第5話「人質生活、再志願しました!」

 その人物の登場を、誰も察知できなかった。

 そして今も、肉眼による目視でしか知ることができない。

 龍魔ノ王モナーク・オブ・ドラゴンユナリナルタルには、覇気が全くなかった。激昂げきこうどころか、怒りもいきどおりも感じられない。そして彼女は、はあ、と大きな大きな溜息ためいきこぼす。

 そして、脱いだマントをアサヤにかけて歩き出した。


「なるほど……石炭による蒸気機関だね。タービンを回して、動力と電力を発生させている訳か。で、あれが勇者、と。ふむ、昔からよく見るタイプのヒストリーだね」

「なんだあ? お前は。俺は武蔵むさし宮本武蔵みやもとむさし! 次の相手はお前かっ!」

「ああ、やっぱり……戦闘民族、日ノ本ひのもとのサムライか。僕は魔王、ユナリナルタルだ。よろしくね」


 周囲の王国兵は勿論もちろん、アサヤもドぎもを抜かれた。

 ユナリナルタルの、あまりの頼りなさに驚かされる。

 おおよそ、戦意ややる気というものが感じられない。そして、無防備にもドレスのような薄着でゆるゆると歩く。白い肌に白い髪で、そこだけ色を抜き取られたような影。

 だが、ムサシは油断なく剣を構える。

 その殺気を向けられて、ユナリナルタルはまた溜息を一つ。


「わかったわかった、相手をしよう。やれやれ、朝から騒々しくて嫌になる」

「――龍魔ノ王、その首……貰い受けるっ!」

「あと、そうそう。アサヤ、だったね。服を用意させたけど、さっきの寝間着ネグリジェは? なに、脱いじゃったの? 駄目だよ、年頃の女の子がはしたない」


 あくまで呑気のんきに、ちょっとクドクドと説教を始めるユナリナルタル。

 彼女が肩越しに振り返った、その視線が少しだけ母親の優しさを帯びた。ような気がした瞬間、アサヤは悲鳴をあげる。

 縮地しゅくちの極みで間合いを殺して、密着の距離でムサシが二刀を突き出した。突如、ユナリナルタルの背を突き破って刃が生える。

 だが、それだけだった。


った! ……はず、だが? むっ、剣が……抜けんっ!」


 ムサシの声が初めて逼迫ひっぱくに強張った。

 逆に、致命傷の一撃に貫かれていても、ユナリナルタルは表情一つ変えない。

 そして、億劫おっくうそうにムサシに向き直る。

 その彼女の声は、アサヤに初めて魔王の素顔を刻み込んだ。


「気は済んだかい? それでは僕ですら殺せない……七魔公セブンス最弱の末席、この僕でもね」

「こっ、この女……くっ、抜けぬなら、押し込むのみっ!」

「無駄だよ。僕はこう見えても、すこぶる機嫌が悪い。――死ね、死んでびよ」


 咄嗟とっさにアサヤは駆け出した。

 ユナリナルタルのマントをずるずると引きずりながら、父親かと思われる女性の腕に飛びついた。その時にはもう、ユナリナルタルのほっそりとした手がムサシの首を掴んでいる。

 大男を細腕一本で、かるがるとくびつるるす魔王。

 その腕に必死にぶらさがって、アサヤは叫んだ。


「いけません、ユナ様っ! パパ母様! 殺してはダメッ!」

「……お前もまた、そういうことを言う。ああ、でもそうだね……君はユウナの娘だものね」

「ママ母様かあさまは関係ありませんっ! 戦争を終らせるには、まず流血を止めるんですっ!」


 だが、言葉を発してからアサヤは気付いた。

 木張りの甲板は今、おびただしい流血に濡れている。全て、ユナリナルタルの身体から流れ出たものだ。それは今も赤黒く広がり、人間だったら確実に即死レベルの量だった。

 それでも、哀願あいがんするようにアサヤはもう一人の母親を見上げる。

 ユナリナルタルは困ったような顔をして、船首の方へとムサシを放り投げた。

 同時に、見えない手に引かれるように彼女から太刀が抜けて転がった。


「その顔で言われると、困るなあ……まあ、うん。面白い余興よきょうだったぞ、人間。帰ってよし。ほら、さっさと行きなさいよ、しっし」

「ユナ様っ!」

「こらこら、抱きつくんじゃない。血で汚れてしまうからね。まったく、母親と同じことを言う。命を奪わず勝つことは、殺して勝つことの何倍も難しいというのに」


 ひょい、と両手でユナリナルタルがアサヤを抱き上げる。

 その時にはもう、あの巨大な傷はあとかたもなく消えていた。華奢きゃしゃな長身を引き裂こうと穿うがたれた刺し傷は乾きつつある血の跡を残すばかりである。

 そして、ユナリナルタルは面倒くさそうに周囲をすがめる。

 よろりと立ち上がったムサシを最後に見据えて、彼女は言葉を選んだ。


「国へ帰れ。次また来るなら、その時は……どうしよう、困ったな。ああでも、そうか。殺さなきゃなにしてもいいってことかな? とりあえず、うん、僕ももう疲れた」


 それだけ言うと、アサヤを抱えたままゆるゆるとユナリナルタルは歩き出す。トンと床を蹴って、高いマストの上へと立つや……そのまま見えない通路へ踏み出すように歩を進める。

 ぎょっとした王国の兵士たちが、あっという間に頭上に去った。

 だが、重力につかまり落ちる二人の、その落下速度が徐々にゆるくなってゆく。

 アサヤには、煙を吹きながら逃げてゆく空中戦艦を見送る余裕すらあった。


「ユナ様、やはりお強いのですね! ママ母様の言ってた通りです!」

「そのユウナが言ってたよ。誰も殺さないと……まったく、なんて馬鹿なことを。しかも、親子揃って」


 アサヤはようやく剣に灯る輝きを消して、再びそのつかを手首に当てる。

 パチン! と丸まって、形見の剣は普段の腕輪R-INGへと戻った。

 確か、スタンモードというのがあるはずだ。粒子の出力を調整して、切った相手を電撃で一時的に麻痺させる使い方である。なるほど、母は恐らくその機能を駆使して殺さずの戦いを生き抜いたのだろう。


「ユナ様、その……ごめんなさい」

「ん、なんだい?」

人質ひとじちが差し出がましいことを。それに、危うく殺されるところでした」

「そうだねえ、幽閉された部屋を内側から壊してくれたしね」

「あ、あれは! そのぉ、お役に立ちたいと思って」

「いいよ、別に。君が無事でよかった。アサヤになにかあったら、あの世でユウナに顔向けできないからね。……僕は彼女と違って地獄行きだろうけど」


 そう言って、ユナリナルタルは小さく微笑んだ。

 その間も、彼女の魔力が浮遊の術式を励起れいきさせ、完全にコントロールされた速度で二人は降りてゆく。上空から見る魔王城は、あちこちで火災が発生して黒煙に包まれていた。

 それを見下ろし、やれやれとユナリナルタルはげんなりした表情を見せる。

 凍れる美貌びぼうも台無しの、実になさけなく弱気な顔だった。


「厄介だな……弓も投石器もあの高度には届かない」

「リーインたち竜騎士を配しては」

「彼女レベルの竜騎士は実は、僕のもとには20人くらいしかいないんだよ」

「確かに、四六時中交代で飛ぶ訳にもいかないですね。なら、魔法で!」

「……術者はもっと少ない。力ある者たちは皆、戦いで死んでしまったからね。ユウナとだけ戦ってる訳にもいかなかったから」


 意外だった。

 7人の魔王がそれぞれべる、7つの闇の軍団。

 その最後の軍勢が、意外にも台所事情の厳しい状態らしい。

 それほどまでに魔王たちは、この大陸の覇権を争って戦ったのだ。

 と、思ったら、ちょっと事情が違うらしい。


「えっと、ユウナからは……母親からはもう聞いてるかい?」

「なにをです?」

「七魔公は皆が皆、敵同士。でも、ルールや取り決めはあってね。当時は、僕が王国担当だったんだ。その頃はユウナ他数名ほかすうめいしか勇者もいなかったし、最弱の僕でも王国程度なら」

「ちょっと待ってください、ユナ様。ユナ様、お弱いのですか?」

「とってもね」


 絶句である。

 あのムサシは、間違いなく剛の者……比類なき強者だった。天下無双のサムライと言われても、全く疑う余地がなかっただろう。

 そのムサシを、ユナリナルタルは一蹴した。

 切らせてなお、後の先すら取らずに圧勝したのである。

 アサヤが止めなければ多分、一人の勇者が異世界たるこの大陸で死んでいただろう。

 それが弱い、最弱というのは恐ろしい話だった。


「僕が王国を抑えてる間に、他の六人は滅んだ。……みんな、そんなに悪い奴じゃなかったんだけどね。なんていうのかな、戦争狂ウォーモンガー? 戦うことが大好きだったんだよねえ」


 そう言って笑うユナリナルタルの視線が、寂しそうに遠くを見詰める。

 その横顔を間近に見上げて、アサヤは胸が締め付けられるような気持ちになった。だから、逆にぎゅーっと抱き着いて、ユナリナルタルの首に手を回す。


「っとっとっと、なんだい? ほら、もうすぐ地面だ。怖くはないだろう?」

「ユナ様っ! わたしがお側にいて差し上げますから!」

「な、なんだい、やぶからぼうに。とりあえず、人質作戦は完全に失敗だったね。やれやれ、思いついた時は名案だと思ったのに」


 そう、人質としてのアサヤは全く機能していなかった。

 これが姉と慕った本物の王女様だったらと思うと、恐ろしくてたまらない。王女が人質だったら、あるいは攻め込まれなかったという考えも十分ありえた。

 だが、ふわりと大地に戻って降ろされると、立ったアサヤはユナリナルタルを振り返る。


「わたしっ、王国には帰りません! もっと、人質させてください!」

「……うーん、困ったね。させるもなにも、向こうが人質として見てくれないんじゃ」

「なんでもします! お掃除でも、お洗濯でも! ですから、パパ母様っ!」

「あっ、それやめて、ほんと無理……そ、そのぉ……ゴメンよ、そう呼ばれるのは少し辛い」

「じゃあ、ユナ様! どうかわたしをお側に!」


 困ったように腕組み首を傾げて、ブツブツとユナリナルタルは悩み出した。

 その頃には、周囲に彼女の臣下たちも集まり始める。

 怪我人も大勢出たようで、アサヤも周囲を見渡し背筋が強張った。

 これが、戦争……そして今、魔王城は戦場になったのだ。


「ああ、いいところに来たね、リーイン。彼女を頼むよ。着替えとお風呂と、朝食だ」


 それだけ言うと、他の魔族たちに囲まれながらユナリナルタルは行ってしまった。

 そして、気付けば背後に竜騎士のダークエルフが立っている。

 こうして、人質としての最初の朝が明けてゆく。灰色の雲が低く垂れ込める、まるでここは常冬とこふゆの宮殿だ。そして、そのあるじはまるで雪のように白くて、どこかはかなく弱々しい。

 それが自分のもう一人の母親なのだと思うと、アサヤはますます人質としてはげみたいと思うのだった。

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