第2話 敵

(ここら辺だよ、玲司!)

 リアンに指示され、俺は地面へと急降下した。全身にぶつかる空気抵抗が強くなるのを実感しながら下降し、途中から翼を広げ、上下に動かした。そして地面にゆっくりと着地すると、翼が霧散するように消える。周りは住宅街、俺の目の前にはいくつかの家に挟まれた車一台は余裕で通れるほどの道が続き、途中にT字路で道が別れている。昼間ということもあってか人通りは少ない。

(もうすぐ来るよ!)

 リアンの声で俺の気が引き締まる。T字路から何かが近づいてくるのを俺は肌で感じていた。そして、それが姿を表す。

「……サナイ、ユル、サ、ナイ。ユルサ……ナイ。」

 断片的ではあったが、許さないという単語を連呼していることは分かった。そらは人型の姿をしているが、人間には程遠い。それは言うなれば人だったものだ、全身は骨のようだが骨は全て黒く、身体の所々からは蒼い焔が骨を覆うように燃え盛っており、特徴的なのは頭部から二本の角が伸びていることだろう。それの連呼する言葉を聞き続ければ普通は気が滅入るだろう。たとえ自分に向けられた訳ではない言葉だとしても、これだけの恨みという感情が急激に身体に流れ込んでくれば、精神的に辛いのは明らかだ。だが俺は慣れていたため、その怨念がこもった声をある程度無視できる、ある程度は。

「相変わらず完全に慣れるのは無理そうだな。」

 俺はうんざりした気分でぼやいた。いくら自分には関係のないこととはいえこれだけの怒りを向けられるのは気分が悪かった。

「あんたも辛かったんだな。」

 俺はそれに同情するように言葉をかけた。だが当然反応は無い。それは俺に興味があるようで、眼球が無いため視線なんてものは存在しないが、こちらに疑いの眼差しを向けているように見えた。それもそのはず普通の人間にはそれは見えない。俺は話しかけているのだからさぞ不思議だろう。

(今回の鬼もまぁまぁだね……。)

 いつも陽気のリアンだが鬼を目の前にするとそうはいかない、それは普段から感情の変動が少ない俺でも同じで、それは鬼という存在の虚しさを俺たちが理解しているからだ。

「ちゃんと鎮めないとな、誰かに憑依したり祟ったりしないうちにやるぞ。」

 俺は冷静に目の前の鬼を処理しようと思考を切り替えるために呟いた後、背中に携えられた剣を抜いた。その剣はシンプルな見た目をしており、持ち手は白く、柄頭は金の装飾が握りよりも太くなるように施されている。さらに鍔は殆ど無いに等しく、刀身と柄の境には柄頭よりも同じように、多少太くなっているとはいえ金色に輝く装飾が申し訳程度にあるだけだ。そこから刀身は一メートルくらいといったところか。決して大きいと言えるような剣ではないが俺はその剣を片手で構えた。相手の鬼はこちらが武器を向けていると認識したのか、俺を威嚇するように叫び声を上げた。

「ユ、ル、サ、ナ、イ!」

 鬼に知性はほとんど存在しない。発する言葉の語彙は生前にどんな未練や執着があったかで決まるのだが、今回の場合は他人への恨みが強かったのだろうと考えられた。俺に向けて突進してくる鬼は大きく腕を振り上げたかと思うと、俺めがけて振り下ろす。俺は鬼の指と指の間に剣の刃を通してそれを受け止めた。鬼の骨と俺の剣がぶつかる瞬間、激しくガキンと不快な音が鳴り響いた。鬼は自分の攻撃が人間に止められたことに驚いたのか腕を引き、後方へジャンプした。俺は油断することなく剣を構え、鬼の方へと駆け出して距離を詰める。そして鬼が俺にしてきたことと同じように剣を振り上げ、垂直に振り下ろす。鬼は両腕を交差させ、ちょうど交点のところで俺の剣を受け止めようとした。しかしこれは俺が鬼に仕掛けたフェイントだ。鬼の弱点は強度が比較的弱い関節部分、そこに正しく攻撃を打ち込むとその関節を破壊することができる。俺は振り下ろそうとした剣を一度引き、体勢を低くしてから斜め右に滑り込むように身体を動かし、斬りやすい位置にある関節目掛けて剣を再度振り上げた。スパンッと気持ちのいい音がしたかと思うと、鬼の左腕の肘から先が地面に落下していた。鬼は痛みからか悲痛な叫び声を上げる。俺は鬼が狼狽えるところを見逃さずに次々に関節へと攻撃を加えていく。どれだけ攻撃したか数えていた訳ではないが、程なくして鬼はバラバラになり、霧散した。鬼は最後まで攻撃に対する恐怖からか、叫び声を上げていたが、最終的にはどこか悲しげな声へと変化していった。その場で俺が大きく息を吐いた。鬼との戦いはこれまでにも経験してきたが、成り立ちを知っている俺からすれば倒した、と言うより鎮めた後は何かしら考えるものだ。

(今日も上手くできたじゃん、玲司。)

 リアンは俺を励ます意味も込めてか、労いの言葉をかけてきた。

「何年もやってれば、案外慣れるもんだな。」

 俺は心の落ち着きを取り戻し、翼を発現させる。一刻も早くこの場から去りたかった。

「帰るぞ。」

(はいはーい。)

 俺は翼で大空を飛翔している中、自分のことについて考える。普段の生活でそんなことをしないのに、唐突にそんなことを考え始めるのは、今俺のいる世界が普段の世界とは違い、おまけに俺は背中から翼を生やしているという非日常ゆえに起こるバグのようなものなのか。自覚しているが、俺は暗く、つまらない人間だろう。こんな俺とは対照的にリアンはいつも明るい。何故この天使が俺に纏わりつくのかは未だに分からない。俺は上空へと飛翔し、自分が変身した場所へと戻った。

 俺が元いた場所に戻ると、地面に白い魔法陣のような紋様が薄らと輝いていた。俺は周りに誰もいないことを確認してから着地すると、一瞬にして俺は元の姿に戻り、世界も元通りだ。そして俺は何事もなかったように帰路に着いた。

「それにしても天使の力ってのは不便だな。こんな楽に翔べるのに鬼が現れた時じゃないと使えないんだもんな。」

 自動車が忙しなく通り過ぎていく国道の隣の歩道を歩いている間、愚痴るようにリアンに話しかける。

(そんな事言っても仕方ないだろ? ただでさえ天使の力を行使するのは特例中の特例、好き勝手使われちゃ天界と地上のバランスが崩れちゃうからとかで。)

 リアンは俺に理解を求めてくるが、当然俺も渋々ではあれどリアンたち天使側には事情があるのだと自分に言い聞かせている。だがしかし、これだけ便利な力があれば日常生活に役に立つ事は間違いなしなのだ。例えば先程までの天使を身体に取り込んだ状態に関して言えば、天使の力を行使している間は厳密には人間ではなくなり、人間からは見えなくなる。逆に鬼の気配を感じ、視認、さらに戦うことが可能となる。その状態から人間に戻る時は変身した場所でなければならないという制限は人間が天使の力を好き勝手使わないようにという事らしい。なぜそんな縛りが必要なのかはリアン曰く、天使はこの地上の世界に干渉することを基本的に禁止されているからだと言う。つまり天使の力を悪用する人間が現れるかもしれないからそのための安全装置のような役割をしているということだろう。そして天使の力を借りる事で鎮める必要がある存在、鬼。リアンから聞いた話によると鬼とは本来、はくと呼ばれる清らかな魂とは逆に人間の負の面を内包するものらしい。人はみな例外無く身体に魂魄を宿しており、亡くなった時に魂は天界へ、魄は大地に還るのが普通なのだが、生前に強い執着等を抱いたまま亡くなると魄は鬼へと変貌して人に禍いをもたらしたり憑依したりするのだという。そしてその鬼を鎮めるのが俺の平穏のためであり、小学校高学年からは時折こうして天使の力を借りている。正直やらなければならない義務は無いのだが、体質的に鬼の存在を感知しやすい俺は子供の頃から鬼の声を常に感じ、怯えていた。たまにこうして鬼を鎮めるが幼少期から感じる鬼への直感が消えることはない。今もどこかしらで鬼の存在を微弱だが、感知し続けているような気がする。どれだけの鬼を鎮めても自分のこの直感が消え去らないというのが辛いところだ。

「それにしても最近鬼の出現が多いんじゃないか? 一週間前にも鎮めただろ。」

 俺は愚痴っても仕方ないと思考を切り替え、直近の問題となっている鬼の増加についてリアンが何か事情を知らないか質問した、まぁこれにも多少の愚痴は混じっているのだが。

(そうなんだけど、原因が分かってないんだ。ほんと迷惑しちゃうよね。)

 リアンは残念そうにぼやいた。どうやらあの明るい性格の彼女でさえこの状況に多少うんざりしているようだった。俺は小さく、彼女は大きくお互いにため息を吐いた。それはただの偶然ではあったのだが、俺がため息をついたことをリアンは見逃さずに声だけではあるが嬉々として俺に話しかけてきた。

(あれ! 今同じタイミングでため息ついたよね? 嬉しいなぁ、長年一緒にいるけどまさに以心伝心て感じだったよね?)

 リアンは興奮気味に捲し立ててくるのだが、俺は心底リアンが肉体を持たない声だけの、さらに俺にしか聞こえない存在で本当に良かったと思う。こんな奴が現実に俺の隣を歩いていたとしたら間違いなく周りから距離を置かれるだろう。平穏を求める俺にとってリアンは騒々し過ぎるのだ。

「うるさい。」

 俺はただ一言、静かではあるが明確な怒りをもってリアンへ嫌悪の態度を見せた。

(もう、照れちゃってさぁ、玲司は可愛くないなぁ。)

 だがリアンはすぐに茶化してきた。俺は彼女に真面目に向き合うのはやめようといつかの決意を再度固める。それからもリアンは俺に懲りることなく一方的に話しかけてくるが、俺は無視をし続けた。

 俺がずっと反応しなかったのと、国道沿いの道を通り過ぎたからか、リアンは喋るのをピシャリとやめていた。俺はようやく静かな時間が訪れたと安堵していたのだがその直後にその平穏は、床に落としたガラスのコップのように脆く砕け散った。

「待っていたぞ、玲司。」

 俺の目の前には新たに平穏を壊す男がその場にしては変わった格好で仁王立ちしている。具体的には教会で神父が着るような修道服の色を白に変えたような服を着ている。俺としては学校の近くなどでは決して会いたくない人物であり、こんな目立つ場所で俺を待ち伏せするのははっきり言って馬鹿だ。なぜ馬鹿なのか、決して頭が悪いという訳ではなく、単純にその目立つ服装で公の前に現れる行為をしているからだ。俺は先程よりも大きなため息をついた。そして面倒臭そうな視線を彼に送る。彼は自分が周囲の人たちから訝しげな目で見られていることなどお構いなしに俺の方を真っ直ぐと見ている。彼に恥じらいというものは無いのだろうか、と他人事ながら心配になる。そんな彼、白峰暁堅しろみねぎょうけんはまさに今この場において馬鹿以外の何者でも無いだろう。こんな男と同類と思われてはたまったものではない。ここは一度咳払いをしてやり過ごしたかった。

「人違いじゃないですか? 僕はあなたの事全然知らないですよ。」

 クスッとリアンが笑ったような気もしたが今は無視だ。俺は初対面の人と話す時のことを思い出しながら好青年を精一杯意識した演技を試みる。そしてすみません、と愛想よく言いながら彼の横を通り過ぎようとする。直前までキリッとした目から送られてくる視線だけで俺を追っていただけだったのだが、俺が通り過ぎる瞬間に左腕を掴まれてしまった。そこまでして俺から離れようとしないのは一体なんなのだろう。いきなり現れてこの態度はいかがなものかと文句や皮肉の一つでも言ってやろうかと息を吸った瞬間、彼は俺より先にたった一言だけ呟いた。

「今日行われた特別会議の内容をまとめたものだ。これを渡しに来た。」

 白峰はいつの間にか右手に持っていたUSBメモリーを俺に見せてきた。そんなことならわざわざこんな公衆の面前に現れる必要など無いではないか。俺はそれをひったくるように受け取った。

「これを渡すだけならここじゃなくてもいいんじゃないか。俺があまり目立ちたくないの知ってるだろ。」

 俺はそれをズボンのポケットにしまってから白峰に文句を吐いた。彼はなぜか私服ではなく仕事服を着て俺の前に現れた。そのせいで俺が真昼間に不思議な神父のコスプレをした人間と会っていたなどと周りに知られては学校中の人間からネタにされるだろう。俺は若干の焦りを感じながら、急いでその場を後にした。

「最近鬼の出現が多い、気をつけろ。」

 最後に俺を心配するような言葉を真顔で言ったような気がしたが俺はそれを軽く右手を上げて返事の代わりをした。鬼を鎮めた後で疲れているというのに白峰に会うとは運が無いな、と落胆しながらも俺は帰りの電車に乗った。

 帰宅してからは自室にこもり、ノートパソコンで白峰から受け取ったUSBメモリーの中身を閲覧した。普段なら軽く流して見るのだが、最近は違う。俺はマウスでスクロールをし、会議内容をいつもより入念に確認した。そしてピタリと指を止める、そこには頻発する鬼の発生の原因とされる存在の名が記載されていた。

「デーツェか……。」

 俺は自分の平穏を壊しているであろう敵の名前をぼそりと呟いた。

 

 

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