第23話 奥歯

 1階のロビーの奥にあるトイレの個室。

 そこで僕が開いた古びたメモはA4横で、芸能人御用達との見出しの下に、目がチカチカするほど、小さな文字でみっちりと情報が記載されていた。

 エクセルで作られたであろうその表の横軸には番号・イニシャル・年齢・容姿・在籍校・金額・可能プレイの文字。

 縦軸には10名程のイニシャルがランク付けされ並んでいた。

 在籍校の欄には誰でも名前を知っている国大や横浜・川崎そして東京の高校が名前を連ねていた。驚いたのは平然と中学校の名前が混じっていたのと、泉岳寺女学院や山百合女子などのお嬢様学校の表記。ランキングの上位はその子たちだった。

 そしてリストで庚台高校の名前は一箇所だけ。イニシャルはN.T. おそらく、このランキング9位に記されているのが西野さんなのだろう。

 容姿の欄には159・47(82c・61・87)赤茶ロングとの記載。体重やスリーサイズは分からないが身長と髪の色は西野さんの外見と一致しているように思える。

 プレイ内容は制服可やらS着など高校の名前と並列して記載しているとは思えないものから、PANやPolyなどの暗号のようなアルファベッドまでもがあった。金額の欄には40k/h文字。


 売春に使われているリストには、ほぼ間違い無いのは確信できた。これをどう活用しているかまでは分からないが、コレを辿っていけば窓口になっているヤツはもちろん、裏で牛耳っている黒幕、そしてコレを利用し西野さんを殺した人間を突き止めるのは可能だろう。


 そしてリストの枠外。用紙の下の方にはひと目で捨てアドと分かるメールアドレス。更には空メールを送付すれば届くであろうメールからログインするに必要なパスワード「CCW Heist 250」。

 バイク好きであれば直ぐに分かるそのパスワードはアメリカのバイクメーカーの略語とそのメーカーの看板となっている名バイク『クリーブランド ヘイスト250』を文字列化したもの。そのバイクは南井の愛車でもある。


「パスワードが短絡的過ぎて笑えねぇんだよ」

 西野さんの事件に南井が絡んでいる事を確信した僕は自分の奥歯が頭の奥で大きく音を立てるのを生まれて初めて聞いた。


 ⇒⇒⇒


 表面上の気持ちを落ち着け、エレベーターでレストランのある階にまで戻ると、奥からピアノの音色が聞こえてきた。音の鮮明さ、優しさからそれが生演奏である事を理解した僕はゆっくりとドアを開け、個室の中へと入って行く。


 ピアノを弾く星野さんの姿。

 曲はもう終盤なのか静かなメロディーラインが続いていた。


「食事をご馳走になったお礼だそうだ」

 星野さんに視線を向けたままの父さんの言葉。テーブルを見る限り食事は粗方終えているようだ。


「菜々海には逢えたか? 」

「うん」

 どこか冬の夜空を連想させる旋律が続く中、父さんはそれ以上は何も聞いて来なかったし、僕も何かを尋ねようとは思わなかった。

 緩やかなメロディが空気に吸い込まれるように消えると、ピアノを演奏していた星野さんが頭を上に向け、大きく息をつく。拍手をする父さんに習い、僕も手を軽く叩く。


「素晴らしい演奏だったよ。由依さん」

「いえいえ、私なんてまだまだです」

「ヘイノ・カスキの海の浜辺だね」

「お父さん、カスキを知っているんですか? すごい! 結構マイナーなのに」

 正直、僕も驚いた。父さんが今の曲を知っていた事も。そして星野さんのピアノの演奏がとても上手だったのも。 


「ラジオの仕事でヘイノ・カスキの紹介をした事があるからね」

 父さんが照れ臭さそうに笑い、星野さんが座りやすいよう椅子を引きエスコートをしている時、スマホのバイブが震える音がした。


「すいません。スマホ電源切ります」

「そんなの気にしなくても良いよ」

「いえ、失礼ですし・・・・・ 」

 慌ててポケットからスマホを取り出し、画面に触れようとした星野さんの動きが止まった。そして表情が無くなる。


「・・・・・ 嘘でしょ⁉︎ 」

 青ざめさせて震える星野さんの様子は只事ではなかった。どうやらスマホ画面のポップ表示に驚いているらしい。


「星野さん、どうしたの? 」

「南井君が・・・・・ 死んだって・・・・・ クラスの子からsignが届いた」


 ⇒⇒⇒


「待ってろ」

 状況を察した父さんはそう告げると、スマホでどこかに連絡を入れはじめた。


「・・・・・ 事故みたい」

「うん」

 俯きながらスマホを見つめる星野さんのポツリとした言葉。それが南井の身に何が起きた事を指しているのは僕にも理解出来た。


 南井は今日の18時半頃、羽衣町の交差点でバイクで事故に遭い亡くなってしまった。信号が赤に変わった直後、それを無視して猛スピードで交差点を右折しようとした南井のバイクはバランスを崩し、歩道を守るように立っている街路樹と衝突した。

 僕がネットで拾い上げたニュースにはそう書かれていた。


「DQNバイクが信号無視」

「ノーブレーキで突っ込んで死ぬとか、まじ草生える」

「バイクは原型無しのスクラップで屑鉄屋行き、なお本人もスクラップで愛車より一足先にあの世に逝った模様w」

「ゴーストスカルヘルメット被ったまま、逝ってしまうなんて、まじウケる」

 人通りの多い場所と言う事もあってか、目撃者も多いようで、様々なSNSでその事故の様子が語られており、大破したバイクやヘルメット姿のままピクリとも動かない南井の姿までもが晒されていた。

 僕は南井の後ろを走っていたと思われる人が投稿したドライブレコーダーの動画を再生し始めていた。


「酷いよ。人が死んでいるのに、何でこんな事、書けるの・・・・・ 私も妙子の事で南井君の事、怪しんだりしたけど、でも、でも、あんまりだよ」

「うん」

 星野さんの声は震えていた。誰の不幸に対しても痛みを感じられるそんな彼女の前でドライブレコーダーの動画を見続けていた僕の声は自分でも怖くなるくらい乾いていた。


「赤信号に変わった間際に猛スピードで交差点を右折しようとして、キャッツアイに弾かれてバランスを崩し、そのままのスピードでバイクごと街路樹につっこんだらしい」

「キャッツアイって? 」

 ネットで拾い上げた情報を淡々と話す僕に驚いたように顔をあげて質問してきた星野さんの目は涙で濡れていた。


「道路鋲。よく道路にあるオレンジ色した出っ張りみたいなヤツ。夜とか光って車線を知らせてくれる道路設備のひとつだよ」

「・・・・・ あんなの道路になきゃ良かったのに」

「アレで助かっている人もいると思う」

 キャッツアイがバイク事故の遠因になったとの話は聞かない訳ではない。

 バイクに乗る人間なら分かる事だがある程度のスピードを出していると、小石一つで出来る段差でも踏んでしまえばバイクは滑ってしまったり、跳ね飛んでしまったりしてしまう。


「スピードも相当出てたみたいだし、急いでいたんじゃないかな? 」

「何に? 」

 ポツリとも適当とも思える僕の感想に返して来た星野さんの言葉。僕は我に帰る。

 信号が赤に変わった間際、交差点、スピード違反、キャッツアイを踏む。確かに今回の事故はどれもシュチュエーションとしはありがちなのかも知れない。だが、急いでいたのか、慌てていたのかは分からないが、どちらにしても理由は存在するはず。

 

 僕は改めてSNSに上げられいる南井の事故の動画をタップする。

 再生が始まった動画には猛スピードでカーブに差し掛かる寸前の南井の後姿。見つめたのはその右手と右足。

 僕の背中にチリチリとした何かが走る。


「私、正直、南井君の事、あまり好きじゃなかったし、今でも怪しいと思っているけれど、でも、反論も弁明もできない人をこれだけ叩くのは間違ってると思う」

 立て続けに起きた友人と知人の突然の死。そしてそれらを笑うかのようなネットへの書き込み。感受性が強く、優しい星野さんはそれに疲れたのかもしれない。


「冷静にならなくていいし、感情や思いもぐちゃぐちゃのままでいい。多分、僕らが出来る事なんて、そうやって取り乱すくらいだ」

 震える星野さんにそう返しながらも僕は引き続き何度も南井が事故に会う3秒たらずの瞬間の再生と停止を繰り返していた。そして、20回程それを繰り返し辿りついた望む瞬間の停止画面。僕は取り乱しそうになる自分を抑えることに必死だった。

 そこに映るヤツの右手はブレーキを握りしめており、右足も確実にブレーキペダルを踏んでいた。

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