第5話「人質生活、再志願しました!」
その人物の登場を、誰も察知できなかった。
そして今も、肉眼による目視でしか知ることができない。
そして、脱いだマントをアサヤにかけて歩き出した。
「なるほど……石炭による蒸気機関だね。タービンを回して、動力と電力を発生させている訳か。で、あれが勇者、と。ふむ、昔からよく見るタイプのヒストリーだね」
「なんだあ? お前は。俺は
「ああ、やっぱり……戦闘民族、
周囲の王国兵は
ユナリナルタルの、あまりの頼りなさに驚かされる。
おおよそ、戦意ややる気というものが感じられない。そして、無防備にもドレスのような薄着でゆるゆると歩く。白い肌に白い髪で、そこだけ色を抜き取られたような影。
だが、ムサシは油断なく剣を構える。
その殺気を向けられて、ユナリナルタルはまた溜息を一つ。
「わかったわかった、相手をしよう。やれやれ、朝から騒々しくて嫌になる」
「――龍魔ノ王、その首……貰い受けるっ!」
「あと、そうそう。アサヤ、だったね。服を用意させたけど、さっきの
あくまで
彼女が肩越しに振り返った、その視線が少しだけ母親の優しさを帯びた。ような気がした瞬間、アサヤは悲鳴をあげる。
だが、それだけだった。
「
ムサシの声が初めて
逆に、致命傷の一撃に貫かれていても、ユナリナルタルは表情一つ変えない。
そして、
その彼女の声は、アサヤに初めて魔王の素顔を刻み込んだ。
「気は済んだかい? それでは僕ですら殺せない……
「こっ、この女……くっ、抜けぬなら、押し込むのみっ!」
「無駄だよ。僕はこう見えても、すこぶる機嫌が悪い。――死ね、死んで
ユナリナルタルのマントをずるずると引きずりながら、父親かと思われる女性の腕に飛びついた。その時にはもう、ユナリナルタルのほっそりとした手がムサシの首を掴んでいる。
大男を細腕一本で、かるがると
その腕に必死にぶらさがって、アサヤは叫んだ。
「いけません、ユナ様っ! パパ母様! 殺してはダメッ!」
「……お前もまた、そういうことを言う。ああ、でもそうだね……君はユウナの娘だものね」
「ママ
だが、言葉を発してからアサヤは気付いた。
木張りの甲板は今、おびただしい流血に濡れている。全て、ユナリナルタルの身体から流れ出たものだ。それは今も赤黒く広がり、人間だったら確実に即死レベルの量だった。
それでも、
ユナリナルタルは困ったような顔をして、船首の方へとムサシを放り投げた。
同時に、見えない手に引かれるように彼女から太刀が抜けて転がった。
「その顔で言われると、困るなあ……まあ、うん。面白い
「ユナ様っ!」
「こらこら、抱きつくんじゃない。血で汚れてしまうからね。まったく、母親と同じことを言う。命を奪わず勝つことは、殺して勝つことの何倍も難しいというのに」
ひょい、と両手でユナリナルタルがアサヤを抱き上げる。
その時にはもう、あの巨大な傷はあとかたもなく消えていた。
そして、ユナリナルタルは面倒くさそうに周囲を
よろりと立ち上がったムサシを最後に見据えて、彼女は言葉を選んだ。
「国へ帰れ。次また来るなら、その時は……どうしよう、困ったな。ああでも、そうか。殺さなきゃなにしてもいいってことかな? とりあえず、うん、僕ももう疲れた」
それだけ言うと、アサヤを抱えたままゆるゆるとユナリナルタルは歩き出す。トンと床を蹴って、高いマストの上へと立つや……そのまま見えない通路へ踏み出すように歩を進める。
ぎょっとした王国の兵士たちが、あっという間に頭上に去った。
だが、重力につかまり落ちる二人の、その落下速度が徐々にゆるくなってゆく。
アサヤには、煙を吹きながら逃げてゆく空中戦艦を見送る余裕すらあった。
「ユナ様、やはりお強いのですね! ママ母様の言ってた通りです!」
「そのユウナが言ってたよ。誰も殺さないと……まったく、なんて馬鹿なことを。しかも、親子揃って」
アサヤはようやく剣に灯る輝きを消して、再びその
パチン! と丸まって、形見の剣は普段の
確か、スタンモードというのがある
「ユナ様、その……ごめんなさい」
「ん、なんだい?」
「
「そうだねえ、幽閉された部屋を内側から壊してくれたしね」
「あ、あれは! そのぉ、お役に立ちたいと思って」
「いいよ、別に。君が無事でよかった。アサヤになにかあったら、あの世でユウナに顔向けできないからね。……僕は彼女と違って地獄行きだろうけど」
そう言って、ユナリナルタルは小さく微笑んだ。
その間も、彼女の魔力が浮遊の術式を
それを見下ろし、やれやれとユナリナルタルはげんなりした表情を見せる。
凍れる
「厄介だな……弓も投石器もあの高度には届かない」
「リーインたち竜騎士を配しては」
「彼女レベルの竜騎士は実は、僕のもとには20人くらいしかいないんだよ」
「確かに、四六時中交代で飛ぶ訳にもいかないですね。なら、魔法で!」
「……術者はもっと少ない。力ある者たちは皆、戦いで死んでしまったからね。ユウナとだけ戦ってる訳にもいかなかったから」
意外だった。
7人の魔王がそれぞれ
その最後の軍勢が、意外にも台所事情の厳しい状態らしい。
それほどまでに魔王たちは、この大陸の覇権を争って戦ったのだ。
と、思ったら、ちょっと事情が違うらしい。
「えっと、ユウナからは……母親からはもう聞いてるかい?」
「なにをです?」
「七魔公は皆が皆、敵同士。でも、ルールや取り決めはあってね。当時は、僕が王国担当だったんだ。その頃はユウナ
「ちょっと待ってください、ユナ様。ユナ様、お弱いのですか?」
「とってもね」
絶句である。
あのムサシは、間違いなく剛の者……比類なき強者だった。天下無双のサムライと言われても、全く疑う余地がなかっただろう。
そのムサシを、ユナリナルタルは一蹴した。
切らせて
アサヤが止めなければ多分、一人の勇者が異世界たるこの大陸で死んでいただろう。
それが弱い、最弱というのは恐ろしい話だった。
「僕が王国を抑えてる間に、他の六人は滅んだ。……みんな、そんなに悪い奴じゃなかったんだけどね。なんていうのかな、
そう言って笑うユナリナルタルの視線が、寂しそうに遠くを見詰める。
その横顔を間近に見上げて、アサヤは胸が締め付けられるような気持ちになった。だから、逆にぎゅーっと抱き着いて、ユナリナルタルの首に手を回す。
「っとっとっと、なんだい? ほら、もうすぐ地面だ。怖くはないだろう?」
「ユナ様っ! わたしがお側にいて差し上げますから!」
「な、なんだい、
そう、人質としてのアサヤは全く機能していなかった。
これが姉と慕った本物の王女様だったらと思うと、恐ろしくてたまらない。王女が人質だったら、あるいは攻め込まれなかったという考えも十分ありえた。
だが、ふわりと大地に戻って降ろされると、立ったアサヤはユナリナルタルを振り返る。
「わたしっ、王国には帰りません! もっと、人質させてください!」
「……うーん、困ったね。させるもなにも、向こうが人質として見てくれないんじゃ」
「なんでもします! お掃除でも、お洗濯でも! ですから、パパ母様っ!」
「あっ、それやめて、ほんと無理……そ、そのぉ……ゴメンよ、そう呼ばれるのは少し辛い」
「じゃあ、ユナ様! どうかわたしをお側に!」
困ったように腕組み首を傾げて、ブツブツとユナリナルタルは悩み出した。
その頃には、周囲に彼女の臣下たちも集まり始める。
怪我人も大勢出たようで、アサヤも周囲を見渡し背筋が強張った。
これが、戦争……そして今、魔王城は戦場になったのだ。
「ああ、いいところに来たね、リーイン。彼女を頼むよ。着替えとお風呂と、朝食だ」
それだけ言うと、他の魔族たちに囲まれながらユナリナルタルは行ってしまった。
そして、気付けば背後に竜騎士のダークエルフが立っている。
こうして、人質としての最初の朝が明けてゆく。灰色の雲が低く垂れ込める、まるでここは
それが自分のもう一人の母親なのだと思うと、アサヤはますます人質として
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