第15話 ライ麦でつかまえて

 店長さんとの話しを終え、僕は駅へ向かいひとり歩いていた。

 通っている学校を偽れ、腹を立てた店長さんは次から次へと僕に南井の人となりを殆ど悪口のように語ってくれた。


 挨拶が出来ないため、それを注意をしたらキレられた事。

 高校を卒業したら、すぐにITベンチャーを起業すると語っており、プログラミングにもかなり詳しい事。

 特殊なジャンクパーツなどにも詳しく、それらについて尋ねてくるお客さんが来ると嬉々として対応するが、最終的には上から目線のため、いつも怒らせてしまう事。

 そして、狙っている歳上の女性がおり、必ずモノにすると豪語していた事。


 他にも店長さんは色々と教えてくれたとは思うのだが、永遠と重ねられる悪口に飽きてしまった僕は途中から中学生時代に英語の授業で繰り返し聞かされ、自分の中では最早呪詛同然の『ライ麦畑でつかまえて』のを冒頭部分を頭の中で暗唱し始めてしまったので、それを殆ど覚えていなかった。


 駅へ続くなだらかな下り坂を歩いていると、見覚えのある人が前から歩いて来るのが目に留まった。向こうもコチラに気がついたのか、軽く手を上げて近づいてくる。


「村崎君、土曜日にこんな所で会うなんて偶然ね。お買物? 」

「はい。パソコンのパーツを買いに」

 僕はポケットの中から、さっきついでに買ったジャンク品のUSBメモリを取り出し、光月先生に掲げて見せた。


「光月先生の家ってこの近所なんですか? 」

 肩口から首元にふわりと掛けたストールに長袖のスタンドカラーのカットソー、そしてジーンズという私服姿に加え、髪まで下ろしている光月先生にバッタリと出会ってしまった僕はかなりテンパり、初動の会話を間違えた。


 先生もそれに気がついたのか薄く笑っていた。


「すいません。挨拶もしてないうえ、不躾な質問をしてしまいました」

「別に気にしてないわよ。道端でばったりと担任教師に会ってしまったんですもの驚くのは無理も無いわ。私の住まいは三ツ境よ。ここへはお気に入りの喫茶店があるからよく来るの」

 休日モードなのか先生の口調はいつもより柔らかく、瞳の佇まいも穏やかだった。

 会話を繋げるため、天気の会話でもしようかと思ったが、夏と秋の境目である9月の末は暑いでも寒いでもなく、空も中途半端に曇っていて会話には向いておらず、適当な言葉は浮んでこなかった。


「もし良ければ付き合わない? 」

「へっ? 」

 言葉の意味が分からずいた僕の返事はかなり間抜け。


「誘ったのは私なんだから、ご馳走するわ。なかなか雰囲気の良い喫茶店なのよ。それとも何か予定でもある? 」

「特に予定はありません」

 お気に入りの喫茶店でお茶を飲もうとの誘いだと漸く理解出来た僕に先生は目だけで笑い歩き始めた。

 えんじ色のスニーカーで歩く先生の左側のやや後ろを歩き、交通安全センターへと続く上り坂の手前の路地を右へ入ると煉瓦色をした建物が見えて来た。鳥籠をモチーフにした看板には『不如帰ほととぎす』の文字。ここが先生の話していた喫茶店なのだろう。

 赤い木製のドアに手を掛けた先生に続き、僕も店内へと入ってゆく。時間が中途半端なためだろう、僕らの他にお客さんの姿は見当たらない。さっきの言葉通り常連なのか先生は店主らしき中年女性に手を上げると、店の一番奥にあるテーブル席に僕を案内してくれた


「意外でした」

「何が? 」

 改めて軽く店内を見回す。幾つもの窓がある壁。白い窓枠の上の方には色鮮やか花柄のペインティング。入口の床には中央に大きな紋様がある絨毯。四人ほど座れるカウンターと2つだけのテーブル席。そして店内には流行りのKPOPが流れていた。


「先生が通うカフェと聞いたので、てっきりオープンテラスがあるとか、サイフォンが幾つも並んでいるとか、そんな場所を想像してました」

「いい味してるでしょ? ココ」

 オーダーを取りに来た店主に先生がいつものと答えていたので、僕はホットウローン茶を注文した。


「確かに味があると言えばありますけど、多国籍と言うか無国籍なお店ですよね」

「どこあたりが無国籍に見えるか答えられる? 」

「小窓があちこちにあるのは日照時間が短い東欧の建物に見られる特徴です。窓枠に花柄の絵を描くのはチェコなどの西欧の伝統。入口の絨毯はデザインの特徴からおそらくはペルシャ絨毯、つまりは西アジア。座席は明らかに開拓時代のアメリカを意識してます。それに流れている音楽はKPOP。店名の『不如帰』中国の故事からとったのか、徳冨蘆花とくとみろかの小説のファンなのかは分かりませんがどちらにしても東アジアです」

 教師に質問されたと言う事もあってか、反射的に感じた事をペラペラと話してしまった。遠回しにコンセプトのカケラもない店である事を語ってしまったため、店の人が不愉快では無かったと思い焦ったが、店長さんはニコニコ笑いながら、コーヒーミルを回していた。


「よく見てるし、凄い知識ね」

「たまたまです」

 建物の特徴を掴めたのは、父さんがナレーションを務める『世界の建物の窓から』と言う3分程の長寿番組を義理で見ているための知識に過ぎないし、不如帰の蘊蓄うんちくは深夜アニメで主人公が語っていた台詞の丸パクリだ。


「寄せ鍋的、ごった煮的とでも言うのかしらね。このお店。でも色んなものを受け入れてる空間って優しくて素敵でしょ? 」

「僕は楽観的なので、大概のものが優しく見えます」

 優しいのが素敵なのなら、厳しいのは何なのだろう。その答えがわかない僕は解答から逃げるようにそう語った。

「村崎君らしい解答だわ」

 褒められたのかどうかは分からない僕はただ頷いただけ。一呼吸置くためだろう、光月先生は店主さんが運んで来てくれたホットコーヒーを飲むため、ゆっくりとマスクを外した。マグカップを掴む先生の手首の日焼け跡が妙に艶めかしい。


「何かしら? 私の顔に何か付いている? 」

「いえ、マスクを外した先生の素顔を間近で見たのは初めてだったので少し驚いただけです」

 丸みを帯びたやや面長の輪郭の中に、切れ長の目。そして彫りが深いのにも関わらず、クドさの破片かけらも感じさせない鼻筋と薄い唇。そしてその口元の右下にある小さなほくろ。あらためて綺麗だと思った。


「・・・・・ 私も少し驚いた事があるわ」

「何がですか? 」

「あなたと星野さんが西野さんの通夜に来てくれた事」

「星野さんは優しくて、道理のある人だからだと思います。僕は気まぐれで行っただけです」

 僕が通夜に参加した理由は自分自身の中で既に見えていたが、それを光月先生に話すのは抵抗があった。少し喉が渇いた僕は軽くお辞儀をした後、注文したホットウローン茶で口の中を濡らす。


「ひとつ聞いていいかしら? 」

「何でしょうか」

 歳上の女性にこの手の前置きをされた場合は僕の経験上、大概嫌な質問が飛んでくる。


「あなたと星野さんはホントに恋人同士なの? 」

「バイクの後ろに乗せただけで、恋人同士になるのなら、今、一緒にお茶をしている先生と僕も付き合っている事になってしまいます」

「そうだとしたら私はウチの女子生徒のかなりの数を敵に回した事になるわね」

 少しからかい気味の返しを倍にして戻されたのは大人として、そして教師としての余裕なのだろう。


「つまりはあなたと星野さんは特別な関係では無く、ウワサ通り彼女が告白しフラれただけなのね。西野さんのお通夜の時にデートだって言ってたから、私はてっきり・・・・・」

「先生にそこまで知られているとは光栄です」

 僕が不愉快なのを隠さず返したからだろう、先生は苦笑いをしていた。


「教員の間でも生徒の誰と誰が付き合っているとか、誰が告白されたみたいだとかは結構話題にあがるのよ。特にあなたみたいに年に何回も告白されている子はね。でも、それは興味ではなく、もっと醜いものが起因していると理解しておいた方が良いわ」

 一連の会話に腹が立ちかけたが、声のトーンもその内容も出歯亀根性と言うよりは助言。正直、先生たちが生徒の恋愛事情にまで興味があるのは意外だったが、芸能人の恋愛や結婚、そして離婚程度がニュースになるくらいの世の中なのだから感性としてはニュートラルなのかも知れない。


「僕らも先生の誰が誰を狙っているとかの雑談はしますから醜いのは互い様ってトコロですかね」

「・・・・・ 」

 体育の岡本先生の事をわかりやすく皮肉った言葉に対して、光月先生はを選んだ。歳上の女性に対して失礼の度が過ぎたのかも知れない。


「すいません。例え相手が絶対に怒らないと分かっていても、人の好き嫌いを嘲笑するようなマネはするべきではありませんでした」


 店内に流れていた音楽がKPOPのバラードから、ラテン系の陽気な音楽へと変わる。やはりこのお店は無国籍だ。それが合図だったかのように先生は軽く口元を綻ばせた。


「村崎君って、結構意地悪なのね。私だって生徒たちにウワサされているのは知ってたけど、まさかお通夜の時に続いて、またこんな強烈な皮肉を言われるとは思ってなかったわ」

「いや、その、確かに性格は捻くれてますけど、先生に意地悪をするつもりはなくて、言葉で遊ぶつもりが、度の過ぎた皮肉になってしまって・・・・・ 」

 拗ねたような笑みを浮かべている先生に、慌てて言い繕う事を試みたが、言葉が繋がらない。


「冗談よ、気にしないで。それより前から気になっていたから聞くのだけど、村崎君って私が教える事がないくらい英語が得意なようだけど、何か特別な取り組みでもしているの? 」

「中学時代の英語の先生がアメリカ文学かぶで、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の冒頭部分を強制的に覚えさせられたんです。それから何となくですけど洋書をスマホ片手に和訳しながら読むようになって…… たぶん英語が少しだけ身近なんだと思います」

 高校に入っても洋書の和訳を継続しているのには理由があったが、理由である本人に、それを語る訳にはいかず、僕は少しニュアンスをズラして伝えた。


「いい勉強法ね。しかし『ライ麦畑でつかまえて』か・・・・・ 私も学生時代に読んだわね。懐かしいわ」

「僕にとってあの本はもはや呪詛ですよ。あの『If you really want to hear about it』から始まる文頭なんて3日に一度は夢に出て来ます」

「発音もキレイね。本番アメリカでも十分通じるわ。将来は広い世界に出てみたらどう? ずっと同じままの場所にいたら人間は成長しないわよ」


 茶化したつもりが褒められてしまった。しかも、さっき話した『ライ麦畑でつかまえて』のセリフを反意的ではあるがなぞらえているあたりは流石は教育者だ。


「僕には横浜でも広過ぎます。先生は海外に行かれていたような口ぶりですけど、どこかに留学でもしてたんですか? 」

「大学3年の時、オレゴン州のポートランドに少しの期間だけ留学してたの。いつになるかは分からないけど、また行きたいわ」

「過ごすには暑過ぎそうな場所ですよね」

 僕は父さんの番組でオレゴン州のポートランドが取り上げられた回を思い出してみたが、取り上げられた内容は鮮明に覚えているにも関わらず、場所はイマイチはっきりしなかった。


「村崎君、英語や歴史は得意でも、地理は苦手でしょ? 」

 さすが教師。知っているフリは通じないらしい。

「バレました? 」

「ええ。あなたクールを装ってるけど、びっくりする程シャイだから意外なくらい顔にでるもの。地理が苦手な件はさっきイジメられた仕返しに地理の坂本先生に伝えておくわ『授業中寝ていたら課題をタップリ出すように』って」

「先生も結構意地悪ですよ」

 男性は女性に絶対に勝てない。それを再認識した僕は先生のイタズラっぽい微笑みに照れてしまった事を隠すため、ホットウーロン茶を一気に飲み干す。


「嘘つきで虚栄ばかりの大人だから、意地悪も上手いのよ」

「僕は捻くれてはいますが、ホールデン程じゃ無いですよ。何より僕は彼が嫌いです」

 再び『ライ麦畑でつかえて』を準えて来た先生に僕は素直な感想を返す。


「私は抱きしめてあげたくなるくらいピュアな男の子だと思うのだけど? 」

「幻滅するだけだと思いますよ。現実を真っ直ぐに見れる力があるのに、屁理屈ばかりこねている男なんて」

 自己投影、客観的に見た自己嫌悪との言葉を飲み込みつつ視線を上げると、先生は眩しいものを見るようにこちらを見つめていた。


「村崎君って、本当はそんな顔をしてたのね」


 その言葉に思わずそ見つめ返してしまったその瞳。そして、沈黙。

 それを選んだのは先生なのか僕なのかは分からない。時間は1、2秒だったかも知れないし、それ以上だったかも知れない。


 そして、マグカップ握る僕の手に先生の手が伸びた─── そんな錯覚に襲われ、僕は慌てて頭を振るう。


「英語の先生に語るのも何ですが、そもそも原題の『The Catcher in the Rye』を正しく訳すなら『ライ麦畑でつかまえる人』のはずですよね」

 行き過ぎた妄想が恥ずかしくなり、僕は視線を逸らし、既に空になってしまったウーロン茶を口に運び、飲むフリをしつつ、話を逸らす。


「・・・・・ えぇ、それが正しいわ。でも、たとえ正しい訳とは言えど、現行の意訳の方がロマンチックで素敵でしょ?」

「僕にはロマンが何なのかは、分かりません。ただ物語の内容から意訳していいなら『ライ麦畑で抱きしめてhug me in the rye』でも『誰かに強く抱きしめて欲しかったI wanted someone to hold me tight』だって良い気がします」


 僕の意訳のセンスが無かったのか、先生は少し俯き、小さく息をついていた。


「someoneの発音、mをもう少し抑え気味にすると、よりネイティブに近くなるわ・・・・・ ごめんなさいね。長々と付き合わせちゃって。私はもう少し、ゆっくりして行くから貴方はそろそろ帰りなさい」

 唐突感のある先生のその言葉に何故かホッとした僕はお礼を告げるとゆっくりと店を後にした。

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