第20話「人質生活、変わりました!」

 落ちてきた星が氷雪を巻き上げる。

 激しい衝撃波で周囲を薙ぎ払って、その中からゆっくりと人影が立ち上がった。

 アサヤはその名を呼ぼうとしたが、声が上手く絞り出せない。


「ユナ、様……パパ、かあ、さ――」


 龍魔ノ王モナーク・オブ・ドラゴンユナリナルタルだ。

 相変わらずぼんやりとした白い顔で、ゆっくりとこちらに歩んでくる。肌もあらわな薄着もいつものことで、それでもまるで寒さを感じていないかのようだ。

 すぐにアサヤにはわかった。

 怒りに燃えたぎって、全身から熱が発散されていた。

 それでもユナリナルタルは、血みどろの我が子を見て安心させるようにうなずいた。


「ド、どもー? ちょ、ちょっといいかなあ?」


 どこかおどおどとして要領を得ない、いつもの口調だ。

 ボソボソと聞き取りにくいし、表情もへらへらと締まりがなかった。

 だが、それが今は逆に恐ろしかった。

 初めてアサヤは、自分の父なる母が怖いと思った。


「あら? 魔王じゃない。なぁに? 女神様が特別に話を聞いてあげるわ」

「いやあ、どもども。そのぉ、ええとですね……エヘヘ」


 兵たちが一斉に銃を構えたが、ダ・ヴィンチがそっと手でそれを制した。

 数万の大軍の前で、一人の魔王がゆっくりと話し出す。


「僕たち魔族はもうすぐ地上を去る。えっと、僕たちの負け? うん、負けでいいよ。だから……もうちょっと時間をくれないかなあって」

「ですって。どうするの? ダ・ヴィンチ、王に報告する?」

「君たち人間には、すっごい隠し迷宮エクスダンジョンを用意しておいたから。これを攻略できるくらいの文明に育ったら、きっと君たちも賢くて優しい種族に……なんてね、ハハハ」


 ユナリナルタルの様子がおかしい。

 北の寒さとは別種のなにかが、周囲に広がってゆく。

 目に見えない、それは闇のよどみだ。

 明らかに空気は異質なものになって、兵士たちは冷や汗と共に後退りを始める。

 逆に、アサヤは少し楽になった気がした。

 親の発する邪悪な気配に、安らぎすら感じてしまう。


「――でも、やめた」

「あら、そう? まあね、おやめなさいよ魔王。そんなの退屈だわ」

「黙れよ、売女ビッチ

「ッ! ……なんですって?」

「異邦の女神が黙れって言ってるんだ。月の女神? あんな石ころをつかさどる程度の三流神が、バーカ! バーカ! 垂れ乳ババアー!」

「なっ、ですってえええええ! アポロン兄様だってそこまで酷いことは」

「僕の民を、仲間を……娘を、傷付けたな? 母親ゆずりの優しさに溢れた、虫一匹殺せぬ人質ひとじちの女の子を。僕の大事な愛娘まなむすめを! ――殺しちゃうよ? 人間くんさあ」


 垂れ込める暗雲が渦を巻いて散ってゆく。

 立ち尽くすユナリナルタルから、闇が溢れて迸った。それは暗く輝く光の柱となって、天の彼方へと吸い込まれてゆく。

 そして、死が舞い降りた。

 白銀に輝く怒龍どりゅうの降臨で、一気に空気が絶対零度に凍ってゆく。

 兵士の何人かが、悲鳴を上げて銃を撃った。

 だが、六翼ヘキサウィングの魔龍は全く傷付かない。


「ハァ、もういいよ……やんなった。皆殺しにするね?」


 魔王の殺戮ショーが幕を開けた。

 いけないと思って、なんとかアサヤは立とうとする。身を寄せているクオーリアも、このままでは危ない。

 だが、もう身体に力が入らないのだ。

 それでもと手を伸ばす先で、ふところから拳銃を出す男がいた。

 恐懼に震えて取り乱した、それはダ・ヴィンチだった。彼はよたよたとアサヤに駆け寄ってくる。そして、こともあろうか仕える国の王女を蹴飛ばした。


「どけっ! そのボロ雑巾ぞうきんをよこせぇ!」

「きゃっ!」


 ダ・ヴィンチはクオーリアを足蹴あしげにし、血に沈むアサヤを吊るし上げる。

 ひたいに冷たい感触が押し当てられて、手の震えが肌に伝わった。

 この男は、恐らく勇者として召喚されたどこぞの賢者だろう。先程ガルキアが言っていたが、王国に急激な文明発展をもたらしたのは、恐らくダ・ヴィンチだ。

 皮肉な話だと、アサヤは思わず失笑してしまった。

 母ユウナは未来の人間、フューチャークラスの勇者だったが、決して自分の世界の科学技術を王国に語らなかった。ひけらかすこともなく、巨大な鉄騎士マキシマキーナさえも最小限の必要に留めていたと思う。

 それなのに、半端な技術力をこの男は振りまいてしまったのだ。


「魔王ユナリナルタルッ! こっ、この娘を殺すぞ! 今すぐ抵抗をやめろォ!」


 老人の震える声に、巨大な龍が首をひるがえす。

 怒りに燃える真っ赤な目が、紅蓮の炎と燃えていた。

 そして、酷く冷たい声が空気を震撼しんかんさせる。


「その子を殺したら、皆殺しじゃ済まないよ? 王国、秒で消しちゃうよ? 愚かなんだよ、本当にさあ……人間くんさあ!」

「ま、待てっ! 交渉の余地を……話し合いに来たんじゃないのかねっ!」

「そのつもりだったけど、うん。なんかもぉさあ……」


 その時だった。

 死にかけのアサヤを人質に取ったダ・ヴィンチが、ガクンと揺れた。見れば、アサヤの首を掴む手に、華奢な少女がしがみついている。


「妹を……アサヤを返してっ! 酷いこと、しないで!」

「王女、おやめなさい! ええい、放せ」


 もはや勇者とは呼べぬ暴挙だった。

 必死の形相でダ・ヴィンチは、クオーリアの金髪を掴んで引っ剥がす。

 ガルギアが剣を手に仲間をたしなめた、その時だった。

 茶番など意に介さず、ユナリナルタルの叫びが炎を呼ぶ。


「あーもぉ、ゴチャゴチャうるせー! 消しっ、飛べえええええええ!」


 地獄の業火が放たれた。

 魔龍の口から灼熱の吐息ブレスが空を裂く。

 周囲を白く染めて、苛烈な光が地平の彼方へ伸びた。

 そのほのおに触れてもいないのに、避けようとしたスチームアーマーが次々と溶解してゆく。一騎、また一騎と倒れてゆく。


「あ……パパ母様、当て、ない? ……そっか、そう、なんだ」


 赤熱化して擱座かくざしたスチームアーマーから、次々と王国兵が出てくる。皆、パニック状態で逃げ惑っていた。

 戦線は完全に瓦解がかいし、兵士たちの士気は失われた。

 そして、あの激昂げきこうの中でさえ、ユナリナルタルは忘れてはいなかった。

 かつて愛した者と、その娘との約束を。

 だが、問題は勇者たちである。

 せめてこのダ・ヴィンチだけでも……そうは思うアサヤだが、されるがままでなにもできない。既にもう、指一本動かせなかった。

 そして、見てるだけのアルテミスは法悦ほうえつに笑みを歪ませる。


「ああんもぉ……愉悦ゆえつったらないわ。無様よ、人間。万能の人? ふふ、やっぱ人間はこうでなくちゃねえ」

「アルテミス様っ! 私がこの娘を抑えてる隙にアレを!」

「そうねえ。私のこと、売女って言ったもんね。いいわ、殺しちゃう。悪いトカゲはプチッとね、プチッと――」


 刹那、銃声。

 否、砲声のごとき空気の震えが突き抜ける。

 それは、アルテミスの右肩が消し飛んだのと同時だった。

 撃ち抜いたとかいうレベルではない。

 女神の柔肌やわはだが蒸発して、ボトリりと右腕が地に落ちた。


「……は? え、ちょ、ちょっと……なに?」


 瞬時にアサヤは察した。

 チャンスだ、この好機を逃してはいけない。

 ここで動けなかったら、一生後悔する。

 そして、大きく背を押す声がりんとして響いた。


「今です、姫様。立ってください。立てます、まだあらがえます」


 遥か遠くに、モノクロームのメイド姿が立っていた。

 その手に、恐ろしく長銃身のライフルを構えている。三段式の折りたたみ機構を持った、それは魔族の鍛造技術が生み出した、魔弾ザミエル

 セレマンがレバーをスライドさせれば、巨大な空薬莢からやっきょうが宙を舞う。それが放物線上に回転しながら落ちる前に、二射目がアルテミスを襲った。


「くっ、私の腕……やだ、嘘……こんなの死んじゃうじゃない! この下女メイド風情がぁ!」

「姫様の言う通り……行動で示した通り、人は殺しません。でも、自称女神様なら」


 二発目の弾丸を避けたアルテミスが、必死の形相で弓を取り出す。

 だが、矢をつがえることはできなかった。

 


「両手がないと、弓矢は使えませんね。では、さよならです」

「い、嫌……ちょっと、こんなの……死んじゃう」

「神殺し、謹んで実行させていただきますわ」


 すかさずガルキアが前に出た。

 次の瞬間には、アサヤも最後の力を爆発させる。

 ダ・ヴィンチの手を振り払って、さらにはクオーリアを取り返した。僅か数歩、よたよたと歩くだけで全てが流れ出ていった。

 それでも、姉と慕った人をかばいながら振り向く。

 最後の力が燃え尽きて……そして、最初の鼓動が込み上げた瞬間だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る