第11話「人質生活、ご奉仕しちゃいました!」

 その夜、アサヤは寝付けなかった。

 地下に広がる理想郷アガルタと、今も戦争が続く大陸世界。

 どうやら魔王ユナリナルタルの目論見もくろみは、全ての魔族を従えて竜源郷へと移民することらしい。

 そして、楽園への扉を隠し迷宮エクスダンジョンで閉ざす。

 もしやそれは、双方にとっての真の平和とも言えるのではないだろうか?

 だが、なにかアサヤには引っかかるものがあった。


「それに、あの矢……まさか、パパ母様はまだ痛い思いを」


 ベッドの上に身を起こして、そっとカーディガンを羽織はおる。そのまま寝巻きパジャマ姿でサンダルを引っ掛けて、深夜の魔王城へと歩き出す。

 すでに夜もけて、夜警やけいの兵たち以外は寝静まっていた。

 隠れる訳でもないのに、自然と足音を消して小走りに進む。

 魔王の部屋は高い高い塔の上だった。

 階段を上がれば、声が漏れ出てくる。


「あ、ちょ、んっ……っあ、ま、待って」

「待ちません。お覚悟を」

「や、優しく、して、ほしい」

「なにを言うんですか、まったく。無理にでも……いいですね?」


 なんだかつやっぽい声が聴こえる。

 湿しめった声の主は、ユナリナルタルともう一人。


「まあ、セレマン? なにをしてるのかしら、二人で」


 思えば、セレマンも謎の多い女性である。アサヤが物心ついた時には、世話係としていつも側にいた。母ユウナも頼りにしていたし、家族も同然だった。

 セレマンが召喚された勇者という話は聞かない。

 この国の人間らしく、肌は白くて金髪碧眼きんぱつへきがんだ。

 だが、それ以外のことはわからないし、自分で語ってもくれない人物だった。

 ただ、凄腕すごうでのメイドにして銃使いガンスリンガーであることだけは確かである。


「ま、待って、心の準備が……セレマン君」

「魔王ユナリナルタル、怖いのですか? こんなに汗を」

「だ、だって、こんな格好……恥ずかしい」

貴女あなたが暴れるからでしょう? さ、いきますよ」


 思わずアサヤは、階段を全速力で駆け上がった。

 ドアを蹴破るような勢いで開け放つ。


「お二人共っ、なにをしているのです! ナニをっ!」


 アサヤ・ミギリ、14歳。多感な思春期だった。

 眼の前には、一国一城いっこくいちじょうあるじにしては質素なベッド。そして、その上に裸のユナリナルタルがうつ伏せに寝ている。そして、側に腰掛けるセレマンの手には、血に濡れた矢があった。

 そう、例のマイソロジークラスの勇者がたものである。

 聖なる加護が施してあって、魔物では向けない厄介な代物だった。


「あら、姫様。いけませんよ、もう寝るお時間です」

「え、あ、いや……な、なにをしてるのかなーって」

「見ての通りです。傷の手当をと思いまして」

「で、ですよねー? はあ」


 よほど痛かったのか、顔をあげたユナリナルタルは涙目だった。というか、ガン泣きしていた。いい大人が、それも七魔公セブンスの一人と称された魔王が少し情けない。

 背の傷はまだまだ血に濡れていたが、処置すればむこともないだろう。


「では、私は包帯と消毒液を取ってきますので」


 それだけ言うと、セレマンは部屋を出ていった。

 その背中を見送りつつ、アサヤはちょこんとベッドに座る。

 可哀想かわいそうに、よほど痛かったのか父なる母はぺそぺそ泣きながらまくらを抱き締めている。可憐にして妖艶ようえんなその姿は、もはや龍魔ノ王モナーク・オブ・ドラゴンと呼ばれた威厳が微塵みじんもない。


「ユナ様、痛いのですか?」

「そりゃもう……セレマンはただの人間だろう? 頼んでみたはいいけど、なかなかに酷い。容赦なくグリグリ抜こうとするんだもの」

「そういう人なんです。わたしも病気や怪我の時は、それはもう」

「あー、やっぱそうなんだ。ふふ、でも助かった」


 魔の眷属けんぞくにして頂点である魔王では、例の矢は抜けない。

 その血を半分だけ受け継いだアサヤにとっても、そうだった。


「あの、ユナ様? 今日の、えっと、地下の」

「ああ、竜源郷りゅうげんきょうかい?」

「はい」


 ゆっくりとユナリナルタルは身を起こした。

 豊かな胸の実りが揺れて、痛みに流した汗が玉とこぼれる。

 彼女は枕元のタオルを手にすると、それで身体を拭きながら話し始めた。


「最終的には、魔族全員であの土地に引っ越すんだ。残念だけど、大陸はもう人間たちのものだよ。僕たちの生きていける場所はないだろう」

「……勝ちをお譲りになる感じですか?」

「悔しいけどね。ふふ、アサヤ。僕たち魔族、モンスターはね……そこまで戦いが好きな訳じゃないんだ。ただ、生きてく土地も必要になるし、そういう土地の奪い合いは日常茶飯事にちじょうさはんじだった」


 それが、七魔公同士で戦われた先の大戦である。

 その中では人間はただただ逃げ惑い、息を殺して隠れているしかできなかった。

 しかし、王国は太古の昔に禁忌きんきとされた召喚術を復活させ、異界より勇者を呼び出した。勇者たちの卓越した戦闘力に頼って、ようやく人間は戦うすべを得たのである。

 それは魔王たちにとって、新たな敵の、それも強敵の出現だった。

 今まで道端みちばたの石ころ以下の存在だった人間が、新たな敵となったのである。


「ユウナは決して、自分の持つ脅威の科学力を王国の人間には渡さなかった」

「ママ母様は、この世界の本来の文明発達を妨げたりしなかったのです」

「そう、勇者の知識……特に、フューチャークラスの持つ叡智えいちは強過ぎる。例えば、あの鋼鉄の巨神。あれねえ、僕はもううんざりするほど手を焼かされたよ」


 ユナリナルタルが言っているのは、アサヤが母から譲られ使役するマキシマキーナのことである。

 白銀クロームに輝く巨大な機動人形モビルメサイア……その力は、真の姿となった魔王にも匹敵する。

 だが、今は大破して限定的にしか力を発揮できない。

 恐るべき巨神と当時相打ちになったのが、このユナリナルタルなのである。


「いやあ、あの時は参ったね。僕も本気だったんだけど、翼は2、3枚もがれるし、なんか光の剣? とか、超圧縮された粒子フォトンかたまり? とか撃ち出してくるし」

「でも、今は自己再生中です。酷く壊れてしまったってママ母様が」

「そりゃそうだよ! 僕、これでも随分頑張ったからね!」


 フンスと鼻息も荒く、ユナリナルタルが胸を張る。

 想像を絶する大決戦だったに違いない。

 そして、いつしか二人の死闘は友情を結び、恋を経て愛を実らせた。

 その結晶がアサヤという訳である。


「でも、驚いたよ。王国の召喚した勇者ってのにね。紙一重の決着だった……僕も瀕死だったけど、マキシマキーナをどうにか破壊できた」

「ちょっとやりすぎなんですけど?」

「いやだって、手加減してられなかったんだもん!」

「もん、って……可愛く言っても駄目ですっ」

「トドメを刺そうとしたら、鉄巨人の中から人が出てきたんだ。それも、凄く可愛い女の子が。彼女も怪我で息も絶え絶えだったけど、僕を見るなり光の剣を抜いた」


 なんとも勇壮にして荘厳そうごん、正しく英雄譚えいゆうたんである。

 なのに、頬杖ほおづえついてあぐらをかいたユナリナルタルは、だらしなく表情をゆるゆるに緩めた。エヘ、アヘヘと気持ち悪い笑みが浮かんでいる。

 折角の美貌が台無しの、破廉恥はれんちなことを思い出しているようなニヤケ面だった。


「死なせたくない、死んだらヤだなって思った。なにせ、僕と互角に戦う女傑じょけつだからね」

「はあ。それで」

「僕も今の姿に戻って、とりあえず彼女を安全な場所に運んだ。いやあ、可愛かったなあ。抱き上げたら、迷わず心臓刺して来たからね。寸分違わずね」

「えっと、その話のどこにラブロマンスの要素が?」

「いや、でもユウナは死にそうだった。砕けて割れた巨神の破片が刺さってたからね。それを抜いてあげて、傷口をめてやしたんだ。なるべく吹雪と寒さから守って、互いの体温を分かち合って過ごしてたら……ウヘ、ウヘヘヘヘヘ」


 駄目だ、ちょっとわからない。

 この人が父親だというのがまず、なんだか凄く心配になってきた。

 けど、王国で育った幼少期、ユウナはとても幸せそうに父のことを語ってくれたのである。王宮では『魔王の子をはらんだ女』として、風当たりが強いこともあっただろうに。それなのに、母はいつも笑顔だったし、最後まで王国のために戦い続けた。


「……ユナ様、パパ母様、ちょっと」

「うん? なんだい、アサヤ」

けものはよく、仲間の傷を舐めて癒やすと本で読みました。魔族もなんですか?」

「まあ、そうだね。種族にもよるし、魔法のほうが手っ取り早いことも多いけど。僕ねー、回復の法術は使えないんだよね。あれほら、基本的に信仰心のある教会の人間が使う術だし」

「そうみたいです、ね。……でも、わたしあんまり敬虔けいけんな気持ちがないんです。安息日の教会のミサだって、たまに、いえ、頻繁に? すっぽかして逃げてたんです」

「はは、悪い子だ。あ、いや、魔族的にはいい子かな? ……あ、あれ? アサヤ?」


 えいっ、と押し倒したら、簡単にユナリナルタルはベッドに倒れた。

 その肢体したいをひっくり返して、まだまだ血の滲む傷口にくちびるを寄せる。

 きっと多分、こうして母もこの人に命を救われた……そう思うと、馬鹿なことでもやってみたくなったのである。

 ちろりと舐めれば、血の味は魔族も一緒だった。

 赤くしたた生命いのちしずく……のぼせて鼻血を出した時や、転んで口を切った時のあの味だ。びた鉄のような、普段は捨てる家畜の臓物そうもつあぶったような味だった。


「ちょ、ちょっ、ひあっ! ままま、待ってアサヤ、ひうぅぅ……」

「わたしも半分魔族なら、ユナ様の傷が癒せないでしょうか」

「あ、いや、それはどうだろ……ただ、えと、気持ちは嬉しいよ。えー、でもちょっと待ってー、実の娘に、愛娘まなむすめにこれはまず、ひぃ! ちょ、ちょっと、強く吸い過ぎ――」


 戻ってくるセレマンの足音が聞こえ始めたので、そっとアサヤは父なる母から離れた。

 けれども、身を起こしたユナリナルタルはアサヤを抱き寄せ、豊満な胸に埋めるように抱き締めてくれるのだった。

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