第21話「人質生活、姉様がはじめました!」
人としての命が今、燃え尽きる。
それでもいいとアサヤは思った。
もう既に出血は凍って、なにも感じない。
痛みも寒さもない中で、身体の奥から衝動が湧き上がる。それは、クオーリアの痩身を抱き締めた瞬間に撃発した。遠く強く脈打つ、それは血統。
人の身に眠っていた魔の力、龍の血が覚醒する。
「こっ、このぉ! 人間風情がっ! 端女なんぞに……ッ!? ダ・ヴィンチ、その娘!」
アルテミスの悲鳴が、銃声にかき消される。
その時にはもう、アサヤの全身に異変が起こっていた。
華奢な細身の白い肌が、あっという間に破けて四散する。四肢の肉が膨れ上がって、白銀の輝きに覆われていった。頭には左右一対の角が牡鹿のように広がってゆく。
苦しくはない。
ただ、思考も想いも澄み渡ってゆく。
どこまでも透明になる気持ちが、自分の異変を冷静に見詰めていた。
「ひ、ひっ! この娘、なにが……ええい、王女を放せ、この死に損ないが!」
異世界の勇者が吹き飛んだ。
老いたダ・ヴィンチが雪原に転がる。
手を伸べ制しようとしたアサヤの、その先に何かが伸びていた。
それは、尾だ。
刺々しく先端が尖った、白い尾が生えていた。
それだけではない、両手両足が甲殻と鱗に覆われている。気をつけて加減せねば、抱き寄せるクオーリアを握り潰してしまいそうなほどだ。
圧倒的な力が溢れてくる。
なにか背後で物音がして振り向けば、先程まで刺さっていたナイフが転がっていた。身体が突然変異を迎えて、勝手に内側から傷が癒やされ抜け落ちたのだ。
「……あれ、わたし……ああ、そうか。そうなんだ」
血が出た、もう半分の血統が目覚めたのだ。
今、龍人とでも言うべき姿で黒い長髪が翻る。
そこには、小さな白い龍が人の姿を象っていた。
胸の中で見上げるクオーリアに気付いて、安心させるようにアサヤは微笑む。その身長差に気付いて、自分の背が伸びたことを実感した。
背ばかりではない、全身が一回り大きくグラマラスに変化していた。
なにより今、人ならざる力が満ち溢れて燃え滾っている。
「姉様、わたし半分龍なのでした。怖いでしょうか?」
「い、いいえ。怖いだなんて」
「ちょっとでも、手も足もギザギザだし、尻尾も翼も生えてきちゃいましたし」
「それでも、アサヤはアサヤでしょう? 貴女は勇者の娘、私の大切な妹」
嬉しさにはにかめば、すぐに尻尾が子犬のように揺れる。
そのままアサヤは、もう片方の手に握った剣を翻した。
光の刃がビュン! と唸って、近付く兵士たちを牽制する。
「それでは皆様! 姉様は返してもらいます! 王国へと戻りなさい! もう既にこの戦は終わっています。敢えて勝敗は問いません……明日の未来が欲しくば、帰りなさい!」
もう既に、王国の遠征軍は瓦解したも同然だった。
荒れ狂う暴力の権化と化したユナリナルタルは、圧倒的な力でスチームアーマーを破壊してゆく。その戦闘力だけを奪いつつ、乗っている人間を確実に逃していた。
アルテミスも満身創痍で、常人ならば死んでいる。
女神だから、その神性故に死んでいないだけだ。
そして、そんなアルテミスに容赦なくセレマンの狙撃が襲う。
「ああくそっ! くそったれ、人間風情が! なんで私が、こんな目に」
アルテミスの腕は徐々に再生を始めていた。
だが、そこに新たな弾丸が飛来する。
傷を抉って広げるように、執拗に同じ場所を穿ち貫く。
たまらずアルテミスは弓を捨てた。
かに見えたが、次の瞬間に月の女神は優雅に舞う。そのまま空中で弓を両足で受け取った。どこからともなく現れた矢を、足の指で器用に番える。
「この月の女神にっ、こんな無様を! 許さないわ、人間っ!」
「あら、なかなかの曲芸ですこと。……姫様っ!」
セレマンは最後の射撃と共にライフルを捨てた。
その銃身は既に真っ赤に灼けて、氷雪の上に湯気を立てて横たわる。
そして、モノクロームのメイドがこちらへと全速力で突進してきた。避けるどころか、自らアルテミスの射線へと躍り出る。
嘲笑にも似た笑みを浮かべた、それが女神の最後の笑顔になった。
「わたしはっ、神様だって、殺しま、せんっ!」
アサヤは片手でクオーリアを抱いたまま、飛んだ。
背の翼が撓って唸り、あっという間に自分をアルテミスの背後に押し出した。
逆立ちで弓矢を構えていた女神は、その動きに全くついてこれなかった。
その白い両足を、剣で一閃する。
殺しても死なないであろうが、アサヤは自分の矜持を頑なに貫いた。
「これでよし、と。では姉様、参りましょう。あのような場所にいては駄目ですわ」
「ぐっ、あああっ! 女神の私が、神が! そんな混血の魔物なんかに!」
「異郷の女神様、お下がりくださいっ! これ以上は加減がききませんっ!」
そう、アサヤの全身から暴力が漲っていた。
目覚めた龍の血が、耐え難い破壊衝動で理性を炙ってくる。
ともすれば、父なる母ごと周囲の全てを薙ぎ払ってしまいそうである。
それでも、細い肩によいしょとクオーリアを担いで、頭の角に掴まらせる。
同時に、両の手足を失ったアルテミスが落下していった。
その瞬間に、スカートからなにかを取り出したセレマンが滑り込む。ジャラジャラと長い、それは縄のような、鞭のような。無数に連なり結ばれているのは、沢山の手投げ爆弾だった。
「おさらばですわ、女神様」
「クソメイドがっ!」
「ごきげんよう」
ヒュン、と風が歌った。
失った手足をばたつかせながら、アルテミスが落下してゆく。
その全身に、幾重にもセレマンの繰り出したロープが巻き付いてゆく。一定間隔で結ばれた手榴弾同士がぶつかって、カンカンと短く鳴った。
刹那、大爆発でアルテミスが吹き飛ぶ。
アサヤも意外だったが、セレマンの怒りの一撃だった。
こうまでしても死なない、それを知ってのトドメだったようだ。
「姫様、さあ! お城へ!」
「ええ! では皆様……先程の宣言通り、姉様は返してもらいますっ!」
完全な勝利かに思えた。
少なくとも、全軍の三割ほどを失った王国軍は、立て直しにしばらくの時間を要するだろう。
だが、まだ戦意を挫かせておらぬ勇者が残っていた。
その男は光の剣を翻し、ゆっくりとアサヤの下まで歩み出る。
「待て、ユウナの子よ! おぞましい……黄道騎士団の遺伝子に、なんと汚らわしい血を」
ガルギアだ。
母と同じ世界、その未来より召喚された勇者である。
そのいでたちはなるほど確かに、正装の母にとてもよく似ている。男女の違いこそあれ、異国の騎士団の戦衣だろう。
地球という異世界、その遥かな未来の防人……黄道騎士団。
だが、アサヤにとってはただの勇者、今は敵である。
そして、戦う必要もない敵だった。
「ガルギアさんっ、わたしたちにこれ以上の戦いは、あー、うーん、えっと」
ちょっと、言葉を言い淀んだ。
というのも、現在進行系で母親の一人が暴れ回っているからだ。
六翼の銀龍と化したユナリナルタルは、殺しこそしないものの徹底的に王国軍を蹂躙してゆく。ともすれば、見逃した命が帰れなくなるほどのダメージを刻みつけていた。
それほどまでに怒っているということ、その中でアサヤの言葉を覚えていてくれたこと、とても嬉しい。自分が行動で示すからこそ、真に伝わる気持ちがある。
ならば、アサヤも自分の殺さずの誓いを貫くだけである。
だが、そらを仰いで溜息をつき、ガルギアは静かに言い放つ。
「これほどまでやっておいて、今更……それに、王女殿下は王国の姫君! お前のものではあるまい! 返してもらうなどと」
確かにそうだ。
だが、胸の中のクオーリアが必死に声を張り上げる。
「ならば、私は人質です! 今度こそ私が、ちゃんと人質に参ります。もう、争いは不要です!」
元々は、クオーリアをさらって人質にする計画だったのだ。
だが、それをアサヤが横から割って入って入れ替わった。そうすることで、父なる母に会えると思ったのだ。
そして今、唯一気がかりだったクオーリアも我が手の中にある。
もはやアサヤは、王国に対してなんの気兼ねも必要としていなかった。
「そういう訳で、人質として姉様を頂戴します! 魔王らしく、頂いていきますっ!」
「貴様の物ではあるまいに! ……魔王?」
「そうです! 人質って、物じゃないんです! 魔王と勇者の子、新たな魔王アサヤは姉様を人質としてお招きします!」
「そうはさせん! 偉大なる騎士ユウナの子が魔王に堕したなどと……認める訳にはいかんっ!」
ガルギアが剣を正面に立てて構え、騎士の儀礼に則り身を正す。
刹那、その背後の空間が大きく歪んだ。
それはまるで、アサヤが守護神を呼び出すのと同じ渦……その奥底から、ゆっくりと巨大な四肢が浮かび上がった。
「決着はマキシマキーナにてつけるっ! 星の海をも震撼させる絶対兵器の力、とくと味わうがいい!」
雄々しくも神々しい姿が、ゆっくりと現実世界に実体化する。
丹念に磨かれた、その装甲はブルーに塗られて輝いていた。
完全に戦闘状態で、整備の行き届いた姿がそこにはあった。
慌ててアサヤは、セレマンを尻尾で掴まえ背後へ飛び去る。それは、ガルギアが胸部の操縦席へ消えるのと同時だった。
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