ。

「まぁ、丹羽っちがそうしたいならいいんじゃない?」

 白影はそこまで興味は持っていないらしく、いつも通りの口調だ。

「それじゃ、結構疲れたし家戻ろっか。」

「そうだな、一旦休憩できると助かる。」

 白影の提案に賛同し、俺たちは翼を使って天身した場所へと戻る。戻ってからも身体の疲労が俺を襲い、ヘトヘトだった。

「下から飲み物持って来るからちょっと待ってて。」

 白影は俺にそう言い残し、部屋を出た。彼女が階段を降りていく音を聞きながら、俺は改めて白峰の部屋を見回した。部屋にはこれといって目立つものが置かれているわけではないのだが、壁に掛けられているボードに目がいった。そこには磁石で留められた十枚以上の写真があり、それらはここで生活する光還者たちが映っている写真ばかりだった。私服でどこかの河原でバーベキューをしているものや全員で登山をしている様子を写したものなど、彼らのこれまでの思い出を垣間見ているような気分になる。これらを見るに、彼らは友人という域ではなく、まるで家族のように生活しているのだと、以前から抱いていた違和感の正体が分かった。

 白影が部屋から出てから一分ほど経った頃、部屋のドアが開き、彼女が透明なコップに入ったスポーツドリンクを手に持って入ってきた。

「はい、とりあえずこれ飲んで。」

「おぉ、サンキュ。」

 俺はそれを一息で飲み切るほどに喉が渇いていた。直前まで冷蔵庫で冷やされたであろう俺の運動直後で熱くなった身体とは対照的な冷たい液体が俺の体内に染みわたっていくのを実感する。

「それじゃ、一階来てよ。ちょっとやりたいことあるんだよね。」

「やりたいこと?」

「まぁ、いいから来て。」

 なぜか笑っている彼女に手を引っ張られ、俺はコップを持ちながら一階へと半ば強制的に連れられた。階段と一階を隔てるドアを開くと、一番先に目に飛び込んできたのはテーブルに並べられた大量のお菓子の数々と、その周りに置かれた五枚の白いお皿だった。そしてそのテーブルを囲むように白峰と白城、白百合が立っており、俺を見るなり各々が笑顔を浮かべていた。

「何だ、パーティでもやるのか?」

 俺は何故このような状況になっているのか理解できず、口をぽかんと開けて目を開いたまま固まってしまい、ようやく出た言葉がこれだった。

「まぁ、座った座った。これから親睦パーティなんだから。」

 背後から聞こえた白影の言葉で我に帰り、彼女に促されるままに座った場所はテーブルを囲む五つの椅子の中で左右に二つずつ椅子がある、いわばリーダーや主役が座るような位置であり、会議の時に白導院が座っているような席であったことを思い出すとなんだか彼らのリーダーになったかのような錯覚を覚えると同時に、これから行われるであろう食事会において俺が主役なのだということは何となく察しがついた。俺が席に座ると、他の皆も次々に椅子に座る。俺は眼前に広がるいくつもの皿に開けられたポテトチップスやクッキーやチョコレートを見ながら、このように友達と食事をすること自体ほとんど無かったな、などと過去を回想する。その間に白影が俺のそばに置かれたコップにコーラを注いだ。ありがとう、と言ってそれを手に持つと、白百合が音頭を取り始めた。

「それじゃあ、丹羽さんが光還者になったことを祝して、乾杯!」

「乾杯!」

 白百合の声を合図に他の皆が口々にそう声高らかに叫んだ。俺は彼らにこのようなパーティを開いてもらえるとは微塵も思っていなかった俺は驚きながらも純粋に喜んだ。

「まさかここまでしてもらえるなんて思ってなかったな。」

 俺は喜びから笑みを浮かべているのを実感する、それほど普段感情がそこまで激しくないという自負があったが、彼らと関わるようになってからは明らかに感情を表に出すことが増えているような気がする。

「こういうパーティやりたいって前から話してたんだ。」

 俺から見て手前右奥に座った白城が爽やかな笑顔で俺に話してくれた。

「光還者の仲間が増えるっていうのは滅多に無いからな、俺たちにとって丹羽の加入は特別だ。」

 白峰はいつもの表情のまま伝えてくるが、特別だというならもう少し感情を前に出していいんじゃないか、というツッコミは、この際野暮なのでしないでおく。

「ちゃんとサプライズになって良かったです。さぁ、丹羽さん、遠慮せず食べて下さいね。」

 白百合から促されるがままに、疲れていた俺はコップに入ったコーラを一息に喉へと流し込むと、テーブルに広げられた皿たちから手早くクッキーだのポテトチップスだのを自分の皿に取り、次々に口へと運んだ。普段おやつを食べることはあまりない俺だったが、今ばかりは限度なんてものは忘れている。他の皆も俺と同じように眼前のお菓子へと手を伸ばし、会話に花を咲かせている。

「それにしても丹羽っちは筋が良いわよね、今日手合わせして驚いちゃった。」

 白影は訓練での俺の動きを褒めてくれたが、他の光還者のいる場所で言われるとさすがに照れ臭かった。

「確かに、この前の渋谷でも僕らのサポート無しでかなり戦えてたからね。素質あるんじゃないかな?」

 白城が俺に素質などという仰々しい言葉を使うものだから俺は即座に否定する。

「素質じゃないさ。こう見えて小さい頃から鬼を清めてるだけだ。最近は自主練だってやってるしな。」

「そうなんだ。案外熱心なんだね。」

「早くデーツェ倒したいしな。」

 白城は俺のいかにも真面目そうな台詞を聞いて少し驚いたような声を出すが、これは早く光還者としての日常を終わらせたいだけだ。

「丹羽みたいな努力を白影がすればな……。」

 白峰が何か棘のあるような、かといって本気で文句を言っている訳でもない声で白影をちらっと見ている。

「うるさいなぁ、私はゲームがしたいの。」

 ポテトチップスを絶え間なく口へ運んでいた彼女は開き直るように言葉を返し、じっと目を細めた視線を白峰の視線とぶつけており、俺は苦笑いすることしかできなかった。

「薫ちゃん、昔は泣き虫だったもんね。」

 白城のカミングアウトに不意を突かれた白影は椅子から勢いよく立ち上がり、顔を真っ赤に染めていた。

「ちょっと! 丹羽っちの前でそれは言わないでよ!」

「昔はよく私が慰めましたね、今ではこんなに大きくなりましたけど。」

「ちょ、奏さんまで!」

 白城のみならず白百合までもが昔話に思いを馳せており、白影の味方はいなくなっていた。彼女が何故俺に知られたくなかったのか、それは俺がその事実をこの場で唯一知らないからであり恥ずかしい過去なのだろう。顔を真っ赤にしてからさらに恥ずかしさのあまり半泣きになっている彼女は憂さ晴らしをするかのようにテーブルのお菓子を口へ放り込むスピードを上げていた。俺はそんな彼女の一面を知ってしまったことに対してどう反応すればいいか分からず、無言でいるという選択をした。この時ばかりは平常心がいかに重要か少しだけ実感できる。

「そういえば、丹羽さんはデーツェを倒したらどうするんですか?」

 白影の過去についてのちょっとした暴露があった後、ようやく白影の機嫌も治り、俺たちはまたテーブルの上に広げられていたお菓子のほとんどを食べ尽くした頃、白百合が今後のあり得るだろう未来について聞いてくる。デーツェ打倒、そうなれば俺は光還者を止めるだろう。だがそうなれば彼らとの関係はどうなるんだろうか、二度と会うことはなくなるのだろうか、などと考えていたらその問いの答えが思い浮かばなかった。

「さぁ、何やってるんだろうな……。」

 俺は現実味のない架空の未来、だが俺たちが目指している未来についての想像を膨らませる。光還者としての日常が終わり、それ以前までの生活に戻ったとして、彼らとの関係はどうなるんだろうか。俺はその疑問を胸にしまい、それを紛らわすように言葉を選んだ。

「そもそも、デーツェを倒せるかどうかなんて分からないしな。」

「あいつは白導院さんがいるから倒せるんじゃないの?」

 そう、俺たちは白導院真里というデーツェの脅威に対しての純粋で簡潔で最適な解決方法を持っている。だからこそ今の白影の発言から感じ取れるように、彼女たちには余裕が感じられた。それなのに何故俺が訓練を続けているのか、それは自分の生活の平穏を自らの手で取り戻したいというエゴだけだった。

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