第22話 父親似
小栗壮一。
そう名乗った女性の長めの黒髪にはレイヤーが施してあるのか、髪の中央は顎の下で一旦窄むような弧を描いており、毛先は鎖骨の下あたりで柔らかく外へ逃がしてあった。カットしたてである事は髪の色艶で直ぐ分かった。
その髪を気怠るげに
「で、確かお父さんの話だと、私の弟クンが探偵ゴッコをしているから、見込みがあれば力になれば良いんだったかしら」
距離感を掴むためだろう、僕の腹違いの兄、いや、姉になる人は前を見つめたまま、ひとりごとのようにそう呟いた。探偵ゴッコとは星野さんや僕が西野さんが殺された事を調べているのを指しているのだろう。
「何かご存知なんですか? 」
「ご存知って、ホント、お父さんは何も話していないのね」
小栗さんは細長いグラスに入ったスパークリングワインらしきものを口にし、小さくため息をついていた。
「繰り返しになりますが、僕は父さんから、このお店に行けば分かるとだけ聞いてはいます」
「ホントにそれだけなのね」
「はい。まさか、このお店に子供の頃、噂程度に聞かされた小栗さんがいらっしゃるとは思いませんでした」
気持ちを落ち着けろと言う意味なのだろう。バーのママさんがカウンター越しにアイスコーヒーを黙って出してくれた。
僕は軽くお辞儀をしてアイスコーヒーで口の中を濡らしたが、テンパり気味な頭や乾いた口の中は落ち着きそうにもなかった。
「私のお店、歌舞伎町と埼玉の蕨、それと横浜の黄金町にあるのよね」
「はい」
どこも有名な大人の歓楽街である事は僕もネットで知っていた。頷きつつ再びコーヒーを啜ったのは渇きを潤すと言うよりは、街の名前を聞いただけで、少し顔が熱くなった自分の青さを隠すためだ。
「そんな街でオカマバーなんてやってると色んな客が来て、色んな情報を落としてゆくのよ。芸能人の誰が今度捕まるとか、政治家のどいつには実は女装癖があるとかって言った具合にね。まぁ、その殆どがかなり盛られた情報だけどね」
お酒も入れば口は軽く、気は大きくなるのは母さんや姉さんを見ていて想像がつく。
店内はコロナウィルス流行中にも関わらず、結構混み始めて来ており、時間が深夜に掛かり始めた事を教えてくれていた。さっきまで僕らのそばに居たママさんは忙しそうに動き回っている。
「そんなお客さんが落としていった情報の中に今回の事件のモノがあったんですか? 」
「落としていったのモノは情報と言うより、アテンダーが仲介している女の子のリストそのものよ」
そう呟き赤いバックから小栗さんが右手の人差し指と中指で挟むように取り出したのは折り畳まれた一枚の紙。
「警察に渡す事も考えたんだけど、風俗街なんかでお店やってる以上、この手の厄介事に首を突っ込むのは御法度なのよね。下手を打てばコロナウィルスなんかより強烈なダメージを受けてお店を畳む事になるわ」
「小栗さんからリストを貰った事は誰にも言いません」
「察しは良いみたいね。でもこのリスト、アンタが考えているより遥かに危ないモノよ」
まだリストは渡せない。紙を挟んだまま揺れている小栗さんの指先はそう語っていた。たぶん、僕が遊び半分で今回の事件を調べているのなら渡せないと言いたいのだろう。
「驚いた? 腹違いの兄弟がこんな意地悪なオカマだったなんて」
「いえ、それほど驚いてはいません」
「嘘をつく時、目線が少し上るところ、お父さんそっくりね」
その言葉以降、小栗さんは沈黙を選び、ニューオリンズのジャズが静かに流れる店内で僕の返答を待っていた。
「・・・・・ 小栗さん、僕は父さんに似ているんです」
「そんなの顔見れば分かるわよ。アンタ、若い頃のお父さんにソックリじゃない」
「顔や背格好だけじゃないんです。楽観的なものの考え方とか、割とテンパりやすいところとか、人をガン見してしまうところとか」
「お父さんの悪いところばっり受け継いじゃったのね」
今までの流れから想像するに、父さんと小栗さんは定期的に会っていたはず。更には言えば、小栗さんは僕や姉さんの事もある程度は気に掛けてくれていたのも間違いないだろう。そうでなければ、僕の通っている高校の風紀が荒れていると父さんに警告する事など出来ないはず。それは同時に父さんの事をそれなりに信頼し認めている証拠でもある。
「そして一番似ている所は女の人の好みと言うのか、女の人を好きになるキッカケです」
「・・・・・ なるほどね。つまり、アンタはお父さんとウチのお母さんが離婚した理由も私のように理解出来ちゃってるわけだ」
「はい」
母さんや姉さんは理解していない。いや、理解なんてしちゃいけない。
「女に『愛してる』って告白される
「その通りだと思います」
父さんは世間一般では女好きのプレイボーイで通っているが、実は相当なシャイで自分から相手の身の上話ひとつ尋ねる事が出来ない。現に少し前まで星野さんと話していた時も仕事の話ばかりだった。だから当然、女の人を口説くなんてできないし、逆に告白されてしまうとどうして良いか分からないどころか、何故かその女の人のことを好きになってしまい『結婚しよう』と口にしてしまう。巻き込まれる家族としてはたまったものではないが、そこに本人の悪意といったものは全く存在しない。これは良いとか悪いとかではなく、多分、結婚と言う形で相手の気持ちに答える事が父さんなりの自分を好きになってくれた人に対する礼儀なのだ。このぶっ飛んだ感性を僕や小栗さんが理解できるのは、2人が父さんの血を受け継いでいる生物学上の男性だからだと思う。
「僕も今まで告白してくれた子の事をみんなその場で好きになりました。でも、父さんと同じようにどうして良いかわからず、全員に取り敢えず『ごめん』とだけ伝えて来ました。それが、自分にできる精一杯だったので」
そう、今まで僕が好きになったのは全て告白してくれた子たちだ。ただひとりを除いて。
「その『ごめん』って付き合えないって意味じゃなく、上手く返答出来ない事への『ごめん』なんでしょ? 」
「はい」
「18年間、モテる男をやってきた部分の私としては『分かるぜ』。でも、その後14年間、モテない女をやってきた私としては『最低』と答えさせてもらうわ」
多分、僕のして来た事はどう言い繕おうと父さん同様最低だ。それは分かっている。
店内に流れていた音楽がニューオリンズジャズからカントリーミュージックであるナッシュビルサウンドへと変わった。
「・・・・・ つまり、あんたは殺されちゃった女の子を好きになっちゃったって事ね」
腹違いとは言え、兄弟だからだろう、小栗さんは、僕が次に言おうとしていた言葉を見抜いていた。
「西野さんからは告白を受けたわけじゃないんです。でも、それに近い事をしてくれたんです。きっと僕にとっては一生忘れられない子です。そしてタイミングが悪く、さっき言った『最低』の回答すら果たしていない。だから、それを果たすため僕は今回の犯人を自分の手で見つけたいんです」
父さんはおろか、星野さんにすら話していない僕が今回の事件にこだわる理由。それを話せたのはもちろん今も指に挟まれたままのメモが欲しかったのもあるが、それ以上に目の前にいる歳の離れた兄と姉の両面を持つ親族に妙な頼りがいと親近感を覚えたからだった。
「あんた、そう言うこだわりが強くて、変に義理堅いところもお父さんそっくりね」
小栗さんは再びグラスに入ったスパークリングワインで口を少し湿めらすと、僕の制服の胸ポケットにリストであるメモを入れてくれた。
「ありがとうございます」
「そのリストには、女の子が通っている高校や大学、スリーサイズなどの特徴、可能なプレイ、それに値段が記されているわ。あと、アテンダーのメールアドレスやパスワードらしきものも」
「学校の名前って、そんなの何なるんですか? 」
「学校の名前は、個人の趣味もあるだろうけど、どちらかと言うと買う側やアテンダーにとっての女の子たちに対する保険よ。『身元は押さえてるぞ』と言う・・・・・ 」
小栗さんはマイルドに伝えて来たが、保険と言うよりは脅しなのだろう。同時にそれは今回の事件の危うさの証明でもある。
僕はコーヒーを再び口にしたが、氷が溶けて薄まってしまった為か、味や香りなど殆ど分からない。いつの間にか僕らの前に戻って来たママさんが僕のアイスコーヒーを新しい物へと変えてくれた。
「そのリストは人から人へと渡り歩いたんでしょうね。見ての通りかなりボロボロよ。しかも胡散臭さもプンプンするから気をつけなさい。それと多分間違い無いと思うから、亡くなってしまった子に対する私の感想を教えておくわ」
「あらぁ、それは絶対に教えないって言ってたんじゃなかったかしら? 相当、弟クンの事が気に入ったのねぇ」
付き合いが長いのだろう、ママさんがひとりごとのように挟んで来た合いの手を小栗さんはひと睨みしたあと小さく笑っていた。
「殺されたあの子からは私たちと同じ匂いがするわ」
「同じ匂い? 」
言葉の意味が判らず、困惑した僕は思わず鸚鵡返しをしてしまう。
「人を好きになるのに国籍だの年齢だの性別だのの、くだらない境界線を持たない人間って事よぉ。私や菜々海のようにねぇ」
ママさんの解説は分かりやすいようで分かりづらい。目の前にいるママさんと小栗さんがいわゆる、性的な自認と生物学上の性別が異なる人なのは理解していた。しかし、西野さんも同じ言う意味はどう言う事なのだろう。
「マイノリティとかマジョリティとかの慰み程度の言葉だけで理解しようとしちゃダメよぉ。人間はもっと刺激的で感覚的かつ感情的な生物なんだからぁ」
「ママの言う通りね。たぶん、この事件の根っこは人間の誰しもが持っている仄暗いものよ」
正直、マジョリティやマイノリティが何を意味しているのか僕は正しく理解していないし、人間の誰しもが持っている仄暗いものが何なのかも知りはしない。そして、それについて安易に語る事は、いろんな人への冒涜になる事だけは分かっているつもりだ。だが、それでも僕の脳裏に今まで敢えて考えないようにしていた妄想のようなものがその輪郭を濃くしてゆく。
「少し時間を掛けて頭の中を整理してみようかと思います」
「それがいいと思うわ。何か助けが欲しかったら、ココに電話して来なさい」
そう呟き小栗さんが僕に手渡して来たのはピンク色をした厚手の名刺。白抜きの菜々海と言う名前の下にはお店の住所と電話番号の他に小栗さんのスマホの番号とメールアドレスが記されいた。
「いろいろと教えていただきありがとうございます。ママさんそれに小栗さん」
僕はママさんと小栗さんに深く頭を下げた。
「その下手くそな気遣い満点の敬語と小栗さんって呼ぶの辞めて貰える? 何のために名刺を渡したと思ってるのよ」
少しむくれて見せてくれた言葉と表情は身内の女性ながら少し可愛く見えた。
「分かったよ。菜々海姉さん」
僕のその言葉に菜々海姉さんは目を見開いて肩を一瞬だけ揺らすと、何故か僕に背中を向けてしまった。ママさんは薄く声をあげ笑っていた。
「いやぁ、今のはなかなか破壊力があったわねぇ」
「破壊力? 」
「オマケに天然! これは将来きっと父親以上の女泣かせになるわねえ」
菜々海姉さんと僕を交互に見つめ、楽しそうなママさんはハンカチで口元隠しながら、艶ぽく笑っていた。その品の良い所作と身体や声のゴツさはアンバランスだったが、僕は不思議な心地良さを感じ始めていた。
「菜々海は照れてるのよ。貴方みたいなイケメンに姉さんって呼ばれて。ホントは優しいのにツンケンしちゃって。ツンデレってヤツ? 」
「しのぶママっ! 余計な事を言わないで! 」
ふたりのやり取りから見えるのは付き合いの長さや信頼の深さ。ママさんが菜々海姉さんに向けている視線や言葉は母親のようだ。
「僕もは菜々海姉さんは優しいと思います。僕の通っている高校で怪しい動きがある事を父さんに知らせて、それとなく警告させたり、コッソリとすみれ姉さんが任されている美容院『sara-sa』のみなとみらい店にも通ってもくれているんですから」
菜々海姉さんは僕の言葉に凄い速度で反応し、コチラに振り向いてくれた。その顔は真っ赤。
「アンタ、私が『sara-sa』の常連だって、誰から聞いたの? お父さん? まさか、すみれは気がついたりはしていないわよね」
「違いますよ。ただ、菜々海姉さんのそのカットのアレンジの仕方はすみれ姉さんが一番得意としているヤツなんで、もしかしてって思っただけです」
半分は嘘。少し前に星野さんが話してくれた内容とカットしたばかりの髪からカマを掛けただけ。
「すみれにはまだ話しちゃダメよっ! あの子はアンタなんかより遥かに繊細だし、父親の事を大好きだった分、時間を掛けて気持ちを整理させてあげたいんだから」
「うん。分かった」
すみれ姉さんの性格もかなり捉えている。おそらくはかなり前からすみれ姉さんの美容院に通って、お客さんとして会話も重ねてくれていたのだろう。
「やっぱり、ツンデレさんねぇ」
やり取りを見ていたママさんが菜々海姉さんを揶揄うように茶々を入れて来た。
「しのぶママっ、さっきから人の事をツンデレ、ツンデレって・・・・・ 」
「あらぁ、ホントの事じゃない。弟クンもそう思うでしょ? 」
ママさんからのキラーパスに僕は思わず声をあげて笑う。菜々海姉さんは膨れ面をしながらも、腕時計で時間を確認していた。
「ふたりして、まったく・・・・・ だいぶ時間を取ってしまったわね。理はそろそろ、お父さんと女の子の所に戻りなさい」
「うん、そうさせて貰うよ。ありがとね、菜々海姉さん」
たぶん、こちらから定期的に連絡してしまうだろう腹違いの姉に僕はそう言葉を残したあと、ママさんにお辞儀をし、星野さんと父さんのいるレストランに戻る前に手に入れたメモに目を通すべく、お店を出てエレベーターのボタンの1階を押した。
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