第12話 死

 渋谷のスクランブル交差点の真ん中で繰り広げられようとしている戦いを俺は黙って見ていることしか出来ないことがこんなにも歯がゆいことだとは思わなかった。奴が負ければ俺は平穏を取り戻すことができる。しかし、白峰たちが負ければ俺の人生の狂いが治ることは一生無いかもしれない。文字通り、これは命を懸けた戦いになるというのに無力な俺はそれを眺めることしか出来ない。デーツェは目の前の三人とビルの屋上から狙撃しようとしているであろう一人を前にしてまだ余裕の笑みを崩していなかった。

「楽しませて下さいねぇ!」

 デーツェは体の前で鎌を構え、目を見開いた瞬間に奴は動き出した。具体的には俺たちでいうところの瞬翼による高速移動であり、それはこちらも同じで、三人は同時に左右に展開するように広がり、即座にデーツェを囲むように移動して連携攻撃を仕掛け始める。白峰の拳をデーツェは鎌の持ち手で正確に受け流し、続く白影のハルバートによる突きを刀身で弾いた。どうやらデーツェは躱わすことをやめたらしく、続く白城から投げられた手裏剣も鎌で弾き、三人が一瞬離れたタイミングでの白百合による狙撃も奴は完璧に避けた。白城と白百合で相手をしていた時とほとんど変わらない状況を俺は固唾を飲んで見守っていることしかできなかった。

 白峰による肉弾戦、白城による撹乱しながらの飛び道具や接近戦などの変幻自在な攻撃、白影のハルバートによる突きと回転しながらの斬撃、白百合による狙撃の連携を前にしてデーツェは戦いを楽しむような笑顔を顔面に貼り付けながら鎌で捌ききっていた。

「もう、あいつ強いじゃない!」

 白影がイライラするように叫んだ。それはそうだ、奴はこれだけの人数差がありながら今まで一度も傷を負っていない。白影でなくとも気が立つのは無理のないことだろう。

「落ち着け、白影。こういう時の策はある。」

 白峰は白影を諭し、単身デーツェに突進した。これまでならデーツェに受け流されて終わりだ、今回も変わらず、デーツェは彼の拳を鎌でいなすなり受け流すなりして対処するだろう。実際奴は鎌の持ち手で彼の拳を受け止め、鎌を回転させて受け流そうとしたのだが、その直前で白峰は拳を引いてさらに一歩デーツェへと近づき、抱きつく形で奴を拘束した。デーツェは驚いたように目を見開きながらもすぐにこれから巻き起こるであろう新しい刺激への期待からか、即座に笑みを取り戻す。そこに生まれた隙を即座に畳み掛けたのは白城と白影だった。白城は手裏剣をいくつか高速で投擲することでデーツェの気を逸らさせ、白影はデーツェの頭上からハルバートを振り下ろしている。そのハルバートの刃は赤く発光し、普段からは比べものにならないほどのエネルギーを発していた。これが先ほど白百合が放った閃光と同じ攻撃なのだと直感する。

「とっとと、くたばりなさいよ!」

 白影の強気な姿勢こそがデーツェという強大な敵にも臆せず立ち向かえる理由なのだろうか。デーツェは身体を拘束され、二方向からの攻撃、これほどタイミングが揃うことは無いだろう。俺はこの戦闘の行く末を見逃さないよう、ずっと眺めていたが、この時初めてデーツェが倒されるという考えが脳裏をよぎる。直後、爆音と共に一段と強まった激しい光と衝撃で思わず顔を伏せる。光が収まり、俺はデーツェのいた方を見る。

「嘘だろ……。」

 俺は目の前の光景に愕然とするしかなかった。白影の繰り出した渾身の一撃は確かに放たれた、しかしそれはデーツェに傷を負わせるどころか擦りもせずに地面に突き刺さっており、本人は俯いたまま動かずに静止している。さらに彼女の服や武器のハルバートは一部が黒く変色しているように見え、明らかに今までの白影ではないことが理解できた。俺のような反応をしたのはこの場にいる全員のはずだ。その証拠にこの場にいる白城と白峰は驚愕するように表情と動きが止まった。だが唯一俺たちと反応が違うものが一人だけ存在した、デーツェだ。

「動きなさい、私の人形。この者たちと遊んであげなさい…‥クククッ。」

 奴は相変わらず白峰に拘束されているにも関わらず、この状況を心底楽しんでいるかのように思わず笑い声が漏れている感じだった。

「おい、リアン。デーツェは何をした?」

 俺は小声でリアンに話しかけた。俺には状況の整理が出来ず、白城と白峰も理解していないのであれば、もうリアンに頼ることしか思い浮かばなかった。

(この力、そんな……こんなことが。)

 リアンは狼狽するかのようにぼやいているが、言葉の意味は理解できない。俺は藁にもすがる想いでリアンに声をかけたというのに今の彼女は自身が気づいた事実に驚きを隠せていないように見てた。

「おい、リアン! デーツェは何をした!?」

 俺は繰り返し彼女に問いかけた、と言うよりそれしか出来ないというのが本音だ。この不思議な状況を前にして、自然と俺の語気は強まる。

(あいつ、薫ちゃんの魄を操作したんだよ! 薫ちゃんの魄が濁ってる感じがする!)

 濁ってる、というのがどういう事なのか俺にはさっぱり分からないが、それが普通の人間に起こるようなことではない非常事態であることは容易に理解できた。

「そんなことも出来るのか……。」

 どっと絶望が俺の心を侵食してくる。死んだ人間の魄を操作して強力な鬼を生み出すことが出来ることに加えて生きた人間にも同様な事が出来るというのなら俺たちに残された手段はあるのだろうか、頼みの綱だった閃光も奴には届かなかったというのに。

「さぁ、光還者の皆さんの相手をしてあげなさい。」

 非情な言葉が歪んだ笑顔を浮かべている奴の口から飛び出す。奴は白影と俺たちを戦わせるつもりらしい。ただでさえ戦力差があるというのに強力な相手が一人増えるのは致命的な状況にとどめを刺すようなものだ。俺がどうするべきか分からず立ち尽くしている間に白影はデーツェを羽交締めにしていた白峰へと襲いかかり、白峰は仕方なくデーツェの拘束を解いて白影との戦闘に移った。白峰と白影による一対一が繰り広げられ、デーツェは白城の相手をしている。白百合は白城の方に加勢しているようで、時折デーツェを狙うような弾丸が放たれている。俺は何も出来ずに立ち尽くしている自分に苛立ちが止まらなかった。

「俺は、何も出来ないのか……。」

 俺は戦えずにいることに苛立ち、剣を強く握りしめた。自分の無力さを痛感することは今までもあったが、自分の日常の平穏を取り戻すことを他人に委ねていることが何より嫌だった。だが、ここで理性を失ってがむしゃらにデーツェに戦いを仕掛けようものなら間違いなく白城たちの邪魔になるのは明白だ。半ば強制的に教会の光還者という肩書きを得た訳だが、デーツェを倒したいという想いはあった。しかし現実はいとも簡単に俺の理想を砕き、今では俺の生活の平穏は白峰たちの手にかかっているのが現状だ。これまで俺の平穏を乱すものの一つだと考えていた白峰たちこそが俺の平穏を取り戻すことができる唯一の存在だと実感し、自分が情けなく思えてきた。

(玲司!)

 リアンが怒りを込めて叫んだ一言が頭の中に響く。俺はそれを黙って聞くことしかできないでいる。

(最初に白城が玲司に戦うなって言ったのは相手がデーツェだからだ。今は違うんじゃない? 白影の相手をしている白峰の手伝いなら出来るんじゃないか?)

 リアンの言葉によって思考が冷静になっていく。白影との一対一を互角に渡り合えている白峰の方ならば俺でも役に立てるかもしれないと言えた。リアンに励まされるというのは俺にとって新鮮なものだったが、彼女は彼女なりに俺のことを心配しているらしい。彼女の存在がこうも俺を支えてくれているというのは癪に障るが正直ありがたい。

「そうだな、出来ることはまだある……!」

 俺は瞬翼を発現させて、白影に向かって一気に距離を詰めた。人と戦うのはやはり怖い、しかし今はそれどころではない。白影をなんとか抑えてデーツェを倒さなくてはならないのだから。それに思考が落ち着いてから気づいたことがある。デーツェは白影の閃光を避ける為に彼女の魄を操った、そう考えれば自ずとこう考えられる、閃光は奴に傷を負わせられると。ならば白峰をデーツェと戦わせることは大いに意味がある、という確信を胸に白峰と白影の戦闘に割り込む。丁度白峰目掛けて振り下ろされるハルバートを剣で受け止めると、ガキンと激しい金属音のような音が響き、すぐに力負けしそうになったのを、白峰がさらにハルバートを受け止めた。

「玲司!?」

 驚いたように白峰が俺の名を叫ぶ。俺たちはハルバートを無理やり押し返し、白影は後方へと退いたのを見計らって俺は後ろにいる白峰に手短に要件を伝える。

「白峰、閃光ならデーツェに通用するかもしれない。お前は白城の方に行け、こっちは俺がなんとかする。」

 白峰の方を見ていなかったが、数秒の沈黙の後に口を開いた。

「白百合さん、玲司の援護をお願いします。俺が白城と共にデーツェと戦います。」

 どうやら白百合さんと交天して俺の援護をするよう指示を出しているらしい。白影との完全な一対一では不安があったのだが、白百合さんがいるのは心強い。そして短く二言だけ白峰は呟いた。

「ここは任せる。無理はするなよ。」

 すると背後から白峰の気配は消えた。俺は不安で身震いしていることに気づいたが、不敵に笑っている。こんなところで立ち止まっているような自分ではないという事実が俺に自信を与えてくれる。

(丹羽さん、白百合です。サポートは任せて下さい。)

 交天で白百合さんが俺に言葉をかける、それがどれほどありがたいことかを噛み締めながら応答した。

「はい、お願いします。」

 改めて白影の方を見る。全身の至る所に見られた黒い侵食は先ほどから変化しているようには見えず、両方の瞳には鬼を思わせるような蒼い焔が燃え盛っていた。言うなれば人と鬼の間と言うのが正しいのだろうか、だが鬼の特徴である感情を込めた言葉を話すような様子はなく、黙っていることで、より人形らしさを際立てているのが不気味だ。白影とじっと視線をぶつけていると、痺れを切らしたのか、彼女が俺の方へ一気に距離を詰めてきた。その直後から彼女の進む先を狙うように白百合さんによる狙撃が確実に彼女の動きを制限させている。彼女の動きが止まった瞬間を狙って俺は白影に斬りかかった。まともに力比べをすれば勝ち目が無いのは分かっていたので、機動力での勝負に持ち込むために、俺は手数を増やすように立ち回る。さすがと言うべきか、白影は俺の振るう剣をハルバートで受け止め、俺では届かない攻撃範囲に持ち込むために適切な距離を取ろうとしていた。俺は距離を取らせまいと必死に瞬翼ですぐに距離を詰めていく。しかし、俺は彼女のことを鎮めるべき鬼だと認識して戦っているわけではなく、あくまで無力化することが目的であるために攻撃に僅かながら躊躇が生まれてしまっていた。

 もう何回俺の剣と白影のハルバートの激しく衝突する音がしたかも分からなくなった頃、俺と白影の間にある体力という差が露呈しつつあった。ハァ、ハァと息を切らしている俺に比べて白影はまだピンピンしている様子だった。白百合さんによる狙撃がなければ間違いなく俺はやられていただろう。やられる、ということは死ぬ、ということなのだろうか。死ぬ、という単語が脳裏をよぎるだけで身体の震えが強まるような気がする。だが白影の方はどうだろう、人形と化している分きっと彼女には感情が存在しないために恐怖を感じることはないのではないか。

(丹羽さん、もうすぐ白導院さんが来ます。それまでなんとか持ち堪えますよ!)

 白百合さんからの交天が聞こえてくる。どうやら俺の危なっかしい戦い方を見てハラハラしているのか、声には焦りを感じた。白導院真理、未だ戦闘で姿を見ない教会のリーダーが来ることは確かに心強い。彼女一人でこの状況を打開出来るのか俺には分からないが、いないよりはマシなのだろう。白百合さんからの交天が聞こえた直後に白影は再度こちらへと瞬翼で距離を詰めてくる。俺は震える手を無理矢理剣を握ることで抑えて白影に向かっていった。集中しているためか、それとも戦闘に慣れてきたのかハルバートをさっきよりも確実に捕捉できるような気がした。俺はこれまでと同様に白影の得意とする間合いに入らないように彼女に身体を近付けて剣を振るう。敵とはいえ彼女は光還者だ、無闇に傷つけるわけにはいかないので、あくまで剣による攻撃は戦闘を長引かせるための手段であり、ハルバートのみに攻撃を集中させてこちらへの攻撃を制限させようと試みる。ふと、白影が後ろへとバックステップをする。瞬翼を使わないのは、また俺を仕留めるための間合いに持ち込むためだろうと判断し、即座に瞬翼で距離を詰める。

(玲司、危ない!)

 リアンの言葉で俺の動きが鈍る。反射的に下した判断が白影に誘われたものだと推測するにはさらに一瞬の時間を要した。その疑念が確信に変わったのは白影の挙動だった、今までハルバートによる攻撃しかしてこなかった彼女がここで初めて体術を見せたのだ。具体的には身体を一回転させての回し蹴り、それは俺の腹部へと繰り出され、俺はもろに受けてしまった。

「ガハッ……!」

 鈍い痛みと共に俺の身体は吹き飛び、その次の瞬間には背中きら地面に激突していた。頭も打ったらしく、脳が頭の中でグワンと揺れ、少しの吐き気が込み上げてくるのと同時に視界がチカチカしてピントが合わない。

「玲司!」

「行かせませんよぉ。こんなに面白いんですから、邪魔はさせません。」

 少し離れたところから白峰が俺の名を叫び、こちらに加勢しようとしているように聞こえたが、デーツェがそうはさせなかった。俺は両手を地面に突いて呼吸を整えて白影の方を見る。彼女は既に俺への追撃を開始していた。距離にして数メートル、瞬翼を以てすれば一瞬で詰められる程の距離だ。俺が立ち上がってまた剣を構えるには時間が無さすぎる。つまり彼女が俺にハルバートを振り下ろせば間違いなく俺は死ぬという状況だ。彼女の進行を白百合さんの狙撃が食い止められるかもしれないが、それだけでは彼女が俺の方へと近づいて来るのを止められる訳がなく、俺は必死に立ち上がり剣を握ろうとするが時既に遅しだった。

(丹羽さん!)

 白百合さんの悲痛な叫び声が聞こえたところで白影がハルバートを振り上げていた。俺はなんとか剣でそれを受け止めようとするが、意識が朦朧としているせいでいつも通り踏ん張ることが出来ない。

「クッソ……。」

 俺は最後かもしれないというのに口から出たのは今の状況に悪態をつくような言葉だった。脳内ではリアンが繰り返し俺の名を叫んでいる気がするが、返答する余力や時間は無い。俺の視界に映るのはハルバートを勢いよく振り下ろす白影のみであり、ここにいる誰もが俺の死を確信せざるを得ない状況であり、俺はついに目を瞑る。

(駄目だ、玲司!また、君は……。)

 リアンがまた何か言った。また、とは何のことだろうか、死ぬ直前だというのに俺が気になることを言うのはなんとも彼女らしい。だがそれを聞くことすら出来ず、もう無理だ、と心の中で呟く。直後、耳をつんざくような轟音と共に一つの影が視界に入り込んできた。それが俺の身体を切り裂いたハルバートが、勢いそのままに地面に衝突した音ではないと理解するのに数秒を要した。

「すまないな、丹羽君、君にここまでの無理を強いてしまったのは私の責任だ。」

 俺は自分がまだ生きている証拠に聞き覚えのある声が耳に入ってきたことに驚きを覚えながら目を開く。俺の眼前には白を基調とし、金色のラインが入った修道服を身にまとっている人物が立っていた。さらに目を引くのは翼だ、俺たちの翼は二枚だが、彼女の背中からは六枚生えている。しかも白ではなく銀に輝く翼であり、左右対称に三枚ずつ生えている。上側の二枚はかなり巨大で、身体の前方を包んでその翼がハルバートを受け止めている。真ん中の二枚は真横に、下側の二枚は地面へと伸び、先が地面に触れそうなほどで、その六枚の翼を背中から生やしているのは白導院真理だと声で分かった。。その神々しさはまさに天使であり、ついにこの場に現れたのだと安堵する。彼女はハルバートを受け止めている翼を簡単に広げ、白影のハルバートを押し上げ、残りの翼で白影を殴った。殴ったというのは変な表現だが、そうとしか言えないほどに殴られた後の白影は数秒前の俺のように吹き飛んだ。地面に激突した彼女は呻き声を上げなかったが、ダメージは負っているからか立ち上がる彼女の動きには不自然さがある。あくまで今の彼女がデーツェに操られた人形であることを象徴するかのような挙動に俺の感情は生きていることへの安堵からデーツェへの怒りへと変わり、思考がクリアになっていった。

「ほう、まだ光還者がいましたか。それに貴方、強いですね。」

 後方からデーツェの不快な声が聞こえる。奴の声はいついかなる時も他者を不快にさせる効果でもあるのではないかと思わせるほどに上から目線で、強者の余裕を醸し出しているから腹が立つ。俺は視線を一八〇度回転させる、そこには大鎌を携えて口角を吊り上げ、一際不気味な笑みを浮かべるデーツェがいた。そしてこれまでと違うのは大鎌の刃の先端から地面にポタ、ポタ、と溢れる紅い液体が水溜りを作っていた。そして奴の背後にいたのは見るも無惨な姿で倒れる白峰と白城だった。

「白峰! 白城!」

 反射的に俺は二人の名前を叫んだ。他者にあまり興味を持たない俺が心配せざるをえないほどにこの状況は俺を新たな絶望の淵に叩き込んだ。

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