第17話「人質生活、覚悟しました!」

 アサヤは今、飛竜ワイバーンの背に揺られていた。

 北の空は灰色で冷たく、空気は肺腑はいふに突き刺さるよう。

 魔王城にさらわれてきた日のことを思い出す。

 もう、ずっと前のような気がするが、僅か数週間前だ。


「姫、寒くなはないですか?」


 手綱たずなを握るリーインは、竜騎士の兜をまだ被っていない。ゆるゆるとなびく銀髪も、毛先が凍ってチクチクした。

 前回は飛竜の鉤爪かぎづめに無造作に鷲掴わしづかみだったが、今は違う。

 鎧を着込んでても細いリーインの腰に、アサヤはしっかりと抱き着いていた。


「平気です! 高度を落としてください」

「本当に見るだけですよ? こんな危険な」

「威力偵察というやつですよ? もうすぐ総力戦になりそうです」

「地下への移住も始まったんですけどね……少し時間が足りません」

「ええ。ですからここはっ! 今こそは! 人質ひとじちの出番ですっ!」


 冷えた雲を突き抜け、ゆっくりと飛竜が風を掴む。

 そのまま視界を白い闇に預けて、真っ直ぐアサヤは前だけを見詰めていた。

 やがて視界が広がると、そこには驚くべき光景が広がっている。

 北への唯一の街道を埋め尽くす、それは巨人の群。

 凍てつく空気に蒸気をくゆらせながら、機械の鉄巨人ギガンテスが歩いていた。どう見ても、アサヤが母ユウナから譲り受けた神騎しんき、マキシマキーナを模倣もほうした粗悪品だ。

 しかし、その数は尋常じゃない。


「こんなものまで、それも凄い数」

「ちょっとえげつないですね……さて、戻りましょう。陛下も心配しますよ、姫」

「……リーイン、ありがとう。ここでわたしを降ろしてください」

「は? ええと、すみません。人間社会特有のジョークとかでしょうか」

「いいえ、冗談ではありません」


 数万もの軍勢が、魔王城を目指している。

 その中へ一人、アサヤは降りるというのだ。

 驚きに表情を凍らせ、リーインは押し黙った。

 それというのも、小一時間前にアサヤは決意したのだ。悩み迷って考え抜いた末の、自分なりの答をもう得ているから。






 その日は朝から魔王城は大混乱だった。

 急遽大型のエレベーターが増設され、力自慢のモンスターたちが集められる。老若男女を問わず、魔王城に避難した全ての魔族が地下へと大移動を開始していた。

 アサヤも勿論もちろん、セレマンと共にその作業を手伝っていた。


「皆様、静かに、ゆっくりと、一列で移動してくださいっ! セレマン、時間は」

「日の出まであと一刻いちじかんとちょっとですわ」


 スカートから出した懐中時計に目を落として、メイドは緊張感に表情を固くする。

 まだ、全住民の中で地下世界へ移動を終えた者たちは二割にも満たなかった。

 もうすぐまた、魔王城は戦場になる。

 それも、空中戦艦の襲撃を遥かに超える総攻撃が襲ってくるのだ。

 いよいよ王国は、魔王軍との戦いに決着をつける気だった。


「時間が足りないわ、全然足りない! ……っと、そこの方! 大丈夫ですか?」


 のろのろと進む列の中で、大荷物を担いだ老人が躓いた。すかさずアサヤは駆け寄り、人混みに沈みそうなその姿を抱き上げる。

 見れば、オークの老人で見知った顔だった。

 あとから駆けつけたセレマンも気づく。

 その人物は、セレマンの銃に線条痕ライフリングを彫ってくれた職人だった。


「おお、お嬢ちゃんかい。それに、女中メイドさんも」

「おじいさん、大丈夫ですか?」

「なに、商売道具を持っていこうと思ってな! 下についたら、くわすき、包丁なんかを作って暮らすつもりじゃよ。もう、武器職人は廃業じゃあ」


 ニコッと笑う老人は、思い出したように荷物を一つ降ろした。

 ドスン! と床を鳴らす、それは油布あぶらぬのにくるまれたなにかの機械のようだ。


「女中さん、こいつを使いな。理論上、8発は撃てる計算じゃが、何分テストしとらん」

「これは……?」

「今は亡き七魔公セブンス魔弾ノ王モナーク・オブ・ザミエルギャルスパーグ公の名を戴き、ザミエルと名付けた。ワシの最後の最高傑作じゃよ。なに、魔剣や魔槍に比べたら簡単な作業じゃった」


 1mメル四方くらいの、立方体に近い鉄のかたまりだ。

 厳重にシーリングしてあり、その全容は全くわからない。しかし、それをよいしょと持ち上げて、何事もなかったようにセレマンはスカートの中にしまった。

 いったい、どういう構造になっているのだろう。

 でも、小さい頃からアサヤは詮索しないことにしていた。


「さて、それじゃあワシも行くかのぉ。お嬢ちゃんも達者でな」

「お気をつけて、おじいさん」

「ありがとうございました、おじいさん。これでどうにか勝負にはなりそうですわ」


 セレマンが珍しく笑った。

 それは、普段の気品に満ち溢れた微笑ほほえみではない。

 獲物を前に舌なめずり、狩人の目をギラつかせた狂気と狂奔の笑みだった。

 それでも、優雅にスカートをつまんで彼女は礼で見送る。

 そうこうしていると、大型のモンスターたちもどよどよと中庭から押し寄せてきた。多頭蛇ハイドラはどの首も不安げに振るえていたし、巨大な毒蜘蛛タランチュラもワームたちも怯えていた。

 そして、純白の鎧に身を固めた一段が現れる。

 誰もが皆、相棒として共に飛んできた飛竜を連れていた。


「あっ、あれは……リーイン! リーインではないですか、どうしたのです」


 そう、リーインたち竜騎士の面々だ。

 今は、普段とは違って少し小綺麗な甲冑姿だ。魔法で鍛えられた逸品であることがすぐに知れる。そして、そんな高価な武具を使う程の戦いが待ち受けてると身に染みた。

 アサヤが声をかけると、リーインは立ち止まって一礼した。


「姫、まだ城にいたのですか? 早く地下へ退避してください」

「リーイン、その子は」

「私の飛竜、相棒……我が友、ブレイズファングです」


 あの時、自分をさらった飛竜だ。

 今思えば、かなりの訓練を積んだ優秀な飛竜だとアサヤにはわかる。無防備な人間の少女を、あるじが命ずることを理解して握り潰さずに運ぶだけの知性があるのだ。

 そのブレイズファングは、他の竜騎士たちの飛竜同様にエレベーターへと引かれてゆく。

 だが、道を開けてくれる避難民たちの前で、突然ブレイズファングはむずがるように立ち止まった。そして、リーインが手綱を引いても動かなくなってしまう。


「ブレイズファング、急いでエレベーターへ。ほら、次のお前の生きる場所は隠し迷宮エクスダンジョンだ。新しい主に、伝えておくれ。私からもお前をよろしくと言っていたと」


 他の竜騎士の相棒も皆、動かなくなってしまった。

 別れの時が訪れたことを、察したのだ。

 少し困ったような顔で、リーインは苦笑いを浮かべる。そして、ブレイズファングの鼻をなでると、ひたいを寄せて祈るように呟いた。


「お願いだから言うことを聞いておくれ。私たちは最後まで陛下と戦い、この城を死守する。もう、お前たちに乗ってはやれないんだ」


 神速の機動力をたっとぶ竜騎士が、城の防衛のために飛竜を降りて戦う。

 愚策とも思えたが、しかたがない。

 もうすでに、魔王城には打って出るだけの兵力は残されていないのだ。

 この城の城壁を頼りに、援軍の来ない籠城戦を戦うしかない。

 アサヤは、リーインがふと視線を遠くヘ放るのを見た。目で追えば、エレベーター前の混雑の中に父なる母がいた。相変わらず、しまらない顔で困ったようにオロオロしている。

 その声が喧騒の中で少しだけ耳に届いた。

 どうやら、年寄りたちに囲まれて困っているらしい。


「陛下、ワシは嫌じゃあ。子も孫も戦死して、ワシも十分に生きた。ワシは城に残る」

「ワシもじゃあ。城をまくらに討ち死にしようとも、この老ぼれの命で時が稼げるなら」

「ワシらとて、昔は魔女と呼ばれた術の使い手よ。枯れ木も山の賑わいじゃろうて」


 だが、ユナリナルタルはそんな老婆の一人一人を抱き締めながら避難をうながす。


「死なれちゃ困るなあ。僕が執務をサボって抜け出す時、逃げ込む場所がなくなってしまうよ。僕は君たちのお茶とマフィンがないと、仕事がはかどらないんだ」


 そう言ってユナリナルタルは、後ろ髪を引かれる思いの老婆たちをエレベーターに連れてゆく。他にも、大勢の子供たちが集まっていたが、その一人一人の頭を撫でながら言葉をかけていた。頼りなくてやる気が感じられない人だが、やはり父なる母はこの城の王なのだ。

 そう思ったら、アサヤは自分のやるべきことを見つけた気がした。

 王が王として自分を語ることもなく、王として振る舞うなら……その子もまた、勇者との娘でもあることを体現する時が来たのだ。


「リーイン! 最後にその子と飛んでもらえませんか? わたしを乗せてっ!」


 リーインは目を丸くして固まった。

 だが、そのほおをべろりとブレイズファングがめる。

 アサヤは手短にセレマンにも話をすると、すぐに外へと向かって走り出したのだった。

 そして、二人と一匹は雲の上へと飛び立ったのだった。






 もはや趨勢すうせいは明らかで、勝負は決した。

 いくさとは、それまでに積み上げた戦略、。実際にぶつかる現場の戦術では、用意周到に数と質とを練り上げた策には勝つことはできない。

 そして、これだけの大軍勢を繰り出した時点で王国の勝利は揺るがなかった。

 勝利条件が、魔王城の陥落と魔族の駆逐ならばの話だ。


「隠し迷宮の奥に全員が避難する時間を稼ぎます! リーイン」

「……では、私も。こう見えても私は陛下の騎士。姫を守れと勅命ちょくめいを受けた身なれば」

「リーイン……そ、それは」

「参りましょう。姫を一秒でも長くお守りする、その姫が稼ぐ一秒が、同胞を何百人と救うと信じています」


 天へと吠えて、ブレイズファングが急降下で翼を翻す。

 ぐんぐん近づく大地へ向かう中、アサヤは信じられない声を聴くのだった。

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