第9話「人質生活、勉強も大事でした!」

 アサヤの人質生活ひとじちせいかつは、改めて順調に始まった。

 しかも、多くの魔物たちからは魔王の娘として認識されているので、待遇たいぐうはそんなに悪くない。新しい部屋は幽閉生活といっても寒くないし、調度品や家具も立派なものが備わっている。

 一日三食、そしておやつ付きのティータイム。

 人質らしからぬ文化的で健全な生活だった。

 ただ、王宮生活の悪しき慣例もまた、一緒だった。


「姫様、ここの計算が間違っています。もう一度やり直しを」


 今、自室でアサヤは計算問題に取り組んでいた。

 そう、お勉強である。

 王国の姫君たるもの、文武両道でなければいけない。姉としたった本当の王女が病弱なため、王や大臣の期待はアサヤに集中していたのである。

 それに、アサヤ自身も学業は大事だと母に教えられていた。

 だが、大切なことでもそれを好きか嫌いかは別の話だった。


「セレマン、人には向き不向きがあると思うのだけど」

「ええ、存じています。ですから、運動は得意でもお勉強、特に算数が苦手なのもわかっています。でも、弱点をそのまま放置しておくことはできませんね?」

「はーい。……ママ母様はなんか、ピポパポって一瞬で計算してくれる機械持ってたなー」

「泣き言を言わないでくださいな。それに比べて、リーインさんは熱心ですね」


 何故なぜかアサヤの隣には、警護係であるリーインが座っていた。

 彼女は熱心に計算問題を解き、他の分野の勉強にも必ず顔を出していた。あまり熱心に「私にも勉強を教えてください」と頼み込んでくるので、アサヤもセレマンも断れなかったのである。

 そのリーインだが、まだまだ書き慣れぬつたない文字を懸命につづってゆく。


「リーイン、意外ね……お勉強、好き?」

「ええ。私は親に捨てられたダークエルフで、陛下に拾われた身です。剣や軍略は学びましたが、こうした知識は全くないのです。読み書きも実は、かなり怪しくて」


 美貌びぼう女竜騎士おんなりゅうきしに、意外な過去があると知った。

 リーインにとっては、龍魔ノ王モナーク・オブ・ドラゴンユナリナルタルは主君であると同時に、親代わりなのだ。そう思えば、アサヤは突然大きな妹ができたような気がして嬉しい。

 遥かに年上だろうけど、自分が姉だという気構えだけは一人前だった。


「そうだったのね。なら、わたしも勉強で遅れを取る訳にはいかないわ。姉として!」

「……何故、姫が私の姉になるんです? 私は今年で108歳になりますが」

「まあ! そんなに? ダークエルフだものね、そうよね」


 その時だった。

 ふと、外が騒がしくなって、城壁を大勢が駆け抜けてゆく気配がした。ガシャガシャと具足ぐそくを慣らして、誰も彼もが下へと向かっている。

 魔王城の城壁に建つ塔の中で、アサヤは急いで窓辺へと駆け寄る。

 何やらにぎやかになって、場内が活気に満ちていた。

 そして、巨大な影が頭上を通過する。

 それは、銀色に輝く六翼ヘキサウィングのドラゴンだった。


「パパ母様、ユナ様だわ。出かけてからもう三日……どこに行ってたのかしら」


 リーインも立ち上がったので、お勉強会は一時休憩となった。

 急いでアサヤはリーインを連れて、部屋から転がり出るや全力で駆け出す。

 風圧を広げて滞空していた巨龍は、ゆっくりと城の中庭に降り立った。

 その周囲に、歓声を上げて魔物たちが集まってくる。特に、オークやゴブリンの子供たちのはしゃぎようといったらなかった。まるでお祭り騒ぎである。


「ユナリナルタル様だー! おかえりなさーい!」

「見て見て、全身傷だらけ……矢が刺さってる」


 そう、子供たちが指差す先では、手負いの龍が白い息を吐き出していた。

 いったいどこへ行っていたのだろう? やぐらの修理の際に見送ってから、もう三日三晩が経過していた。

 そして、ユナリナルタルはブルブルとまるでねこのように全身を震わせる。

 バラバラと矢が落ちてきて、すぐに大人の兵士たちがそれを集め出した。


「陛下、矢はなんとかするって……無茶ですぜ!」

「おーい、壊れてる矢は工房へ。折れてるのはまきにでもするしかねえなあ」


 全身の矢を振り落とすと、あっという間にそこかしこに小山ができてしまった。

 そして、ゆっくりと身体が縮んで龍は人の姿をかたどる。

 そこには、少し疲れた顔で微笑ほほえむ白い麗人が立っていた。


「やあ。王国も田舎いなかの方に行くとまだまだ弓矢を使ってるんだね。沢山貰ってきちゃったよ」

「ユナ様ーっ! お怪我はありませんか?」

「おや、アサヤ。はは、僕が怪我なんて……甲殻こうかくうろこに刺さっただけで、貫通はしていないよ」

「先日言ってたのは、こういうことだったんですね」

「作るより手っ取り早いし、貰った分だけ王国軍の矢が減るからね。それに、誰一人殺しちゃいないさ、安心おし」


 ちょっと、人間では思いつかない発想だ。

 矢を調達するため、自分から真の姿となって人間のとりでを襲うなんて。あの威容を、圧倒的なプレッシャーを前にして、人間たちは随分と心胆を寒からしめただろう。

 鉄砲は急激に普及しつつあるが、まだまだ各地の兵は弓矢を使っている。

 そこから、自らをまとにして大量に矢を貰ってきてしまったのだった。


「……あら? ユナ様、背中に」

「ん? ああ、これはいいんだ。気にしないで、アサヤ」


 一本だけ、背中に深々と突き刺さっている矢があった。それだけは抜けることなく突き立っていて、僅かに血が滲んでいる。

 魔物の血も赤く、それは魔王も一緒だった。

 だが、ユナリナルタルは弱々しく微笑むとマントでそれを隠した。

 すぐに気付いたリーインが、慌てた様子でそのマントをめくる。


「陛下、失礼します。……すぐに処置を。誰か! 薬と包帯を!」

「ああ、いいんだよリーイン」

「すぐに抜きます。少々痛みますが我慢してください」

「痛いのは嫌だなあ、僕。あと、よした方がいい」


 ユナリナルタルが止めるのも聞かずに、リーインが矢に手をかける。

 瞬間、ジュッ! と空気が灼けて白煙が上がった。

 突然の激痛に、小さくうめいてリーインは手を放した。


「大丈夫かい? リーイン」

「は、はい。しかし、焼けるような痛みが」

「この矢、極めてレベルの高い祝福がほどこされているんだね。どうやら、あちこち回った砦の一つに勇者がいたみたいだ。それも、マイソロジークラスの勇者がね」


 説明しつつ、再度手を伸ばしたリーインをやんわりと魔王は制した。

 ならばとアサヤも歩み寄ってみるが、オデコを手で抑えられると全く手が届かない。母もそうだったが、ユナリナルタルはすらりと痩身そうしんでグラマーで、そして手足が長かった。


「ユナ様、わたしが試してみては」

「この矢は、魔族および魔王軍の者には抜けないみたいだ。強い破邪の念が込められている」

「だったらやはり、人質のわたしが」

「……駄目だよ。だーめ。さて、それより矢はこれで足りるかな? 他には保留になってる案件は」


 すぐに魔物たちの一部、文官らしき者たちが駆け寄った。兵卒や将軍たちと違って、彼らはお揃いの服を着てて、そのくせ帽子は個性を主張するように皆が皆独特だった。

 よく見れば、蛇人族ナーガ鳥歌族ハーピィの女性たちもいる。

 なんだか忙しそうだなと思って、邪魔にならないようにアサヤは下がった。

 小さな羽音が聴こえたのは、まさにそうした時だった。


「ん? あら、虫かしら……違うわ、えっ? これ……妖精さん?」


 小さな小さな、背に透き通る四枚の羽根を羽撃はばたかせる少女が飛んでいた。大きさは丁度、15cm程だ。

 王国の文献では、妖精族スプライトは非常に希少な種類と言われていた。

 勉強は嫌いなくせに、書庫での読書は大好きだったアサヤは、読める限りの本を漁るように読破した。様々なジャンルを読んだが、妖精の伝承には心を踊らせたものである。

 その妖精がふわふわとユナリナルタルへ近付いてゆく。

 よく見れば、彼女も自分サイズの文官の制服を着ていた。


「ちょいとよいかのう? 皆の衆、邪魔して悪いねえ。……陛下、隠し迷宮エクスダンジョンの報告なんじゃが」


 意外なことに、他の者たちは皆我先にと声をあげていたのに、その妖精族には道を譲って誰もが黙った。

 ユナリナルタルも、そっと手を伸べ指の上に彼女を座らせる。


「遅かったね、リリール。進捗はどうだい?」

「現状、80%の工程が終わっておる。第一層から第三層までは、トラップや宝箱の配置も終わって、いつでも人間を迎えられようぞ」

「それは頼もしい。あ、そうだ。アサヤ、ちょっとちょっと」


 王としてはあまりに威厳がなく、高貴なオーラも覇気も全く感じられない。

 でも、そんな父なる母がアサヤには好ましく思えた。


「なんですか、ユナ様。それに、隠し迷宮って」

「うん、まあ……七魔公セブンス最後の僕にたくされた、最後の大仕事って感じかな。今、突貫作業で作ってるんだ。ちょっとおいで、見に行こう」


 凄く気軽に言われた。

 まるで、近所に散歩にでも行こうと言っているような雰囲気だった。

 実際、この巨大な城塞は魔王城、ユナリナルタルの居城である。その奥深くに今、全く未知の魔宮が生まれようとしているらしい。

 そして、アサヤを振り返ってリリールと呼ばれた妖精がにんまりと笑った。


「おや、あの跳ねっ返りユウナの娘かい? ふふ、そうかいそうかい。もうこんなに大きくなったんだねえ」

「あの、母を御存知ごぞんじなのですか?」

「御存知もなにも、ワシとしては大量の借りがあってねえ。もっとも、返す前にワシは第一線を引退、風の噂ではユウナも流行はややまいで……始まりの勇者が病死なんて、笑わせるじゃないかねえ」


 そう言ってリリールは湿った声で目尻をぬぐった。

 そして、セレマンとリーインを置いて、アサヤは城の地下へとおもむくことになった。

 極北に位置する魔王城の地下に今、なにがあるのかを知るのはすぐ後だった。

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