最終話「人質生活、それは遥か大昔の物語」

 その後の五十年、大陸に戦争は起こらなかった。

 ただ、王国は定期的に勇者を召喚し、魔王の城へと送り出す。

 しかし、魔王討伐は一度たりとも成功しなかったのである。


「はあ、退屈……ここ数年は暇なものね」


 魔王城の玉座は今、静けさに満ちている。

 数少ない住人の一人、アサヤは今日も玉座で勇者を待っていた。長い脚を組み換え、長い黒髪を指に巻き取る。

 勇者の挑戦は最近、絶えて久しい。

 同時に、王国の繁栄もここまで聴こえてくる。

 いよいよ石炭から石油へとエネルギーが転換期を迎え、兵士たちは剣や弓から全員銃に持ち替えた。統制された軍隊が生み出される中で、勇者との技術交流も盛んである。

 アサヤに言わせれば、ちょっとやりすぎなくらいに栄華を極めている。


「なに、暇なことはいいことじゃよ」


 直ぐ側では、老人が机に向かって書をしたためている。

 名は、宮本武蔵。

 結局あれ以来、アサヤの周囲に住み着いてしまった剣豪である。ムサシにも地下の新世界を勧めたのだが、彼は魔王城に残ることを選んだのだった。

 だが、あとは老いたメイドのセレマンくらいである。

 二人は年を重ねて、時期に寿命を迎えるだろう。

 殺しても死なないような豪傑でも、死ぬ時は死ぬものだ。

 逆に、より美しくグラマラスに成長したアサヤだけが、以前にもまして輝いている。


「せめて、姉様が側にいてくれたらいいのに」

「カカカッ! 王女様は身体が弱かったからなあ。空気のいい地下でなければのう」


 クオーリアは今も静かに余生を送っている。

 人質の彼女を案じて、魔族たちは皆親切にしてくれているのだ。

 それも全て、地下に広がる空洞世界、新しい土地での出来事だ。

 アサヤはその入口を阻む者となって、今も隠し迷宮を隠している。

 自分を倒せる者が現れ、その人間を見極めたら……隠し迷宮を解放して自分も地下に移り住むつもりだった。


「あるいは、わたしが認めた勇者なら……一緒に隠し迷宮を攻略してもいいわね」

「いやいや、お嬢。あれの攻略は勇者でも無理じゃよ。ワシでも第七層までしか行けんのじゃから」

「魔王軍の最精鋭が守ってるものね。それにしても……ふう、なんだか眠くなっちゃうわ」


 アサヤは大きなあくびを一つ。

 すると、突然背後にゆらりと気配が立ち上がった。

 以前と変わらぬ美貌のまま、その女性はエヘヘヘと締まらない笑みを浮かべている。


「アサヤ、遊びに来たよぉ? って、あれ? ムサシもまだ生きてたんだ。おひさ~」


 この緊張感ゼロな魔族が、アサヤのもう一人の母であり、元の城主である魔王だ。名は、ユナリナルタル。かつて七魔公と恐れられた伝説も、今は過去のおとぎ話になってしまった。

 彼女は今も地下世界で暮らしていて、時々こうして様子を見に来てくれる。

 それは嬉しいのだが、ここ数年はわずらわしい話も持ってくるのだ。


「それでね、アサヤ、あのね? お見合い、しない?」

「しません!」

「ほら、この子なんかいいじゃないか。七魔公の遠縁にあたる子でね」

「殿方とのお付き合い、考えてないですってば」

「あ、女の子もいるよ? ほらほら見て、かわいい子ばっかりで」


 ムサシが親馬鹿に呆れて笑っている。

 アサヤも思わず溜息が零れたが、浮かぶ苦笑もどこか柔らかい。

 彼女にとって、父なる母ユナリナルタルだけが同じ時を生きていた。魔族は長寿で、心身が衰えることもない。

 永遠の親子でいられるのは、それなりに嬉しいし楽しかった。

 だが、今は耐え難い退屈の中で少し鬱陶しい。

 お見合いはしないと何度言っても、この調子なのである。


「僕も孫がほしいなあ、なんて……デヘヘ。アサヤ、どう?」

「ヤです! まだ、いいです。あと、そゆの人間の世界ではハラスメントですからねっ」

「シュン……でも、アサヤが元気でよかった。どれ、お茶の準備でもしてこよう」

「あっ、それでしたらセレマンが」

「いいよいいよー、このお城は僕が一番くわしいんだから」


 ふらふらとユナリナルタルはいってしまった。

 相変わらず威厳も荘厳さもない。

 でも、そんな父なる母がアサヤは好きだった。

 不意に玉座の間へ声が響いたのは、そんな時だった。


「あ、あのー、すみませーん」


 少年の声だった。

 在りし日のアサヤと同じくらいか、ちょっと年下か。

 ふと見れば、扉を開ける小さな勇者の姿があった。


「えっと、魔王さんですか?」


 ちょっと頼りなさげで、一人きりだ。勇者といえば大体は、パーティを組んで4、5人でやってくるものである。

 一人旅の勇者というのは、アサヤも初めてだった。

 けど、玉座に座り直して身を正し、精一杯の威厳を飾ってみる。


「よく来ました、勇者よ……わたしが白闇姫、魔王アサヤです」

「わわっ、お姉さんが?」

「ええ」

「……本当に?」

「そうですよ? え、ちょっと待って、そこ疑うとこかしら」


 魔王城の玉座に座ってるのだから、アサヤは魔王なのである。自分でもそう振る舞って、この半世紀ずっと勇者の相手をしてきた。

 だが、目の前の少年は剣も抜かずに、ほえーっと瞳を輝かせてる。

 なんだろうと思って、アサヤはゆっくり立ち上がった。

 こんな子供でも勇者は勇者、戦わなければならない。


「殺しはしませんが、死ぬ気で来なさい。わたしに勝てたら、この先の隠し迷宮へ――」

「き、綺麗だっ! 聞いてた話と全然違う……魔王さん、美人」

「はぁ? え、いや、ちょっと、ぇぇぇ……」


 いきなり調子が狂ってしまった。

 しょうがないから、アサヤは普段は見せぬ真の姿を解放した。全身に鱗と甲殻が広がり、着ていたドレスが内側から引き裂かれる。白い肌も顕な、白銀に輝く龍人……背の翼と尾、そして頭の角も鋭く光る。

 だが、やはりこの勇者はなにかが違った。


「か、格好いい! 変身したっ!」

「……ええと、これから戦うのだけれど? ね、君……君は勇者じゃないのかなあ、少年」

「あ、うん。なんか、中学の入学式の帰りに、交通事故にあって、気付いたら」

「ええ、ええ、そうでしょう。そういうもんでしょう。召喚されちゃったのね。うーん……ちょっと困るな、こゆの」


 ムサシも笑いを噛み殺して背を向けていた。

 その痩せた肩がプルプルと震えている。

 だが、アサヤに魔王の務めを投げ出すつもりはなかった。


「ま、そろそろとは思ったのよね……最近の勇者、こっちが殺さないって知ってるから、気が抜けてるっていうか」

「あっ、ボクはそんな、戦いとかってのは……ただ、思ってたのと全然違って。魔王城は花に囲まれ凄く立派だし、魔王さんもとっても綺麗だし」


 極寒の大地だったこの魔王城も、今は穏やかな季節が巡ってゆく。

 あの日芽生えた花々は散ったが、その後にこのあたりは自然と草花に満ちていった。

 王国の人間たちが、化石燃料による内燃機関を大量に動かしているからだ。もうもうと煙突から出る黒い煙は、この地方にも空気を濁らせやってくる。

 アサヤが見守ってきた五十年で、人類は発達した。

 もう、本当に世界は人間たちのものになってしまったのだ。

 壊すも汚すも人間次第……アサヤたちは神話の彼方へと去るしかない。


「んー、まあいいわ。なんか、こっちのやる気まで削がれちゃったし」

「え、じゃあ」

「戦ってなんかいられないわ。ふう……でも、退屈からは解放されそうね。こっちにおいで、小さな勇者さん。少しお話をしましょ」


 その後、お茶を持ってきたユナリナルタルがパニクって大騒ぎになったりしたが、それはまた別のお話。

 そして、最後の魔王たる白闇姫の伝説は物語となって世界から遠ざかる。

 廃墟となった魔王城の地下で、恐るべき魔宮が見つかるまでの、ほんのひととき……人類も世界も、魔族や魔王の存在をこうして忘れてゆくのだった。

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人質の白闇姫 ながやん @nagamono

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