第14話 嘘

 少し前まで混み合っていたカイゼリアはいつの間にか閑散としていて、今は誰も座っていない席に残されたお皿やグラスが自己主張を強めるかのように店内の灯りに照らされていた。


「ごめん、私、村崎の前で泣いてばかりいるよね。ホントは私、気も強くて負けず嫌いだから人前でなんて泣かないんだよ」

 どのくらい時間が経っただろう。不意に星野さんがそう語りだした。僕は気の弱い女の子など見た事はないし、たぶんこれからも出会う事はないと思う。


「だとすれば僕は幸運って事になるな。星野さんが泣いているのを何度も見れてるんだから」

「うわっ、性格悪っ」

 そう言いつつ、笑い声をあげた星野さんの目から涙の残りが溢れ、それが目筋からマスクへと伝ってゆく。その感触に気がついたのだろう、星野さんはマスクを外し、僕がさっき渡したハンカチで涙を拭いていた。


 漸く見えた笑顔。

 はじめて間近で見た素顔。


 マスクを外したからなのか、アーモンド形の目とカラーコンタクトでグレーぽっくなっている瞳がより際立っていた。鼻筋はハッキリし過ぎにも見えるが、小ぶりで少し厚めの唇との相性が良いようにも思える。頬から顎へと続くラインもラメ入りのチークで隠れてしまっているが柔らかい丸みを帯びていて、それが嫌味のない健康的な可愛らしさを醸し出せている。


「な、何? 顔に何か付いてる? 」

「また、目がパンダになってるよ」

「えっ、マジ? 」

「マジだよ」

 引き寄せられるような不思議な魅力に惹かれ、ガン見してしまった事を何とか誤魔化せた僕は既に冷え切ってしまったラザニアを口に運びつつ、メイク道具を取り出し、テーブルの上に並べ始めた星野さんを視線の隅で眺めていた。


「もう冷めちゃってるでしょ。ごめんね」

「猫舌の僕にはちょうどいいくらいだよ」


 沈黙が流れた。

 それを選んだのは星野さんだから、マナー的に言えば僕が口火を切るべきなのは分かっていた。だけどやっかいな事に言葉がスムーズに出てこない。


「私、『sara-sa』に行く前に一旦、家に帰って準備しなきゃ」

「準備? 」

 メイクをしながらも星野さんが会話を繋いでくれたので助かったが、準備とは何かが僕には分からない。


「こんなカッコで『sara-sa』に行くのはないっしょ」

「髪を切りに行くのに服装なんて関係あるの? 」

「あるわよ。それに村崎も用事があるでしょ? シルヴァと話してたじゃん」

「えっ⁉︎ あれが聞こえてたの? 」

 驚きのあまり思わず大きな声をあげてしまった。星野さんは呆れたように小さくため息をしていた。


「やっぱりね。お姫様様気質のシルヴァがあの内容程度の事を教えるために、わさわざ会いに来たのはヘンだと思ってたんだよねぇ」

 やられた。誘導尋問だ。内容などは聞こえてはいなかったが、怪しさは察したのだろう。


「あれは標葉さんの星野さんに対する気遣いだよ」

「そんなの分かってるわよ。内容も何となく想像つくから聞かない。その代わり南井クンに関して新しい事が分かったら教えてよ」

「それは約束するよ」

 僕は首を強く縦にふって答えた。


「シルヴァと他には何か話した? おかしいのよね。シルヴァ、基本男には塩対応のはずなのに、さっき珍しくsignで毒を吐いてるし」

「signで毒? 」

 一瞬、交換条件の事まで察せられたのかとドキリとしたが、どうやらそうではないらしい。

「ほら」

 そう言って星野さんが掲げたスマホには標葉さんからのメッセージ。


───── 男はだいたいヒトデナシ 村崎は、たぶんスケベなろくでなし


「このメッセージ、毒ってより悪口だろ? 」

 話していた時と変わらぬ標葉さんの強烈な毒舌っぷりに思わず爆笑してしまった。


「違うわよ。シルヴァ、毒吐きながらも村崎の事、他の男の子とは違うって、褒めてるじゃん! 」

「これで? まぁ、よくわからないけど、褒めてくれてるのなら僕は素直に嬉しいよ」

 笑い過ぎでこぼれそうになった涙を指先ですくいながら僕は少し膨れ顔をしている星野さんにそう返す。


「ごめん、ごめん。笑い過ぎだよね。ろくでなしってのがあまりにも的を得てる気がしてさ」

「私が言いたいのは、そう言う事じゃないんだけど・・・・・・ 」

「まぁ、とにかくまずは星野さんは髪を切りに行きなよ。僕はその間に南井の情報を当たるからさ。詳しい事は月曜日に品川で待ち合わせした時に話そうよ」

「・・・・・・ 分かった」

 今だに星野さんが少しむくれ気味の理由は分からないが、姉さんの所でカットすれば気分も変わるだろう。

 僕は星野さんが立ち上がるのを待ったのち、会計を済ませカイゼリアを後にした。


 ⇒⇒⇒


 横浜駅で星野さんと別れた僕は相鉄線に乗り換え二俣川駅に降り立った。

 ロータリーの階段を降りて、国道を八王子方面へ15分程歩いて行くと雑居ビルが立ち並ぶ一角に青い看板が見えて来た。


―――――  ν-tonニュートン

 誰もが読めるためと入口を分かりやすくする配慮なのだろう、そのルビ入りの看板の下にはエンターキーをかたどった矢印が店舗の入口が次の角を曲がった所にあるのを示していた。

 僕は電車の中で調べていた ν-tonニュートンのホームページを再度確認したのち、角を曲がり店舗の中へと入っていった。


 訳が分からないけど、少しワクワクする。


 店舗を見ての第一印象は初めて参加したお祭りで綿菓子だの金魚すくいだの沢山の夜店を前にした園児にも近いそんな感想だった。

 予想より遥かに広い店舗には、剥き出しの基盤をビニール袋に入れてあるだけのモノや、コードのたぐいをただ輪ゴムで留めてあるだけのモノ、そして沢山のモニターやパソコンが整然と並んでいた。

 そんな店内を少し進むと、すみの方に18禁のロゴ入りの暖簾のれん。一瞬だけ迷ったが僕はそれを潜り中へと入ってゆく。


「なるほど、標葉さんが僕にひとりで行けと言うわけだ」

 そう出てしまったひとり言はココに入った事への免罪符。だが、確かにすごい。あたり一面、女性の裸だらけ。さっきとは違う意味でドキドキしてしまう。無論、それは実物ではなく、アダルトDVDやブルーレイなどのパッケージ。中にはネットでタダ漏れの時代にわざわざ買う人がいるのだろうかと感じてしまう俗に言うエロ本も見られた。そして何より驚いたのはパソコンのジャンク品のコーナーには誰ひとりいなかったのに側には5.6人のお客さんがいた事。全員がマスクをしている為、詳しくは分からないが年齢層はバラバラで挙動も何となく不審。それを見て気恥ずかしくなった僕は再び18禁の暖簾を潜り、ジャンク品のあったコーナーへと戻った。


 ジャンク品を眺めるふりをしつつ、レジの方を見ると30代中盤の男性の姿。その人が店長さんかは分からないが、他には人が見当たらないため、僕は330円の値札が貼られたUSBメモリを持ってレジへと向かった。


「330円です。袋はご利用ですか? 」

 僕を一瞥する事もなく、淡々と告げるおじさん。

「袋はいりません。失礼ですが店長さんですか? 」

「そうだけど、なに? 」

 寝不足なのか元からなのか、ようやく僕に向けて来た店長さんの目は白目の部分がやたらと黄色く濁っていた。


「僕は標葉秋穂さんの知り合いで、村崎理と言います。ここでバイトしていた南井君について知りたいのですが」

 眠たげだった目を一瞬、大きくした店長さん。無論、眠気を吹き飛ばしたのは僕や南井の名前ではなく、標葉さんのフルネームだ。


「キミ、秋穂ちゃんの知り合い? 」

「はい」

「秋穂ちゃんの彼氏か何か? 」

「まさか、今日、知り合ったばかりですよ」

「ふーん」

 僕は今までに色んな『ふーん』という返事を聞いて来たが、この店長さんの『ふーん』くらい、色んな含みがあるものは聞いた事がなかった。


「キミ、幾つ? 」

「17歳です」

「なんだ、まだ子供かよ」

「高2です」

「どこの高校? 」

「庚台高校です」

「あぁ、チャラ校ね」

 こちらも尋ねたい事があるので一応は嘘偽うそいつわり無く回答した。どうやら、僕が未成年である事とチャラ校生であるのが、いたく気に入ったらしく店長さんの目は笑っていた。


「秋穂、何か言ってた? 」

「標葉秋穂の名前を言えば店長さんが力になってくれると言ってました。たぶん、頼りになる人って意味だと思います」

 後半は多少脚色したが、これくらいは許して貰いたい。店長さんが突然、標葉さんを呼び捨てにし始めた事については、情報を聞き出したのち、ツッコむ事にしよう。


「秋穂も頼りなる人なんて、言わなくてもいいのによ。実はな、、1年位前にスマホを水没させてな。それで顔を真っ青にしてウチに来店したからよ『なんとかなりませんかっ? 』ってな」

 聞いてもいないのにベラベラ喋りだした。少し面白いし、南井の事を聞き出すのに有利なボロを出してくれそうなので、僕は少し過剰に頷いてみせた。


「まぁ、水没スマホの修復は手間も掛かるし、リスクもある。それに自分のスマホじゃないって言うじゃないか。普通の店員ならややこしくなりそうだから適当にあしらう所だけどよ、アイツ、秋穂が泣きつくもんだから、めんどくせぇけどオレが一肌脱いだってわけ。分かる? 」

 分かる。つまりは標葉さんがあまりにも可愛かったからスマホを直して良い所を見せて、何か間違って自分の事を好きになって貰いたかった訳だ。


「それからはメールで何度もやり取りする仲になった訳よ。パスワードの破り方とか、データの完全削除の仕方とか、オレみたいなハッカー崩れじゃないと出来ない事も色々教えて、仲良しな訳よ」

「標葉さんのお父さん、ν-tonニュートンの親会社であるニトロの執行役員でもありますから、難しい対応ですよね」

 一瞬、間が空き、店長さんの目が点になった。

「おっ、おう! その通りだ」

 自分の会社の役員の名前も知らなかったらしい。それで良いのか店長さん。

 ホームページを辿っていて驚いたのだが、このν-tonニュートンなるお店は、パソコンやスマホの修理をメインとしており、その親会社は日本でも有数のIT企業である株式会社ニトロ。そしてそのニトロの役員名簿には標葉悟なる人の名前もあった。おそらくは標葉さんのお父さんだとは思うが、それを教えてくれない辺りは小悪魔的と言うか悪戯心に溢れていると言うか、実に彼女らしい。


「で、キミは何しに来たんだっけ? 」

 店長さんは仕切り直しとばかりにひとつ咳払いをしていた。ちゃんと覚えていてくれているあたり、根は良い人なのだろう。


「ここでバイトをしていた同じ高校の南井の人柄とかを聞き来ました」

「同じ高校? 彼、翠邦すいほうだっていつも言ってたぞ? 制服でココに来る時もチャラ校のブレザーじゃなくて、翠邦の校章付きの学ランだったし、面接の時に学生証も確認したんだぞ」

 翠邦学園と言えば、横浜市内でも有数の進学校。偏差値だけで言えば、僕の通っている庚台高校より15は上だ。


「その南井って下の名前は剛志で間違いない? 細身で耳の大きい・・・・・ 」

「はい」

 一瞬、頭を過った親族の可能性や誰かが名前を偽っている疑いは今の店長さんの言葉により消えた。南井の下の名前は剛志だし、耳の事は分からないがマッチ棒のように細身な外見も合っている。


 僕はひとつの質問をふと思いつく。

 この質問に店長さんがYESと答えれば、ここでバイトしていた南井は庚台高校に通う南井剛志で間違いないと言う事になる。


「南井はココにバイクで来た事はなかったですか? 」

「大概は学校帰りだから電車だったと思うけど、土日のシフトに入っている時は確かに黒いバイクで来てたな。あの趣味の悪いドクロの形したヘルメット被ってさ。ウチの駐車場、そんな狭くはないけど、アイツ、いつもど真ん中に駐めるもんだから、何度か注意もしたんだよ」

 標葉さんからの情報だっただけに間違いはないだろうとは思っていたが、やはりあの南井であるのは確かなようだ。店長さんも訳がわからないと言った顔をしている。


「アイツ、もうココのバイト、辞めたんですよね」

「辞めたってより、上からのお達しでクビにしたってのが正解だな。きっとコールセンターにクレームでも来たんじゃねえか。まぁ、こっちにしてみれば、辞めてくれて有り難かったくらいだけどさ。あんな戦力にもならないバイト。キミの話を聞く限り彼は履歴書も偽っていた事になるじゃないか。何なんだよ、アイツ」

 店長さんは学歴を偽られていた事へと怒りなのか、カウンターの上に乗せていた指を小刻みに震わしていた。


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