第8話「人質生活、頑張れちゃいました!」

 メイドのセレマンから衣服を受け取り、アサヤはゴキゲンだった。

 早速、動きやすい服装に着替えて毛皮を羽織はおる。フードを被れば、寒さは完全にシャットアウトすることができた。

 人質ひとじちとして、なにより魔王の娘として、ようやく働ける時が来たのだ。

 しかし、魔王城の外に出たアサヤを大自然の厳しさが襲う。


「さささ、寒い……え、嘘……魔王城ってあれでも暖かい方だったんだ!」


 そう、身を切るような寒さに肌が痛い。

 

 歩いてる間にまつげは凍りそうだし、雪と氷で毛皮がどんどん重くなってゆく。

 そんなアサヤの首に、付き添ってくれたセレマンが赤いマフラーを巻いてくれた。


「さ、姫様。お風邪かぜなど召されませんように」

「ありがとっ、セレマン! じゃあ、行きましょう!」


 既にすぐ先をリーインが歩いている。

 他には、オークが数人だ。

 これからこのメンバーで、魔王城の周囲に建てるやぐらの一つを手入れに行くのだ。この件に感しては保護者の龍魔ノ王モナーク・オブ・ドラゴンユナリナルタルも了承済みである。

 やんわりと、お城で大人しくしているように言われた。

 でも、アサヤはなにか少しでも役に立ちたかったのだった。


「二人共、大丈夫ですか? 遅れるようなら置いていきますが」


 振り返ったリーインは、この寒さにもびくともしない。

 ヘルムこそ脱いでいるが、全身を甲冑で覆ってマントを棚引たなびかせている。その表情は、全く寒さに怯んではいなかった。

 少しムッ! として、アサヤは大股で歩いてリーインに追いつく。


「大丈夫ですっ! さあ、参りましょう!」

「っと、元気だけはいいようですね」

「それだけが取り柄です。人質らしくはないでしょうけど、タダ飯食らいにはなりません」


 オークたちも酷い寒さの中で、ガハハと笑っていた。

 その笑みが白く煙って、吹雪の中へと消えてゆく。

 皆、気のいい連中だった。

 付き合ってみると、魔物たちは多くが気さくで純朴、そしてほがらかな者たちだった。そうでない者たちもいたが、避けるように遠ざけてくるだけで危害は加えてこない。

 そこは、王宮の人間たちと全く変わらないようにさえ思えた。


「おじょうちゃんは元気がいいねえ。しかし、この寒さは人間にはこたえるだろうに」

「なあに、現場じゃ働くのは俺たちさ。リーインたちはまあ、俺たちの警護ってとこだろう。もうこの辺にも、王国の兵がいたりするからな」

「しかし、こう寒くちゃなあ。早く終わらせて、城で一杯やろうや」


 本当になにも変わらない。

 これが、王国が戦っている相手なのだ。そして、とても温厚に見えても、魔物たちは王国で虐殺と略奪を繰り返した過去がある。

 複雑な気分だ。

 アサヤはだんだん、なにが正しいのかがわからなくなってきた。

 ただ、そういう時は母の教えを思い出して信じる。

 母はただ、静かに笑顔で「戦争を止めること」が大事だと説いてきたのだった。


「ねえ、オークさん! どうして魔王の軍勢は人間たちと戦っているのですか?」

「そりゃ、お前さん……人間が襲ってくるからだろ」

「人間も同じことを言ってるんです」

「あー、そりゃ困ったな。最初に殴ったのがどっちか、もうこの喧嘩はわからねえからなあ。あ、でも勇者をあんなに呼ばれちゃ俺たちも商売あがったりよ」


 もともと戦争は、七魔公セブンスと呼ばれる七人の魔王によって戦われていた。

 人間などそもそも、敵対勢力とすら見られていなかったのである。戦場で戦えば、虫を踏むこともあるし、草木を薙ぎ払うこともある。それが魔族たちにとっての人間の存在だった。

 それを一変させたのが、アサヤの母……始まりの勇者ユウナである。

 そのことを考えていると、そっとリーインが近寄ってきた。


「実は、姫。あなたの不思議な力……勇者ユウナから受け継いだ力を貸していただきたいのですが」

「ほへ? それって、わたしのマキシマキーナですか?」

「それです。かつて陛下と互角に戦った、勇者の大いなる銀嶺騎シルバーナイト。機械仕掛けの恐るべき魔神です」


 ――マキシマキーナ。

 それこそが、ユウナが勇者の中でも希少なフューチャーの位であることを示すもの。遥か遠い未来の異世界から来た、圧倒的な科学力の結晶である。

 それを制御する腕輪R-INGが、今もアサヤの腕で緑色に光っていた。


「それでしたら、お安い御用ですけど……実はマキシマキーナは現在、修復中なのです。腕や脚といった、ごく一時部しか実体化させることができなくて」

「……まあ、そうでしょうね。あの魔王ユナリナルタルと戦ったのですから」

「リーインは知ってるのですか?」

「ええ。あの時、初めて陛下は真の姿で全力を出して戦いました。そうして三日三晩休まずに戦う中で……その、まあ、ああなった訳です」


 何故なぜか少し照れたように、リーインは頬を赤く染めていた。

 そう、詳しくはアサヤも聞かされてないが、そういうことらしいのである。

 伝説の戦いを引き分けたあと、王国に帰還したユウナはアサヤを産んだ。そういうことになっているらしい。それが今から14年前である。


「ママ母様は、なにかパパ母様と……ユナ様と、通じ会えたのでしょうか」

「そりゃそうでしょうね。でなきゃ人間に卵なんて……ん、見えてきました。あれがこの区画で以前から使ってる櫓です」


 突然、吹雪の中に黒いシルエットが現れた。

 それは、空との境目がわからなくなった灰色の世界に屹立している。

 リーインが言いかけたことも気になったが、アサヤは驚いてしまった。

 高さはざっと、30mメルくらいはあるだろうか。

 そして、少しかたむいている。

 何故か、頭頂部には翼のようななにかが咲いていた。


「これは……」

「さあ、私たちも詳細は知らされていません。陛下が言うには、かつて星の海を飛んだ船だとか」

「まあ。大昔のものなんです?」

「ざっと800年前の代物しろものですよ。ただ、この環境でずっと突き立ったままびもしないしちたりもしない。一部中に入れるので、我が軍の施設として活用しています」


 信じられないが、ユナリナルタルは嘘は言わないだろう。

 眼の前の塔は、あの小さく鋭角的な翼で星空を飛んでいたという。

 そう思うと、無限にワクワクが心の底から込み上げてきた。

 この世界にはまだ、アサヤの知らないことが沢山ある。

 戦争なんてしている場合じゃない。

 好奇心と探究心は、戦いなんかに使ってる場合じゃないのだ。


「で? わたしはなにをすればいいんですか?」

「ええ、実は……この塔、もうすぐ倒れます」

「……は?」

「前々から傾いてはいたんです。でも、この数百年で少しずつ傾きを増していて」


 なるほど、確かに危うい角度で傾いている。

 この強風に吹きさらして、毎年少しずつ傾きを増していったのだろう。

 ならばと、アサヤが振り上げる左手に腕輪が輝く。


「お任せなのです! さあ、マキシマキナー! あなたの力を、ここに!」


 突如、猛吹雪の空が歪んで割れた。

 渦巻く空間の中から、巨大な鋼鉄の手が現れる。

 かつて母ユウナが、星の騎士たちが駆った大甲冑である。

 その手が、ゆっくりと目の前の塔を押し戻した。


「そう、もうちょっと左です! ああ、わたしから見て左っ!」


 アサヤは塔の周囲を走りながら見て回る。

 ちゃんと、どこの角度から見ても垂直にならなければいけない。

 それに、ぐるりと見て回ると改めてわかる。

 確かにこれは、船だ。

 マストもないし、周囲をのっめりと不思議な金属で覆われている。そして、その大半は長年に渡って侵食した氷に閉ざされている。

 それでも、人間たちが使う空中戦艦とはまた違う形の船だった。


「いいわ、ありがとっ! マキシマキナー、戻って。まだまだ傷を癒やさないとね」


 手を振るアサヤに、親指をグッ! と立てて返事をしながらマキシマキナーは消えた。

 そう、まだまだ損傷が激しく、自己修復機能で現在修理中である。

 本来なら、星の騎士であった母ユウナの愛騎として、大地を揺るがす巨大なパワーを誇る絶対兵器なのだ。だが、残念ながら今はまだその力を取り戻せていない。

 それほどまでに、かつて母が父と戦った一騎打ちは苛烈かれつを極めたのである。


「さて、リーイン。セレマンもオークさんたちも。すぐに次の作業にとりかかりま――!?」


 その時だった。

 突然、嵐が収まった。

 否、収まったのではない……かき消されたのだ。

 北の大地に逆巻く気流が、あっという間に霧散して消える。

 そして、アサヤは高速で飛翔する威容を目にして固まった。


「あっ、あれは!」


 それは、巨大な龍……すなわち、ドラゴン。

 白銀にきらめく、見るも勇壮で美麗なる最強の絶対生物だった。

 まず、大きい。とにかく巨大だ。その姿に比べたら、リーインがいつも乗ってる飛竜ワイバーンなど小鳥にも等しい。

 背に生えた六枚の翼で、その龍は悠々ゆうゆうと飛び去った。

 すれ違う瞬間、アサヤは宝玉のような目がギョロリと自分を見た気がした。

 その時確かに、白亜に輝く銀龍は笑ったのである。


「ああ、あれが陛下です。龍魔ノ王モナーク・オブ・ドラゴンユナリナルタル様の真の姿」


 リーインの言葉も、どこか遠くに聴こえた。

 そして、その威風堂々いふうどうどうとした姿はあっという間に、南の空へと消えてゆくのだった。

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