第5話 ♯

 火曜日。

 いつも通りにホームルームが始まる寸前に教室に入ると、クラスメートのざわつきが静かな気がした。正確に言えば騒ぎたいのを抑えてヒソヒソ話をしているような雰囲気だ。マスク姿で内緒話をするその姿は読唇術を防いでいるように見え、どこか卑猥なカンジがした。


 ガラガラと教室のドアが開く音がし、担任である光月先生が入って来た。

 欧米の女性ような深い彫と東洋人特有の切れ長の奥二重というオリエンタルな顔立ちに加え、パンツスーツに襟台の高いドゥエボットーニのワイシャツ姿という先生はいつもはパリッとした雰囲気を漂わせているのだが、今日は化粧っも無く、頭の高い位置で纏めている髪までもが乱れていた。その姿はマスクを着けている事も手伝ってか今流行りのコロナウィルスに感染したかのようだった。


「こんな時代だから既に知っているとは思いますが、昨日、皆さんのクラスメートである西野さんが亡くなりました。まだ、詳しい事は分かっていないので、皆さんは憶測とかでは語らないように」

 教室に入るなりの先生の第一声。

 アホみたいな挨拶である、起立・気をつけ・礼も無しで告げられたその言葉にクラスの女子の数人が泣き出した。もっとも顔の半分を覆っているマスクのせいで泣き顔の殆どは見えちゃいない。

 そんなどうでも良い事を考えてしまうのは、たぶん昨日西野さんが教えてくれたように僕が変人なのと、泣く彼女たちを見て、某独裁国家のトップが死んだ時にテレビで見た涙も流さず泣き叫ぶその国のおばちゃんたちの映像を思い出したからだろう。


 正面に顔を向けると光月先生は涙を堪えているのか、唇を噛み締めて窓の外を眺めるように視線を逃していた。


「お葬式とかに参列させては貰えませんか? 」

 少しの沈黙のあと、聞こえて来たクラス委員の朝比奈さんの言葉。

 死んだらまずはお葬式。話の流れ的には合理的で間違ってはいないとは思うけど、生理的な本能でそれを否定出来ない女性とは僕は仲良くはなれない気がした。


「ご家族のご意向で葬儀は親族のみで行うそうよ。学校側としも感染予防の観点から参加は認められないわ」

 少し突き放したような先生の言葉にクラスから『そんな』とか『酷い』とかの言葉が聞こえて来る。


 先生の言葉は続いた。


「これは決定事項です。それとあと二つあなたたちには守って貰いたい事があるの。それはSNSで西野さんの事を呟いたり、書き込んだりは決してしないで。そしてマスコミに何か尋ねられても黙秘を貫いて」

 前半の方は理解できるが、後半に触れた部分はまるで分からない。なぜマスコミが出てくるのか。


光月先生千夜子ちゃん、それ無理しょ」

「オレ達が呟かなくても、誰かがボヤッターで呟くし、ってか既に呟かれてるし」

「むしろ、バズるまである」

「学校の裏サイトもこのままだとパンクするな。って、西野の誕生日10月10日なのかよ!オレと同じじゃん」

 いつもクラスでイキがりがちの男子二人組のスマホを見ながらの声。マスク代わりなのか大昔の銀行強盗のように大きめの布で口元を隠すように覆っている。そんなヤツらが嘲笑混じりの笑みをその布の下で浮かべているのは直ぐに分かった。それでもバツの悪さは自覚しているのか、だらしがなく結んでいたネクタイを更に緩め気持ちを沈めようとしていた。


「外部の人の呟きなんて見なければ良いだけでしょ? 私はあなた達には品性の欠けた大人にはなって貰いたくないの」

 『見るな』と言われると見たくなる人間の本能で僕は今日初めてスマホのホームボタンを押しサファリを起動させた。そして自分の高校名の前にシャープを加え検索を掛ける。品性に欠けるのは生まれつきだから先生には諦めてもらうしかない。


 先生の言葉は続いていた。


「あなた達は今、自分たちが思っている以上に動揺しているわ。それは親しい人の死と言うものを目の当たりにして、心がそれをどう処理して良いか分からず混乱しているからなの。そう言う時だからこそ、今回の事件をネットで調べたり書き込んだりして自分や他人の興奮を煽らず、ただ静かに西野さんの冥福を祈って欲しいの。これは教師としてというより、ひとりの人間・光月千夜子こうづきちやことしてのお願いよ」

 綺麗さの凛々しさの両方を併せ持っている光月先生が嗚咽混じりにそう語ったせいか、クラスの女の子が数人、ハンカチを取り出す姿が目に入った。僕はその姿を横目に見ながらスマホの検索結果をボンヤリと見つめていた。


 パパ活や横浜の女子高生、そしてラブホテルや変死など、某匿名掲示版だったら祭りになるような文字が次々と押し寄せる中、ハッシュタグ付きの西野さんのフルネームは、頭のおかしい人形使いがあつかうマリオネットように激しく踊り続けていて、今にも壊されてしまいそうな気がした。



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