第6話「人質生活、再開しました!」

 魔王城の大浴場は、広かった。

 何より、身分を問わず女は女同士、男は男同士で入るというのがアサヤには衝撃的だった。あと、真夜中は混浴の時間帯もあるらしい。

 そんなこんなで、朝からこざっぱりした人質様ひとじちさまはというと――


「なんだかいい匂いがします! リーイン、あれは」

「ちょうど、朝食を配ってるとこですね。行きましょうか」


 すっかりお目付け役かんしやくらしくなってしまったリーインを連れて、アサヤは魔王城の大広間を突っ切る。

 王国の宮殿では、限られた身分の人間しか入れない場所だ。

 近衛このえの騎士たちが目を光らせ、荘厳で緊張感に帯びた空気に満ちている。

 だが、この場所には雑多な匂いが混じり合う中にざわめきがあった。


「おーい、俺のパン! パンだよ、パン! もっとデカく切ってくれよ」

怪我人けがにんにも運ぶから、こっちを先にしてくれ」

「酒は……へへ、やっぱ駄目? こう、内側から傷を消毒したいと思って、へへへへ!」


 あらゆる魔物で広場はごった返していた。

 怪我人たちは奥へと運び込まれ、手当を受けている。

 兵士たちが外でまだ作業しているからか、民間人、特に女性や子供が多かった。

 リーインに案内され、アサヤも列に並ぶ。

 食料を仕切っているのは、大釜おおがま煮立にだたせている蛇人族ナーガの女性だった。


「おや、見ない顔だね。ああ、例の人質の」

「アサヤ・ミギリと申します。美味おいしそうなスープ……一杯くださいな」

「あいよ! ミギリ……ミギリ。どっかで聞いた家名だねえ。まあ、いいさね! 熱いから気をつけておあがり」


 蛇人族と言うのは下半身が蛇だが、尾の先では包丁を握ってパンを切り分けてくれた。それを手にしてリーインを待ち、二人で落ち着ける場所を探す。

 すると、これまた人間の王国では見られない景色が目に飛び込んできた。

 それでアサヤは、リーインが止めるのも聞かずに走り出す。


「ユナ様っ、わたしも御一緒してよろしいですかっ? ……って、あらら。ちょ、ちょっと、そういう雰囲気では、ない感じです?」


 床に広げた敷物しきものこそ豪奢ごうしゃなものだったが、地べたに座って魔王が食事をしていた。城の住人たちと輪になって、上座かみざらしき場所にいるものの円は上も下もない。

 白妙しろたえの美しき魔王の視線を、他の幹部魔族たちの眼差まなざしが追う。

 アサヤを見詰める、カエルの顔、トカゲの顔、獅子ししの顔、やまくじらの顔。

 どうやら、重要な話をしながら食事を取っていたようである。

 しかし、なにやら巻物を読みつつ茶をすすっていた魔王が顔を上げた。


「ああ、君か。どれ、将軍。そこを少し開けてあげてくれる? リーインも一緒に座るといいよ」


 虎男ウェアタイガーと思しき屈強な男が、そっと横にずれてくれた。ちょっと輪が広がって、各々少しずつスペースを切り詰める。結果、アサヤとリーインは丁度魔王の向かいに座ることができた。

 周囲を見渡すと、文官っぽい魔族もいれば、これぞ武人という傷顔スカーフェイスの魔族もいる。

 だが、食べているものは皆が皆同じ、アサヤたちと同じスープとパンだ。


「みんな、同じ食事を……不思議。でも、なんだかとってもいい感じ!」

「フォッフォッフォ、人間のお城は違うのかね? お嬢ちゃん」


 隣を見上げると、身なりの良い巨漢が腹を揺すって笑った。立派な牙が生えた猪の顔だが、細められた目には不思議とにこやかな気品と風格が宿っている。


「それに、同じじゃないんだよお? ほら、これを少し入れなさい」

「この、赤い粉は?」

「凄く、からい。ささ、入れ過ぎてはいけないよ?」

「い、いただきますっ!」


 小さな皮袋から、サラサラと赤い粉をスープに入れる。その上で、アサヤは朱に染まったスープを一口めた。


「辛ッ! チョイ辛です! でも、ビリビリするけど美味しいですねっ!」

「人間のキモいぶってせんじた粉だよ。美味しいだろう?」

「げっ、そんな」

「フォッフォッフォ、冗談じゃよ、冗談。魔王軍ジョークじゃよ」


 難しい顔をしていた一同が、笑った。

 静かに「こら、書記官殿?」とたしなめるユナリナルタルも微笑びしょうを浮かべている。

 どうやらこの朝食の場は、アサヤたちを歓迎してくれているようだ。

 ならば邪魔にならぬようにと、食事を取りつつ静かに耳を傾ける。


陛下へいか、まずは今朝の損害ですが……思ったより手酷てひどくやられましたな」

左様さよう、空から一方的な攻撃でして。最近、人間が使う火薬とかいうものです」

「城の復旧には欠け月の4と1いっかげつといっしゅうかん、遅くても4と2の日までには」

「しかし、また襲われてはかなわん。これ、リーイン。空の騎士になにか妙案はないか」


 皆がアサヤの隣に視線を集中させた。

 リーインは丁度、スープにじゃぶじゃぶとパンをひたしていたところだった。端正な表情をさらに引き締め、彼女は食事を中断する。


「私たち竜騎士りゅうきしで迎撃するとして、攻撃が始まる15分前には飛び立ちたいですね。あの高度では、飛竜ワイバーンでも15分はかかります」

「ふむ。では、陛下」

「そうだね、見張りのやぐらを増やそう。城を中心に、東西南北とその間、計8ヶ所。15分前……今日見た感じ、あの空飛ぶ船は大きいが遅い。2kmキメル感覚でいいかな」


 1kmは1,000mメルだ。

 ユナリナルタルの隣で、とても小柄なカエル顔の魔物がメモを取っている。

 そして、議題は次々と噴出した。


「大陸各地からの避難民は、順調に収容しつつあります。ただ」

「ええ、ただ……食料と医薬品が足りないのです。いかがいたしましょう、陛下」

「武器庫も底が見えてき申した。特に足りないのが弓の矢でして」

「魔王軍の損耗は現時点で、三割を超えております。このままでは」


 難題山積なんだいさんせきである。

 差し出がましいことを言ってはと、アサヤは静かに議論を見守った。

 ユナリナルタルは真摯しんしうなずき、部下の言葉一つ一つを己に刻むように聞き入ってる。……のだが、さっきからその合間にちょこちょことパンを千切ちぎっていた。小さくむしってはスープに入れて、時折グリグリとかき混ぜている。

 アサヤにとっては父なる母だが、ちょっとお行儀が悪かった。

 だが、ユナリナルタルは一通り話を聞くと、ボソボソと喋り出した。


「避難を希望する者は、種族や氏族を問わず迎え入れる。この方針は変えない」

「しかし、陛下」

「先日、死霊しりょうたちの力を借りて人質の誘拐に成功した。距離の離れた王国の拠点からも、同じ要領で物資を盗み出すことができないかな。ただ、此方側こちらがわの損害も気にはなるけど」

「すぐに検討に取り掛かりましょう」

「矢の不足に関しては、僕も危惧きぐしてた。ちょっと考えがあるから、任せてもらっていいよ。あとは、そうだね……」


 小さな声音は自信なさげだが、良く通る。

 ユナリナルタルは思考を挟みながら、丁寧ていねいに全ての案件に答えを出した。

 その間もやっぱり、パン屑入りのスープをかき混ぜている。

 しかし、ふと彼女はその手を止めた。


「ああ、そうだ……先日の件、被害を報告してくれるかい? ……何人、戻ってこれたかな」

死霊レイス幽鬼ファントム、その他多くの霊魂をつかわしましたが。残念ながら、20人中4人しか」

「あとは皆、王国の人間にやられたか。王宮の守りは硬いね、地形的にも祝福が強いし」

「高レベルの司祭や聖騎士たちによって、解術ディスペルされたのでしょう」

「……あとで霊廟れいびょうを建ててまつろう。今後は仲間を死地へ追いやるような作戦はいけないね。うーん、完全に僕の失策だ。うん、反省。で……他にはなにかないかな」


 他にも細々とした話題があがった。

 その全てにユナリナルタルは建設的な意見を出したし、家臣同士の議論も尊重した。

 正直、アサヤは驚いてしまった。

 王宮ではいつも、玉座の間にはピリピリした空気が満ちていた。王は寛大かんだいな人でアサヤのことも実の娘のようにかわいがってくれたが、こと内政に関しては厳しかった。

 怒号が飛び交い、大臣同士が取っ組み合いになりそうな時もあった。

 そして今は恐らく……そうした政治の領域にも勇者の影響が侵食している。

 それに比べれば、魔王城の気風きふうはなんとさわやかで穏やかだろう。


「あとはそうだね……最後に、アサヤ。君はなにか、言いたいことがあるかい?」

「えっ? ユナ様、っていうか、陛下。わたしは、その、別に」

「せっかく同じ輪になって円を囲んだんだ。えんえんだよ、魔族たちの間ではね」

「そういう、ものですか? 無礼では」

で、上も下もない。なにかあったら遠慮なく言って御覧ごらん? まあ、僕もなんでも全ての意見をいれることはできないけども」


 うんうんと周囲の魔族たちも頷く。

 鷲掴わしづかみにしたさじでガツガツとスープをかっこむ狼男ウェアウルフも、細かく刻んだ具材の中から赤い野菜だけを隣のうつわによせる鳥乙女ハーピィも、みんなおおらかな目でアサヤを見ていた。


「えっと、じゃあ……人質の身ではありますが、なにか手伝わせてください。でも、周囲へのしめしも有るので、えっと。あ! そうです! 手枷てかせ足枷あしかせでも頂ければ!」

「はい却下。じゃ、そろそろいいかな? 朝の軍議は一応解散ってことで」

「ユナ様っ、わたしにもなにか手伝わせてください。わたしは王国に対しての人質、いわゆる抑止力にはならなかったみたいですし」

「子供の仕事はお勉強、あとは食べて寝て遊ぶ。戦時下でもね、僕としてはそういうのがいいなと思う。手枷足枷は論外ね。いじょ」


 それだけ言うと、パン雑炊ぞうすいみたいになってしまったスープをズズズとユナリナルタルは飲んだ。そして、美味いと言わんばかりに表情を緩めてニヤニヤしている。

 それは、玲瓏れいろうにして流麗極りゅうれいきわまる美貌の最も残念過ぎる姿だった。

 だが、アサヤはますます父なる母に興味を持ってしまった。

 母なる母、ママ母様かあさまことユウナが言ってた通りの人物だからだ。


「ところで、みんな。えっと……隠し迷宮エクスダンジョン担当の子、いないけど……彼女、どしたの?」

「ハッ! 陛下! それが、ここ数日は姿を見ませんで」

「地下にこもって工事の陣頭指揮をってるのかと。あとで使いを出しましょう」


 ふと、耳慣れぬ単語がアサヤの脳に突き立った。

 しかし、それは次の大声でかき消されてしまう。

 ざわざわと騒がしい大広間の向こうから、兵士と思しき鎧姿の豚鬼オークが二人歩いてきた。中肉中背の男たちに挟まれて、見知った顔が歩いてくる。


「おら、キリキリ歩けぇ!」

「あ、陛下! 侵入者です! さっきの空飛ぶ軍艦が捨てた荷を回収してたら……突然、タルから人間の女が」


 そう、人間だ。

 アサヤは昨夜別れた教育係の女性に、意外な再会をすることになったのだった。

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