人質の白闇姫

ながやん

第1話「人質生活、選びました!」

 闇夜を飛ぶ翼に、乙女は凍えて震えた。

 低く垂れ込める暗雲の下、飛竜ワイバーンは北の最果さいはてへ向かっている。その鋭い鉤爪かぎづめに掴まれたまま、少女は暗闇に目を凝らした。

 名は、アサヤ。

 王国の宮殿で生まれ育った14歳だ。


「へっぷし! ふう、寒い……ねえ、そこのあなた! わたしもそっちに上げてくださいな」


 夜より黒い長髪を手で抑えつつ、見上げる先へとアサヤは叫ぶ。

 飛竜にはくらが置かれ、その上に鎧姿がまたがっていた。

 だが、彼とも彼女ともつかぬ騎士は応えない。


「ねえ、わたしは寝巻きパジャマ姿でとても寒いの。さらうならさらうなりに、もう少し、こう」


 沈黙に風切り音だけが響き渡る。

 そして、小馬鹿にするように飛竜がグググルと喉を鳴らした。

 そう、今まさにアサヤは誘拐されようとしているのだ。

 王国は今、戦争を再開させたばかりだったから。

 だから、敵対する魔王の手下によってさらわれた。

 それが今から小一時間ばかり前のことだった。





 その夜、空は荒れて月も星も見えなかった。

 時折稲光いなびかりが闇を引き裂き、雷鳴が追いかけてくる。

 とても不穏で不気味な夜だったのだ。


「姫様、お待ち下さい。今、近衛このえの兵が参ります」


 メイドの声は酷く落ち着いていたし、普段といささかも変わらなかった。だから、アサヤもいつもの調子で階段を駆け上がる。

 先程まで寝静まっていた宮殿は今、騎士たちの怒号どごう雄叫おたけびに包まれていた。

 王都の中心に位置するこの宮殿は今、モンスターに襲われていた。

 突如として湧き出た、幽鬼ファントム悪霊ゴーストが乱舞する。

 その混乱の中を、アサヤは真っ直ぐ走っていた。


「セレマン、この襲撃はきっと陽動ようどう……わたしが魔王だったら、そうするもの!」


 メイドの名を叫んでる最中も、アサヤは加速してゆく。

 普段から城の兵たちを相手に鍛錬たんれんしているから、息を切らすことはない。

 寝間着のスカートを両手でつまんで、目の前に現れたドアを蹴破けやぶった。

 そこには、吹き込む風にはためくカーテンの音だけ。そして、稲妻いなずまが時折照らす闇……その中で、一人の少女が震えながらうずくまっていた。

 即座にアサヤは部屋へと飛び込む。


「姉様! セレマン、姉様をお願いっ!」


 アサヤが姉と仰いで一緒に育った、見目麗みめうるわしい姫君が泣いていた。

 そして、その前に全身を鋼鉄の鎧で覆った騎士が立っている。抜刀こそしていないが、背のマントから巨大な剣がわずかに見えていた。

 モンスター騒ぎに乗じて、第一王女の寝所への潜入。

 その目的は勿論もちろん、王女その人であることに疑いはない。

 無言、沈黙、しかして圧倒的なプレッシャー。

 それでも、アサヤはひるむことなく間に割って入る。


「無礼でしょ、もうっ! せめて名乗ったらどうなの? それと、姉様は渡さないっ!」


 アサヤは寝巻き一枚の姿で、なにも武器を持っていなかった。

 だが、左の手首に小さく光る腕輪R-INGがある。

 その輝きが僅かに増して、そっと彼女は右手で触れた。

 背後ではメイドのセレマンが、王女を抱きかかえて一歩下がる。

 一方で、鎧の騎士はガシャリと一歩踏み出した。


「動かないで! ……あなた、魔王の下僕しもべね? 七魔公セブンスの最後の一人、龍魔ノ王モナーク・オブ・ドラゴンユナリナルタルの手のものと見ました!」


 かつてこの大陸には、魔王を名乗る七体のモンスターがいた。

 それぞれが闇の軍勢を率いる、この世界の人類にとっての天敵……否、。それが、七人の魔王、七魔公だった。

 七魔公は互いに競い争い、領地を巡って激しく対立した。

 人間たちはただただ、その戦争に巻き込まれて死んでいったのである。

 最初から相手にされず、敵とさえ認識されずに無数の国が滅んだ。


「姫様、お下がりを。私の影へ。兵や騎士たち、なにより勇者様にお任せした方が」

「いいえ、セレマン! あなたは姉様をお願いします」


 魔王の騎士が背負った巨剣へ手を伸ばす。

 同時に、アサヤの腕輪も翡翠ひすいのような光を高めてゆく。

 だが、あえてアサヤはその眩しさを抑え込むように握り締めた。

 そして、真っ直ぐ相手を見据えて言葉を選ぶ。


! 姉様は身体も弱く、ご病気です。手出しはなりません、絶対に許しません!」


 第一王女は生まれながらに病弱で、一人嫁にも行き遅れていた。妹たちが次々と諸王に嫁いでゆく中、ずっとアサヤの姉でいてくれたのである。

 そう、血も繋がっておらぬアサヤを妹のようにかわいがってくれた。

 その声が、アサヤの背中にかすれて響く。


「駄目、アサヤ……逃げて。駄目よ……あなたになにかあったら、私は」


 姉と慕った声に、肩越しに振り返ってアサヤは笑みを浮かべる。

 恐怖はない、躊躇ちゅうちょも不安もありえない。

 全てねじ伏せて心の奥に封じた。

 そして、再度目の前の騎士にアサヤは叫ぶ。


「さあ、わたしを連れていきなさい。魔王ユナリナルタルの元へ」


 再び戦争が勃発したからには、予想される事態だった。

 なにより、アサヤは日々の勉学と読書の中で予言めいた未来を信じていた。

 そして、それをチャンスだと思ったのである。

 今まさに、その日その時その瞬間は訪れた。


「なにを迷うのです? 第一王女も私も、この王国の姫です。どうせなら、わたしをさらえと言っているのです! この、アサヤ・ミギリが!」


 名乗ったその名がもう、本来の王族ではないことを物語っていた。

 そう、アサヤは王国の由緒正しい血脈を受け継いではいない。

 だが、多大な恩を背負って守られたし、そのことに報いたい気持ちに溢れていた。


「…………」

「そうです、姉様よりわたしの方が扱いやすい……か、どうかは保証しませんが、姉様だけはいけません。姉様をさらうなら、このわたしを殺してからになさい。そうでなくば」


 こうして、アサヤは全ての平和と安寧を捨てた。

 姉としたった姫君の身代わりとして、自ら魔王にさらわれる道を選んだのである。

 王宮から荷物同然に持ち去られて、恐ろしい飛竜に鷲掴わしづかみにされたまま……アサヤは、旅立った。

 そう、旅だ。

 求めて欲する目的地がある、一世一代の大冒険に身を投げ出したのである。





 やがて、風に雪が入り交じる。

 北の最果てにいよいよ近付いて、アサヤが叫ぶ声は白い息をけむらせた。

 そして、飛竜の騎士は全く反応を返してこない。

 ジタバタ暴れることもなく、アサヤも黙ってまずは事態の進展を待った。

 交渉は通じないし、そもそも竜使いの騎士にはその権限がないのだろう。ただの一兵卒いっぺいそつに徹して任務をこなす人間には、アサヤの言葉は通じなかった。

 だが、それで全てが絶望に終わった訳ではない。

 むしろ、義姉に代わって人質を買って出た時から想定内である。


「シャイな竜騎士さんね……ま、いいわ。それより、ここが魔王の領地……なんて物寂しい、荒れた土地。心まで凍てついてしまいそう」


 極寒の辺境は雪に覆われ、眼下に命の息吹は全く感じられない。

 絶対零度の死が満ちた土地を、飛竜は北へ北へと羽撃はばたせる。

 やがて、向かう先に異様なシルエットが浮かび上がった。

 それは城……いくつもの尖塔せんとうが競い合うようにそびえ立つ、巨大な城塞が現れた。それは、氷河を円形に切り取ったようなクレーターの中心に屹立きつりつしている。そして、その魔城を中心に都市が広がっていた。

 アサヤは人間で初めて、七魔公最後の一人である龍魔ノ王の拠点に辿り着いたのだ。


「あっ、あれは……あの、テラスに立つ人影はもしや!」


 ぐんぐんと近付いてくる城の中央、一際高い塔に人影があった。

 飛竜はあるじの握る手綱たずなに導かれて、その場所へと近付いてゆく。

 だが、もうアサヤには待ちきれなかった。

 そして、左手の腕輪が眩く光を放つ。

 正直もう、アサヤはれてじれったくて、待ちかねていた。


「ちょっと失礼、ごめんあそばせ。わたし、やってきました……きたんです、パパ母様かあさまっ!」


 腕輪の光がほとばしり、凍えた空を切り裂く。

 そして、突如として波紋を広げる空間の一部が逆巻いた。そのうずの中心から、巨大な人の手が現れる。鈍色に輝く鋼鉄の五指が握られ、鉄拳が飛竜を襲った。

 咄嗟とっさに避けようとした飛竜はバランスを崩し、掴んでいたアサヤを放してしまう。

 その時にはもう、迷わず五体を広げて風に身を任せたアサヤ。

 そのまま、小さくおどろく魔王を見下ろし吸い込まれる。

 そう、テラスに出てきた者こそが魔王……龍魔ノ王ユナリナルタルだった。


「はじめまして、そして……ただいまです! わたし、帰ってきましたわ! パパ母様!」


 驚く魔王に抱き留められて、その胸にアサヤは沈んだ。

 そして、この瞬間が歴史の最初の一頁1ページとなる。

 後の世に白闇姫シャドウホワイトと恐れられる、魔王軍の人質ひとじち……アサヤ・ミギリの伝説の最初の一瞬が始まりを歌ったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る