第12話「人質生活、驚いちゃいました!」

 その日は突然訪れた。

 今日も今日とて、人質ひとじちらしからぬ人質生活を満喫していたアサヤ。

 日課のお勉強も終わって、午後を魔王城の大広間で過ごしていた。

 同じ年頃の若い魔物たちと、何人か知り合いになったのだ。


「手を使ってはいけない遊びというのは、わかりました。でも、でもっ!」


 今日は10人前後でボールを使った遊びだ。

 手を使わずボールを敵陣に運んで、ゴールに蹴り込むという球技である。

 しかし、アサヤは若干納得がいかない。


「おーい、。いいからボールを回してくれよ」

「わたくしにでもOKですわ」

「点差が開いてんだ、サクサクいこうぜっ!」


 魔物たちには様々な種族がいて、その容姿も千差万別である。

 つまり、敵のチームにいる馬人族ケンタウロスの少年は、四本の脚を使ってもいいのだ。鳥人族ハーピィの少女は、足でボールを掴んで空を飛ぶ。

 ちょっと、見た目だけは人間そのままのアサヤには厳しい展開である。

 だが、身体を動かすのは好きだったし、勝ち負けより大事なこともある。


「ま、いいわ。いくわよっ!」


 魔王城の大広間は広大で、ちょっとした街の広場だ。そして天井も高く、そこかしこで露店ろてんや出店があった。井戸端会議いどばたかいぎにご執心な奥様たちもいるし、絵を描く者や武具の手入れをする者、酒を片手に博打ばくちをやる者たちなど様々である。

 そういうところはやはり、魔族も人間と変わらないのだ。


「おーし、こいっ! 人質姫!」


 知らぬ間に周囲の者たちは、アサヤのことを人質姫と呼ぶようになっていた。

 気分を害したりはしないが、姫というのは少しこそばゆい。

 しかし、この城のあるじの娘なのだから、確かに姫君と言えば姫君である

 そして、遊びに夢中になると姫様らしからぬ活発さを発揮するのもまた、アサヤだった。


「うわっ、股抜き!? っていうか、速いっ!」


 馬人族の下半身、馬体の下をスライディングですり抜ける。すぐに立ち上がるや、仲間に目配せしてアサヤは走り出した。今日始めたばかりなのにもう、ボールは両足に吸い付いて離れない。

 ただ、魔物の少年少女たちも負けてはいなかった。


「フィジカル使え、フィジカル! 当たって砕けろぉ!」

「がってん! 覚悟しろよー、人質姫!」


 ゴブリンの二人組に挟まれ、肩と肩とが触れ合う。

 というか、タックルも同然の押し合いへし合いになって、思わずアサヤはボールを奪われそうになった。慌てて立ち止まり、すぐにサイドのスペースにボールを蹴り出す。

 上手く味方へパスが繋がったが、そこで遊びの時間は終わりだった。

 突如、緊迫感のある声が叫ばれたのだ。


「誰かっ、来てくれ! 仲間が、魔族たちが人間に襲われてるっ!」


 それは、髑髏どくろをカタカタ揺らす骸骨がいこつの戦士だった。不死者アンデッドのモンスター、スケルトンである。着込んだ革鎧かわよろいは焼け焦げて、骨格は一部パーツが脱落していた。

 すぐに大広間が騒然として、そして静まり返る。

 次の瞬間には、この場のモンスターたちはすぐに動き出した。


「みんな、急げっ! 術師を連れてこい! 薬もありったけだ!」

「毛布と食事と、ええと、あとはお湯を沸かして」

「陛下にもお伝えしろ! 走れーっ!」


 勿論もちろん、アサヤもボール遊びどころではない。

 スケルトンに続いてぞくぞくと魔族の仲間たちが避難してきた。皆、傷付いた不死者の群……その人並みが、あっという間に大広間に雪崩込なだれこんでくる。

 同時に、悪臭が皆の鼻を突いた。

 腐った肉が溶け落ちる、ベタベタという音が異臭を広げている。


「んんんっ! 目がシパシパしますーっ!」

「おーい、人質姫。ほら、この布で顔を覆いな。少しはマシになるからよ」

「ゾンビやグールは、普段はいいがダメージが重なるとなあ」


 仲間たちが説明してくれた。

 不死者たちは皆、夜に生きる闇の眷属けんぞく。決して死なぬ肉体の正体は、もとから生を終えているのだ。必定、その肉体は朽ちて腐った者も多い。ただ、魔物として十全の心身が整っていれば、不死者の肉体は永遠に一瞬の状態を維持し、破損しても再生するのだ。

 ただ、弱って魔力が低下すると……その肉体は時の流れを思い出す。

 腐敗が進んで臭い出すのは、そういう時だけだった。


「とにかく、皆様をお救いしなきゃ! わたしにもなにか――」


 渡された布を口元に巻いて、まぶたをゴシゴシと手の甲で拭う。

 次々と不死者の戦団はやってきた。

 他の魔物たちも悪臭には辟易へきえきしつつ、せっせと手を動かしている。

 ユナリナルタルと共に現れたリーインやセレマンも、すぐに救助を手伝ってくれた。

 等間隔で毛布が敷かれた簡易ベッドに、次々と負傷者が横たわる。


「無事な者は全員、中へよろしくねえ。大丈夫、僕のお城は広いから」


 相変わらず呑気のんきにのほほんとしてて、それでも指示だけはテキパキと出して皆を統率する。やはり父なる母は頼りになるなと、思わずアサヤも見惚みとれてしまった。

 すると、負傷者たちの億から一際暗くおぞましい気配がやってきた。

 無数のさまよえる亡者を従えた、それはどうやらこの戦団のおさのようだ。


「ユナリナルタル陛下、申し訳ない……本来ならば真っ先にまずはご挨拶をと。御無礼ごぶれい、どうか平にご容赦を」

「ああ、いいっていいって。よく逃げ延びてくれたね。大変だっただろうに」


 そっとセレマンが横にやってきてささやいた。


「姫様、あの者を直視してはいけません。なるべく見ないようにしてください」

「あの魔物は……高僧や司祭のような身なりですが」

「リッチです。不死者のモンスターでは最上級、歩く呪いのかたまりです。心の弱いものは、目にしただけで発狂してしまいますわ」


 とんでもなく恐ろしいモンスターだった。

 だが、どこか慇懃いんぎんで控えめなリッチに対して、ユナリナルタルは旧友のように接する。どうやら以前からの顔見知りのようだった。

 うやうやしく頭を垂れるリッチの手を取り、巻き付いた亡霊をそっとつまんで剥がす。


「我が主はご息災そくさいでしょうか……このリッチ、不死者戦団を預かる身ながら不覚を取り申した」

「ああ、夜魔ノ王モナーク・オブ・ドラクルヘルグレイルね。元気にやってるよ。今、地下でみんなの国を作ってる。落ち着き次第、順々に竜源郷りゅうげんきょうへ案内するよ」


 ――

 たしか、七魔公セブンスの一人だ。何千年もの時を生きる吸血鬼ドラキュラ真祖しんそだという。あらゆる不死者の頂点に立ち、死をも超越した存在……その圧倒的な魔力は、もはや太陽や十字架さえ寄せ付けないと聞いている。

 王宮の書庫で読んだその話は、もはや伝説や神話の時代の物語だった。

 まあ、ユナリナルタルも七魔公なので、ヘルグレイルの臣下であるリッチとも顔見知りで当然かもしれない。


「で、なにがあったんだい? リッチレベルの魔族までやられるなんて、穏やかな話じゃないね」

「人間たちは、教会の祈りと火を使ってきました。それも、途方もなく強い油の火です」

僧侶そうりょの祈りはまあ、ある意味成仏じょうぶつだからいいとして。いや、よくないけど。確かに火は厄介だね。最近、人間たちは色々な道具を使うようになったからなあ」

「空飛ぶ船から、水でも消えぬ油の炎をばらまいてくるのです」


 その時、リーインがさっと駆け寄りユナリナルタルに耳打ちした。

 そして、父なる母の表情が冷たく凍る。

 先程までののほほんとしたしまらない笑みが消えた。そしてそこには、魔族を統べる王の怒りが静かに燃えていたのである。

 ぞっとするほどに恐ろしい美貌びぼうは、形ばかりはニコリと笑っていた。


「例の、空中戦艦だっけ? また来たんだ」

「すぐに私は飛竜ワイバーンで上がります。陛下はどうぞ玉座に」

「……いや、いいよ。少し運動してくるからさ。みんなも、手の開いてる者たちは弓を持って。飛行可能な者は剣や槍を」


 アサヤは初めて、魔王の怒りを見た。

 それは清冽せいれつなまでに冷たく澄んで、見えない刃のように尖って光る。

 触れる全てを切り刻むような、そんなぞっとする笑みだ。

 でも、そのユナリナルタルはアサヤに振り返ると、一瞬だけへらりといつもの笑みに戻る。


「えっと、殺さない方がいいんだよね? まあ、やってみるよん」

「……でも、ユナ様が危険では」

「まー、こう見えても僕は魔王だからねえ。それに、もう少し時間を稼がなきゃいけないんだ。みんなで地下世界に移住するには、もうちょっと頑張らないとさ」


 それだけ言うと、颯爽さっそうとマントをひるがえしてユナリナルタルは行ってしまった。

 慌ただしく大人の魔物たちもそれに続く。

 気付けばリーインも、飛竜で空へ向かうべく姿を消していた。

 また、戦いになる。

 以前も王国の空中戦艦は攻めてきたが、ユナリナルタルの圧倒的な力で退けられた。召喚された勇者のムサシでさえ、赤子の手をひねるように負かしてしまった……否、勝負すらしてない様子だった。

 その時は足を引っ張ってしまったが、だからといってじっとしてはいられない。


「セレマン! わたしっ!」

「お止めしても行くのでしょう? 姫様、私も共に参ります」


 丁度その時だった。

 不意に背後から年老いたオークが声をかけてきた。見れば、その手にはセレマンが使っている長銃が握られている。


「おうい、メイドさんや。陛下に言われて、あんたの銃を少しいじった。なんでも、線条痕ライフリング? とかいうのを彫っておいたでの。たまぁ前のが同じように使えるで」

「あら、ありがとうございます。……あの方が?」

「人間さんもよう考えるのう。こんな恐ろしい物を作りよる。本当に、武器や兵器を造らせたらワシらやドワーフ連中より何倍も凄いわい」


 受け取った銃を構えてみてから、そっとセレマンはスカートの中にしまった。

 アサヤは二人で老人に例を言って、武装したモンスターたちに混じって外へと向かうのだった。

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