第2話「人質生活、始めました!」
かくして、アサヤの幽閉生活が始まった。
もっとも、これで終わるつもりはない。
狭く寒い塔の部屋は、アサヤにとっては通過点に過ぎないのである。
「ま、こんなとこね。悪くない部屋だわ」
魔王城の
ランプの明かりが不安げに揺れていて、外では風が唸るように歌っていた。
例の
すぐにアサヤは、その背中を呼び止めた。
「ちょっと、あなた。お名前は? わたしはアサヤ・ミギリ、名乗ったわ」
立ち止まって振り返る騎士は、無言。
だが、真っ直ぐ見詰めるアサヤに向き直った。
そっと
「まあ、あなた……エルフだったの。その肌はダークエルフね」
彼女は纏めていた髪を解くと、小さく
大剣を背負った屈強な騎士は、アサヤと同じ年頃の少女だったのだ。だが、エルフは長寿なので、もしかしたら見た目の何倍も年嵩なのかもしれない。
「私はリーイン、
「そう、リーインね。素敵な名前だわ」
「では、失礼します」
「ん、待って」
去ろうとするリーインを、堂々とアサヤは呼び止めた。
さらわれてきても姫は姫、王家の血がなくとも自分は姫君なのだと己に言い聞かせる。
「書くものがないのは不便ね。紙とペンを用意して
「……なにを書くのです?」
「これから用意して欲しいもの一式よ? 着替えの下着だってないんだから」
それに、
今日はこのまま寝入ってしまうにしても、明日からここでの生活が始まるのだ。
真顔のリーインは
「あなたは自分の立場を自覚なさっていますか? 我ら魔王軍の
「だからよ。さらってきたお姫様にみすぼらしい生活させたら、魔王軍の威厳は地に落ちるわ。そうじゃない?」
「……減らず口を」
「鏡台があるのに
一気にまくし立てたら、ようやくリーインは眉根を寄せた。
面倒そうな、実に嫌そうな顔だ。
表情があることを知ったら、逆にアサヤはホッとする。
「明日、手配するように世話の者に伝えましょう」
「わたしはあなたにお願いしてるのよ、リーイン」
「……私は騎士、戦うことが仕事です」
「それと、お姫様の誘拐もね?
アサヤが思った通り、リーインは
「ま、いいわ。失礼しちゃってごめんなさい。明日以降またお願いするわ」
「……わかりました」
今日のところは、こんなもんだろう。
そう思うと、アサヤはベッドに向かう。
だが、意外な客が現れて就寝時間は先延ばしになった。
下がろうとしたリーインの声が、瞬時に緊張感を帯びる。
「ユナリナルタル様? どうしてこちらに」
振り返ると、そこに美貌の麗人が立っていた。
触れてもいないのに、アサヤを閉じ込める
「まあ、呪文の詠唱もなしに? 凄い魔力ね……ねっ? パパ
「その、パパ母様というのはやめてもらえるかい?」
「だって、わたしの半分はパパ母様でできてるんですもの」
そう、アサヤの身に流れる血は高貴なる王族のものではない。
目の前の白い影、漂白されたような
そう言われて、ユナリナルタルは露骨にしょぼくれる。そう、人類を
「そう、だよねえ。僕もちょっと、そんな気がしてきた。でも、君の漆黒の髪は本当の母親ゆずりだ。……母は、ユウナは元気かい?」
「ママ母様は死にました。3年前に」
「そ、そうか……え? 死んだ? 僕が殺しても死ななかった、あのユウナが?」
「ええ。
「なんてことだ……そんな馬鹿な」
確かに馬鹿なことだとアサヤも思う。
アサヤの母、ユウナ・ミギリはこの世界に召喚された最初の勇者だった。西暦2105年と呼ばれる世界から来た異世界の人間だったのである。
もともと軍人だったユウナは、王国に勇者の有用性をまざまざと見せつけた。
卓越した身体能力と判断能力。
魔法こそ使えないが、異世界の超常の力を振るう
「……そうかあ、ユウナも逝ってしまったのか。とうとう僕は一人ぼっちになってしまったんだね」
寂しげに笑って、ユナリナルタルが
とても、闇を
でも、アサヤは知っていた。
母のユウナに聞かされていたのである。
「ママ母様から遺言、伝言がありますよ? パパ母様」
「えっ? 本当?」
「嘘は申しません。パパ母様への言伝を頼まれているんですから」
病床に
最後まで気丈で明るく、まるで太陽のような人だったと思う。
だから、目の前のユナリナルタルはその光を受けて輝く月かもしれない。二人が共にあった星の海は、さぞかし壮大な
けど、そんな神話級の伝説はもう終わったのだ。
「パパ母様、ママ母様は……
「そ、そうか。ユウナが、僕に」
「はいっ! それで、えっと……ユナ様」
「ユナ様!?」
「パパ母様は嫌だって言うし、お名前が長過ぎます。だから、ユナ様」
そっと一歩、歩み寄る。
それだけで、目の前の女性はビクリと身を硬くした。
母から聞いた通りだ。
七魔公最後の一人、龍魔ノ王ユナリナルタルは……その素顔は、とても臆病で繊細、人見知りで気が弱いらしい。これは恐らく、魔王軍の最高機密に匹敵するだろう。
本当はだから、残忍で好戦的な人物じゃないのだ。
母を信じるからこそ、アサヤはその秘密が理解できた。
「ユナ様、わたしが側にいて差し上げます。だから」
「だから?」
「適度に適当に、王国からわたしを守ってくださいねっ! 連れ戻されても、またさらってください!」
驚いたように、ユナリナルタルは目を丸くした。
だが、真っ白な顔が僅かに紅潮してゆく。
彼女はもじもじと白い前髪をいじりながら小さく唸った。
「その、じゃあ……まさか君、僕の娘だから? わざわざ、王女の代わりに?」
「当然です! 本当は自分の足で来たかったんですが、手間が
「えぇー……す、凄いね君。確かにそういうとこ、ユウナに似てる」
「はいっ! じゃあ、いいですか?」
「えっと、なにが? って、ちょ、ちょっと」
「ユナ様っ、ずっとお会いしたかったです! ママ母様の選んだ、わたしのパパ母様!」
思いっきり抱きついてやった。
全力でその豊満な胸に飛び込んだ。
ひんやりと冷たい、それはユナリナルタルが魔族だからだろう。まるで新雪の中にダイブしたみたいだ。冷たくても、柔らかくて
ギュー! っと抱き締めたが、驚きに絶句したユナリナルタルは抱き返してこなかった。
ただ、アサヤには見えなかった。
手をワキワキと震わせ、華奢なアサヤを前に包容を
「ま、待って、待ってアサヤ。ちょっと、ゴメン。その」
「ユナ様?」
「ああ、駄目だ駄目だ……凄く、いい匂いがする。確かにユウナの香りが、少しする」
「ご迷惑でしたか? どうしても駄目なら、わたし帰りますけど」
「あ、いや! いいんだ! その、あー、うん……そうそう、王国への人質だしね」
これが、アサヤのもう一人のお母さん。
幾度も母ユウナと激闘を演じ、その中で想いを通わせた女性なのだ。そして、二人の愛が実を結んだ、それがアサヤなのである。
再びガシャン! と鍵が固く閉ざされたが、不思議とアサヤの心は開放的なまでに晴れ晴れとしていた。
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