第2話「人質生活、始めました!」

 かくして、アサヤの幽閉生活が始まった。

 もっとも、これで終わるつもりはない。

 狭く寒い塔の部屋は、アサヤにとっては通過点に過ぎないのである。


「ま、こんなとこね。悪くない部屋だわ」


 魔王城の最奥さいおう、一番北の塔にアサヤは閉じ込められた。簡素なベッドと鏡台があるだけで、ドアや窓の外は鉄格子てつごうしである。

 ランプの明かりが不安げに揺れていて、外では風が唸るように歌っていた。

 例の飛竜ワイバーンを駆っていた騎士が、施錠せじょうして去ろうとする。

 すぐにアサヤは、その背中を呼び止めた。


「ちょっと、あなた。お名前は? わたしはアサヤ・ミギリ、名乗ったわ」


 立ち止まって振り返る騎士は、無言。

 だが、真っ直ぐ見詰めるアサヤに向き直った。

 そっとかぶとを脱いだその下には、意外な顔が待っていた。


「まあ、あなた……エルフだったの。その肌はダークエルフね」


 褐色かっしょくの肌に銀髪の、中性的な顔立ちがそこにはあった。

 彼女は纏めていた髪を解くと、小さく溜息ためいきこぼす。

 大剣を背負った屈強な騎士は、アサヤと同じ年頃の少女だったのだ。だが、エルフは長寿なので、もしかしたら見た目の何倍も年嵩なのかもしれない。


「私はリーイン、龍魔ノ王モナーク・オブ・ドラゴンユナリナルタル様の第一の騎士です」

「そう、リーインね。素敵な名前だわ」

「では、失礼します」

「ん、待って」


 去ろうとするリーインを、堂々とアサヤは呼び止めた。

 さらわれてきても姫は姫、王家の血がなくとも自分は姫君なのだと己に言い聞かせる。


「書くものがないのは不便ね。紙とペンを用意して頂戴ちょうだいな。それと」

「……なにを書くのです?」

「これから用意して欲しいもの一式よ? 着替えの下着だってないんだから」


 それに、寝巻きパジャマ姿でずっとはいられない。

 今日はこのまま寝入ってしまうにしても、明日からここでの生活が始まるのだ。

 真顔のリーインはまゆ一つ動かさなかったが、その目があきれたように瞬きを繰り返す。


「あなたは自分の立場を自覚なさっていますか? 我ら魔王軍の人質ひとじちなのですよ?」

「だからよ。さらってきたお姫様にみすぼらしい生活させたら、魔王軍の威厳は地に落ちるわ。そうじゃない?」

「……減らず口を」

「鏡台があるのにくしがないの。着替えも沢山必要だし、テーブルと椅子、ティーセットもね。沢山用意してもらいたいものがあるから、まずは紙とペンよ」


 一気にまくし立てたら、ようやくリーインは眉根を寄せた。

 面倒そうな、実に嫌そうな顔だ。

 表情があることを知ったら、逆にアサヤはホッとする。生真面目きまじめな武人タイプのようだが、ちゃんと感情のある人間だ。エルフだって心や気持ちがあるし、それはダークエルフだって変わらない。


「明日、手配するように世話の者に伝えましょう」

「わたしはあなたにお願いしてるのよ、リーイン」

「……私は騎士、戦うことが仕事です」

「それと、お姫様の誘拐もね? 宮仕みやづかえって大変なのねえ」


 アサヤが思った通り、リーインはあおっても激情を爆発させるタイプの人間ではないようだ。それがわかったから、ふむと腰に手を当て身を乗り出す。


「ま、いいわ。失礼しちゃってごめんなさい。明日以降またお願いするわ」

「……わかりました」


 今日のところは、こんなもんだろう。

 そう思うと、アサヤはベッドに向かう。

 だが、意外な客が現れて就寝時間は先延ばしになった。

 下がろうとしたリーインの声が、瞬時に緊張感を帯びる。


「ユナリナルタル様? どうしてこちらに」


 振り返ると、そこに美貌の麗人が立っていた。

 長身痩躯ちょうしんそうくの美女は、龍魔ノ王ユナリナルタルである。彼女はマントをひるがえして、颯爽さっそうと現れた。身を正すリーインに下がるよう指図して、そっと手を伸べてくる。

 触れてもいないのに、アサヤを閉じ込めるおりの鍵が解錠された。


「まあ、呪文の詠唱もなしに? 凄い魔力ね……ねっ? パパ母様かあさま

「その、パパ母様というのはやめてもらえるかい?」

「だって、わたしの半分はパパ母様でできてるんですもの」


 そう、アサヤの身に流れる血は高貴なる王族のものではない。

 目の前の白い影、漂白されたような白髪鬼はくはつきから受け継いだものだ。

 そう言われて、ユナリナルタルは露骨にしょぼくれる。そう、人類を畏怖いふさせる破壊の権化ごんげ、この世の悪の代名詞がへこんでいるようだった。


「そう、だよねえ。僕もちょっと、そんな気がしてきた。でも、君の漆黒の髪は本当の母親ゆずりだ。……母は、ユウナは元気かい?」

「ママ母様は死にました。3年前に」

「そ、そうか……え? 死んだ? 僕が殺しても死ななかった、あのユウナが?」

「ええ。流行病はやりやまいであっさりと、ポックリです」

「なんてことだ……そんな馬鹿な」


 確かに馬鹿なことだとアサヤも思う。

 アサヤの母、ユウナ・ミギリはこの世界に召喚された最初の勇者だった。西暦2105年と呼ばれる世界から来た異世界の人間だったのである。

 もともと軍人だったユウナは、王国に勇者の有用性をまざまざと見せつけた。

 卓越した身体能力と判断能力。

 魔法こそ使えないが、異世界の超常の力を振るう救世主メシアだった。

 幾度いくどとなくユウナは、七人の魔王と死闘を繰り広げたのである。


「……そうかあ、ユウナも逝ってしまったのか。とうとう僕は一人ぼっちになってしまったんだね」


 寂しげに笑って、ユナリナルタルがうつむく。

 とても、闇をべる魔王には見えない。

 でも、アサヤは知っていた。

 母のユウナに聞かされていたのである。


「ママ母様から遺言、伝言がありますよ? パパ母様」

「えっ? 本当?」

「嘘は申しません。パパ母様への言伝を頼まれているんですから」


 病床にふせせったユウナは、真の英雄として生き、一人の母親として死んだ。

 最後まで気丈で明るく、まるで太陽のような人だったと思う。

 だから、目の前のユナリナルタルはその光を受けて輝く月かもしれない。二人が共にあった星の海は、さぞかし壮大な叙事詩サーガに満ちていただろう。

 けど、そんな神話級の伝説はもう終わったのだ。


「パパ母様、ママ母様は……ひとりにならないで、って。だからわたし、来ましたっ!」

「そ、そうか。ユウナが、僕に」

「はいっ! それで、えっと……

「ユナ様!?」

「パパ母様は嫌だって言うし、お名前が長過ぎます。だから、ユナ様」


 そっと一歩、歩み寄る。

 それだけで、目の前の女性はビクリと身を硬くした。

 母から聞いた通りだ。

 七魔公最後の一人、龍魔ノ王ユナリナルタルは……その素顔は、とても臆病で繊細、人見知りで気が弱いらしい。これは恐らく、魔王軍の最高機密に匹敵するだろう。

 本当はだから、残忍で好戦的な人物じゃないのだ。

 母を信じるからこそ、アサヤはその秘密が理解できた。


「ユナ様、わたしが側にいて差し上げます。だから」

「だから?」

「適度に適当に、王国からわたしを守ってくださいねっ! 連れ戻されても、またさらってください!」


 驚いたように、ユナリナルタルは目を丸くした。

 だが、真っ白な顔が僅かに紅潮してゆく。

 彼女はもじもじと白い前髪をいじりながら小さく唸った。


「その、じゃあ……まさか君、僕の娘だから? わざわざ、王女の代わりに?」

「当然です! 本当は自分の足で来たかったんですが、手間がはぶけました」

「えぇー……す、凄いね君。確かにそういうとこ、ユウナに似てる」

「はいっ! じゃあ、いいですか?」

「えっと、なにが? って、ちょ、ちょっと」

「ユナ様っ、ずっとお会いしたかったです! ママ母様の選んだ、わたしのパパ母様!」


 思いっきり抱きついてやった。

 全力でその豊満な胸に飛び込んだ。

 ひんやりと冷たい、それはユナリナルタルが魔族だからだろう。まるで新雪の中にダイブしたみたいだ。冷たくても、柔らかくて瑞々みずみずしさに満ちている。

 ギュー! っと抱き締めたが、驚きに絶句したユナリナルタルは抱き返してこなかった。

 ただ、アサヤには見えなかった。

 手をワキワキと震わせ、華奢なアサヤを前に包容を躊躇ためらう魔王の姿を。


「ま、待って、待ってアサヤ。ちょっと、ゴメン。その」

「ユナ様?」

「ああ、駄目だ駄目だ……凄く、いい匂いがする。確かにユウナの香りが、少しする」

「ご迷惑でしたか? どうしても駄目なら、わたし帰りますけど」

「あ、いや! いいんだ! その、あー、うん……そうそう、王国への人質だしね」


 これが、アサヤのもう一人のお母さん。

 幾度も母ユウナと激闘を演じ、その中で想いを通わせた女性なのだ。そして、二人の愛が実を結んだ、それがアサヤなのである。

 すでに魔王の威厳なんて微塵も感じられなかったし、もとからそんなものなどありはしないのだ。それでもユナリナルタルは魔王の仮面を被り直すと、アサヤに寝るように言って出てゆく。

 再びガシャン! と鍵が固く閉ざされたが、不思議とアサヤの心は開放的なまでに晴れ晴れとしていた。

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